第四十九話 きつね 4
字数が大ボリューム? で一万二千字になってしまいました……。
外からでもはっきりと分かる、メラメラと燃える火に照らされて影が映る。その浮かび上がる影は、一人しかいない。その姿は何かを振りきった状態のまま硬直しており、その足元で火が煌々と輝いている。
暫くそのままの格好でいた人影が持っていた物を手放し、ふらりと濃霧に紛れて姿をくらました。
「……一体、なにが起きたのよ……」
蔦が弱まったのでそれを振り払い、濃霧を漠然と見つめる。梓の呟きに答えられるものは近くにはおらず、宙をさまよって遠くの雑音にかき消された。
最後に翔が文の名を叫んだのは梓達の耳に入っていた。その声と先程まであった人影。そこから導き出せる結論を、梓はブンブンと首を振ってふり払う。まだ、そう決めつけるには早計だと。
梓達のところは気持ち悪いほど静寂に包まれていた。遠くでは怒声や悲鳴が轟き、火の手を消すために忙しく動きまわり、井戸や噴水にある水を使って消そうとする。それでだろうか、少し離れた場所にいた梓達に気づく様子が無い。
蔦が解けたのに全員がその場からほとんど動かず――動けずに濃霧をジッと見つめてどれだけ時間が経っただろうか。先ほどの魔力式自動人形と同じように、左右に揺れながらゆっくりと翔が梓達の方へ歩み寄ってきた。
その表情は窺えず、梓と銀河は怪訝そうな表情をする。いや、梓は状況推察がよりしやすくなったために渋い顔をしたのかもしれないが。
「かけ、る……?」
「…………」
梓が話しかけても反応がなく、ふらふらと歩き続け、濃霧から離れきったところで崩れるように地面に座り込んだ。
フックと銀河が駆け寄って声を掛けるが、ぶつぶつと何事かを呟くだけで、やはり言葉を返さない。
兵士長や銀河、少し離れた場所にいた梓も翔の様子がおかしいことに気づき、怪訝そうな表情をする。
「いってぇ、どうしたんだよ翔。あの霧の中で、なにがあったんだ!」
「……っ。……っ……」
「おい! 翔!!」
「銀河、やめなさい……」
何があったか、聞いてはだめだと。聞くと心が痛むだろうから。精神的ダメージを被るから。
その意味合いを籠めて銀河を止めたのだが、彼はそう受け止められなかった。
「んだよ梓。俺は――!」
梓を振り返った時、ポンと震えた手が肩に置かれた。
「……俺は」
翔が俯いた顔をゆっくりとあげる。その表情をみて彼らは息を呑んだ。
――絶望。悲嘆。憎悪。
希望を打ち砕かれ。全てを知ってしまい。そしてその全てを憎んでしまった。
その感情を全て押し隠し、隠しきれなかったような表情をしていたからだった。
「はは、ははは……。女神様から、こんなもの貰うべきじゃなかったのかもな……」
「……女神? 一体何を……」
「手に感触が、あいつの悲鳴が心に染み付いてる。そして、女神様との約束はその悲しみを心に刻み込まれないと思い出せない、なんてな」
渇いた笑みを浮かべて小さな声で呟き続ける。
「もし、女神様の意思一つで変わるとしたら、俺が行動した意思はまったくなかったら、なんだ? 俺は何なんだ? 認められる? 違うだろ……こんなの女神の傀儡だろうが……!」
翔の言葉は、全く理解できない。意思一つで変わる世界。女神の傀儡。その言葉の意味を理解するには情報が少なすぎる。
だから梓は、その情報に以前桜が言っていた女神についてのことと今回のことをすり合わせてみた。
(翔はやはり女神フォルチュナーと会っていた? それなら確かに【女神に認められし者】という称号があるのも頷けるわ。でも、翔の呟きからすると、記憶を封じられていた、ということ? でも、なんで……? それに、この世界が女神の傀儡というのは……)
