10、一歩進んで三歩退がる
街に着くのに予定以上の時間がかかった。
特に問題があったわけでは無いのだが、道中半ばで剣を振り回していれば、時間がかかるのは当たり前だった。だがそれが功を奏したらしく、一番活気があると思われる時間に街に付けたのは、嬉しい誤算である。太陽が一番上に上がる少し前の時間が市場の一番売買が盛んな時間だと、入門管理をしていた兵士が教えてくれた。
肉の香ばしい匂いが立ち込め始めた屋台を横目に、取り敢えず初めての街を一回りしてみることにする。
望んでいた肉を食べる事が出来ないのは、街に入るのに幾らかの金が必要だったからだった。
身分を証明するものを持たない者は銀貨二枚、身分を証明する気のない者は金貨二枚が徴収されるというもので、僕は見た目の風貌からして、身分を証明するものを持たない可愛そうなやつだと勝手に同情され、銀貨二枚を払うように言われた。
入門の時に払った銀貨二枚で肉の塊が三つ刺さった串が五本買えると知ったときは愕然とした。勿論全財産を持って来るわけもなく、手元には二枚を差引いた銀貨八枚が懐に忍ばせてある。
もう贅沢が出来る立場にはない。街に着くまでは、昨日までの頑張った自分にご褒美なんて甘い事を考えていたのだが、焼ける肉が美味しそうな香りを運んできても、心は凍りつくような冷たい現実に打ちひしがれていた。
僕はせめて入場料の元を取るべく、一度街を一回りして前世の世界との齟齬を埋めようとしている。働くにしろ怪しまれないように、この世界での常識を取得しなければならないのだ。
前世の記憶や知識が仇となって、この世界での非常識を知らず知らずのうちに行っている可能性がある。こんな時は前世の記憶が煩わしく感じるのだが、前世の記憶あってこその今なので考えるのを止めた。
全ては行動で経験して培うしかないのである。そして遊んでいる時間もない。
レージンからは昼過ぎぐらいに時間が取れるかもしれないと聞いているのだ。ボロが出ないように今は何よりもこの世界の常識が欲しかった。
初めてこの街を見た印象だが、気持ち良いほどの活気のがあるのは、経済が上手く回っている証拠だと思った。ならば当然、雇用も生まれているはずと気持ち前向きに持つ。
一面に広がるの露店は一店一店が大きく高さもある。ごちゃごちゃした感じではなくスペースを設けて中に入って買い物を済ませる感じの露店だった。背が高く露店がひしめき合っている分、遠くが見渡せなく、街の全貌はここではわからなかった。
そんな時、一つの露天の売り物に目が点になる。
それは見た事がある色合いの毛皮、僕が初めて出会い、恐怖し、死地を感じさせられた魔物の毛皮だった。売っている金額は銀貨4枚。地団駄を踏みたくなった。串肉を十本も買える金額である。
買取価格にしたらもっと下がるだろうが、それでも入場料くらいは賄えた事に思わず露店の前で、がっくりと肩を落とした。
露店はそれぞれ特色のあるものを扱っている店が多かった。
飲食ならば肉や魚だけ、素材にかんしては皮のみだったり、布のみだったりだ。多種にわたる物を扱っている露店は革製の鞄や布の帽子など加工されたものを扱っている店だけで、全ての店の軒先に複雑な文様が描かれた木板が下げられている。許可証のようなものだろうか、似た紋様を下げている露店と扱っている品物の系統が一緒だった。
更に奥に進むと大きな広場になっており、ここにも露店が並んでいるがこちらは背が低く、こじんまりしている。規則正しく並んでいる数十と並ぶ露店の奥に街並みが見えた。
建物は石造りで歴史を深く残すヨーロッパの街並みに似ているように感じられた。前世のテレビ番組で紹介された風景と重なるような錯覚を感じる。海外旅行にでも来た気分になってしまったが、頭を振って観光気分を追いやった。石造りの建物は高くても三階建てがいい所で街並みは整然としていて、地面は荷車が通る広い道には大きめの石畳が、人が歩いている建物側には小さな石畳が敷かれている。そして、行き交う人達の表情が明るく、晴れやかな印象だ。
「それにしてもカラフルだなぁ」
そうカラフルなのだ、この世界の人間は髪の色が赤や青と緑など、多くの人が濃淡の違いはあるが原色の色に振り分けられている。
初めからこの風景を見ていたら異世界への生まれ変わりを直ぐに飲み込めただろう。レージンに白髪の確認をされたことで、髪の色は属性によって分けられていることを知っていた。産まれた時には属性を持っておらず皆白髪のようで、成長した姿で白髪の僕は属性の神の祝福を受けられず、白髪のまま育った可哀想な者の扱いのようだ。レージンとの会話から推測すると、より属性の神に愛されると深い色になるという認識で良いと思う。僕に言わせれば属性の選択肢を選ぶだけなのに、神様まで出てきてしまってびっくりな話だった。
神様の都合で人生を左右されていると思っているこの世界の住民と、早くもズレを感じた僕はその白髪のせいでとても目立っていた。僕はまだ属性の選択項目を選んでいない。見た目は十五歳の属性無し、属性の神に見捨てられた者として、街行く人から哀れみの目を向けられている。入門の管理をしていた兵士に同情された背景が服装だけでなく白髪も要因に含まれていたことに、今更ながら気付かされた。
