110、奈落
「びえーん!」
「泣いてもダメなものはダメ!」
天神海のダンジョンに赴くことになりそうなので、早めに楓を僕の背中から無理やり引き離したら、泣いて抗議して来た。メイに預けるとメイの腕の中で大暴れである。
「神子様!今回は危ない危ないだそうなのです!お留守番をしているのです!」
「びえーん!」
メイの腕の中で目一杯体を仰け反らせて、メイに預けられることを拒絶している。ぴーちゃんが主人の泣き叫ぶ声に混乱して楓の体の上をくるくると飛んでいた。
トライセルと天神海の街に存在するダンジョンに探索に出向くことになったのだが、その天神海のダンジョンが王国一の高難易度と知り、楓は連れて行かないことを決断した。長い年月、冒険者達から畏怖され「奈落」と名付けられた最恐のダンジョンに行く羽目になると分かっていたら、僕は断固拒否していただろう。きっとガルドーは予想が付いていたに違いない。今から行けるダンジョンの選択肢がないとは言っても、そんなに危険なダンジョンならば、ダンジョンに探索に行く行為自体を中止にすれば良いと思うのだが、トライセルとガルドーの意見は違うらしい。
「トーリにぃ?わたしも行くのよ?」
「何を言っている!駄目に決まっているだろう!?父さんと母さんの許可がないとダンジョンは入ってはいけないと、バーナデットも言われているだろう?」
「でもトーリにぃは行くのよ?」
「それは仕方なく………」
「………」
トーリはトライセルに愛の宝石を手に入れるために、ペラム家の力を借りたいと打診していた。例え王族であろうと本来断るべき事案なのだが、トライセルが短い付き合いながらもトーリのことを良く見ていて、上手く誘導して断りづらくさせた結果だ。おだてられると調子に乗ってしまう悪癖を突かれて、現在バーナデットから冷たい目で見られている結果となっている。
「なんだ?バーナデットは行かないのか?折角、オレの自信作を見せてやれると思ったのに残念だな」
優雨実が兄妹の仲を煽るようにケラケラと笑う。
「トーリにぃ?ズルいのよ?」
「ぐぐ………」
トーリの兄としての威厳が形無しだった。
ん?ちょっと引っかかるものが……。
「優雨美様。自信作とは何ですか?」
「ん?」
優雨美はきょとんととする。
「今ご自身でオレの自信作だと仰られて」
「そうだぞ!天神海のダンジョンはオレの自信作だぞ!」
「はい!?ちょっと待って下さい!優雨美様のダンジョンは天神海で発見されたばかりのダンジョンですよね?」
「当たり前だろ何を言っている。オレにあれだけのことをして忘れたとは言わせないのだぞ!」
優雨美が恥ずかしそうに身をよじって頬を染める。
ちびっ子の姿でその仕草は止めろ!
「ひそひそ………」
「マジク?変態さんはダメなのよ?」
バーナデットが、リリアに耳打ちされて眉を寄せて来た。
リリア!余計なことを!
「ひそひそ………」
母さんもアキちゃんに何を耳打ちしているの!?理解できないだろうが、やめて!!