深く、深く考えこむ。
銀河はというと、しゃがみこんで地面に拳をおもいっきり叩き込んだ。【聖拳】を装備していなかったため、少し地面にめり込んだ拳を引くとダラダラ血が流れでる。
「くそがっ……!」
なにも出来ず、最後には翔に全部任せてしまったことが、たまらなく悔しい。文に関して今度は――ない。そう無意識下でわかっているからだろう。だから自ら戒めるために、地面を殴る。もう一度。そして、また。
何十回殴っただろうか。いつの間にか殴るのをやめ、その場にしゃがみ込む。そして、そのままなにも考えまいと目を閉じた。
フックによってしびれ草を取り払ったイェントールは、うつ伏せから仰向けに寝転がり、空を見上げる。フックも座り込み、同じように空を見上げた。
その空は、薄い靄みたいのがかかり、不透明だった。
◆
「………あれ?」
立ったまま考え込んでいた梓はふと違和感を感じて思考の渦から現実へと帰還する。十分ほどは経っていただろうか。未だ遠くの方では喧騒が鳴り止まず、より火の手が広がっているようにも見える。徐々に人だかりができはじめ、それぞれがより多くの水で火を消し止めえようと必死だ。
だが、梓が感じたのは彼らの活動にではない。もっと身近、そう周辺のことに関してだ。
「どうして、静かなのよ……」
風の音で消え去ってしまいそうなほど小さな声量で呟く。無論、翔達の耳には入っていない。
規則正しく聞こえる呼吸音こそ聞こえるが、周りは喧騒以外布や鎧が擦れる音すら聞こえてこない。
梓は翔達の様子を眺めながら顎に手を当てて考える。この状況はなんなのか、と。しかし答えははじき出せない。
チラリと視線を翔たちから濃霧へ、そして視界が不透明になって見づらくなった空を見る。
(そろそろ、現実を見ないといけない、のかしら)
現実をみないと、始まらない。絶望と向き合わないと、希望はない。
だから梓は前向き、一度深呼吸をして思考をクリアな状態にすると、一気に結論を出した。
(文君は……死んだ)
これが、結論。あっさりとした答えで、翔が斬り、すでに火は消えていたが先ほどまで燃えていただろう火元の正体。
その答えにふらりと足が崩れて地面につきそうになったが、なんとか態勢を立て直し、ここからだと思考をフル回転させた。
文は死んだ。なら、
「どうしてこの魔法は解除されないのよ……?」
ミソはそこである。
少し前に先生である宮廷魔法師団長から学んだことの中の一つを思い出す。
“術者が死ねば、魔法はただの自然と同じだ”
今回文は魔法ではなくスキルなのだが、現在進行形で起きている現象ならば同じことが言える。……梓はそもそもこれがスキルだということを知らないが。
術者が死んだ時、火を放っていれば放っている分の火は消える。しかし、氷で一面凍らせた時は永久性が失われるだけであり、氷自体は残り続ける。
落とし穴ならば、作った穴は埋めない限り消えないのと同じだ。
「じゃあ、この霧も……【ウィンド】」
弱めの風を濃霧に放つ。しかし、濃霧は少し揺れ動くだけで放った部分が散らされることはなかった。
「……だめね。でも、ということは……」
――――生きてる。
そのことを素直に喜びたいが、やはり先程の文の豹変ぶりが思い出されて手放しには喜べない。それに、一体どうやって生き延びたのか、あの豹変は何なのか、どうして反逆罪を背負い、なお前に歩き続けられるのか。
全てを聞かないと行けない。
それを聞けるなら、全員で。
「皆、聞いて欲しいことがあるの!」
まずは翔と銀河に走り寄る。この二人が、特に翔が一番聞く権利があるからという理由だ。
二人の正面に回りこんで覗き込み、先ほどの違和感を思い出した。
(静か、過ぎる? そうよ、静かすぎるのよ!)
