第四十七話 きつね 2
王都の真ん中に位置する噴水。真ん中に初代国王の勇敢な姿をした石像が立っており、日が出ている時間帯にはその石像の周りから水が忙しなく噴き出し、王都の象徴の一つとして役目を果たす。やがて日が沈み、その働きを止めると、辺りは幻想的な風景へとうって変わる。
するとそこは夜のデートスポットとなるのだ。朝夕は待ち合わせ場所、夜はデートスポットと二面の顔を持ち合わせているというわけである。
が、しかし今日はその効力を発揮することはできず、ただただ寂しい姿しか映さなかった。
ポツポツと家の中から光が漏れでているが、他には街灯が淡く照らしているだけであり、国民が《這禁令》をきっちり守っているため人は誰もいない。
静寂に包まれた噴水。
そのせいか、ガコンッという音がやけに響いた。ちょうど噴水の真ん中、石像の足元から黒い人影が現れる。しかし、その人影はすぐに建物に飛び移って姿を消した。
それから暫く、二つ目の人影が現れた。
その者はゆったりと降り立つと、きょろきょろと見渡す素振りを見せたかと思うと、暗闇に紛れてゆっくりと、西の方角へと歩き始めた。
ゆらり、ゆらりと左右に揺れながら歩く。
西門まで五キロもある道のりを、幽者のように。
徐々に強まっていく闇は、一度二つに別れたかのように見えたが、それも一瞬、すぐに元に戻る。
大体三分の一ほど歩いた時、噴水の方からガチャガチャという音が徐々に近づいてきた。
「そこの者、とまれ!」
兵士長フックだ。物音が聞こえて急ぎ駆けつけたのだろう。その格好は鉄の鎧と剣と、城に常駐する兵士の基本装備を身に纏っており、物凄い剣幕で前の人物を睨んでいた。
しかしその者は止まる素振りをみせない。
「止まれ!!」
一喝し、回りこむことで通らせないという意志を現す。それでようやくその人影は数歩足を進めてやっと止まり方を思い出したかのように止まったわけだが。
腰に携えてある剣の柄に手をおきながら、ジッと見定めるようにフックはその者から目を離さない。
「お前、ボウズ……いや、フミ・アンジョウか?」
「…………」
「沈黙は是と受け取るが?」
「…………」
『フミ』は答えない。ただその場でゆらゆらと揺れるのみ。その行為を肯定として受け取ることにした。
「フミよ、悪い。お前は、悪くねぇ、悪いのは俺たちだ。まだ何もやっていないお前を断罪しなくてはいかん」
「…………」
黙ってフックの懺悔を聞き入る。それをどう思ったのか分からないが、フックは沈痛な表情を浮かべながら言葉を続けた。
「俺が……俺らが今から罪を犯すということはわかっている。例え王の命令であり、罪が帳消しになろうとな。だが……それでも! それでも王の命令には逆らえんのだ!!」
ジャリィィィンッ! と鈍い音を引き立てながら腰から剣を引き抜ぬかれ、その勢いに乗ったまま剣先をフミに向けて、叫ぶ。
「我が名はフック! この剣と誇りをかけて、断罪の刃を振るわん!!」
「…………」
「許せ……!」
「いいよ」
「はっ……?」
一気に詰め寄ろうと足を一歩踏み出した瞬間、突然の返事。いや、フックはそのことに驚いたのではない。
横からその返事が聞こえてきたのだ。
そこまで理解した直後、頭に殴打されたような衝撃が走った。
「がっ……!」
あまりの衝撃にその場で倒れこむ。
薄れていく意識の中で、必死に上をみて、目を見張った。そこには、『フミ』がいたのだ。さきほどまであれほどゆっくり歩いていた、フミが。
そこまで認識したとき、フックは意識を失った。
「…………」
暫くの間、その場に佇んでいたフミはまたふらり、ふらりと歩き始めた。
その時、軽くフックを踏みつけたが、起きる気配はなく、またフミも気にする様子もなく、西門へ向かう。
「なに、あれ……」
西門を見張っていた梓は後ろからひしひしと伝わってきた異様な雰囲気を感じ、後ろを振り返った。
そこで目にしたものは、明らかな異常。
フードを目深くかぶり、マントで体全体を覆うように羽織っている『なにか』がこちらの方へふらり、ふらりと左右に揺れながら近づいてきていた。
「得体が知れないわね……。もう少し近づいてから確認すべきかしら……?」
距離にして約五〇〇メートル。まだ視認するのがやっとな距離だ。
ゴクリと唾を飲む。
四五〇………三〇〇………。
自然と右手には杖が握られる。左手はポケットに突っ込んでおり、昨日貰った魔石でいつでも全員に知らせれるようにしていた。
