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そんな中、私は夢を見たのです。
──それはお嬢様や亡き奥様方と暮らしていた頃の夢でした。以前住んでいたお屋敷でしたから、私は懐かしく思いながら辺りを散策しました。門扉の上方はあいかわらずさびていて、その脇にはブーゲンビリアの茂みがありました。花が咲いているのもあれば、蕾がほんのりと赤く染まっているものもありました。お嬢様と一緒に植えたチューリップも、白い花をつけていて綺麗でした。それにしても、日差しが熱い。歩いているだけで、汗をかいてしまいそう。途中で会った給仕や庭師にも当時と同じように挨拶を交わし、秘密裏に餌をやっていた野良猫を撫でてやりました。旦那様も埃っぽい書斎でなんだか難しそうな本を読んでいます。あの頃と変わらない風景。匂い。熱。感触。それなのに、やっぱりお嬢様の姿だけが見当たりません。
気を落としたまま庭園に行くと、その東屋で、療養しているはずの奥様が紅茶を飲んでいました。
「奥様、お体に触ります!」
「いいのよ。だって私は死人だもの」
私から見ても、奥様はとても病気を患っているとは思えませんでした。血色も良く、毅然とした姿勢はお元気だったころのままです。
そしてなにより、苦し気な表情をしていないのです。幸せそうに笑みをたたえた奥様を見るのは久しぶりでした。
「それでも、こうして私と話しているではありませんか」
「それはそれよ。私が死んでいるのは、あなたも知っているでしょう?」
あなただって酷い熱だったじゃない、奥様のその言葉に私は口をつぐみました。
私はお嬢様と共に奥様の最後を看取りました。その死に顔ですら鮮明に思い出せるのです。そして私も本当なら生死の境にいるような状況で、だからこそ夢のようなこの世界が不思議でしょうがないのです。それなのに、奥様のその言葉は、これが単なる夢ではないと、そう言っているように思えました。
「ああ、奥様、私も死んでしまったのでしょうか」
「さあ、もうずいぶんとあなたに会っていないもの。それより、あなたも座りなさい」
そう言って紅茶を私に差し出した奥様は「あなたが来てとても驚いたわ、もう私と同い年くらいなのね」「どうして髪を切ってしまったの?」「あの子はまだひとりで寝れないのかしら」「この世界のお砂糖は、いくら使ってもなくならないのよ」と他愛のない会話をし続けましたが、いなくなったお嬢様のこともあって、応じる気にはとうていなれなかったのです。
「つれないわ。そんなに沈んでどうしたの? あなたも私に会いたかったのでしょう?」
うつむき、紅茶の湯気を顔に受けたまま、私は静かに頷きました。
「奥様にお会いできて本当に嬉しく思います……でも、奥様。私は、これからどうすればいいのでしょう」
「あなたはどうしたいの?」
「……もう一度お嬢様にお会いしたいです。お嬢様との日々は、私にとってなによりも大切なものですから」
私が至らないばかりにお嬢様を見失ってしまったこと。その責任感。それだけではありません。お嬢様と過ごした穏やかな日々を思い出して、この胸が痛みました。
「そう? あの子は本当に人の気も知らないで、あいかわらず勝手だったから、あなたも大変だったでしょうに」
本当に会いたいの? と奥様は悪戯っぽく笑いました。
「お嬢様にお会いになられたのですか!」
「ええ、あの子。もう少しここにいればいいって言ったのに、お母さまが元気そうで安心したわなんて言って、また飛び出していったのよ」
「ああ、お嬢様。本当にお会いできたのですね」
嬉しさはありましたが、ただ喜ぶことはできませんでした。それならお嬢様は今どこにいるのでしょう。ここが死後の世界なら、これほど悲しいことはありません。
そうお嬢様を憂う私を尻目にした奥様は、
「すっごく大きくなっていたから驚いてしまったわ。あなたの方がまだずっと大きいけど、まさか私が抜かされているなんて思わなかったもの……ねえ。あの子は私が死んだあとどうしていたの?」と砂糖を追加していました。
「それは……」
私はこれまでの日々をできるだけ丁寧に奥様へ伝えました、ふさぎ込んでしまったお嬢様と共に遠くへ移り住んだこと、そこでの思い出、勿論、幸せの鳥についても。
「そう。あの子が明るかったのはあなたのおかげなの」
「いえ、私はなにも、それどころか……」
「私の代わりに愛してくれたのでしょう? なら良かった。あの子も愛を知れたのね」
それに、あの子は死んでいないものと奥様は言いました。
「え、ですが。奥様はこうして、私だって」
「それはそれよ」
そう微かに笑い、奥様は紅茶に口をつけました。
「あら、そろそろ時間だわ……ねえ、あの子のこと、これからもよろしくね」
「ですが、私はお嬢様がどこにいるのかもわかりません」
「それもあの鳥が導いてくれるわ。ほら、あなたもはやくあっちに向かいなさい」
「でも、お嬢様に会わせる顔がありません」
「なら、もう会えないわよ? 向こうに行かないのなら」
「ですが、奥様は」
「もうそんなこと気にしないでいいの。あの子が待っているのはあなたなんだから」
「そんなことありません! お嬢様はいつだって……」
「くどい。私も気が向いたら会いにいくから、それにあなただから私も安心できるの。わかったなら、もう少し穏やかなままでいさせて」
そう自嘲気味に笑う奥様。病気に苦しむことなく余暇を過ごすお姿は、私から見ても幸せそうでした。それに、細められた青い瞳がお嬢様とそっくりで、色々な思いが込みあがってくるのです。
「ほら、もう時間。いい加減心を決めなさい」
本当に、また会えるのでしょうか。暫しの別れで済むのでしょうか。寂しさで胸が一杯なのに、それなのに、カップにはもう何も残っていません。
「……奥様」
「まったくいい大人が泣かないの。それじゃあ、またね」
まるであの頃のように、私は頭を撫でられました。