第八十九話 セセトト山 6 - 懇願の行く先 -
夜。
あれからなぜかみんな疲れた顔をしていて、通された部屋のベッドでずっと眠っていた。
僕も何もすることがないわけで結局うつらうつらとしているうちに眠ってしまったわけだけど……だからといって朝まで眠れるまでもなく、夜更けに目が覚めてしまった。
というか、お昼前に寝たわけだから、そんな長い間寝れるわけがない。
ため息を零して体を起こすと、そのままなんとなくベッドから降りる。そしていつからか着慣れたいかにも平民の格好に着替えた。
冒険者、という格好ではなく平民。そろそろ新しい服でも買おうかな。その時は、まあピミュさんの感性に任せよう。そういうの、好きそうだし。
そっと廊下に出ると、部屋とのあまりの気温差に思わず身を震わせる。山だから覚悟はしていたけど、ここまで寒いとは思ってなかった。
「アイテムボックスから適当に毛皮のコートとか出せば良いだけの話だけどさ」
素早く目の前にアイテムボックスを展開して毛皮のコートを取り出すと同時にササッと羽織る。一枚羽織るだけでほとんど寒さがシャットアウトされる毛皮系。さすがだと思う。
ぽつぽつと灯された光る魔導具の下をゆっくりと足取りで歩く。夜の静けさと明かりが自然と僕の歩を遅めているみたいだ。
階段を上がり、探索。別にお宝とかそういうものを求めているわけではないけど……でも、どうしてか足は勝手に進む。誰かを探すかのように着実に、一歩ずつ。
途中、巫女さんの部屋に行き着いた。どこかでここではないとわかりつつもつい部屋の中に入る。
「ふみゅーすぴすぴ……」
「……幸せそうに寝てるなぁ」
水色の髪をベッド一目に散りばめて、笑みも浮かべて。
澪みたいだ。
「……世話を焼ける妹、か」
暗闇の中、空に浮かぶ月明りが僕と巫女さんを照らす。幻想的、なんていう言葉は僕と巫女さんには当てはまらない。けど、穏やか、という表現はきっと当てはまる。
夜の魔王だなんて言っているけど、本当は塔の最上階という隔離された場所でほとんど人との関わりなく育てられたんだ。人の情に触れたいだけかも。そして一番求めているのが愛情、というところかな。
「……僕も、その愛情っていうのがわからないんだけどね」
似た者同士なのかも。――ただ、真逆なだけで。
澪だって、僕にたくさんの情をもらおうとしていたし、それにこたえようともしていた。けど、僕は本当に与えられたのかすらわからなくて――。
「えへへ……」
幸せそうな声でハッと我に返ると、巫女さんが薄く目を開いていた。寝ぼけている、けど視線ははっきりと僕を捉えている。
「夜這い、ありがとうございますです」
「何を」
言ってるのさ。そう続けようとした口は、不意に引っ張られたことで言えずじまいだった。
代わりに、巫女さんに覆いかぶさる形になった。
「巫女さん?」
その問いかけに返事がなかった。本当に寝ぼけているみたいだ。
スッと巫女さんの両手が僕の頬に添えられる。ひんやりとしていて、体温が奪われる。
そしてそのまま二回目のキスが交わされた。しかも、今回は僕はされた側。
これじゃどっちが夜の魔王なのか……。
「えへへぇ……。わたしぃ、むかしは、まんがみたいにこうして、みたかったの……」
「――――漫画?」
「――――…………すぅ」
そのまま力なく手が頬からすり抜けると、それっきり再び眠り始めた。
……漫画、か。
「この巫女さん、もしかして……」
この世界に漫画というものは……ない。
似たようなものはあるかもしれないけど、少なくとも漫画という形ではないはず。
となれば、可能性は一つ。
「転生者、なのかな?」
だとすれば、今の言動も、ところどころ腐女子らしい発言も納得がいくところがある。
……前世で腐ってたんだ……。
なんとも言えなくなってスッと体を引くと、そのまま部屋を出る。
「おやすみ、巫女さん」
再び放浪を始めて十分。
上へ、上へと昇っていき、いつのまにか最上階。その最上階の一室から光が一条零れ出ていた。
「……あそこかな」
僕が自然と求めていた場所。あんなに離れたがっていたのに、求めていた人。……いや、僕は求めていないのかも。ただ、相手が求めている。そんな気がする。
キィ、と少し古くなったような音を出しながら扉をゆっくり開けると、そこには顔を少し赤くしたティトシェに、傍らにはあのメイドさんが立っていた。机に酒瓶がいくつか置いてあることから、お酒を飲んでいたのは確実だと思う。それ以外で顔を赤くしているのだったら、僕はさっさとこの場を立ち去らなくちゃいけないだろうし。
「……フミフミさんですか」
