104、血の繋がり
「お前の言葉は解るぞ!」
狼の獣人が喋った。狼の獣人の大きな声に、辺りは悲鳴や怒号が飛び交いパニックとなっていく。
「ラヴィニア?獣人ってあの種族がわかるか?」
ラヴィニアは逃げ惑う天神海の領民にぶつかりながらも立ち尽くす。
「ラヴィニア!」
「………ごめんなさい。獣人族は遠くの森に住んでいた種族よ………でも何で?千年経ったはずじゃ?ここはどこなの!?」
ラヴィニアが混乱し動揺しているのが、伝わってくる。
「その声!エルフ族か!?」
狼の獣人が近付いて来る。動き出した獣人に天神海の逞しい肉体を持つ者達が立ちはだかった。
天神海の領民は逞しい肉体を持つ者が多い。これは古くからこの地に根付く民族性の一つであり、家長が生まれた子供を戦える戦士として鍛え育てる伝統が天神海では根強く残っているからだ。子供の成長に合わせて武人としての心身を鍛え、教育する風習のある天神海では、勇猛果敢な猛者が育つ礎が存在していた。天神海の領民は、その身を以て力の劣る者を助け、力を示す者に魅力を感じる民族性を持っている。それ故に天神海の者達は、己を鍛え尊敬に得る存在になることを目指す。その逆もまたしかりで己より強き者を敬い尊敬するのが、自らの糧となると信じている。これが天神海独特な価値観を生んでいる背景だった。
人外の前に立ちはだかった者達も、そう言った者が個々に前に出て、同調して協力して集まった者達のようだ。
王国の民にとって人外は、人族を超越した能力を持つ種族として敬われることが多い。竜人の優雨美が天神海では神と同等の扱いを受けるように、人外のほとんどが尊敬される存在となることが多かった。そういうこともあって天神海の男達は不用意に攻撃を仕掛けたりはしない。この世界の者達にとって、神と同等の尊敬を集める可能性がある人外に危害を加えるわけにはいかず、天神海ではその考えがより強くなっている。王国民にとって神に愛され祝福されることで、能力や力を得ると信じて疑わないこの世界では、神に背く行為は自分達の生活の礎を自ら壊す行為であり、自ら自滅の道を築く行為だ。僕にとって、この世界の神の存在は知っていても、この世界の住人のように神を敬う考えまでには至っていない。僕には要らぬ称号を、僕の意思を無視して押し付ける神がいる以上、僕は神を敬う考えは持てないと思っていた。
神の存在に依存するこの世界の考えは、僕には自立の出来ていない危険で歪な考えに思える。この世界で生きて行くのに当たって、僕の考え自体が危険な思想になることは分かっていた。考えはしても、誰かに話すことはないだろう。話せる人物がいるとしたら、この世界の住人ではない者だけになるだろうとも思っていた。
「お止まりになられよ!どこの人外様かは知りませぬが、留まり頂きたく!」
「邪魔するな!」
天神海の男達と狼の獣人は言葉が通じていないようだった。僕にはどちらも同じように聞こえて来るが、ラヴィニアの言葉が通じる相手が現れた。それどころかエルフの存在をこの獣人は知っている。僕はラヴィニアが前に出ようとするのを腕を広げて妨害した。
「ラヴィニア、今は抑えてくれ。君まで騒ぎに関わって、今は欲しい情報を得られたとしても、後で君の立場が悪いものになるかも知れない」
ラヴィニアの瞳がフード越しに僕を見つめて来る。ラヴィニアは冷静にさえ考えてくれれば、後先考えない行動は控えてくれるはずだ。僕はラヴィニアの瞳に対して力強く頷いてみせた。
「後で彼と話す機会を必ず作ること。いいわね?」
「わかった。必ずなんとかするよ」
ラヴィニアが引いてくれたとき、天神海の男達は言葉が通じないと結論付けたようで、手を広げ数人で並ぶことで進行を拒む意図は伝わるように仕向けていた。だが狼の獣人の目線はラヴィニアを捉えたままだった。
「おいエルフ!お前のことを言っている!」
「人外殿!お止まりになられよ!」
「ああ!邪魔臭い!」
狼の獣人が腕を乱暴に振ると天神海の男達が薙ぎ倒された。天神海の男達が狼の獣人と対峙していたおかげで、沈静化を始めていたパニックが、再び息を吹き返す。立ちはだかっていた天神海の男達を薙ぎ倒した狼の獣人は真っ直ぐにラヴィニアの元に向かって歩いて来た。
「どうする?お前さん?」
「都合よく相手も手を出してくれましたので、多少荒っぽくなっても、この場は収めたいですね。ですが怪我はさせたくありません」
「なら任せるかのう」
ガルドーが一歩退いてくれたので、僕が相手になるという意思表示も含めて、二人の前に出る。
「キサマ、エルフと会話していたな。ならば俺の言葉もわかるだろう。怪我をしたくなければどけ」
「大人しくしていただけませんかね?いまなら、あの方達への行いも大目に見ていただけるよう僕の方でも力添えいたしますので」
「何をほざいてる。俺はあのエルフに用があるのだ。邪魔をするな」
狼の獣人が僕を動かそうと腕を出してきた。僕は狼の獣人の腕をいなしながら腕を掴み、肩に抱え込む。瞬時にして腰を狼の獣人の懐に入れると背負った。
「よっこらせっ」
狼の獣人の体が綺麗に一回転する。狼の獣人の重さもあって地面に投げ飛ばした時の衝撃音はかなり大きなものだった。パニックが起こり騒然としていた周辺が静かになる。やり過ぎたかと思って狼の獣人の顔を覗き込むと、目を丸くして呆然とした表情をしていた。僕と目があったことで怒りの形相を浮かべ起き上がろうとするので、慌てて確実に意識を刈り取ろうと腹部に拳を叩き込む。
バゴッン!!!