翔の肩に手を置き、揺らす。しかし、彼は目を瞑ったまま目を開かず、規則正しい寝息をあげるだけ。
「寝てる……」
ガクリ、と肩を落とす。確かに、あれだけ精神に負担がかかったのだ。眠ってしまうのもしかたがないだろう。
梓は今度は銀河の肩を揺らす。…………寝てる。
「銀河も……?」
さすがに、これは違和感だけでは済まされない。
内心焦りながら今度はフックとイェントールへ向かう。
「兵士長! 騎士団長!」
声を張り上げながら肩を揺らす。が、結果は翔達と同じ。
「……どういうことなの? 翔はともかく、騎士団長達が眠るわけが……」
異常だと、あまりにもおかしいと一気に梓は警戒レベルを引き上げる。
(消えない霧。全員が眠ってしまう……だめね、これだけじゃまだ……――)
もやっとした視界に、なんとなく上を見上げる。視界が不透明で、照らされている月が少し見づらくなっている。
それは、まるで薄い霧がかかっているかのように――――――
「薄い、霧? まさかあれも……!?」
あまりにも抜け目のないした準備に、梓は冷や汗を掻きながら舌を巻く。
「【ウィンド】!」
上空に向けて先ほどと同じ魔法を放つが、思った通り霧は少し揺れ動くだけで吹き飛ばされることはなかった。
そこまで情報が揃えば、すぐに答えがはじき出せるのが、梓。
ゆっくりと濃霧に――否、遠くの西門を見据えた。
「前に、文君がいる……!」
なら、なぜこんなことをしたのか聞き出してやろう。
できるなら、桜のために連れ戻してやろう。
総決意して、梓は体中から魔力を少しずつ放出して不完全ながら【魔力壁】を張り、濃霧を今一度キッと睨んだ後に突っ込んでいった。
その先に、答えを求めて。
◆ ◆
西門をくぐり抜け、月明かりに照らされた平原に目を凝らしながら駆けると、人影を一つ確認することが出来た。その姿は遠目で確認することは出来なかったが、梓の中で誰なのか確信を持つことは出来た。
逸る気持ちを抑えきれず、その位置までほとんど跳躍する形で一気に距離を詰める。
距離にして、十メートル程残して立ち止まると、その場で膝に手をついて息を整える。しかし、視線は目の前の男に向けたままだ。読みは当たっていたと、やはり生きていたと安堵の笑みを浮かべながら。
「……まさか、追いかけられるとはね」
「私の頭の中がお花畑じゃないことはわかってくれたかしら? ――文君」
背中を見せていた彼――文はゆっくりと振り返り、困った笑みを浮かべた。が、これも想定内だったのだろう、すぐに笑みを引っ込めると真剣な表情をした。
「僕が生きているって、よくわかったね」
「わざとだと思うけど、本当に死んだことにするのだったらあの霧は消すべきだったのよ」
わざとわかるようにしただろうと咎めるような口調だったが、梓は微笑んでいた。
『俺』ではなく『僕』。
その些細な変化は、やはりあれは本来の文ではなかったのだと証明させるのに、今の文が本物だとわかって嬉しかったのだ。
「あの霧は消せなかったんだよ。消したらすぐに僕が死んでいないってことがバレちゃうからね」
「こう聞くのもなんだけど、どうして死ななかったのよ?」
少しリラックスしながらそう問いかけると、肩を竦めてアイテムボックスに手を突っ込むと、黒いものを取り出した。
「これだよ。【魔力式自動人形】」
その黒いもの、魔力式自動人形には、なるほど確かに顔がない。それに、ところどころ燃えた後が残っている。
「その魔力式自動人形のおかげ、ってことね……」
「そう。魔力式自動人形がなかったら僕の計画はもう少し危険性を孕んだものになっていただろうね。魔力式自動人形を教えてもらったエンジュさんには本当に感謝しなきゃ」
南無阿弥陀仏と歌う感覚で一回唱える。それは死んでいるわよ、と突っ込みたい気持ちに駆られたが、今はそれより聞きたいことが山ほどあったため、言葉飲み込み違う言葉を吐く。
