第七十三話 レーリス防衛戦 - 萌芽 3 -
おかしい。
ありえない。
そんな思いがぐるぐると頭の中でぐるぐると回り続ける。
僕は心の中でいつの間にか思って、それが本当のことだって思い込んでいたのかもしれない。周りの建物が崩壊していたとしても、この《鳥の止まり木》だけは絶対大丈夫だって。そう思い込んでいた。
……そんなことはない。
そんなご都合主義がそうあるわけないんだって、わかっていたさ。
でも。
それでも。
僕には今目の前に起こっているこの状況がうまく呑み込めなかった。
なんで、なんで鳥の止まり木亭とその周りにあった建物が全壊しているのさ?
人がいたから? ――それだったらもっといたはず。
なら、たまたま目についたから? ――それなら、もっと全壊している建物があってもいいはず。
遠くから風に乗って微かにすすり泣く女の人の声が聞こえる。大切な人でも失ったのかな。その人の名前を連呼している。……可哀想に。
ふと変な音が聞こえたからぼんやりとそっちを向くと、二人の子供がらしき死体の周りにいるのが見えた。一人は小さな身体をさらに小さく身を折りたたんですすり泣いている。もう一人の子は、死体となった魔物をひたすらに切り刻んで、グチャグチャにして、原型なんてすでに留めていないのに、拳を魔物と自身の血で染め上げて高笑いしながら殴り続けている。
どうしようもない。
だから空を見上げた。
空はまだまだ昼を過ぎた辺だから明るいけど、この街はどんよりとした厚い雲に覆われた夜みたいに狂い始めている。
視線を鳥の止まり木亭に戻すと、頬に生温いものを感じてなんとなく触ってみる。
「……なに、これ?」
水? 雨、なのかな?
……いや、そんなわけないか。
「これは……涙、っぽいね」
ぐしぐしと袖で涙を拭う。
なんで涙が流れてきたんだろ? 涙だ、っていうのはすぐわかったのに、それだけがわからない。
涙、なみだ……。
確か、感情と心は直結しているんだっけ?
じゃあ、心がおかしいってことなのかな。
胸に手をあてて目を瞑ってみる。
「……なんだろ、この感じ。心臓が嫌にバクバクしてるし、なんか息も少し苦しくて……よく、わからない」
どうしても、このなんとも言えない“なにか”の正体が掴めない。
まだ流れそうな涙をぐっとこらえて、ふらふらと鳥の止まり木亭……だった所に歩み寄る。
近くには誰もいない。
そう……ピミュさんの家族は、誰もいないから。だから、最悪のパターンが想定できてしまう。
僕の予想はあたっていてほしくない。そう思うと、それを嘲笑うかのように心臓が縄できつく縛られているかのような痛みが走って痛い。痛い、痛い……。
希望なんてものに、すがったことはない。だから、僕はすがらない。目で見たものを全部信じたい。
だから、ヒノキの棒を右手に召喚して、鳥の止まり木亭の残骸に突き刺した。
希望的観測なんて、いらない。
ただ、
「【クリエイト】」
この場にあの家族が居ないという事実があればいいんだ。
次々と瓦礫となっていたものが不自然に動き出してどんどん形を成していく。瓦礫が勝手にくっついて、分離して、土台となり、屋根となる。この街に来てすぐに受けた家を作り上げる依頼と同じことだ。
大体一分で完成したものは、どこからどうみても新築同然の鳥の止まり木亭だ。
ただ、中身は作っていない。外見だけ。安否確認なら外見だけ組み立てておけば十分だから。
ヒノキの棒を抜いてから深呼吸をすると、ゆっくりと家の中に入って中を覗き込んだ。
「…………そっか」
ぽつりと言えたのは、それだけ。
本当に……それだけ。
「みんな、死んじゃったんだ」
ピミュさんのお父さんもお母さんも。……それに、おばさんも。
みんなみんな。好きだった人は、全員息を引き取っていた。
……どうしてさ。
なんで死んでるのさ。
なんで……しんだ?
……そんなのは後でいい。
先に埋めよう。
そう思い至るまで少し時間がかかった。
まずはピミュさんのお父さんの穴をクリエイトで作って入れる。寡黙だけど、優しい人だった。あまり関わりはなかったけど、だからこそ遠くから見ててそう思えた。胸の部分に穴が空いていた。
次にピミュさんのお母さんを埋める。お父さんとは打って変わってとても明るい人だった。とても明るくて、ユーモアに溢れる人だった。……僕とピミュさんを仲をよく揶揄する事もあったけど。その明るかった表情は、今は頭から血を流して苦痛の表情を浮かべている。
そして最後に……おばさん。優しくもあり、厳しくもあった。そしてなにより、料理がかなり美味しかった。
「【クリエイト】」
横一列に作っていた最後のところにおばさんを入れようと持ち上げた時、手首をいきなり掴まれた。
「ッ! お、おばさん!」
「……フミ、か…………」
「よかった。生きていたんですね。今治療を――」
「私は、もう……助からないさね……」
「…………それは……」
それは、わかる。
だって、生きているのが奇跡的なほど、おばさんも怪我でボロボロだから。だから、わかる。
――……わかりたく、ない?