「優雨美様!そうではなくて!これから行こうとしているのは、僕が試練部屋で優雨美様と初めて戦った所では無くて、古くから天神海の街にある。ダンジョンのことです!」
「何をそんなに怒っているのだ?だから言っているだろう。オレの自信作だと。新しい方は自信作などとは到底言えたものではない。オレの自信作は一つだけだぞ!」
「………それって、奈落も優雨美様のダンジョンと言うことですか………?」
「初めから、そう言っているだろう?」
いや、言ってねぇーし。
「なんと、奈落は優雨美様が拵えたダンジョンでしたか。道理で難攻不落なわけですな。誰一人まともに探索出来たことがないのが頷けましたぞ」
「三百年待って誰も来ないから、ポイしたのだ!」
「三百年って年月も凄いですけど、ポイって……捨てたってことですか?」
優雨美が元気に頷く。トライセルとガルドーの顔を見ると困惑していた。ダンジョンって捨てれるのか。捨てられたダンジョンは一体どうなっているのか。奈落と呼ばれるダンジョンが出来上がった原因が優雨美にあることは明白だった。
「誰も来ないダンジョンは寂しいんだぞ?」
重くなった場の雰囲気に、優雨美が空気を感じ取ったかぼそりと呟いた。そりゃ寂しいだろう。と言うか三百年も良く我慢できたなと思う。
「ぶぇ〜ん!寂しいのは辛いのれす!ぶぇ〜ん!」
メイが感情移入して泣き出した。泣き出したメイに代わって楓が泣き止む。楓がメイの顔をペシペシと手の平で叩き出した。心配している感じではない。眉が寄っているので目の前で大声で泣かれて五月蝿いとでも抗議しているのかもしれない。流石にメイが気の毒なので楓を抱き上げる。抱き上げた楓が僕の顔もペシペシ叩いて来た。
「こらっ、止めろ。なんだ、お前もう反抗期か?」
バーナデットが心配して泣いているメイの頭を撫でる。身長は同じくらいだが、年齢はメイの方が二歳年上のはずなのにバーナデットの方がお姉さんに見えるのは仕方のない所なのだろう。メイは生い立ちもあって年齢よりもずっと幼い感じだ。
トライセルとガルドーの二人が難しい顔で会話をしている。新たな事実も出て来たことだし奈落の探索はお流れになるだろう。
それはそうと優雨美は六百年生きていると聞いていた。新しいダンジョンを作るのにも三百年掛けていたのだろうか。
「ダンジョンって作るのに時間が掛かるものなのなのね〜優雨美ちゃん大変ね〜」
母がおっとりと感想を漏らした。母はちびっ子のタイプの優雨美しか知らないので、天神海では神とも崇められる竜人の優雨美も子供扱いだ。
「うんうん。大変だったのだぞ!強い者に楽しんで貰えるように、頑張ったら三百年過ぎてた!」
「……それって、優雨美様が張り切り過ぎて、誰も探求出来ないダンジョンにしたってことじゃないですか?」
「オレは悪くないぞ!軟弱な奴しかいないのが悪いのだ!」
バーナデットと一緒になってメイを撫でていた優雨美が自己弁護を始める。
誰も来ないの自業自得じゃないか。同情した皆んなの気持ちとメイの涙を返せ。
「それにしては新しいダンジョンは、ピークトリクト他のダンジョンと大した難易度の差は感じませんでしたが、一本道とは言えピークトリクトの新しいダンジョンの出来上がりのスピードを考えても、計算が合わないのでは?」
「それは、予想が付くぞ。お前さん」
ガルドーとトライセルは思い当たることがあるようだ。
「英雄殿は天神海にはもう一つダンジョンがあることを知らぬのか?」
「天神海には奈落と並んで双子と呼ばれるダンジョンが存在する。深淵と呼ばれる最凶のダンジョンじゃ」
「そっちも二百年以上待ったが誰も来なかったから、ポイしたぞ?お前達、軟弱にも程があるぞ?」
ダンジョンってそんなに簡単に捨てて良い物なのか?ほら、トライセルが頭を抱えているじゃないか。
