第八十八話 セセトト山 5 - 早い再会と不安定な未来 -
ブルリと体を震わせると同時に、ようやく僕は茫然とメイドさんが去った方角を眺めていたことに気付いて温泉に浸かりなおした。
「……新しい、世界の創世か……」
また酷く壮大な話を聞いてしまった。
世界創世と言われても、一体全体何をしようとしているかはわからないけど、少なくともそのためにメイドさんを始めとした魔族は動いている。それがどのような結果を出すのかはわからない……いや。
――『ではまた、王が死ぬときに』
メイド長さんは別れ際にこう言っていたはずだ。カスティリア王国側からみたら確かに争っているようにも見えたし、今も人族の王を据え変えようとしているのはメイド長さんの発言からも窺える。
――『新しい世界の創世。それが魔王さまの意志です』
魔族は一体世界をどうしたいんだろう? どうも『新しい世界の創世』っていうのが気になる。
だってこれはつまり、魔王は女神と敵対するということになるから。
――世界は女神が創造した。
これが世界全体を通した常識であって事実らしい。
だから魔王がやろうとしているのは女神への反逆になると言っても過言ではないと思う。
その手始めみたいのが、カスティリア王国のメイド長さんにユナイダート王国のメイドさん。もしかしたらこの二人のように、他の国でも王家と関わり合いがある地位を確立してたらこれ、確実に人族が滅ぶよね。
指導者を失った国は脆いのは明々白々だし、派閥があったとして、次の王を立てるまでに国の混乱とばからしい政争が起こるはず。そんな国を滅ぼすなんてお茶の子さいさいだね。
しかもウィズが見せてくれた景色の中に魔族の大陸と人族の大陸を結ぶ転移装置がある。いま修理しているみたいだけど、それが直ったら一瞬で移動できるようになる。
なんというか、これは物凄く人族が劣勢なんじゃないかな。いや、いつの間にか追い詰められていた、というべきか。
「なんて、安直な答えが駄目なんだよね」
頬をポリポリと掻きながら足を投げ出すと、今度は前に腕をグッと伸ばして足の筋を張らせる。
「人族を滅亡させたり改変させたりするだけじゃ世界創世とは〝ならない〟」
魔王は何をどのような時点をもって〝世界創世〟がなったとするのかっていうのかがわからないし、その疑問が解けない限り何も前に進めない。
だったら、と。
この問題は冒険の楽しみの一つにしておけばいい。
「やることが増えたなぁ」
もともとは王が信用できなくて出た王宮。なんとなく世界を見て回ろうと本当に最初はそう思っていた。
今も目的は変わらない。でも、楽しみは増えるばかりでこの世界は……きっとこの気持ちは〝楽しい〟の一つに入るんだろうね。わくわくと焦りが混ざりあった感覚。
メイドさんにはさんざんなことを言われたけど、それがまたより多くの知識を欲する発破になっているし、
「セセトト山の温泉は世界一ィ! なのですよ! ヒャッハー!」
「そう、セセトト山の温泉は世界一――――え?」
トタトタ、トタトタトタトタッ!! とどんどん背を向けている方向から足音が近づいてくる。どこか聞いたことがある声に思わず振り向いた瞬間、
「ぐふっ!」
物凄い勢いで溝尾に衝撃をそのままに、背中から温泉にダイブするはめになった。
「ひゃあああ! なんですかなんですか! 一体誰が私のバージン温泉を奪ったんですか!?」
どこかで……というか、この声。
声の正体を確認しようしてものしかかられているせいでうまく息継ぎができない……!