「違います。僕はそんな名前じゃないですから」
「ふふっ。わかってますよ」
今この人、わざと名前を間違えたよ。
「フミさん、少々お時間の方はよろしいでしょうか?」
「はぁ」
ため息一つ零してからずんずんと部屋の中に入っていき、ティトシェに対面する形で腰かける。すると、一瞬メイドさんに睨まれてからグラスに並々とお酒が注がれた。
「……あの、僕まだみせい――いや……なんでもない」
そういえば、人族の大陸でお酒の制限に関する法律やらなんやらはなかったんだった。
だからといって他に断る理由もなし。
グラスを手に取って前に軽く掲げると、ティトシェが微笑んで口を開いた。
「それでは、そうですね……フミさんとの再会を祈って、かんぱ~い!」
「乾杯……」
この人、さっきより上機嫌過ぎないかな……? なんて思いながらカチンとグラスを合わせた
◆
僕とティトシェさんの会話は、どうしてかこの国の勇者のことばかりだった。その結果を『おかげ』といえばいいのか『せい』といえばいいのか、とにかく情報をたくさん得られたことは確かだ。
まずユナイダート王国に召喚された勇者は女の子の二人組で、年齢は僕より一つ下らしい。そして二人とも目に入れても痛くないほどかわいいとティトシェさんが身もだえ身悶えしながら教えてくれた。
二人にはこの世界に探し人がいるとのこと。どういうことか聞いたら、探し人はもともと親しい人だったらしいけどある日突然消えたんだと。そして悲しみにくれていたら今度は自分たちがこの世界に召喚された、と。そのとき、女神が教えてくれたらしい。
女神の話を聞いた瞬間一気に嘘くさいと感じたけど、まあでも本当のことなんだろうね。タイミング的にはきっと|僕たち(カスティリア組)のことだろうし。
探し人は男女二人。それぞれの兄と姉と名前しか教えてもらっていないらしい。……でも、それほとんど信用しているようなもんだと思うんだ。
きっとティトシェもタイミングだけで二人の探し人がどこにいるか冊子はついているはずだ。
――だったら勇者二人をさっさとカスティリア王国に送ればいいんじゃ?
この言葉をぐっと飲みこむ。これができない答えは簡単。ユナイダート王国とカスティリア王国の仲が悪いからできるわけがない。
冒険者ギルドは国との干渉をなるべく切っているから別に『ユナイダート王国で冒険者登録したからカスティリア王国に入国禁止!』ということはない。
だからといって他国の勇者を自国にやすやすと入れることも、まずない。カスティリア王国のあの愚王は最終的に勇者を奴隷のような扱いにしようとしているけど、それも本質ではない。勇者は召喚された時点で政治のカードの一つとなる。これこそが勇者の本質だ。一つ、ともいえるかも。
他国の、しかも仲の悪い国に入るのであれば必ず政治的な理由が必要となるわけで、ユナイダート王国の勇者のような私情では逆に相手側に政治利用されかねない。それは長い目で見れば自国の弱みとなる。
そういうところをわきまえているティトシェは、やっぱりこの国を治める人なんだなって実感、と言ったら変かもしれないけど、そう思える。
……ティトシェが顔を真っ赤にしている分、余計に。
「そういえばねー、あの二人~、好きな人がいるみたいにゃの~……二人ともお兄さんのことがー、好きなんだって~!」
もはやただの酔っぱらったおばさんじゃん。
王としての威厳はどこにいったのかな、なんて少しぼぉっとした頭で考えていると、
「……ティトシェ様、少々失礼いたします」
メイドさんが銀色の小さい小物入れから流れるような動作でとったものを見て、戦慄した。
――――唐辛子。
見ただけで舌がひりひりしそうなものをスプーンにたっぷり掬ったかと思うと、そのままティトシェの口に突っ込んだ。
「~~~~~~~~~~~~~~っ!?」
酔いが覚めるまでそこまで時間がかからずに復帰。だけど、会話ができるようになるまでそれなりの時間を要した。ジョッキに水を何杯入れたんだろう? 十は軽く超えたはず。
「……うぅ~」
「そんな子供のように呻いても可愛くありませんのでやめてください。それに、私は私の務めを果たしたまでです。なんでしたら次からはティトシェ様がいくら酔ってもそのままにして差し上げましょうか? 女王という身に置くがゆえにたくさんの情報をお持ちであるあなたが、いったいどのような情報をこのような知ったかぶりをする気取った棒持ち小僧……この冒険者に言うのか、それはそれでみものではありますね」
「うっ……またお願いします」
何気に貶された僕は肩を竦めていればいいの?