「文君の計画の全貌がわからないのだけれど……」
「うーん、全部言うわけには本当は行かないんだけどね。梓さんはここまでこれたわけだし、ご褒美として教えてあげるよ」
きつねのお面を取って、丁重にポケットにしまい込む。それを見て先ほど言えなかった言葉を口にした。
「狐の象徴は化かす――嘘をつくこと。……その、きつねのお面はやっぱりそういうことなのね」
文が頭につけていたきつねのお面。それが意味するところは――
「虚言を吐き、皆を惑わせて、事実を覆い隠す」
文は薄ら笑いを浮かべて、そう口にする。
「そうだよ。あの場で放った事実はほんの僅か」
「僅かって……この世界を旅したいってことだけが事実って言いたいわけなの?」
「そうだね」
アイテムボックスに再び手を突っ込むと、今度は小さいものを取り出して梓に投げる。それをなんとかキャッチし、突然投げるなと文句言おうとして、目を見開いた。
「これ、は……王冠……!? え、でも、なんで……!?」
文が踏み抜き、原型をとどめなかった、王冠。それが、なぜ今梓の手の中にあるのか。
答えは簡単。
「僕が作ったものだからだよ。さっきのもあわせて」
ぽいぽいと次々でてくる王冠は、すべて一寸の狂いもなく複製されている。
「僕のスキル、【クリエイト】があれば造作もない。頭の中で想像する力と、なにか媒体となるもの。その二つが揃えば簡単に作れる。たとえば、今梓さんが立っているところに落とし穴を作ることもね」
「――――じゃあ、あの霧は……」
「そう。同じようにスキルで作ったんだ。といっても、あの蜃気楼も霧も、結構面倒だったけどね」
文は流暢に語り始める。
「そもそも蜃気楼からの濃霧は、決められていたことだったんだよ。まず蜃気楼を作ることで地面を熱して水蒸気を暖める。それを今度は姿を見せた時に少しずつヒノキの棒で地面を叩きながらクリエイトを使って冷やしていたんだ」
最初に梓さんが手伝ってくれたのもあるしね、と微笑む。梓が放った【フローズン】のことを言っているのだろう。
確かに、文は何度か地面を叩いていたのを梓は思い出しながら口を開く。
「でも、薄い霧にバッドステータス――睡眠の効果はないはずよ?」
「あれは別に、僕がなにかやったというわけでもないよ。ただ、ネムリ草っていうのを霧に含ませただけで」
翔が魔力式自動人形を斬った時、当然返り血を受けた。その返り血は当然魔物の血。だが、その中にネムリ草を粉末状にして溶けこませていたのだ。
燃え上がる火は、すぐに水を乾かそうする。その時発生する水蒸気が睡眠効果を含んだ霧となったわけだ。
それに付け加え、色々な出来事が起こったことによる精神疲労。それが眠りへ誘う一つの要因となったのも確かだ。
「でも、やっぱりというか、梓さんには眠らなかったね」
「私にはバッドステータス耐性がある程度付いているからかもしれないわね」
「作った本人は解毒剤を作って耐性を作らないとダメだったのに……。梓さんもとことん主人公気質だね。いや、気質じゃなくて“そのもの”かもしれない」
最後にボソリと付け加え、ハァ、と大きくため息を吐き、ヘラヘラと笑う。
「他に僕になんかある?」
「そうね……あるわよ。あるけど……」
こうして文と対峙したことでわかる。文はもうこの城に戻ることはない、と。なら、桜のために無理矢理――
「――下手なことすると、怪我するよ?」
「っ!」
「桜さんのために、とか思っているんだろうけど、それは本当に桜さんのため?」
「――どういうことよ?」
「それは――いや、それはいいや」
やれやれと首を左右に振ると、
「落とし穴が張られていることぐらい気付いてるよね?」
「えっ?」
周りを見渡す。別にどこも変化していない。が、