「許すまじっ! 激おこなんですよ! わたしの四つ目の温泉バージンを奪うなんて相当のやり手ですね! わたし、尊敬します!」
「ちょ、どい、ごほっ、ごほっ! い、いきが! 息ができないから!」
勢い良く押すと今度は僕が上に乗っかる形になった。その一瞬、さっきまで僕の上で暴れていた女の子と目があった。
「――み、巫女さん?」
「ば(あ)、う゛びう゛び(フミフミ)ゔぁん(さん)! ……ゴボァ!」
あ、やばい。
急いで脇に手を通して持ち上げると、温泉から引き上げる。そして顎を上げて気管を確保する。
目は……開かない。
「水が気管に入っちゃった……わけないか」
一見してみると、息はしていないように見える。けど、耳を口元に近づけると鼻から息をしているし、胸も微かに起伏している。
あと、微妙に目も開いているし、唇も若干とがってる……。
「巫女さん、人工呼吸にかこつけてキス、なんてことはしないよ?」
「……ぶー。フミフミさんのいけずー」
そう言って起き上がると、いつの間にか近くにあったタオルで身体を纒った。
「それよりも、フミフミさん! 会えましたね!」
「そうだね。少しぶり、かな」
「はい!」
その笑顔はさっきまで僕が気づかずに纏っていた暗い雰囲気をふっ飛ばしてくれるほど明るくて、思わず魅入ってしまった。
「――そして、私とは初めましてですね、夜の、魔王さん?」
「え、誰!? ってうわぁ!」
今度は左から聞こえてきた声に振り向いた瞬間、今度はつるんと足を滑らせると、そのままマナーもへったくれもない温泉の入り方を実践する羽目になった。
「ティトシェです、フミフミさん」
「どうも……」
腰にタオルを巻き直してからきちんと湯に浸かりなおすと、お互いに挨拶を交わす。
妙齢の人だ。年は結構いっているんだろうけど、それを感じさせない瑞々しい肌をしている。
その人が右に、そして左からは巫女さんが左肩にしだれかかっている。
いや、いやいや。
これ、いったいどういう状況なのさ。
巫女さんがいるのも理解できないけど、ティトシェさんは一体……。
気づかれないようにティトシェさんを盗み見ると、それを目敏く察したのかばっちり目が合って薄く笑みを浮かべられた。
「一応、この国を治めています」
「……ああ、どこかで聞いたことがあると思えば、ここの主ですか」
「そうです。そしてそちらにいるのはフミフミさんのハーレム要員です、と説明しなくても大丈夫でしたか」
「僕はフミフミじゃなくて文ですし、そもそもハーレム要員にした覚えは……」
勝手になっちゃったという覚えしかないんだけど。
「夜の魔王野郎ですからね♪」
罵倒されている割には肩に頬ずりされている僕の心中を察して。
……まあいいや。とりあえず無視してティトシェさんに顔を向ける。
「探す手間が省けたので、一つ良いですか?」
「なんでしょう?」
「今日一晩、この屋敷に泊まっていっても大丈夫ですか?」
「つまりわたしとフミフミさんの愛のいとにゃむにゅぅ!」
左手で巫女さんの頬を押しながらも言葉を続ける。
「明日の早朝には出ますし、食事も自分たちで用意します。王族に伝わるかわかりませんが、食事抜きでただ休むだけの安い宿屋みたいな感じでここを使いたいんです」
「わかりますよ。ユナイダート王国を治める者として、国民の上から下まであらゆることをミてきましたので」
それは好感が持てる。ただの机上の会議だけでは終わらない、終わらせない点においては日本より進んでるね。あ、でもカスティリア王国も机上の会議だけでは終わらせてないか。そのせいで死にかけたけど。
「あ、フミさん、一つ提案なんですが」
ティトシェさんが親しみを込めた笑みを浮かべたかと思うと、
「私たちは温泉から上がった後に食事を摂るつもりですので、良ければ一緒にどうですか? 四人分作るのもあなた方の分を作るのもほとんど変わらないとメイド長はおっしゃると思いますので」
そりゃ、そうだろうね。料理は材料さえあればいくらでも調理可能だから。
でも、とティトシェさんを見る。
この人は【亜人排他主義政策】をとらなかったり、自己申告ではあるけどこの国の黒い部分まで知っているし、見て見ぬふりもしていない。この二点においてはかなり好感が持てるわけで、食事を交えて談笑でもしてみたいとは思う。
……でも、上に立つ人がそんな一枚岩なわけがない。
「いえ、でも僕も腐ってしまう食料は早く片づけたいですし」