街を歩いていても属性無しは珍しいらしく、赤ん坊以外での白髪を持つ人を見かけていない。いましがた老婆に「強く生きるんだよ」とクッキーのような物を一つ貰った。元気一杯な子供からは、「悪い事をすると神様が髪を白くするんだぞ!」っと大人から子供の悪戯を抑えるために使っていそうな常套句と思わしき言葉を投げられた。早めに属性を選ばないと、目立って仕方がないと言うことは街に来て良くわかった。それでも既に面識を持った人からは、急に髪の色が変わったら怪しまれるだろうと考えてしまう。
僕が属性を選んでいない理由は、生産系能力に大きな影響があるのではないかと考えているからだった。
<鍛冶能力>なら火属性、風属性には<木工能力>などが有利な効果を得られるのではという考えだ。
実際のところは分からないが密接な関係があった場合は、下手に属性を選ぶと得たい生産能力の足を引っ張る可能性がある。そう思うと選ぶに選べなかったのだが、選択肢の中に<全属性>と言うものがあった。始めはこれを選べばいいと思ったりもしたが、保留にしておいて本当に良かったと思う。複数属性を持つものが僅かながらいて、髪の色はそれぞれの属性の対象となる色を混ぜたものになるみたいだ。
<全属性>の髪の色って何色?怖い
普通に考えれば黒なのだが、レインボー色の髪色になったらと思うと選ぶ事が出来なかった。髪の毛を隠さないと外を歩けなくなり、髪は明るいのに暗い未来が待っているとか、そんな縛りプレイは嫌だった。
まあ現在進行形で子供からは、悪い事をして髪が白くなったやつと指差され、大人からは哀れみの目線が飛んでくるので、注目される観点は違うが似たようなものではないかと思わなくもない。
「母さん、ちょっと挫けそうです……」
ずっと好奇の目に晒され続けるのも、精神的に辛いので人目を避けるように裏道に入る。裏道に入ると、生活感が一気に感じられるようになった。
人が生活していく上で生まれる汚臭が鼻を付く。耐えられない程では無いが、週末明けの繁華街を思い出す。技術が進歩した前世の世界でもあれだけの臭いを発していたのだから、この世界の衛生面は思いのほか優秀なのかも知れない。市が開かれている広場に面する建物の一階は商店が並んでいたが、二本程裏の道に離れると商店は殆ど見かけず居住区となっているようだ。小さな子供の遊ぶ姿が見え、お年寄り達が長椅子に腰掛け日向ぼっこをしている。
平和そうだなぁ~治安も良いのかな?
しばらく気の向く間に道を変えながら歩いていると小さな広場に出た。中央にちょろちょろと水が流れる噴水がある。水量が多い噴水ではないが、水を鑑賞施設として整備しているのは、水資源が豊なのかも知れない。噴水の水目当てに入れ替わり立ち替わり、水を汲みに来る人がいた。
この水汲み場兼噴水の場所から先はすり鉢状に下り階段になっていて、小さな建物だけが続いている。どれも商店のようだが、市場とは扱っているものが少し違っていた。
色様々な小さなクリスタルを扱っているお店。青や黄色の液体が入った瓶を扱っている店。乾燥した固形物が並んでいる店。お土産物屋らしきものまである。そして、それらの店に商品を買い求めている人の風貌は鬼気迫る緊張感を纏った重装備の者達だった。大きな背荷物を背負って、鎧を身に付けている。そんな人間が何人も見かけられた。
ここだけ………空気が違うな、この人達が冒険者かな
完全実力主義の冒険者達。体を覆う鎧には、ほのんど隙間が見受けられない。装備するのに時間が掛かりそうな出で立ち。頭部を守る兜こそ被っていないが、どの顔も厳つく傷があり、さらなる風格を醸し出している。近寄りがたい緊張感を常に出していた。
これだけの緊張感を出し続けなければならない仕事だけは無理だなと、平和な日本の記憶を持つ僕には現実離れし過ぎていて笑ってしまった。
「お兄さん!お兄さん!」
斜め下から声を掛けられる。僕は段差下にいる背の低い男から声をかけられていた。目は笑っていないのに顔は滅茶苦茶笑顔の怪しさ満点の小男が距離を詰めてくる。
「お兄さんは、ダンジョン見学? それとも………」
小男は僕の腰の剣に目線を落とす。不意に出てきたダンジョンという単語に僕は表情が変わるのを隠しきれなかった。
「ダンジョンなら、オイラが案内いたしやすよ!?」
「ここがダンジョンなんですか?知らなかったです。でも僕は興味ないんで」
「ここからは見えませんが、もう少し降りると入口の門が見えますぜ!すぐそこなんで、どうぞどうぞこっちです!」
本当はダンジョンに興味があったが、小男の案内で近づく気にはなれなかった。そんな気の乗らない表情を隠すことせず見せているのに、小男はお構いなしに背後に回りこみ背を押し始めた。
「良い観光にもなりますぜ!土産話にも持ってこいです!」
「いや、いや!行かないですよ!」
「入口を見るだけでも、自慢話が出来ますぜ!」
「いや!行かないって!」
僕の背丈の三分の二もない身長なのに押してくる勢いは力強い。僕は耐え切れず足を踏み出してしまった。すり鉢状になっている階段に足を踏み入れた途端、足元が光り出す。
「え!え?なに!?」
何もする事が出来ずに僕の全身が光に包まれていく。近くに居た冒険者が何かを叫んでいるが光が強くなる程、聞こえなくなって行き、光の眩しさに目を閉じて腕で瞼を覆った時、浮遊感と共に平衡感覚が無くなった。
僕は立っていられず、座り込んでしまったが、反射的に地面についた手が冷たい。
そこは知らない薄暗い部屋だった。
次話 「ダンジョンの神」