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灰色プロポーズ

作者: 淺田クロ

 僕としては、彼女と一緒に舞台に立てるならなんでもよかった。

 冴木次郎さえきじろう南雲愛智なぐもあいちは幼稚園の頃に、同じ劇団に所属し、共に舞台役者を目指していた。

 でも、僕、冴木次郎は中学に上がると同時に劇団を止めた。逃げたんだ。元々、愛智との間に埋められない演技力の差を感じていた。それを世間から突き付けられたのが小学校6年生の頃だった。僕たちの劇団の舞台を見に来たお客さんの一言を偶然聞いてしまったのだ。

「女の子の方は凄い輝いていたけれど、男の子はなんか平凡だったね」

 自分でも感じていたコンプレックスを他人に刺激された時、人間はもろく崩れる。

 それまではどんなに差が開こうと、愛智と一緒にいたい、いつか愛智に追いついてやる。そんな想いで続けてこれた演技が、急に出来なくなった。

 僕はなぜ、舞台に立っていたのか、お客さんは僕のことを認めてくれなかったのか。

 ――誰も僕のことを必要としていない。

中学校に上がった僕は演技から離れ、かといって何か部活動に所属するわけでもなく、ただ何もしない日々を過ごしていた。

 中学校二年生になる頃、風の噂で僕が所属していた劇団が潰れた。理由はメインの舞台女優が辞めてしまったかららしい。

(愛智……?)

 そのころの彼女は、少しずつテレビにも出始め、正にこれからという時だったのに、どうして?

 そんな疑問ばかり頭によぎったのを覚えている。

 そして中学三年生になった今、

「次郎!」

 再び、愛智は僕の前に立っていた。クラスの違う教室で、愛智は僕の机に手をついて、鼻先がくっ付きそうな距離で僕のことを見つめている。

 一年前まで、劇団に所属していた愛智は黒髪で清楚な印象を受ける美少女だったのに、現在はまるで真逆。髪は金色に染め上げ、短いスカートにチャラチャラしたブレスレットを何本も腕に巻いている。

