グランベルの薬屋
ガタゴトと揺れる馬車の心地よい振動が止まり、御者の「着いたぞ、終点だ。グランベルだ!」という威勢のいい声で、僕は眠りから引き戻された。
ゆっくりと馬車の外へ踏み出すとそこにはバザルタの都会的な熱気とは全く異なる、澄んだ土と草の香りが満ちていた。
大きく伸びをしながら辺りを見渡した僕は思わずその場に立ち尽くした。
「……ここが、グランベル」
目の前に広がっていたのは、柔らかな朝霧に包まれたどこか懐かしく温かみのある木造づくりの街並みだった。
建物の多くは太い梁がむき出しになった趣のある造りで、長い年月を経て飴色に焼けた木の壁が朝日を浴びてしっとりと輝いている。
街の周囲には見渡す限りの広大な田園風景が広がり、黄金色に色づき始めた稲穂が緩やかな丘の起伏に沿ってパッチワークのように続いていた。
「……まずは、何かお腹に入れて、それから母様が言っていた薬屋がどこにあるのかも詳しく聞いておかなくちゃ」
見知らぬ土地で闇雲に探しても、迷子になってしまうだけだ。
僕はぐうっと小さく鳴ったお腹を隠すようにさすりながら、通りで見かけた宿屋兼酒場《黄金の麦穂亭》の扉を静かに叩いた。
店内に足を踏み入れれば、焼きたてのパンと薪が燃える香ばしい匂いがふわりと漂ってくる。
その温かな香りに、緊張していた心が少しだけ解けていく。
「いらっしゃい。朝ごはんかい?」
カウンターの奥で、恰幅の良い女将さんが穏やかに声をかけてくれた。
「あ、はい……お願いします」
僕は控えめに会釈して端の方の席に座ると、ものの数分もしないうちに厚切りのライ麦パンに、豆と野菜がたっぷり入った熱々のスープ、それに新鮮な卵の目玉焼きが運ばれてきた。
「……いただきます」
僕はそっと手を合わせ素材の味が染み渡るような素朴な朝食を一口ずつ丁寧に口に運ぶ。
お腹が満たされるにつれて、ようやく人心地つくことができた。
食後の温かいお茶で一息ついたところで、僕は意を決して女将さんに声をかけた。
「あの……すみません。この街にある《ソルシエール》という薬屋さんを探しているのですが、どう行けばいいか教えていただけますか?」
その名前を出した瞬間、女将さんの表情が少しだけ曇った。
「ああ、あのお店ね……。道は難しくないわ。この通りをずっと西へ抜けて、田んぼのあぜ道をしばらく歩いた先にある小さな森の入り口よ。ひしゃげた真鍮の看板が出ているわ」
女将さんはそこで一度言葉を切ると、心配そうに僕を見つめて声を潜めた。
「あそこはね、地元じゃ『魔女の薬屋』なんて呼ばれていて、常連の客以外は滅多に立ち寄らない場所なんだ。店主さんもちょっとした『変わり者』でね。腕はいいって評判だけど、あまり愛想がいい方じゃないんだ。あんたみたいにおとなしそうな子が、あんな場所に何の用だい?」
「あの、実は……今日から、そこでお世話になることになっているんです」
僕が小さく、でもはっきりと答えると、女将さんは「ええっ、あそこでかい……?」と驚いたように目を丸くし、それからどこか同情と期待が混じったような顔で微笑んだ。
「はい、ありがとうございます」
僕は教えてもらった道を忘れないよう頭の中で反芻し、代金を支払って店を出た。
街を囲む豊かな緑に母様が言っていた『魔女の薬屋』。
女将さんの言葉に少し緊張しながらも、僕はこれから始まる新しい生活に向けて静かに一歩を踏み出した。
宿屋を出ると、陽光はさらに輝きを増し見渡す限りの田園を眩しいほどに照らしていた。
僕は女将さんに教わった通り、西へと続くあぜ道に足を踏み入れると、左右から伸びる稲穂が時折吹く風にさらさらと音を立てて揺れている。
本来なら心安らぐはずののどかな風景だけれど、今の僕の胸のうちは、期待よりも不安の方が少しだけ上回っていた。
(……魔女の薬屋)
女将さんが言ったその言葉が、頭の中で何度も反芻される。
それに、母様も言っていた。
『魔女ミスティラ』のところへ行きなさい、と。
ただの噂話じゃなくて、本当にそう呼ばれている人がこの先にいるんだ……。
そう思うと、これから出会う人物への緊張がさらに強くなっていった。
「……大丈夫。今日から、そこでお世話になるんだから」
自分に言い聞かせるように小さく呟きながら、一歩、また一歩と進んでいく。
やがて、田んぼが途切れるあたりに辿り着いた僕の前に想像を絶する光景が現れた。
そこは、ただ森の入り口にあるだけの店ではなかった。
建物そのものが天を突くほどに巨大な大樹の根元に組み込まれるようにして存在していたんだ。
太くうねった根がまるで巨大な指先のように建物の壁や屋根を抱き込み、今にも家全体を飲み込んでしまいそうに見える。
建物の裏手や周囲には深い雑草が生い茂り森の緑と同化しているけれど、店の入り口へと続くわずかなスペースだけは常連の客が絶えない証拠か、綺麗に掃き清められていた。
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