本当ならば今すぐに使うべきだろう。しかし、と梓が使うことを躊躇うのには理由がある。
魔石を渡された時、『盗賊王が現れたら』と言われていた。つまり、よくわからない何かに使うべきではないと思っているのだ。
だが梓の中で新たな仮説が生まれる。
もし、あの『なにか』が盗賊王で、すでに事を終えた、もしくは失敗した後だったら? その可能性は充分にある。
……結局、一度確かめる必要があるだろう。
梓が思考を巡らせている間にも『なにか』はどんどん近づいてきており、ついには五十メートルという距離まで接近していた。
額には汗が滲み、ツゥッと頬から顎へ、そして地面に落ちる。
一歩一歩着実に近づいてくる『なにか』は、恐怖を引き立てるのに充分だろう。
その恐怖を必死に押しのけながら、ついに口を開いた。
「止まりなさい!」
勧告。
その『なにか』は数歩歩いた後立ち止まる。が、すぐに歩き始めた。以前掴み所はなく、それに加えて徐々に近づかれていることが余計に梓に焦りを生む。
(どうする……この花火を使った方が、いえ、でも……!)
キッと『なにか』を睨む。
その佇まいはまるで梓を嘲笑っているかのようで、先ほどよりゆっくりと、しかし着実にまた歩を進め始めた。
(うっ……ここは身の安全の方が大切。騎士団長と兵士長に助けを求めるのが得策ね!)
左手に魔力を集中させ魔石送り込む。そしてそのまま放り投げると、そのまま上空へと空高く飛び上がった。
パァァァァンッ!
特大花火サイズの大きさに広がり、救援要請をだす。そのことに驚いたのか『なにか』は数歩歩いた後に立ち止まった。
(騎士団長が来るまで五分とみて……――)
「大丈夫ですか、アズサ殿!」
上空から聞こえてきた声に思わず空を見上げると、空からでかいなにかが降ってきた。
着地と同時に砂埃をあげ、梓にも、そして『なにか』にも振りかかる。
砂埃が収まる頃合いを待ってゆっくりと目を開くと、そこには青銅の鎧で身を固めた騎士団長イェントールが前方を猛禽類のように鋭く睨みながら立っていた。すでに剣を抜き放って正面に構える姿は、どこにも隙が見当たらない。
突然の登場に困惑しながらも、なんとか無事だと伝えると、イェントールの頬が少し緩ませる。がすぐに意識を目の前の『なにか』に戻した。
「騎士団長、一つ聞いても良いですか?」
「なんでしょう?」
梓も杖を持ち直しながら騎士団長に問い掛ける。
「あれが……盗賊王フェンガーなのでしょうか?」
「……ええ。そうです」
イェントールが少し言い淀む。そこを見逃すほど梓も馬鹿ではない。そのことについて指摘しようとした瞬間、得体のしれない何かを感じ、開きかけた口を固く結び、生唾を飲み込む。
(今のは……なに?)
触れるべからず。そう書かれた扉に手をかけそうになったような、そんな感覚。
「……アズサ殿は、少しばかりお下がりください」
「でも……」
「お下がりください」
有無を言わせぬ物言いに、ここ数日で何度目かの違和感を感じながらも、ゆっくりと後退し始めた。
これ以上強情な態度を取られていた場合、強行手段に打って出なくては行けなかったイェントールとしては、心の中で梓に感謝しつつ、ジリジリと距離を縮めてくる『なにか』に自身もゆっくりと距離を縮め始めた。
『なにか』とイェントールが徐々に距離を縮まるにつれて、イェントールの額や背中に汗が流れる。しかし、『なにか』はただユラリ、ユラリと揺れて歩み寄るだけ。その行為に知らずと恐れを感じているのだろうか。
――否。
「……暑い?」
イェントールは微かに感じた違和感を口に出す。その呟きは、風に乗って梓の耳に入った。その呟きに少し警戒しながらもイェントールに少しずつ近づいていくと、確かに接近するにつれて徐々に気温が上昇していった。
「暑い……いや、気のせいだろうな。それより、あいつはなんで一言も発しないんだ……?」
イェントールの疑問は熱気から『なにか』への不信感へと移る。しかし、それも互いの距離が残り十メートルとなったときにその思考を放棄した。
『なにか』が立ち止まると同時に、イェントールも剣をしっかりと構え直して立ち止まる。しばし睨み合いが続く中、梓はイェントールが上げた二つの疑問について考えていた。
(確かに、気温がおかしいわ……。この国は温暖な気候で、多少の気温差は確かにある。でも、今は大体二十度から二十五度程の気温しか無いし、そもそも今は夜。明らかにこの気温は異常……!)
