16、にぎやかな我が家
どうしてこうなった?
僕はただ、家に帰りたかっただけなのだ。なのに何故か、我が家の砦の庭ではニコニコした母と大きな肉を火加減を調整しながら焼くリリア。きゃっきゃと僕にも見せたことのないような笑顔でバーナデットに笑いかけるアキちゃん。剣の素振りを止めることすら許されない僕がいる。
日が暮れる前に目を覚ました僕はバーナデットに帰らなくてはならないことを一番に話した。
僕の願いに一刻も早くバーナデットの部屋から追い出したいリリアが乗っかり、バーナデットが認めてくれたまではいいが、いまの現状になっている意味が分からないでいる。そして今も心休まる唯一の場所が、全く休まらないどころか、強制的に素振りをやらされている。
僕が《名奪い》の能力の効果に悲観しているというのに我が家族はとても楽しそうだ。今日の僕がどれ程大変な目に合ったなんて知らない幸せそうな家族達の顔に涙が出てくる。
「マジク?泣いちゃうほど素振りはキライ?」
アキちゃんをあやしていたバーナデットが、涙を流しながら素振りをする僕に近づいて来た。胸元に抱っこしているアキちゃんの髪の色が深い青色になっている。僕が出掛けている最中にアキちゃんも無事に属性を選択したらしい。是非ともアキちゃんの記念すべき瞬間に立ち会いたかったのに、どうしてこんなことになったのだろう。それでも母より濃いアキちゃんの髪の色は、よく似合っていて可愛さが増した感じがするので嬉しかった。
「泣きながらニヤニヤしてるのよ?」
アキちゃんは可愛い癒しだ正義だ。
「マジクは変態さんなの?パパに変態さんの近くには近づいたらいけないと言われているのに困ったのよ?」
泣きながら笑って素振りをしている僕を見て、楽しそうに笑っているアキちゃんを抱っこしたまま、首を傾げるバーナデットの言葉にリリアが反応する。
「バーナデット様、そいつは変態ですか?ならばいま直ぐ、プチっと潰しましょう」
リリアの言葉に、下の方が縮み上がる寒気がした。
「泣きながら、笑って、震えて、素振りするなんて流石マジクなのよ?」
バーナデットのマジク高評価は<秘宝狂い>故にどんな時も変わらないが、時折心臓を抉るような言葉が混ざるのはリリアに合わせれば母親似なんだそうだ。
強制的な素振りに対して不満はあれど、止めるよう言葉にしないのはそれなりの訳があった。
家に帰らせて欲しいとバーナデットに願い出た時、砦に残してきている母と妹が心配であることを家族とは隠した上で話した。生活のためにお金を稼がなきゃならない事にまで話が及ぶと、ダンジョンにバーナデットと赴けばその問題は解決すると言われ、その結果素振りをさせられるに至ったという訳だ。
リリアにダンジョンに赴くだけの力があるのか確かめられ、問答無用に叩きのめされて落第点を頂いての基礎訓練という流れになる。
素振りに使っているのは木製の剣で見てくれは両刃の剣そのもの、リリアは<木工能力>を有しており、そこいらにある枝木を使って即席の弓矢なんかを作るのはお手の物だそうだ。対してバーナデットは生産系能力を持っていない。そもそもペラム家には生産系の能力を持つ者は長い歴史を見ても数人で、<秘宝狂い>や《名奪い》といった強力な能力を持つ弊害とも言われているそうだ。より個性的で強力な能力を得た者ほど、他の方面にはからっきしダメだったりするのが、この世界での常識だそうで、その枠に収まらない僕はイレギュラー扱いされていた。
バーナデットが砦にいるのは、僕の側を離れたくないためだった。これは折角手に入れたばかりの秘宝扱いの僕を片時も手放したく無かったという思いなのだが、リリアがここに居るのは、バーナデットの世話役という役目とライオネスに僕から目を離すなと言及されているためでもあった。
僕もバーナデットが一緒に来たことで、日が暮れる前よりも余裕を持って馬車で砦に帰れたことと、当初の目的であった食料問題をバーナデットを介してリリアが調達してくれたことで助かっており、その事に関しては多くの恩義を感じていた。
母とリリアの作る肉料理から、美味しそうな芳しい匂いが立ち込めてくる。久し振りの肉料理が食べれるとあって楽しみで仕方がない。
「泣きながら、笑って、震えて、よだれ垂らして素振りしてるのよ?マジクやっぱり気色悪いのよ?」
眉をしかめるバーナデットと対照的に、僕の姿を見て両手を振って興奮するアキちゃんが楽しいんでくれるならいいやと、平和な時間を噛み締めていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
「やっぱり~お肉って食べないと駄目なのね~なんかママ元気になってきちゃった~」
両握り拳を作って、上腕二頭筋にあるかないかのコブを作ってアキちゃんに見せる母の姿に和みながら、久し振りの肉料理を食べ過ぎて腹を膨らませて横たわっていると、リリアがバーナデットに帰宅を促した。
「リリア何を言っているの?お泊まりするに決まっているのよ?」
