第九十三話 海を翔ける
雲一つない空の下、船一つで大海原を渡る。
字面をみれば、まるで僕とは無縁の豪快で筋肉ムキムキのおっさんが肌を焦がしながら一致団結して海を渡っている、という感じだけど、僕らは違う。
まず乗組員は、男は僕とフェンドラことフェン。女がピミュさんにウィズダムことウィズにボッチちゃんで五人だ。コンプリスことコリスは人じゃないから一応除外。
この中で先ほどのイメージに沿うのはフェンだけ。僕を入れる他の全員の筋肉は人並みしかない。
ちなみにフェンの筋肉はいまだに光り輝いている。
次に仕事の割り当て。
まず、操舵士兼船長は僕。
船長補佐、ピミュさんとボッチちゃん。
次に見張り兼筋肉、フェン。
遊び人、ウィズ。
「……どうしてこうなったんだろ……?」
思わず頭を抱え込んでしまった。
いや、確かにこの中で船を安全に航行できそうだったのは僕だけ。それに操舵士とは言っても魔導具が船に備え付けてあるから、実質僕は少しずつ修正するだけで目的地までまっすぐ進むのだから楽といえば楽。
だけど、そのあとが問題だった。
なぜか仕事を割り振られることを期待していたボッチちゃんだ。タダで船に乗せてもらうことに遠慮というものは覚えた、ということではなく、単純に興味津々だったみたい。
丸々一日ぐらいの航行時間をただ無意味に過ごす。別にそれでもいいと思うんだけど……。
「船を個人で乗れるのに何もしないなんて、それこそバカよ!」
とかなんとか言って、勝手に「私は船長補佐ね!」と張り切った。
そこに飛んできたのがピミュさん。何を想像したのか「そ、そそそそそんな密室で何をするんですか……!?」と僕をガクガク揺らしてきた。
すぐにボッチちゃんが窘めると、なら私もやります! というよくわからない理論を展開して、船長補佐に。
あとはなし崩し的に、勝手に自分で役割を決めていったわけだけど。
「ねえ」
「なによ?」
「なんですか、フミさん? お茶ですか? おやつですか?」
あえて言うなら操舵室の一室。そこにティトシェさんのお茶目なのかわからないけど、ちょっとした華美な装飾が施してあるダイニングテーブルとソファに座って休憩しようと腰かけた。
そしたらそれに倣うかのように、右に少し離れてボッチちゃん。左にくっついてくるピミュさん。
ため息をついて、今回はボッチちゃんを見る。
「今更だけど、船長補佐ってなんなのさ?」
「さあ? 船長を補佐するんじゃないかしら? 例えばそうね……魔物が現れたらポーションを船長にかけるとか?」
「ダメージくらってない状態で?」
「もちろんよ。私の投擲、なめたらだめなんだからっ!」
エッヘン、とない胸をはる。が、すぐにしおらしくなって、もじもじと僕を……じゃなくて僕の隣にいるピミュさんをチラチラみた。
「ぴ、ピミュちゃんはどうなの、かしら? 魔法とかつ、使えるの?」
「う、うん。使えるよ。詠唱は短縮できるだけ、だけど」
「す、すごいわね!」
みるからに挙動不審で声が高くなったり小さくなったりするボッチちゃん。
何回見ても目と耳を疑いたくなる。
いや、まあ、うん。まるで友達がいなかったボッチちゃんの、初めての友達だからね。こうなるのはなんとなくわかる。
でも、さ。
明らかに僕と態度が違うんだけど。
「わ、私は、その、剣が――――」
「フミ殿ぉ! 空と海から魔物だぞぃ!」
甲板からフェンの少し焦った声が聞こえてきた。構造的に操舵室は三階にあるのにしっかりと声が届くその声量、さすがだと思うよ。筋肉がすごい人はそういうところも鍛えられているんだね。なんというか、野太い。
なんて思っていたら、カチン、と。なんかそんな音が聞こえた気がした。
なんとなく察しながらピミュさんからボッチちゃんに視線を変えると、ボッチちゃんが無言で立ち上がった。
そして近くの開閉式の窓まで行くと、勢いよく開け放った。
「ヌッ? お主はボッチちゃんではないか。フミ殿は――――」
「死になさいっ! 魔物ともども!!」
「ウヌゥッ!?」
……まあ、うん。
窓も開けたら閉めなきゃね。
パシャンと閉めてカーテンも閉め切ると、外から魔物と人の叫び声が聞こえた気がしたけど、きっと気のせい。
「なんだか怒ってましたね、ボッチちゃん」
少し驚いた顔をしながらもスススッ、と僕にすり寄ってくる。
二人きりになった瞬間、これだ。襲い掛かってこない分、まだわきまえるところはわきまえてるんだろうけど……。