真夏にも劣らない気温。その異常性に気づき、イェントールに警告しようとした瞬間、イェントールが剣を空に掲げ、声高々に宣言した。
「我が名はイェントール。我が誇りと王に捧げし剣に誓い、お前を討たん!!」
「…………」
なおもゆらり、ゆらりと左右に揺れながら何も言葉を発しない『なにか』。心の底から畏怖が沸き上がってくるが、前方へと集中することで抑えこみ、イェンが剣筋を縦にして前へ体重をかけていく。
だが、あまりにもつかみどころがないため、どのタイミングで踏み込もうか攻めあぐねていた。
梓はというと、とある一点を凝視していた。この緊張感漂う戦いに目を奪われている、というわけではない。
梓が見つめている場所。それは、『なにか』の隣である。
(夏しかできないもの……お祭り、海水浴……。いえ、そう言ったものではないわね。そう、もっというなら、暑い時にできるもの……まさか……!)
「せぇぇぇいっ!」
梓がとある確信を持った答えに辿り着いた瞬間。イェントールが『なにか』に向かって低く跳躍して一気に肉薄し、すれ違いざまに胸を深く斬り裂いた。
血が噴水のように噴き出て、そのまま『なにか』は前のめりに倒れこむ。
イェントールは、死体へと変わった『なにか』に背を向けたまま、剣に付着した血を振り払った。
「悪いな、フミ・アンジョウ。恨むなとは言わん。……本当に、すまない……!!」
途中までは騎士としての役目として。
最後は人としての情を捨てきれずに。
空を仰ぎ、懺悔した。
己の心の弱さを噛みしめるかのように。
自分の罪を他者押し付けず、自分の物にするかのように。
自らの行いが本当に正しいのか、満点の星空に答えを求めるかのように。
空を仰ぎ、懺悔する。
重苦しい兜脱ぎ去り、放る。カランカランと少し軽い音を周りに響かせながら梓の足元まで転がり、止まる。
その時、イェントールは鼻につく血の匂いに、違和感を覚えた。
それは、戦場に立った事がある故の違和感。
「この匂い……人族からでるものではない……まさか魔物の血か!?」
「正解」
突然囁かれた声。その声に驚愕し、慌てて飛び退ろうとしたが、一瞬早く頭にきた鈍い衝撃でそのまま倒れこんだ。それは、先ほどフックがやられた同じ手法。しかし、先ほどと違う点は、イェントールは倒れ伏したが意識をしっかりと持っていること。そして梓の存在だ。
「そこね! 【フローズン】!」
魔杖からやや斜め上空に放たれたのは、魔力次第では極寒の吹雪が吹き荒れる氷系魔法。
今回は力を制御し、周りをひんやりと冷やしていく。まるで、熱気を冷ましていくかのように……――――
「さすが梓さん。お見事だよ」
声とともにイェントールの背後に足元から徐々に足が見えてきた。そして、全貌が明らかになった時、梓は目を見開く。
――前方で転がっている『なにか』と瓜二つだったからだ。
しかし、その人物はとても動きが滑らかで、さらに、先ほどの『声』は、ここ一ヶ月、もしくは二年以上ずっと聞いてきた。
そこまで認識した時、とある考えに行き着いてふらりと身体が揺れる。信じられないと、我が耳を疑い、縋るように黒衣の人物を見る。
「ま、さか。うそ、よね……!」
黒衣の中は違う人であって欲しい。できれば自分の予想は外れて欲しい。そう願うが、それを嘲笑うかのように黒衣の人物はあっさりとフードを取り払った。
「文君……!?」
「やあ梓さん。こんばんわ、だね」
その正体に驚愕し、震える口を必死に動かしながらその名を呼ぶと、文はにこりと微笑んだ。
お読みいただきありがとうございます。
おさらい:ステルス型文くん。