「建前ですね! わたしに操をたてりゅふ、ふ~!」
巫女さんの口を押さえつつ思い起こす。
カスティリア王国国王、グレンこと愚王。あいつは桜さんたちを騙し、戦争の道具にすらしてしまおうとしている。それも勇者、兵士長と騎士団長、リリルとファミナちゃんと、いろんな人に対して一人ずつにあらゆる嘘をついて、そして国の頂点に立っている。
ユナイダート王国ではまだそういうのは聞かないけど、それでも水面下ではドロドロとした話し合いが進んでいる、だろうね。
勇者召喚がまさにそれに当てはまるし。
日本人をピンポイントでほいほい召喚するこの世界も色々とおかしいと思うけど、この国も勇者に召喚した理由をきちんと話したとは限らない。
飴ちゃんあげるからついてきて、って言うロリコンの誘拐犯と同じぐらいの信用度しか僕にはない。
「それよりももういくつか質問していいですか? 例えば巫女さんがここにいる理由とか」
「その質問にはわたしが答えましょう!」
ばしゃんっ! と大きく水しぶきを僕にぶつけながら立ち上がった巫女さんが包み隠さず胸を張った。
「わたし、お引越しすることにしました! ティトシェさんがわたしをスウィートルームでトロピチュルジュースを飲みながら人助けをしてくださいと懇願してきましたので!」
「そんなこと言ってませんよー」
「その時わたしは言ったのです! 『ミャー……温泉……入りたいのですミャー……』って!」
どうしよう。まったく意味が理解できない。
「……巫女の話を要約しますと、温泉に行ってみたかった、ですね」
「ものすごい短く済んだ……」
「ふふっ。フミさんも一緒に食事をしていただけるならスウィートルームにご案内いたしますよ? 今なら時の巫女付きで」
巫女さんは通販のおまけ扱いかな。
「そして夜のまもりゅぅんんんっ!?」
「じゃあ巫女さんのことはその辺にして」
一旦言葉を切ると、巫女さんを僕の前に持ってきて落ち着かせる。
「ティトシェさん、貴方はなんで勇者を召喚したんですか?」
「世界が滅びに向かっているからです」
「……うわお」
世界創世の次は世界滅亡ですか。どっちかにしてください。
「ハッタリとかでは」
「そんなんじゃないのはわかるよ」
「ありがとうございます」
聞き流す程度でも構いませんとティトシェさんが付け加えてから語りだした。
「揺れ動く未来の先、数多ある未来の先は……崩壊。この一つに未来は集約されています。最近こう感じたことはありませんか? 『魔物の数が多い』、と。言われてみれば程度でも構いません。旅人ならば少なからず、しかし必ずそう思うはずです。それこそが崩壊の前兆だと私は思います」
「それなら騎士団やら自警団が哨戒して、それで事足りるんじゃないですか? 勇者の必要性が見い出だせないんですが」
「それはですねっ!」
完全にもたれかかってきた巫女さんが元気に揺れながら言う。
「ユナイダート王国の勇者はちょっと特別だからなんですよ!」
「特別?」
「はい!」
「いえ」
ティトシェさん否定しているんだけど、本当はどっちなのさ……。
呆れ混じりにため息を吐く。
「ティトシェさん、特別じゃないなら何なんですか?」
「それはですねっ!」
巫女さんが自信満々に口を開く。
「外からの人を連れてこれば未来がまた変わるからなんですよ!」
「世界の外から、ってこと?」
「そうなんですよ、フミフミさん。例えばですね、あの黒髪メイドさんにわたしがチョコパフェ大盛りを頼んだとしますね。温泉出たらジュルリとよだれを垂らすわたしが一直線に向かうわけです。ですがそこへ魔王ティトシェさんがメイドさんにそら恐ろしいことを囁くんです。『プリン食べたいです、うっふーん』って。誰ですか、うっふーんって!」
「巫女さんが言ったんじゃん……」
「そしたら! なんと! ……わたしのパフェがプリンに変わっていたんです!! ……これが……外からの影響……」
巫女さんとメイドさんだけで交わした約束事が、ティトシェさんがちょっと口添えしただけでその約束が破られた、みたいな感じ?
「つまりですね」
やれやれと素振りでティトシェさんが助け舟を出してくれた。
「私がプリンを食べたいと思ったのをルノアミ……メイド長に言ったら、その、巫女さんの分もプリンに変わってしまったことがありまして……」
「例え話じゃなかった!?」
ただの自分に起きた悲しい出来事を述べただけじゃん!