「すでに梓さんの周りに落とし穴を張ってある。だから下手に動いたりすると一気に下に落ちるし、それに僕は助ける慈悲はないから、誰かに見つけてもらうまで魔物の脅威に怯える事になるね。魔力の残量は大丈夫? っていう話」
「…………」
一瞬で魔法を発動できれば。しかし、それを越える速さで落とされそうで、諦める。
「じゃあ僕は行くよ」
「待ちなさい」
諦めるなら。
このままなにも聞けずに終わるよりはマシだと思い、背を向けた文に声を掛けた。
「まだ何かあった?」
「私の質問に答えて」
「いいよ」
今度どういった質問が来るのか。それを振り返って待つ。
しかし、梓が今回の一連のことで訊きたいことはない。他のことは全て理解していたからだ。
彼なら姿を見せずに抜け出せただろう。――罪を被るため。
二重人格のように豹変して翔をあえて煽る。――自身を殺したと錯覚させるため。
火を放ち、斬られることもなかっただろう。――彼らにこの世界は生易しいものじゃないと教えるため。
全てが、理にかなっている。理解ができる。
だから、すべてを聞き出すことはしない。必要がない。
だけど、一つ。
くだらない話でも。
「――文君は、桜のことどう思ってるのかしら?」
「…………え?」
文は虚を突かれて目を点にさせる。その表情が梓的にはかなりレアで、くすりと笑う。
「ど、どうって……普通に友達だけど?」
声が上擦りながらそう答えると、梓は口元をニヤつかせる。
「はたして、桜はどう思っているかしらね」
別に文を止められるとは思っていない。ただ、親友である桜のためにちょっとした老婆心ならぬおせっかいをしようと思ったからで。
「桜さんは僕のことを好きみたいだけどね」
このような答えが帰ってくるとは思っていなかった。もっとこう、『え、どういうこと……?』という言葉が帰ってくるとばかり思っていたのだ。
「……文君、知ってたの?」
目を見開き、声を絞り出して問い掛けると文はコクリと頷いた。
「桜さん、わかりやすいからね」
「確かに分かりやすいわ。……でも、どうして? 文君はなにも、鈍感野郎じゃなかったの……!?」
「え、何その罵倒」
思わず真顔になった。だが、すぐに持ち直して口を開く。
「簡単だよ。面倒だから鈍感なフリをしていたの。それに、桜さんは自分の心にも鈍感だったし」
「――――あんた、本当に男なの?」
「いや、男だけど? ってなんでそんなに怒っているのさ。梓さんも同じで鈍感でしょ?」
「……私のどこが鈍感なのよ?」
疑問符を浮かべる梓に、それがだよ、と微笑みながら返し、小首を傾げた。が、すぐに頭を振って、文を軽く睨んだ。
「私のことはいいわ。そもそも、桜と文君がくっつけば私にかかる負担が減るのよ? だからやきもきしていたのに……気づかないフリをしていたなんて……」
「桜さんが荷物みたいだね……。でも、まあ僕が気づかないフリをしていた理由はそれだけじゃないんだよ」
その瞳に暗いものを感じ、息を呑む。月明かりに照らされた彼の瞳が絶望と拒絶、その二つが見え隠れしていたから。
「これ以上は、ただのクラスメイトである梓さんが踏み込むべき領域じゃない」
きっちりと線引きをし、赤の他人は拒絶する。
「もしこの場に桜がいても、そう言って拒絶するの?」
「そうだね。桜さんも、リリルもファミナちゃんも、夕花里さんも、ね。僕側に入るための行動と選択をしていない。だから、僕の全てを知ることはないよ」
「もしそういうのなしで文君が自分自身のことを全てを教えても、それでもなお桜は今の文に恋してるって言い切るわよ」
「それは仮定の話で、何の根拠もない。だから、僕は実際に行動が起こされていないと、確信が持てないとなにも話せない。結局行動してもらわないとなにもできないんだ。それが答えだよ」