あれ?
狼の獣人の体がくの字に浮かび上がり、港の石畳が大きく窪む。狼の獣人を中心に半径四メートル四方の石畳が捲れ上がった。狼の獣人は白目をむいて口から泡を吹いている。いつまでも続く静寂に終わりが来ないので、怖くて顔を上げられなかった。ちょっとだけやり過ぎたとは自覚している。思ったより獣人が頑丈だったので、慌てて力の加減が出来なかったのが原因だ。
「すげぇー!」
「何だ………いまの?」
「加太様が抑えきれなかった人外が一瞬で?」
加太様って誰?
「何やってんの!?お前!!」
周辺がざわめき始めたのに合わせて、トーリが突っかかって来た。
「この人外さん、思っよりも頑丈だったので加減をするのを失敗しました」
「お前さんはズレ具合は相変わらずよのう~」
頭を抱えているトーリに比べてガルドーは楽しそうだった。ラヴィニアが近付いてきて狼の獣人を覗き込む。ラヴィニアの瞳は不安で揺れていた。
「まさか、殺してないでしょうね?」
僕はラヴィニアに思いっ切り睨まれて、引きつった苦笑いでしか反応出来なかった。
◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇
騒ぎが広がる中で天神海に駐在している王国騎士団が到着して狼の獣人を拘束する。トラブルを納めようとしていた天神海の猛者達を薙ぎ倒したこともあって、目覚めた時に暴れることを考慮した拘束だ。魔具を使っての拘束は、対象が人間離れした身体能力を持つ人外だからなのだろう。狼の獣人に使われた拘束の魔具は僕がレージンに拘束された魔具と同じ物のようだった。あの時は魔具とは知らなかったが、拘束相手の身体能力を著しく奪うことが出来る物で、奪うのは身体能力だけなので、僕のように特殊な能力を持つ一部の者には、拘束の効果を得られなかったりする。僕の場合はハムスターなどの小さい動物に変身すれば抜け出せることは、レージンの拘束魔具を試させて貰って実証済みだった。魔法や能力を縛る特殊な拘束魔具もあるという噂だが、ここでも神の顔色を伺うこの世界の国民性があって、神の祝福によって得られた能力や、属性の神の力を借りた魔法の行使を魔具によって横槍を入れる行為は受け入れられない。王国では禁止される部類の魔具として登録されているそうだ。
「お主がマジク殿であったか、愛海凛の救出の際は世話になった。それにしても流石は竜人様に認められし実力者。あの人外を子供扱いとは」
「そうでしょ叔父様。わたし、もっとその話聞きたいわ」
港で狼の獣人の対処をしようとした天神海の猛者の一人は加太といって、天神海領主久那之守・レグラ・貞昌の弟だった。駐在王国騎士団から人外の対処についての聴取を受けていると、治療を終えた加太と愛海凛に捕まってしまった。ラヴィニアとの約束を取り付けるために、狼の獣人との会話の機会を模索していたので、逃げるわけにもいかなかった。なし崩しに天神海領館まで連れていかれ、サロンにて愛海凛に逃がさないとばかりに腕をロックされているはめにまでなったが、愛海凛と加太の口利きで狼の獣人との面会は叶いそうなので、甘んじていまの現状を受け入れている形だ。
「人外のあれだけ大きな体が、綺麗に一回転する技のキレには感服でござった。技とは極めると美しくもあるものですな!」
「はっはっは!マジク様は見た目はこんなですが、やる時はやるのです!」
「男は見た目ではないぞ。強さと中身が大事じゃ!そこのところはマジク殿は完璧じゃな!伊達に愛海凛の心も鷲奪われておらんじゃて!がっはっは」
「愛海凛姫様だけでは有りません!メイ達の心も、ガッチリ鷲掴みです!がっはっは!」
また、調子に乗っているメイは、後で頭ぐりぐりの刑だ。
「はっ!」
変な所で感の良いメイが、いつもぐりぐりされている頭を抑えて、急に静かになると母の背の後ろに避難した。メイは失敗や間違いを起こした時、口で怒るよりも、頭をぐりぐりしたりデコピンの刑を執行するのが定番ななっている。神殿で罰を受けていたメイにとって何かしら罰が無いと、メイは不安になってしまうので、いましばらくの間は、この状態を続けて行くつもりだ。
「マジクちゃんが~また違う女の子と~」
母さん誤解を招くような言動は謹んで下さい。
「英雄色を好むと言いますので、わたしはマジク様のお遊び程度で目くじらを立てるような狭い度量ではございません」
愛海凛の瞳の奥に渦巻く深淵は、そうとは言っていない。ヤルかヤラれるかだと本能が告げてくる。
「愛海凛姫様?マジクは私のものなのよ?」
「勿論存じ上げているわ。バーナデット。そうだ。天神海でしか手に入らない。天神海でも珍しい。天神海一のお菓子が手に入ったんだっけ」
「愛海凛姫様?少しくらいならマジクを貸しても良いのよ?」
僕のことを簡単に売り渡したバーナデットの瞳の中は甘いお菓子で一杯になる。愛海凛の渦巻く深淵の瞳とお菓子で一杯のバーナデットの瞳が頷きあった。契約は成立したようだ。いまお菓子の摂取制限を義務付けられているバーナデットのことを良く調べ上げていると、ピークトリクトに隠れ忍んで情報を集めている一号の存在を恨めしく思った。愛海凛と密約が成立した時、一瞬だがバーナデットが悪い顔をしてみせたのは、間違いなく母親であるスカーレットの影響であり、あのスカーレット血の繋がりを感じた瞬間でもあった。
次話 「獣人の国」