「それだけはなりませんバーナデット様。自らのお屋敷に男を招き入れるどころか、男の間の巣窟で一晩を明かすなどと」
「嫌なのよ?マジクと離れたくないのよ?」
バーナデットは僕のぽっこりお腹にしがみつく。
「まあ~まあ~マジクちゃんも隅に置けないわね~」
お眠のアキちゃんを抱えて、母が呑気に会話に参戦して来たことで、話がややこしくなる。
「バーナデット様、直ぐにお放れください。汚いです。汚れてしまいます」
リリアにはどうも必要以上に僕を目の敵にしている気がする。時おり目線が合うと威嚇してくるし、男嫌いであろうか。きっとろくな男に出会えていないんだろうなと思う。
「でも、リリアはここに残るのでしょう?リリアだけズルイのよ?」
バーナデットがリリアを睨む。
「私には好き好んでこの男の所に残るわけでは有りません」
「マジクちゃんモテモテね~妬けてしまうわ~」
「いや、マイリオリーヌさん話がややこしくなるから止めて」
「マジクちゃん~私のことはママと呼んでと言ってるでしょ~?」
「ほら、バーナデット様見て下さい。幼児のいる奥方をママと呼んでいる事実がいま発覚しました。それがこの男の本性です。ど変態です」
僕にとって母を交えてのこの手の会話をするのはとても心臓に悪い。
母が何処まで、マジクとユウキの名前を使い分けてくれているのか、甚だ怪しいのだ。昨日話をしている中で偽名については、「思春期の男の子にはそういう憧れがあるって聞いたことがある」と、一人で納得していだが、明らかに勘違いだし、いくら説明しても考えを改めてくれなかった。
それでも食料事情とお金を稼ぐ手立てはつきそうなので、当初の問題の幾つかは仮に解決できたものとして嬉しくはあるのだが、背負った重みはむしろ増えている事に目下悩み中である。
一つは勿論、《名奪い》によるバーナデットからの強制力は何方かが死ぬまで継続するという最悪の仕様となっているそうで、その事についてバーナデットに問い質したが、「イヤなの?」って不安な顔をされてしまい思わず、首を横に振ってしまった。
情けない話だが小さな女の子の不安げな表情への罪悪感に、僕が弱いことを露見させた瞬間でもある。
《名奪い》には切れぬ絆が生まれることから、奪った側の者には奪われた側の位置情報や肉体の状態を感覚で感じ取ることが出来るらしい。これは年月をかけて深まるもので、生物への《名奪い》に関しては信頼関係などの深まりで情報が増えるという事例があるとの事だ。事例といっても、あくまで希少動物を《名奪い》した過去の事例なのだが、これが人間の僕に当てはまるかどうかはわからないという。
いまはバーナデットが幼いことと、《名奪い》をしてから日が浅いこともあって、位置情報が何となく分かる程度なのだそうだが、竜との一件で助かったのは覚えに新しく、バーナデットが《名奪い》をした行為に対して強く言えない反面もあった。
発見された時は腹部に大きな穴が開いて臓器が体の外に飛び出していたという。本人には聞かせて欲しくなかった部類の話である。それでも消えかけた命を救ってくれたのはバーナデット達であり、この事に関しては感謝しなければならなく非常に弱い立場になってしまったのも確かだ。
そしてもう一つはドラゴンとの事。突然の事でパニックになって無我夢中に対応をしたのだが、話の状況から、僕はドラゴンを返り討ちにしてしまったようで、リリアからその事について探りを入れられている。
探りで済んでいるのは、僕がドラゴンと思っていた生物は幼竜だったらしく、幼竜とはいえ竜の単独撃破など御伽噺の世界の話らしく、調べている方がそもそも単独撃破の可能性を信じていない。
それでも探りを入れてくるのは状況証拠から考えて、あの場には僕一人しかいなかったことによる単独撃破の可能性と、それ以外の要因で幼竜が死ぬに至った何かがあったことの二つに絞られたからだ。現在後者の憶測の方向で調べが進んでいるようで、致し方なくリリアは話を誘導しようとする感じであった。
勿論僕は全く意味のわからない顔をして惚けているのだが、前世からこの手の事で誤魔化し切れた事が無いのでいつボロを出すか気が気では無い。会話から避ける素振りを見せてる時点でリリアの猜疑心を煽っているようなものである。
まあ、実際のところ気を失っていたので、幼竜に対する致命傷を与えた当事者とは僕自身が自覚がないので、ここら辺は何とか誤魔化し切ろうと思う。先ほどもリリアが話し掛けようとして来たところをバーナデットに話しかけることで逃げたのだが、リリアはバーナデットに耳打ちをして《名奪い》の権限で僕に隠し事を語らさせようと画策した。バーナデットが嫌がったため助かったが、下手な行動でやぶ蛇を突きそうになる、全く気の休まらない我が家であった。
そんな事をして日もすっかり暮れたころ、一台の馬車が街の方角から近づいて来て、無遠慮にも砦の垣根を越えて停車した。
