第二十九話 自称妹と後輩 2
一度詩織の家まで行き、泊まりの許可と宿泊道具を持って文の家までやってきた。その時、詩織の母には澪の家に泊まると嘘を吐いている。もし、文の家に泊まりに行くと言ったら止められていただろう。体裁的に。
もう何度か文の家には来たことがあったのだが、改めて家を見上げる。
一軒家で広い庭付き。動物なしだ。動物がいないなら言わなくても良いのに。
澪がカチャカチャと音をたてて鍵を開ける。
「たっだいまー!」
「……お邪魔します」
挨拶をそこそこに靴を脱いで上がり込む。
家の中は少し日が落ちかけていたという事もあって部屋が暗い。ぱちりと電気を点けると、物があまりないことが見受けられる。
いつもどおりと言わんばかりに階段を登って向かった先は空き室。といっても一通りお客様用ということで家具などは一式揃っている。こういうところに家主の性格が出るんですね、と詩織は初めて家を訪れた際に関心したのを昨日のように覚えている。
「じゃあここの部屋を使うことにして、着替えとか置いちゃってよ」
「ここでいいですか?」
端のほうに荷物を置く前に聞くとグーサインが出たのでそこに荷物を置く。
「じゃあ早速スーパー行って買い物だぁ!!」
「……それなら先ほどここに来る過程で、スーパーに寄って買えばよかったじゃないですか……」
「それはそれ、これはそれだよ!」
少し言葉が変だが、言いたいことはわかるのでそのことにあえて突っ込まなかった。
そもそも、澪のボケに全部突っ込もうとすると小一時間ほど動きがとれなくなるため、ある程度スルーをしなくてはやっていけない。
詩織はため息を吐くと、財布と買い物袋を持って二人揃って買い物に出かけた。
彼女たちが向かった先は、家から十分ほどのところにある、駅近くのスーパー。文や澪がよく利用する場所である。
ここには澪の母親もパートとして働いており、ついでに泊まる許可をもらう算段だ。だが、許可をもらうと言ってもすでに根をおろしており、完全に事後承諾ではあるが。
店の籠を持って一緒に会話に華を咲かせながら次々に今日作る料理、カレーの材料を入れていく。
「んー、人参、カレー粉、ジャガイモ、玉ねぎ、コンポタ、あとは……チョコ!」
「チョコはやめてください。子供じゃないんですから」
「ええー。お兄ちゃんはいつも「しょうがないなぁ。一枚だけだよ?」って言ってくれるのにー」
「……それ、文先輩に聞いたことあります。そのときチョコを二枚重ねられて、「これで一枚だよ! どう? どう?」って言ったらしいじゃないですか」
「うーん……あの時はうまくいったと思ったんだけどなぁ……」
「言わなければ成功したと思います」
「そっか! 次から気をつけてみる」
さりげなく「次」といったことに詩織は軽く驚いた。文が戻ってくることを信じ切っているのだ。
それに対して私は……、と軽く落ち込んだ。感情が軽々しい。
そのことに澪は気づかずに次に買うべきものを物色している。
「んーと、歯ブラシはあるからー、あとはポテチとー、うまか棒はちょっと遠出しないと……」
ちょっとどころかかなり遠出しないとダメだものをさらりと口に出したことに、詩織はうっすら冷や汗を額に滲ませた。
「んー、リンゴを隠し味? いいかも! あとは唐辛子とババネロかな」
「……ちょっとまってください」
「どしたのしおりん?」
「辛いものを更に辛くしてどうするんですか………」
「もちろん食べるんだよ?」
澪は辛口派だった。ちなみに詩織は甘口派である。
ここに派閥争いが勃発した!
「いいですか、澪さん。カレーには、砂糖を入れるのです」
ちょっと詩織の味覚もおかしかった。
「待ってよ、しおりん。砂糖っておかしいよ! 変な味になっちゃうよそれだと!」
ごもっともである。
「だからって辛いものをさらに辛くするというのは異常です」
「カレーは辛いものだからね! ……カレーはかれぇもんだ」
何故か言い直してどや顔をした澪は、無い胸を張る。
「砂糖は入れないにしろ、やはり辛くする必要はありません」
「ええ……」
ぶーたれる澪。その仕草はまさに駄々っ子の子供だった。
「……じゃあ、中辛でよろし?」
「……はぁ。しょうがないですね」
最大限の妥協案に詩織は渋々と言った様子で納得した。
これ以上いくと品目が変わるかなくなっていたりしただろう。
それからさらに必要な物をバシッ、ドンッ、グシャッ! と籠に入れていくと、あらかた買うものが揃ったようだ。
「レジに並びましょうか」
「そうだね」
澪がキョロキョロすると「こっちー」と詩織を誘導して一つのレジまで連れて行く。
「お母さん」
そう声をかけると、少し若めの女性が少し目を見開いた。
「ん? 澪? どうしたの? 万引き?」
「私がいつも万引きしているみたいじゃん!」
「まぁ、万引きよりタチが悪いことはしてるわね」
「……んん?」
「本人には自覚がないっていうのはさらに悪どいわね」
はぁっと溜息を吐くと今度は詩織に体の向きを変えた。
「こんにちは、詩織ちゃん」