 唯一あの頃と同じなのは……それでも愛智は美しかった。

「次郎ってば!」

 愛智の周りには取り巻きの女子が何人もいる。皆、同じように髪を染めているが、愛智より綺麗な少女はいない。

 僕は女子グループの威圧で何も答えられずにいた。

「次! 冴木次郎!」

「――はい!」

 あ、と思ってしまった時には遅い。僕は椅子から勢いよく立ちあがっていた。目の前の愛智はニンマリと笑みを浮かべている。

「ふふ、クセって怖いわよねぇ」

 劇団でオーディションを毎日のように受けさせられた時のことを身体が覚えている。強く名前を呼ばれると咄嗟に反応してしまう。

「あ、……うぅ」

 ニコニコと笑う愛智は、よいしょと言って僕と同じ高さまで視線を合わせる。こうしてお互いちゃんと立っていると、少しだけ僕の方が背が高いのだと分かる。

 あの頃……小学生のころはまだ愛智の方が少し高かったのに何時の間に追い越したのだろう。

「次郎、あなたにお願いがあるの」

「何……?」

 少し怯えて、僕は問う。

「まず、一年前ぐらい前に私たちの劇団が潰れたのは知ってる?」

「……知らな…………」

 そこまで言いかけた時、愛智の眉がピクリと動いた。

「知ってる……」

 正直に答えると、満足そうな笑みに変わる。

「うむ! 自分を過大評価してるわけじゃなくて……劇団が潰れたのは正直、私のせいだと思う」

「それは……」

 おそらく劇団閉鎖を知っている者からすれば、皆分かっていることだろう。

「でも……どうしても! ううん、これは言い訳になるわね。でも我慢できなかった。ごめんなさい。あなたとの約束を守れなくて」

「え?」

 僕の頭の中にはいくつものはてなマークが出る。いったい何が言いたいのかわからない。だが、愛智の顔は今までないほど暗く沈んでいる。

「愛……南雲さん……」

 前のように名前で呼ぶことがためらわれ、僕は苗字で彼女を呼んだ。

 ピクリ、と彼女の肩が反応した。愛智は顔を上げて、再び僕と視線を交す。

「南雲さん……? どうして? どうして前みたいに名前で呼んでくれないの? ぐす……うわあああああああんん!」

 愛智の目から、一粒の涙があふれ出した。それを機に堰を切ったように次から次へと涙が零れる。

 腕を顔の前で交差させ、そのまま床の上にへたり込む。その泣き声に、今までは興味を持たなかった他の生徒たちも僕の机の周りに集まって来た。

「愛智! 大丈夫?」

「ほら、これで拭いて!」

「冴木……あんたねぇ……!」

 今までは黙っていた取り巻きの女性徒たちが愛智を囲んだ。ハンカチを渡したり、背中をさすったり、また僕を睨んだり。

「うわあぁああああああんん」

 一向に泣き止まない愛智を見てか、集まって来た生徒たちも僕に冷ややかな視線を向ける。

 これは、僕がどうにかしないと収まらない……。そういえば、先ほど、愛智は僕に何かお願いごとがあると言っていた。

「わ、わかった……! あ、愛智! どんなお願いでも聞くから、泣き止んで!」

 これ以上騒ぎを大きくされるのは、僕としても避けたい。

「ぐずっ……ほんと……?」

「う、うん」

 愛智はまだ涙を拭きながら、机を挟んで上目づかいで僕の顔を見る。

 その顔は卑怯だ。

「へ、へへ、うれしい……」

 そして笑顔。

 そうだ、なんとなく思い出してきた、僕は劇団にいたころずっと愛智の笑顔に騙され続けてきたのだ。彼女には逆らえない。逆らえば、大声で泣き出し周りの大人を味方に付けられ結局は彼女の思う通りになってしまう。

昔から愛智はそんな女だった! 魔性とでも言うべきか……。

「じゃあ!」

 愛智は勢いよく立ち上がり、僕に指をビシッと突きつける。

「今日の放課後、美術室まで!」

「は?」

 先ほどまでの涙はどこへ行ったのかと思うほど、愛智は揚々と言った。

「この間、美術室で皆とふざけてたら人物デッサン用のマネキン壊しちゃってさ。お詫びとして、今週の間、人物画のモデルになってくれって頼まれちゃったのよ。どこからか、元舞台女優ってことも割れて、もう大変なの。だから、次郎に手伝ってほしいの」

「え、と……つまり、僕も一緒にモデルになってほしいってこと?」

「そ♪」

 楽しそうにほほ笑みながら答えられた。

「あんたも昔は、舞台子役だったんだし……次郎しか頼める相手がいないのよ……ね、お願い!」

 僕が舞台子役だったことを明かされ、周りの生徒たちがざわつく。

「あの二人って……」

「愛智さんと一緒にモデルなんて、羨ましい……」

「男ならやるしかねぇよな……」

 引き下がれない状況。

 教室で泣く演技をしたのも、わざわざ大声を出したのも、この状況を作り出すためか。

「く、く……やるよ……」

 僕は諦めた。

 これ以上愛智に食って掛かっても、僕はケジメのつけれない情けのない男だと思われてしまうだけだろう。まだ中学校生活は一年残っている。平穏無事に過ごしたい僕にとってそれは避けたかった。

「うん! ありがとう!」

 満面の笑みを向けた後、取り巻きたちと一緒に愛智は教室を去った。

 教室を出る間際にした、真っ赤な舌をチロッと出した無邪気な顔は僕以外の誰にも見えてなかっただろう。


 その日の放課後、僕は約束通り美術室を訪れた。扉を開けると、円形の台座を囲うようにして白いキャンバスがいくつも立てられている。

 漫画とかでよく見る、デッサンの風景だ。このキャンバスの数だけ、部員がいるのだろう。その数は少なくても十はある。舞台という見られることから逃げ出した身としては、少し心が重くなる。

「次郎―! こっちこっち!」

 台座に腰掛けていた愛智が、僕を呼ぶ。

「あ、愛智。えとモデルってどうゆうことか詳しく教えて欲しいんだけど」

 まだ名前呼びには少し照れる。僕は愛智の右隣に腰掛けながら聞いた。

「……むぅう」

「愛智?」

「おりゃ」

 返答がないので、顔を上げたら、愛智にヘッドロックをされた。

「ちょ、何すっ……」

「いつまで照れてんだよう、このこのぉ。昔見たく愛智ちゃんって呼べよぉ、寂しいだろうー」

 頭を固められながら、左腕で頭をグリグリされる。愛智が身体を少しねじったことで彼女がより僕に密着して、良い匂いが鼻孔をくすぐる。なんだこの良い匂いは。香水と愛智の身体の匂いが混ざり合ってクラクラする。