よろしい、と薄く微笑んだあとメイドさんに軽く睨まれると、恭しく一礼された。
「では、私は少々席をお外しいたします」
そういうやいなや一瞬でいなくなる。こういうところを見ると本当に魔族なんだなぁ。
「――――さて」
鈴が鳴るような涼やかな声に反射的に振り向く。
「これで二人ですね」
「変なフラグ立てるのやめてよ……」
「ふふっ。何を想像なされたのですか?」
「……もう、面倒なことを押し付けられる未来しか見えない」
自身のグラスを煽る。アルコール度数が強く、喉に灼けつきそうな熱さをなんとか流し込むと、今度は頭がくらりと揺れた。
……これだから、あんまりお酒は好きじゃないんだけど。
体質的に僕はお酒には強い。ただ、だからといって好んで飲もうとは絶対に思わない。
ここにきてようやく相手の魂胆が見えてきた僕が恨めしいよ、まったく。
「判断能力をある程度奪ってから僕に何か頼みごとをする、というところか」
「ふふふっ。フミさんは本当に話が早くて助かります」
そう言いながら空になった僕のグラスに再び並々とお酒を注ぎ、自身のグラスにも注ぐ。
「というわけで、かんぱ~い!」
何が乾杯なのかわからないけど、一応カチンとグラスを合わせる。僕ももう酔っているのかも。
「さて、フミさんには早速ですがこの私、女王から特務を言い渡したいと思います!」
「それ、冒険者のフミに、ってこと? それとも個人?」
「冒険者のフミ、ですね」
「……依頼内容は?」
「それは……まずは引き受けるという確約をとってから……――」
「なら断るよ。僕は安全第一に冒険者をやっているんだからさ」
それに命も大事にしていかないと、すぐ死んでしまう。
弱いなりに生きる。それがだめなら最低でも生きる。その僕の心情を曲げるようなことはしない。
ティトシェはしばらく僕を見つめてから嘆息すると、「わかりました」と言って僕から確約をとるのを諦めたことに、思わず眉を顰める。
「別に、今日昨日あった信用もできない僕に任せたいような依頼なの? それ」
「フミさんは絶対に信頼できる人だってわかってますから」
「巫女さんが僕を全面的に信頼しているから?」
「それもあります」
なんだか含みのある言い方だ。けど、追及する代わりにお酒を煽った。
「それじゃあ、依頼内容を」
「はい。依頼内容は二つのうち一つを選択していただく、という形になります」
なんだかますますきな臭く感じてきた。
「一つ目がここより遥か南にある迷宮、【ギルフィア迷宮】を攻略すること」
「……は?」
「二つ目は獣人族大陸へ国の親善大使として赴き、国交の強化を図ること」
「ま、まって。一つ目も二つ目も理由を聞きたいんだけど」
「詳しいことは言えません。ですが、どちらも大きな橋を渡ることになります。……そうですね、どちらかお選びしたほうだけ、少しだけお話しいたしましょう」
――どちらも大きな橋を渡ることになる。
この言葉は、大きい。
迷宮攻略は確実に命の危険性があるのは明々白々だ。だけど、二つ目の親善大使は? なんでもともと国交がある国に行くだけで命の危険性があるのだろうか。
僕自身が持っている情報に、何か見落としがある?
かといってそれに皆目見当がつくわけでもないし……。
グラスを三度煽ったところで、何も入っていないことに気付いた。グラスを置き右手でがしがしと掻くと、背もたれに全体重を預けた。
別に受けなくてもいい。受ける義理もない。
ただ、受けておかないといけない。
なぜなら――――相手が女王(権力者)であるから。
じっとティトシェを見つめる。おふざけのない、女王の顔だ。
きっと、僕がどっちかの選択肢を取らざるを得ない状況だというのは見透かされているんだろうね。運命の手の中で手を広げ、さらに誰かの運命を操る。王然とする殊勝な心掛けだと思う。
「わかった」
「でしたら、どちらの――」
「その代わり」
そう、その代わり。僕が貴女の手のひらで踊る代わりに。
「僕からも条件がある」
「……なんでしょう?」
その返しに僕はさらに指を二本立ててから答えた。
「一つ。これからユナイダート王国は冒険者フミを全面的、とまではいかなくてもいいから、なるべく支援すること」
これは僕が受けざるを得ない状況に追いやった理由。女王という権力があれば必ずどこかでメリットがついてくる。例えば簡単に思いつくものを上げていくと、禁書指定されている本が読めたり、船などの旅費が安くなったり、だ。その質の向上。それが一つ目の条件。
指を一つ折り畳み、
「二つ目は――――船をもらいたい」
「船、ですか? 別に余っていますが……操縦できますか?」
「…………頑張る」
きっと酔いのせいで大きく出過ぎたんだ。グラスに半分お酒を注いで一気に煽り飲んだ。
「船があれば迷宮に行くにしても獣人族の大陸に行くにしても、だいぶ楽になるはず」
「そうですね、わかりました。一週間以内にここより先にある準備させておきます。……もちろん、特務のどちらかを受理していただけたらですが」
「わかってる」
もう、受理するならどちらにするかなんて決めてある。
「僕は――――」
お読みいただきありがとうございます。
おさらい:巫女さんは転生者