言外に拒絶し、桜が悪いと言っている。
恋に対して行動をほとんど起こさなかった桜は線引された中には入れないと。しかし、
(行動さえ起こせば良いってことよね……)
文の言葉は遠回しにそう言っていた。つまり、まだチャンスはあると見ても良いだろう。
それでも桜の恋は前途多難だと、半笑いを浮かべざるをえなかったが。
その時、遠くにゴトゴトという音と梓の耳に入リ、音源を探るために周りを見渡した。
「やっと来た」
文の耳にも入っていたのか、誰に言うまでもなくひとりごちって後ろを振り返った。
段々と音が大きくになるにつれて、遠くからかなりの速さを出しながら文達に向かってきていた。
「梓さんにもう一つ、きつねの皮を剥がしてあげるよ」
「…………えっと」
毛皮かしら、と一瞬思ったが、化けの皮だろうと意味をきちんと取り直し、沈黙したまま影を見つめる。
どんどん近づいてくるに連れてゴトゴトという音はガタガタに代わり、はっきりと視認できるようになると、その姿に梓は目を剥いた。
荷台を引いているのは、全長二メートルを越えており、特徴的なオレンジのくちばしにうるうるっとした目、そして飛べないであろうちっちゃい羽に逞しい二本の足。
立派な体格。羽毛からも見て取れる、隆々とし引き締まった筋肉。とても可愛らしく、そしてかっこよさが漂っている。
それも、 頭に大きなうさ耳がなければ、だ。
「可愛いわね……うさ耳がなければ」
「そうだね……うさ耳がなければ」
両者同意見である。
うさ耳がなければ可愛らしく精悍な動物としてみてもらえただろう。なぜ遺伝子はそこでうさ耳を付け加えたのか、その成長になにか意味はあったのかとこの動物の今までの成長を俯瞰したい思いに駆られる。
文と梓がどこか冷めた目つきでこの動物を眺めていると、ひょっこりと荷台から顔を出した人物がいた。
「お二方、そのような反応ではこの子が可哀想ですよ」
「ミニスタシアさん!?」
後ろからヒョコっと出てきた人物に梓は驚いた。なぜここに? という疑問に尽きず質問しようとしたが、衝撃から上手く立ち直れず声が出ない。
その間に当然とばかりにふるまう文と無表情のミニスタシアの会話が始まった。
「お疲れ様、メイド長さん。ちゃんと準備もできたんだね」
「勿論です。このようなこと、朝飯前、と言えばよろしいのでしょうか」
「まあ、言葉はあってると思うけど……さすがだね」
「メイドですから」
「……まあ、それもそうだと思うけど……」
頬をポリポリと掻き、にこりと笑った。
「メイド長さんって、魔族でしょ?」
「えっ、な……!?」
その一言はさらりとしていて、しかしとてつもなく重大なことで。
その放たれた言葉は梓を硬直させるのには充分だった。
文の視界に固まってしまった梓など視界になく、ただミニスタシアだけを見据えていた。
「城の中を自由に行き来していた僕だからわかることだけどさ、メイドって確かに訓練受けてるよ? でも、メイド長さん並にハイスペックなメイドはいなかった。時期メイド長候補と呼ばれていた人でもね」
肩を竦めて大袈裟にため息を吐く。しかし、依然視線はミニスタシアを捉えている。心なしかその表情はいつもより無表情が三割増しだ。
「そ、そんなことないわよねミニスタシアさん……ま、魔族だなんて……」
梓の縋るような視線を無視し、ミニスタシアは文を真っ黒な瞳で見つめ、口端に切れ目を入れた。
「――――いつから気づいていたのですか?」
その言葉の意味は、肯定。
「そうだね、召喚されてから二週間から一ヶ月の間、かな。うすうすとだけど」
「そう、ですか」
なるべく平坦な口調で呟いたが、ミニスタシアとしてもまさか気づかれるとは思わなかったのだろう。目を見開き驚きを表した。
が、それもほんの一瞬。