「こんにちはです、澪さんのお母さん。とりあえずレジしながらでいいので澪さんの話を」
後ろがつっかえ始めている。といっても他にもレジはあるのでそちらに移動する人が大半だ。日本人の効率厨の特性がものの見事に現れている。
「澪が何かやったの……? まあ私は信じていたわ。この子はいつかやらかすって」
「なんで仮にも自分の子供を信じないのかなぁ!?」
詩織は思わず半笑いである。が、それでも二人が冗談でこの掛け合いをしていることは、終始笑顔だったためすぐに分かった。
ただ、このままだと話が進まないことも同時にわかった手前、話を戻してもらう。
「それで?」
ピッ、ピッ、とバーコードにリーダーを読み込ませながら問いかけると、澪はにっこり笑って答えた。
「今日、お兄ちゃんのところに泊まってくるね! 今日はなんと、しおりんと!」
「それで、今日はカレーなのね。まあいいわよ」
「えっと、止めないんですか?」
「詩織ちゃん。もし止めるならレジをしてないわよ」
確かに……と納得してしまう。
「だいたい、止める要素もないし、澪の暴走を止められるのは文くん以外いないわよ」
確かに…………と深く納得した。
「まったくもう……ストッパーの文くんは一体どこに行っちゃったのかしら」
ピッ、ピッ、と音を鳴らしながらポツリと漏らす。その言葉は自分の子供を心配するような声だった。
「っと、こんな湿っぽいはなしはナシナシ! 澪、詩織ちゃん。もし文くんを探しに行けるチャンスがあったら、私達のことはいいからきちんとそのチャンスをものにして、文くんと一緒に帰ってくるのよ! 詩織ちゃんのお母さんにも話しておくから」
「……うん」
「……はい」
二人は声が小さくなりつつもしっかりと返事をした。
それに満足気に大きく頷いた澪の母親は会計を済ませる。
レジを終わらせ、袋に買ったものを詰めていきながら、澪はうーんと頭を抱え込む。
「うーんと……お兄ちゃんを取り戻しに行くなんて都合のいいこと、起きるのかなぁ」
「そうですね……0、とまでは言いませんが、限りなく0に近い少数の世界ですね」
「そうだよね……」
「ですが、もし、文先輩のクラスメイトさんが言っているようなことが起きたら……」
「起きたら……?」
「それは………………きっと奇跡なんでしょうね」
「……そうだね」
袋に詰め終わり、スーパーを出るとすっかり日は暮れていて、夜の街を作り出していた。
ヒュウッと酷く冷たい風が二人の頬を撫でる。
「もうすぐ冬ですね……」
巻いていたマフラーに顔を軽くうずめる。
「そだねぇ。おでんだねぇ」
なに言ってるんですか、と言おうとしたが、澪の顔を見てその言葉を飲み込んだ。
彼女が……とても寂しそうな表情を、今にも泣き出しそうな顔をしていたからだ。
今ここにいない文を想っているにだろう。
今まであった澪と文の世界。詩織はそれまでの二人を伝文でしか知らない。
文と出会った春にも。
深く知りたいと思った夏も。
突然消えた秋にも。
喪失感に包まれた冬も。
きっと、澪と文の間にはいろんなことがあったのだろう。それこそ、澪にとって記念日だと思えるほどに。
ズキンと、心に痛みが走る。
詩織の恋の花はすでに蕾から花へと咲いている。
だから、わかる。澪自身が気づいているかわからないが、澪もまた文に恋心を抱いているという事を。
詩織にとっての恋は絆とぬくもりだ。それは澪も同じだろうとどこか確信を持っているからこそ、詩織の気持ちが痛いほどわかった。
なぜなら、澪ほどではないが、詩織も文との強い繋がりを感じていたから。その引き裂かれた恋心と絆は、とても痛い。
二人の痛みは二人にしかわからない。でも、澪は詩織の、詩織は澪の痛みを理解できる。だから、詩織はそっと、冷たくなった澪の手を包み込んだ。
「澪さん。早く帰って一緒にカレーを作りましょう。それで、一緒にお風呂に入って、一緒のお部屋で、色々お話ししましょう」
真剣に、澪の両手を温めながら、そう言った。その発言に澪は目を丸くさせて「そうだね」と軽く呟く。
そして、ニコっと笑った。
「よぉーし! しおりんをす隅から隅まで洗い尽くしちゃうぞー!」
「それはやめてください」
「ええー……」
言葉は不満そうだが顔は笑顔だった。
それに安堵し、文の家に帰宅する為に詩織が前をみて笑みを浮かべた。
瞬間、二人の姿が忽然と消えた。
二時間後、その様子を見ていた通行人と澪の母親は警察に事情聴取を受けたが、何が何だか分からないというばかりだった。
ただ一つだけ一致していたのは、彼女らの足元に複雑な紋様が浮かび上がっていたということだけであった…………――――。
さらに一時間後、その日は帰らされた澪の母が、ここにいるのではないかと文の家にやってきたのだが、澪と詩織どころか、着替えや二人の持ち込んだ荷物すらなかったという。
澪の母親に、哀しい表情は浮かんでいない。
むしろ、どこか嬉しそうな顔で呟いた。
「いってらっしゃい、恋する乙女たち」
お読みいただきありがとうございます。
おさらい:砂糖VS唐辛子