バーナデットが乗ってきた馬車よりも一回り大きくて豪華だ。そして扉にはバーナデットが乗って来た馬車と同じ紋章が描かれている。それを見てバーナデットの様子を伺うと驚いた顔をしており、リリアに至っては顔面蒼白になっている。
深いシワが年齢を表す御者が、淡麗な動きで音もなく降車すると扉を開けた。
始めに出てきたのは心なし背を丸めたレージンで、僕の姿を見ると一瞬目を見開いた驚きの表情を見せた後に鋭く睨んできた。僕は思わず反射的な目を逸らしてしまう。そして続いて出てきたのが、ライオネスであった。こちらは完全に不機嫌、それでもバーナデットが、とてとて走り寄ってくると一転して笑顔になる。
「捜したぞバーナデット!」
バーナデットはライオネスの抱擁を受け入れる。
「どうしたの?パパ?」
「どうしたもこうしたもバーナデット、あんな事があったばかりではないか、まさか屋敷に居らぬとは思わなかったぞ。心配するに決まっているだろう」
本当に心配したのだろうライオネスの声は大きく、目線をリリアに向けると、リリアは真っ青な顔色を越えて白くなっていた。
「ゴメンなさい?パパ?」
バーナデットはライオネスに謝ると目線を下げて意気消沈してしまう。
「あんまり、遅くなる時間まで出歩いては行けないよ。バーナデットは可愛いんだから特に気をつけないと、外には危険が一杯だからね」
しょげてしまったバーナデットを見てライオネスは優しく諭す。
「お話が終わったら、今日は帰るからもう馬車に戻ってなさい」
「でもパパ?マジクがいるのよ?」
ライオネスは笑みを消してバーナデットを見つめる。
「でもね?でもね?」
バーナデットはイヤイヤをする。
「バーナデット?」
バーナデットは渋々頷くと、とぼとぼと自ら乗って来た馬車に歩いていく。何度か振り向いて寂しそうに僕を見るが、何も出来ずにいた。
いまいち貴族とはどんな存在なのかわかっていない。バーナデットの屋敷でのライオネスの雰囲気と今の雰囲気が、まるで違うことに戸惑う事しか出来ず、ライオネスが得体の知れないものに見えた。
普通の行いが問答無用に不敬と取られて切り捨てられるのではないかと動けずにいる。それくらい、ライオネスには内に強い怒気というか、鬼気迫るものを感じた。それはリリアの顔面蒼白な表情を見ても一目瞭然で、一気に張り詰めた空気になっている。
「さて、リリア?」
「はっ!」
リリアは直立して姿勢を正す。
「なぜお前が付いていながらこういったことになる?」
「こっ、これには深くて複雑な!」
「ライオネス様………」
御者の男が、いつの間にかライオネスの傍で頭を下げ、話しかけるとライオネスの放っていた怒気が一気に下がる。
「ちっ!父上!ヒィ!」
変わって、明らかに針で全身を突かれているような空気になった。リリアが涙を浮かべて、震え始めた。横目に見た母はケロッとしており、抱かれたアキちゃんはスヤスヤと眠っている。
この威圧感はどうも、リリアと僕だけに向けられているらしい。
「ライオネス様への返答に誤魔化しを加えようとしようとしたな?」
「めっ滅相もありません!」
リリアは声は震えており完全に怯えていた。
僕は、いまのやりとりを見て、とばっちりを食っていることに気が付き愕然とする。
威圧の範囲内から逃げたいのだが、体が硬直してしまい動けない。リリア父の眼光の鋭さは睨むだけで人の命を簡単に刈り取りそうな程であった。
「ゴメンにゃしゃい、ひっぐ」
リリアは完全に泣きべそをかいていた。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
結論から言うと完全に脅迫だった。
「まずは、この砦の担保だが既に儂に移されておる。ようはタンドーラ家の借金二百五十霊金貨の返済相手が儂となった訳だ」
え?………二百五十霊金貨?って円に換算するといくら?
母はニコニコしており、絶対に状況を理解していない。
「次に死にかけだったお前に使った回復薬だがダンジョンで見つけたものを使った。生成不可能な上に、数年に一つ見つかるかのクラスの物だ。流通しない類の物なので貨幣価値にするのは難しいが、五十霊金貨といったところか」
レージンの引き気味の様子を見て、僕も顔が引き攣ることを抑えられられなかった。とんでもない金額のようだ。
「まあ、娘に《名奪い》されておる経緯もあることだし、利子などは多少なり考えてやろう。おぬしはもう、逃げられぬしな」
ここでレージン顔が驚愕したものに変った理由が僕にはわからなかった。
………バーナデットパパってケチで有名なのだろうか?
「さて話は変わるが、おぬしにはして貰わねばならぬ事が多々ある。もちろんおぬしには拒否権は有るのだが……」
あー、はい分かります。本当は拒否権は無いってやつですね……でもレージンさんが項垂れているのは何でだろう?
「あの、僕は何をすれば?」
「おーやってくれるか、なあに簡単なことだ。ちょっと来てもらいたい所が在るだけだぞ!」
ライオネスが急にニコニコしだした。
なんか、嫌な予感しかしないんですけど。
次話 「領主との面会」