次いで、妖艶な笑みを浮かべて文と梓をぞくりと肌を粟立てた。
「それをこの場で暴いて、どうするつもりなのでしょう?」
クスクスと笑い声を上げて文に問い掛ける。今まで見せたことのない顔に梓は心の中で恐怖を感じたが、文は「別にどうしようとも思っていないよ」と頭を振った。
「でも、桜さんの身の安全……あのグレンとかいう愚王が発情して襲いかからないようにというのが主になるけど。それと梓さんへなんらかの危害が加わらないようにしてもらえれば嬉しいな、とは思うけどさ。まああとはリリルとファミナちゃんもね」
「先ほど振った女を守れ、ですか」
「なんで知ってるのさ? まだメイド長さんがいない時に話していたことなのに」
「マヴィラスには特有の魔法がありますので。それは、フミ様個人でご確認ください」
それで、とミニスタシアは続ける。
「女を守れということでしたが、良いでしょう。甲斐性なしのフミ様に代わり私がサクラ様をお守りします」
「ねえ、なんか正体がバレてからどことなく態度がトゲトゲしいのは気のせいかな?」
「勿論、アズサ様も城内に潜む怪しい人々からお守りいたします」
暗に告げたのは、城内はきな臭くなっていること。梓はそう読み取って気を引き締める。そうせずにほんわかと過ごしていたらあっさりと殺されるだろうから。
「アズサ様も身をきちんとお守りしていただけると嬉しいです、が」
急に二人の目の前からミニスタシアが消える。
「――今宵から約一月分、お眠りくださいませ」
「っ!?」
耳元で囁かれた言葉。それに反応して後ろを振り向こうとした瞬間、トンっと首筋に手刀をくらい、意識を失った。
それをミニスタシアが倒れないように抱え、ゆっくりと地面に寝かせる。
「さすがメイドさんだね。もはや隠す気がなかったもん」
パチパチと称賛の拍手を送る。彼女はゆっくりと振り返ると、気付かれないようにため息を吐いた。
「フミ様がアズサ様をここまで連れてきたのが失敗なんですよ」
「梓さんは勝手についてきたんだけどね」
「それもフミ様の計画に織り込み済みだったのでしょう?」
ジト目で睨まれ、文はポリポリと頭を掻き「まあね……」と頷いた。
「計画というか、予想範囲内というべきだけど」
「どちらにせよ同じですね」
ミニスタシアがため息を吐くが、文は本当に予想範囲内としかいえなかった。
誰も追跡できずにあの場で眠りこけて自身は安全に脱出できるか、誰かが追跡してくるか。最後はこの二者択一まで絞れていたからこそである。
文はふぅっと息を吐くと、思考を切り替えてミニスタシアが乗ってきた動物を見る。
「この残念な鳥は?」
「この残念な鳥はシュロワランの亜種で、レアで食べると美味しいです」
「ウササッ!?」
「へぇ、美味しそうだね」
「ウサササ!?」
ウサウサともう色々と台無しな鳴き声を出して震え上がった。
(残念鳥ならぬ残念ウサギ、かな)
そう思うと心にストンと落ちるものがある。
「冗談は置いときまして、この子の名前を決めてあげてください」
「『筋肉』で」
「ウサウサウサウサウサウサウサウサウサウサッ!」
ものすごい勢いで首を横に振った。相当嫌だったらしい。
「……一応女の子です」
「うぅん……そう言われてもねぇ……。というかこれくれる、ということだよね? でも、これ出所は?」
「先ほどシュロワランの牧場で一番良いのを選び、対話によって自主的に脱走させました」
「……つまり、盗んだってことだよね?」
「まあそうですね。ですが、その盗んだ犯人はフミ様にこのシュロワランを移譲することで罪も文様のもの、となります」
「……僕はどこまで犯罪歴が伸びるんだろう?」
「国を出れば何も問題もありません」
「そう言われると身も蓋もないね‥…」