王族もダンジョンの神の信仰を持っているというので、それは混乱するだろう。信仰対象の場となるダンジョンを二つも捨てたと言う人物が目の前にいる。天神海では神とも崇められし竜人が、数多くの冒険者達の行く手を遮った王国の最高難易度と呼ばれるダンジョンを二つ作って捨てていたという事実は、トライセルを始め、ガルドーとダンジョンを生業とする者達に与える衝撃は小さくはない。それも優雨美に言わせれば、探索に来る冒険者が軟弱だから、この結果を招いたというのだ。
長らく天神海のダンジョンが他のダンジョンに比べて異質で試練の厳しいとと言われて来た謎が明らかになり、更に作った張本人は放棄して新しいダンジョンを作り歩いていると言う事実に、神聖なダンジョンのイメージが台無しなっている。トライセルはこの事実を公表するのだろうか。取り敢えず持ち帰って報告して検討するのだろうが、王国の対応次第で都合の悪いものは隠蔽するのか、王国の体質が良くわかりそうな事案になった。
「何はともあれ、新しい視点で奈落を見てみるのも一興ですな」
「え?ガルドーさん流石に奈落探索は見送りなんでは?」
「何を言っておる。行くに決まっておろう。優雨美様が拵えたダンジョンと聞いては、行かないと言う選択肢の方が無いぞ」
「流石ガルドーだな!わかっている!よし皆んなで行くぞ!」
「オー!」
メイが復活していて、優雨美の振り上げた拳に同調していた。メイのノリの良さは今に始まったことではないが、ちょっと待て。
「あら〜アキちゃん〜ダンジョン見学出来るらしいわよ〜お兄ちゃんの格好良いところ見れるわね〜」
「あーい♪」
母が楽しそうだ。笑顔のアキちゃんは理解していないと思うけど。だからちょっと待ってって。
「優雨美様?本当にみんなで行けるのよ?」
「大丈夫なのだ!マスター特権なのだ!」
トーリに許可を貰えず、ぶすっとしていたバーナデットが元気を取り戻す。
「ちょっと!ちょっと!待ってください!優雨美様!勝手に決めないで下さい!どういうことですか?優雨美様はダンジョンマスターとして、奈落での安全を保障出来るということですか?」
「オレが保護した者は特別だぞ!」
安全に探索出来るなら願ったりかなったりだ。
「凄いだろ!でもマジクはダメだぞ!」
「何でですか、僕も保護して下さいよ」
「保護したら楽しめないのだ!戦えないのは面白くないだろ!」
「僕は戦うことが楽しいだなんて思いませんけど?どちらかと言うと嫌いですし」
「はっはっは。面白い冗談だ!」
「冗談ではないですが」
僕は真顔で優雨美に答える。
「そんなわけないのだ!戦いが嫌いな奴が、戦神の筆頭たる剣神に、もがもがもが————」
言ってはならない事を優雨美が言いそうになったので、慌てて口を塞ぐ。
「何にせよ、お前さんは探索に参加せい。探索中、ワシらに何かあっても、じっとしていられるたちではあるまい?」
確かに探索に参加するメンバーに命の危機が迫るならば、僕は出来る力を発揮したいとは思うだろう。だからと言って………。
「何がガルドーさんを奈落への探索に駆り立てるのかがイマイチ分かりません。なぜそこまで?」
「お前さんに出会ってしまったからのう。可能性を見てしまったからには、ワシはそこを目指すだけじゃ」
ガルドーは、抱いている理想の剣の道を探っているのは知っている。危険な死地に躊躇なく踏み込むのは、己の限界を超えるのに必要だとガルドー自体が信じ込んでいるからだ。
<剣術能力8>から<剣術能力9>への道程は、ガルドーも一度は諦めた道だという。僕という存在に出会わなければ、ガルドーも剣王の称号を得た<剣術能力8>で満足してはずなのだ。ガルドーの血を熱くさせてしまった責任が僕にはあるということだとスカーレットから言われたのを覆いだす。ガルドーは僕の秘密に対して口を閉ざしていることがあった。ガルドーとの暗黙の契約。僕と一緒にいることで得られると信じている<剣術能力9>への試練の道に、残りの生涯を本気で賭ける気なのだ。
「分かりました。但しそれとわかる危機は回避する方向で探索しましょう」
「無論承知している」
ガルドーが嬉しそうに笑った。脳筋に理屈は通用しないことを改めて実感させられた。
次話 「ピクニック」