よくわからない心の叫びに困惑していると、おばさんが弱々しくも真剣味を帯びた表情で口を開いた。
「やくそく、覚えてる、さね……?」
「約束って……」
「……ピミュを、頼んだよ……」
「……それ、やっぱり本気だったんですか」
僕の冗談混じりに、しわくちゃな顔を笑みに変えて、そっと僕の顔を触る。
不快感はない。まだ暖かいぬくもりは、身体の芯まで浸透してきた。……今までにこんなことはなかった。
この暖かいものはなんだろう。
それをおばさんに訊こうとした。いつもなんでも答えてくれるおばさんに、訊こうと口を開こうとした。
けど。
すでに僕の頬を滑り落ちて、重力に従って腕をだらりとぶら下げた。
「……しんじゃった」
なんてことはない、生から死への変わっただけ。
そう、それだけ。
暫く無心でおばさんの顔を見続けた後、ゆっくりと丁寧に穴の中に置く。
うん、置く。それだけ。ただ死体を置くという作業をしただけだ。
トンッ、とヒノキの棒を叩くと同時に【クリエイト】を使う。死体を埋めるため。だから、完全に綺麗に埋めるんじゃなくて、少し地面が盛り上がるようにしておいた。
「……これで、大丈夫」
安らかに眠って。
「……依頼は失敗かぁ」
鳥のとまり木亭を出ながら、そう呟く。
ピミュさんになんて言おう。……まあ、死んじゃった、って言えばいっか。僕らの救援が間に合いませんでした、って。
うん、うん。それだけだ。それを告げてから、僕は街を出る。
そう、ただそれだけの関係なんだから。
……でも。
なんとなく足を止めて胸に手を当てる。
どうして、僕の心はこんなに痛むんだろ?
どうして、こう、つっかえるような思いをしているんだろ?
どうしてこうも言葉にならない叫び声をあげたくなるのかな?
わからない。
どうして、ピミュさんの家族の死に顔がフラッシュバックされるのか。
あの家族が楽しそうに過ごしていた時のことを思い出すのか。
――――なんで、あの人達が死ななくてはいけなかったのか。
「わからない。わからないなぁ……」
そう呟くしかない。
心に溜まっている何かを吐き出すようにため息を吐くと、ふいに二人分の足音が僕の近くまで近づいてきたのが聞こえてきた。
ぼんやりと聞こえてくる方向に目を向けると、ウィズとフェンがすぐ傍に立っていた。そういえば、あの二人が足止めをしてくれたんだっけ。
「お疲れ様、二人とも」
「ウヌッ。……フミ殿? なぜ、なぜ泣いておるのだ?」
「……泣いてる?」
フェンに聞き返すと、黙ったまま顔を指さされた。多分刺されてるところを力なく触ると、少し湿ってた。……雨かな。
「今、くもり空だし。きっと雨でも降ったんだよ」
「……フミ殿。それは正真正銘の涙。悲しい時に流す涙。辛い時に流れる涙。雨なんかでは再現不可能な、フミ殿自身の心だ」
「……なに、難しいこと言ってさ。この湿った跡が、僕の心?」
笑える。
そんな心、とっくの昔に壊れた。
壊れた……はずなのに。
「泣いてる……か。じゃあ、僕は悲しい、のかな? ピミュさんの両親やおばさんが亡くなって、救えなかったことに惨めで、おばさんの料理を二度と食べられないことがとても、とても悲しいのかな?」
「…………フミ殿がそう思うのなら、そうなのだろう」
「……そっか」
これが、〝かなしい〟っていう感情なんだ。
だったら……このもう一つある、燃え盛るような感情は何?
「――文君は、どうしたいの?」
さっきから一言も喋らなかったウィズが僕に問いかけてくる。
もしかしたら、ウィズはこのことがわかっていたのかも。
よくよく考えれば、まだこっちに魔物がいた可能性だってある。だというのに、わざわざ僕を一人にするためにあそこで魔物を引き受けるといったなら頷けるところがある。
全部、後出しジャンケンな感じだけどさ。
「どうしたい……って、そんなの……」
さっさと依頼の報告をして、この街を出る。それが僕がしたいこと。
「そうだね、じゃあまずは……」
そう、この街から――
「復讐でも、しよっか」
――……恨みとこの感情をぶつける相手を見つけよう。
お読みいただきありがとうございます。
おさらい:一つの芽生えた感情は“かなしみ”。