「いえ、ですが方向性はあっています」
「……はぁ」
もういいや。そう理解しないと頭がこんがらがってしまう。
「要約すると『第三者によって未来が変わる』ということです?」
「なるほどね。また物凄い短く済んだ」
「どうです? フミフミさん。わたしの説明わかりやすかったです?」
キラッキラッした目を向けてくる巫女さんの視線を切るように「そうだね」と応えて適当に頭を撫でると、ティトシェさんに視線で続きを促す。
「先程も言いましたが未来は不安定です。例え現在から視た未来が崩壊であっても、外的要因によってその未来は更に変わるのです。道の途中で分かれ道があったら、そのどちらかを選択するでしょう? そのときフミさんが右と決めていても、私が左――」
「真ん中一直線ですぅ!」
「…………左に行きましょうと囁やけば左になる、かもしれない。これが外的要因の凄さです」
つまり、未来はわかるけどまだまだ変わるよ、ッて感じかな。シュレディンガーの猫みたいな感じ? 仮に運命の日として、その運命の日にあけてみないと猫が死んでいるのかいないのかわからない、みたいな。
「そしてその崩壊の運命を変えることができるのが勇者、というわけか」
「そういうことです。これはカスティリア王国に召喚された勇者も同じ〝外的要因〟の要素となっております」
……へぇ。
だったら、翔や銀河達も愚王の戯れ言を鵜呑みにしなければ十分に運命を変えられるっていうことか。…………カスティリア王国、ねぇ。
「一つ、聞いてもいいですか?」
ティトシェさんが頷くのを横目に見て、口を開く。
「なんで、この話を僕にしたんですか?」
「それは勇者を召喚した理由を段階的に――」
「その必要はなかったと思うんですけど」
「はい?」
「いえ、たかが一平民、一冒険者でしかない僕に、いやもっと言うならこの国の者なのかすら不明な僕に説明する義理なんてないですよね? 説明するにしても、極論『希望の星だからです』みたいなこと言っていれば問題はなかったわけ」
「……確かに、そうですね」
ポーカーフェイスなのか、それとも地なのか。
「つまり、こう説明すればよかったのでしょうか? 『未来が危ないです。なので勇者様に救ってもらいます』って」
「それが妥当だと思いますね」
「……そうですね。冒険者には話すことではありませんでしたね」
「僕としては有益な情報だったので良いですけどね」
「……ふふっ」
小さく笑ったかと思うと、
「では一つ、私からちょっとしたお話をさせてください」
……その笑みに僕は少し嫌な予感がした。
でも駄目だっていう前に口火を切られた。
「数ヶ月前、カスティリア王国で勇者達が召喚され――――一人の男の子が殺されました」
「…………それは、なんで?」
「理由はわかりません。いろいろと考えられますが、どれも憶測の域は出ませんのであえてここでは言いません。結果としてその男の子を慕っていた同じ世界の女の子が一人が寝込みました」
ですが、と更に続ける。
「ここ最近、と言葉を濁しておきますが、ユナイダート王国でずる賢い黒髪の少年の噂を耳にするようになってきました。一週間前に起きた魔物による街への侵攻も、その少年が手助けをしたという噂を耳にしています。もしかしたら噂の少年は殺された……いえ、殺されずに生き延びた少年なのかもしれない、と思ったんです。なので黒髪の少年には未来のことを話そうと思いまして」
――――バレてる。
目が、そして表情が物語っている。『君がそうなんでしょう?』って。
「つまり、僕がそうだと?」
「黒髪の少年、ですので。もしかしたら貴方がそうかもしれませんし、そうじゃないかもしれません。ですが、少なくとも私はその黒髪の少年が未来を変えるのではないかという期待を寄せているだけですので」
そんな期待、ゴミ箱に捨てておけばよかったのに。
「……とりあえず、僕は勇者じゃないので」
「そうですか」
「そうなんです」
「そういうことにしておきましょうぞぃ、フミフミすわぁん」
「…………」
「…………」
巫女さんの発言に僕とティトシェさんが揃って黙りこむ。シリアスもへったくれもない状態にした巫女さんは何故かどや顔。キュッキュッキュなスタイルをあられもなく僕に見せてくる。
でも、タイミング的には良いかもしれない。これ以上この人と一緒にいるとボロをだすように誘導されそうだ。
「それじゃ、僕はそろそろ出るので」
立ち上がって巫女さんにタオルを巻きつけると、温泉を出る。火照った身体に優しく吹き抜ける風が心地よい。
「そういえば、その少年を探している人がいまして」
どうせリリルとか夕花里さんでしょ。
最後のティトシェさんの言葉には耳を傾けずに歩調を早くしてその場を後にした。
お読みいただきありがとうございます。
おさらい1:世界創世と世界滅亡。どっちかにして。
おさらい2:巫女さんは巫女さん。
おさらい3:ティトシェ女王陛下は何をどこまで知っているのか……。
次は諸事情が片付いてきたら投稿します。