今度こそ心労を減らすためにため息を吐くと、真剣にシュロワランのための名前を考え始めたとき、ピンと名前にふさわしいものが頭に浮上し、自然と口に出していた。
「コンプリス」
そう発音したが、すぐに思案顔になる。
「コンプリス……こんぷりす……少し長いから愛称はコリス、にしようかな」
どうかなと確認の視線をシュロワランに送ると、嬉しそうにウサウサと首を縦に振った。
「コリス、では無くコンプリスはどういった意味合いを持っているのでしょう?」
ミニスタシアが文に訊ねると、意地悪く笑い、口だけを大きく動かした。
――――――――共犯者。
ミニスタシアが読み取り終えると、クスクスと笑い声を上げる。
「では、私もですね」
「いや、メイド長さんは黒幕が一番ぴったしだと思うんだよね」
「……まあ、そうかもしれませんね」
曖昧に肯定すると、コリスを見る。その視線に気づいたコリスは「ウサッ?」と鳴き声を上げて首を捻った。
「コリスの運命はまあ、そういうことだよ」
「同情します」
トゲがない、純粋な哀れみの言葉がコリスに向けられる。
ただ、文に従事するだけ。なのにこう呼ばれるのはコリスにとっても不本意だろう。だが、“コンプリス”の意味を理解していないコリスにこれからよろしくとばかりに文は喉元を撫でる。
「じゃあそろそろ行くよ。あとは、きちんと一月分しっかりと勇者たちと兵士長、それに騎士団長を眠らせて情報操作。それにさっき言ったことをしてくれれば、彼らが起きた後に何を言ってもいいからさ」
「承りました。ではまた、王が死ぬ時に」
恭しく頭を下げたミニスタシアをポカンとし、次いで小さく笑った。
「そういうことなんだ、メイド長さんがヘデンシカ城でメイドをやっている理由は」
「おっと、私としたことが」
わざとらしく口を抑えると、申し訳無さそうな表情を作る。
「すみません、フミ様。別に他言無用とは言いませんが、できれば私が魔族だということを黙っていただけませんか?」
「あはは、いいよ別に。それぐらいなら」
先ほど文が行ったことと同じことをされ、思わず笑ってしまう。
曰く、『私のことを言いふらさなければ、きちんと仕事はしてやる』と。
文は荷台に乗リ込み、軽く確認する。大体必要な物は全て揃っており、さすがメイド長さんだと舌を巻く。
ひょっこりと顔だけ出すと、メイド長さんに軽く手を振った。
「まあ、またねメイド長さん」
「はい。フミ様、また会う時まで死なないように」
「そうだね、不測の事態に気をつけないと……うん。じゃあコリス、行って」
声をかけるとゆっくりと走り始めた。
走り始めると同時に文は中に潜ってタオルケットを身体に掛けて寝転がる。
ミニスタシアにお願いすることは全部言った。
そしてミニスタシアも全て聞いた上で了承し、すでに行動にも移してくれている。
なら、と。文が気にするべき点は何もない。
だから文は次に向かうべき国のことをだけを考えれば良い。
「……そういえば、コリスに次どこに行くか言ってなかったけど……」
少しだけ顔を横に出すとゆっくりとカーブを描きながら方向を修正していた。この指示もやはり、ミニスタシアのものによるのだろう。
もう一度寝転がり、目を瞑る。
行程は約二週間。馬車ならこれぐらいかかるだろうという計算から弾き出した計算だ。
ゴトゴトという音が段々気持ちの良い子守唄のように眠りへ誘われる。
そんな彼も、これからこの世界でどのような出会いがあり、運命が待ち受けるのか。期待し、少し頬を緩める。
そして最後には、次の目的地――――ユナイダート王国に思いを馳せて、眠りについた。
お読みいただきありがとうございます。
―― 一章 完 ――
―― 次話、ユナイダート王国編 ――
おさらい:文くんはユナイダート王国へ行くことにしました。
裏おさらい:桜さんが空気読んでシリアスに水をささなかった!