「――ふーみーくーーんっ! 進路ちょっと右に戻してー!」
「はいはい」
今度はウィズからだった。
自ら遊び人だって言ったのに、一番大切な針路のズレを教えてくれる。
「船長補佐は仕事をせず……遊び人は仕事をして……なんでこうなるのさ……?」
軽くぼやきながら舵を右に切って固定する。
風を受けるための帆はこの船にはない。あったら風邪の抵抗を受けて大変だから。もともと船は風を使って航行するものだったけど、この世界ではエンジンならぬ魔導具が開発されてから完全に帆はとりはずされた。
といっても、魔導具が壊れるときもあるから、積んではある。ただその帆を取り付けるのは一苦労、それを操って大陸までたどり着くのはさらに難しいらしく、まず魔導具が壊れたらほとんど死ぬといわれているらしい。
まあ、素人が個人で海に出たら、らしいけど。海の漢は朝飯前だとかなんとか。
「……お茶飲みたいなぁ、なんて」
「すぐ準備します!」
トタトタと小走りで操舵室を出ていく。台所、といえるような場所はここから少し離れたところにあるから、たぶんそこに行ったんだと思う。
それからすれ違いで入ってきたのはボッチちゃんだった。
「もうっ、一人殺り損ねちゃったわ」
……魔物は『匹』で数えるはずなのに。
「ねえ、あんたさ」
「いや、それよりボッチちゃんの目的地ってどこ?」
「それよりって何よ!」
ガウゥッっと唸ってきた。といってもいまだにフードで顔全体をすっぽり隠していて、見えたとしても口元だけだからまったくもって怖くない。そういうローブがあるのは知っているけど、きっとボッチちゃんはそういうローブを使ってるのかも。
「私の目的なんて聞いてどうすんのよ? ていうか、獣人族大陸に向かうことに決まってんじゃない。あんたが協力してくれたからもう叶ってるわよ?」
「そうじゃなくてさ……獣人族大陸についてからだよ」
「ああ、そういうこと。どこの国に言いに行くか、ということなら……」
ボッチちゃんが備え付けてあった大きい地図を部屋の隅から引っ張り出してくると、ダイニングテーブルにまんべんなく広げた。この地図、世界地図だ。カスティリア王国を抜け出す前に本に描かれていたのを見たことがある。というか、盗んだ本の中にある。
ただ、この地図は本よりもかなり精密に描かれていた。人族大陸と獣人族大陸だけなら入り組んだところもかなり細かに描かれている。
絶対高いんだろうなぁ。……ああ、いや。でも、そもそもこの船を寄贈してくれた人が人だし、今更感も出てくる。
「獣人族大陸には二つ国があるわ。それぐらいは知ってるでしょ?」
「レジス王国とスタンス王国だね」
「そ。それでレジス王国の王都はここで、領土は……こんぐらいかしら」
大体横に楕円の形を描いた大陸の西から三分の二を指で何度も丸を描く。
「そしてスタンス王国は残りのこんなもん、かしら」
そう言いながら本当に残り、東側を小さく指で丸を描く。
「国土から勢力が予測できるのもなんか、ね」
「昔は一つの国だったみたいよ。でも、とある代の王と王の弟君が同じ人を好きになって取り合いになったみたいなのよ。勝ったのは王の方だけど、腹いせなのか側室を寝取って逃亡して建国したのが、いまのスタンス王国の始まりだって言われているわ」
「きれいにドロッとしたお話、ありがとう」
「どういう意味よ?」
ジトッとした目で見られた気がした。そのままの意味なのに。
「話を戻すと、私が向かうのはレジス王国」
そう言って大陸中央から半分ほど下を指さした。
「それで、あんたはどこに向かうのかしら?」
「僕? 僕は……そうだね、ボッチちゃんと一緒のところにいくよ。どうせおおまかな目的は僕もボッチちゃんも同じでさ」
「あんた、今考えなかった?」
「いや、別に?」
こじつけただけだから。
「まあとにかく、これからよろしくね、ボッチちゃん」
「よろしくね、じゃないわよっ! 私には――――」
「お待たせしました、フミさん! あ、ボッチちゃん戻ってきてたんだ。今淹れてくるねっ」
勢いよく入ってきて、勢いそのまますぐに出て行った。
なんか言いかけてたボッチちゃんを見ると、なんとも悲しげな雰囲気を醸し出しながらもすでに待ちわびたかのようにチラチラと扉のほうに目を向けていて、思わず苦笑いしてしまったのは仕方ないと思う。
お読みいただきありがとうございます。
おさらい:ボッチちゃん呼び、浸透する。