「や、やめろ!」

 僕は大声を出して立ち上がる。

「もう子供じゃないんだし、止めようよ」

「あ……うん、ごめん」

 叱咤した僕の顔を見る、伏し目がちな寂しそうな愛智の顔は演技ではないだろう。

「で、なんなの? モデルって」

 咄嗟に謝ろうとした自分を抑えて話を戻す。悪いのは愛智だ。僕が謝る必要はない。

「もうじき美術部の部長さんが来ると思うから、そん時に詳しく教えてくれるって話だけど……」

「お待ちどう!」

 愛智が言った直後、一人の女性徒が教室のドアを壊すような勢いで開き宙返りをしながら教室に飛び込んで来た。

僕と愛智の前まで来て、逆立ち、からのブリッジ。そのままこちらに背中を向けてむっくりと立ち上がった。

「わたしが美術部部長……戸祭とまつりカエデ、だ!」

 名乗りながら、自分の顔に指を突きつけて名乗った。

「……」

「……えー……」

 僕と愛智はお互い呆然と戸祭さんの顔を見ていた。

「なんだい! ノリ悪いね。ほら、握手くらいしようじゃないか!」

 呆れた顔をして、戸祭さんが手を僕らに伸ばしてくる。

「あ、よろしく」

「どうも……」

 愛智と僕は交互に戸祭と握手を交わす。

「もっと明るくいかんとね! デッサンモデルってのは、それによってわたしら美術部のやる気にも関わってくるんだから、もっと、ほら! 元気に! うぉおおおおお!!」

「いや、そう言われても……」

「うぉおおおーーー!!!」

「……」

 冷め切っている僕に対して、愛智はやる気十分のようだ。

 ついていけない僕がおかしいのか? いやいや、ここはまず今日のことを聞くべきだろう!

「戸祭さん!」

 僕が名前を呼ぶと、二人の熱い雄叫びが止まった。

「ん? なんだい、えーと……」

「僕は冴木次郎です」

「ああ、そうだったな、愛智の奴隷の」

「奴隷ではないです!」

 咄嗟に否定し、愛智を見る。彼女は素知らぬ顔で口笛を吹いていた。

 なんていうことを教えているのだ。あいつは!

「まぁ、どっちでもいいだろう! 君が手伝ってくれることには変わらないのだろう?」

「え、ええ、まぁ……」

 納得は行かないが、美術部にとって大切なのはそれだけのだろう。

「君たちには、今日してもらいたいことを説明したいと思ってな。時間もないし手短に済ませようか」

 言っている間にも、美術室には何人かの生徒が入ってきている。各々がキャンパスの前に座り、何かの準備をしていた。

「まずは二人とも、モデルになることを承諾してくれてありがとうな!」

「私にしてみたら自業自得なだけですけどね、ははは」

「それでもだ。だからといってモデルになることを了承してくれる人は少ないぞ!」

 ここからが本題だ、と戸祭さんは真面目な顔をして言う。

「君たちにやってもらうモデル。当然のことながら、当然、描く絵のテーマがある。今回のテーマは――『プロポーズ』だ」

 戸祭さんの話をかいつまんで言うと、どうやら男女がプロポーズしている場面を描きたいらしい。それが六月位に行われるコンクールのテーマらしい。しかしこちらは中学生。プロポーズという単語は知っていても、テレビや漫画の中だけの話で実際に見たことはない。そこで、せっかくの機会だから舞台役者をしていた僕たちに頼んだ、ということらしい。

 でも。

「プロポーズ……ねぇ」

 形だけなら誰でも出来ることだろうが、本当にそれでいいのだろうか。

 僕はぼそりと呟いて、横にいる愛智を横目で見る。

 心なしか顔が赤くなっているような気がする。でも、自信がなさげと言うわけでもなさそうだ。それどころか役者の血が騒ぎ、ウズウズしている顔に見える。

「やってくれるかな」

 こんな顔をしている愛智だ。答えは決まっていた。

「うん! やる!」

 即答だった。僕は逆らえない。

「ふむ! なら早速台座の上でポーズを取ってくれ!」

 僕と愛智は台座の上に立ち、頭を抱える。

「プ、プロポーズってどういう感じかな?」

 愛智が僕の顔を覗きこむようにして言う。でも決して目を合わしてくれないのは何故だろう。

「さぁ……僕に聞くなよ」

 舞台に出ていたころも年齢上、プロポーズどころかラブシーンもやったことがない。プロポーズの知識としては美術部員と変わらないのではないか。

「え、えとじゃぁ……よろしく」

 愛智はそのまま僕の方に左手を突きだす。

「?」

「早くしてくれないかな!」

 差し出された手に反応できないでいると、戸祭から催促された。

 台座の周りを見渡すと、美術部員たちが僕たちを見て、固まっている。皆の目の中には期待と少しの不安。

 あの日……僕が愛智と共に舞台に上がった時、客は同じような目を向けた。落胆の目だ。

「あの……ごめん!」

 僕は後ろを振り向かず、美術部を飛び出した。


 校舎の外に出ると、雨が降っていた。灰色の大空が一面にひろがっている。運動場で部活をしていた生徒たちもじょじょに校舎の中に引き上げて行っているのが見える。そんな中で、僕は雨を浴びるように立ったまま動かないでいた。横を走り抜けていく生徒が訝しむように僕を見る。

 見世物じゃない。

「見世物じゃない!」

 胸の中だけではおしとどまらず、思わず口に出してしまう。

「見世物なんだよ」

 後ろで声がして、振り向くと、愛智が傘をさして立っていた。

「愛智……」

「私たちは、あの頃から皆に見られてきた……そして、年齢も近いから比べられてもきた」

 あの頃……というのは同じ劇団に所属した時だろう。

「そして愛智が勝って、僕が負けた」

 だから僕は劇団を逃げた。

「なにしに来たのさ……戸祭さんたちには悪いけど、僕はもう戻れないよ。別の人を――」

「次郎のバカ!」

 パシャン――……と傘が水たまりの中に落ちる音。

 傘を持っていた愛智は僕を抱きしめていた。

「次郎じゃなきゃ、ダメ……ダメなんだから」

 愛智の声は震えていた。

「なんで……?」

 問うと、愛智は僕から身体を離した。

「約束、覚えていないの?」

「約束?」

「そう……二人で主演をして、お客さんたちを感動させる演技をしようって、約束したでしょ?」

「そんな……――あ」

 確か、お客さんに批判された公演の前、僕は愛智にそんなことを口走った気がする。あの日は、初めて愛智と肩を並べて演技ができる。共に舞台に立てる。スポットライトの眩しさに目を細めながらそんなことを思っていたんだっけ。

「というか、そんな昔のことをよく覚えてたね」

「当たり前じゃない。あの言葉で私には夢ができたんだから。でも、いつまでたっても戻ってこないんだもん。ちょっとした家出だと思ってたのに……だからこっちから迎えに来てやったんだからね!」

 愛智は僕の鼻先に指をあてて、少し恥ずかしそうに言った。

 そうだ。僕は愛智と同じ舞台に立ちたかっただけだ。僕は夢を忘れていた。それどころか、愛智の夢をも奪ってしまっていたんだ。

 愛智はそんなことを覚えていて、僕を……。

「待っててくれたんだね、愛智」

 目の前でふるふると揺れる頭の上に、ぽんと手を置くと、彼女は顔を上げた。

「ごめん。ありがとう……もう大丈夫。さ、僕たちの舞台に戻ろう」

 雨は相変わらず降り続いていたけど、僕の心は晴れた。

 傘はいらない。

 傘の代わりに愛智に手を差し出す。僕では、彼女に降りかかる雨を避けてあげることはできないけど。彼女の雨をやませることならできる気がする。

 美術室に戻って、思いっきり頭を下げる。美術部員たちは、何故か待っていてくれた。

「愛智が、絶対に君を連れ戻すって言ったからね」

 タオルを差し出しながら、戸祭さんが耳打ちをした。

 愛智は先にドライヤーで髪を乾かしたのか、もう丸型の台座の上に上がっている。

「ねぇ! 早く、次郎!」

 呼ばれては行くしかない。彼女を散々待たせてしまったのは僕だ。もうこれ以上悲しませたくはない。だから彼女には逆らえない。

 でも、僕も元舞台役者である以上、何かお客さんをびっくりさせてあげたい。

 今回のテーマは『プロポーズ』だったか。

 なら――。

「愛智――」

 僕は台座に乗り、片膝をついて愛智の左手を軽く握る。そして、愛智に聞こえる程度の声で囁く。

「――結婚してください」

 もちろん、演出としての台詞だ。これは演技であり、もちろん愛智もそのことをわかってくれるだろうと――。

「あ、愛智くん!」

 ふと、顔を上げると、真っ赤になった愛智がこちらに向かって倒れてくる。

「え」

 避ける暇もなく愛智の顔が僕の顔に近づいてきて――咄嗟に目をつぶってしまったけど、唇に何か柔らかく熱いものが当たった。

 それが、何か分かるのは数年後のお話しだ。


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