第三話 勉強会
午前はつつがなく過ぎ去り、昼休みが終わった五時間目。
テスト前だというのと先生が出張でこの時間は完全に自習になった。仏ならぐーたら言いながら監督するふりをして何かしら自分の趣味に励む先生がくるはずだけど、今日は誰も来ない。だから皆思い思いの時間を過ごしていた。
僕はイケメン君こと翔が言ったとおり、誰かに話しかけられない限りあまり会話をしない。というより、人と親しく接する相手はある程度趣味が同じ人なだけで、それ以外の人とはあまり関わりを持っていない、というのが正しいのかも。まあでも、少なくともこういう時間は本を読みたいわけだよ。
なのに――――
「どうして、こうなったんだろ……?」
こめかみを抑えながら呟く。
目の前では机が五つくっつけられて勉強会のようなものが開かれようとしていた。
しかも、僕の席はいわゆるお誕生日席と言われるところだし……。
ざっと見渡すと、奥から翔と銀河が向かいあって、翔の隣には梓さん、銀河の隣には桜さんが座っている。
「もう、文くんったら! いつものことじゃん!」
「……いや待って。今日これが初めてなんだからこんなに頭抱えているんだけど」
「初めてでも二回目でもいいじゃないか。テストだって近いんだしさ。とりあえず俺と文で銀河と桜の勉強をみるぞ」
翔がチラッと梓さんの方を見ると、梓さんは軽く頷いて口を開く。
「私はそうね、適当に勉強しているわ」
「わかった。じゃあ早速始めよう」
翔がそう言うと、皆自分の世界に入り込んだ。
潔く勉強しよう。そう決めて一つため息を零してから教科書を適当に開いた。……開いたところでテスト範囲は全部理解しているから意味はないのかもしれないけど。
確かに僕は勉強ができるかどうかと訊かれれば、できる。
でも勉強ができるのと教えるのはまた別の話だし、さらに突き詰めれば勉強は一人でやることで伸びしろが出るとも思っているから、こうする必要があるのかって疑問に思ってしまう。
またため息を吐いて適当にシャーペンを走らせようとすると、「う~ん……」という唸り声が聞こえてきた。
「文くん、わかんない」
桜さんが手をビシッと天高く挙げて堂々と言ってきた。桜さん、さすがに早いよ? というか、さ。
「桜さんって確か毎回学年十位にいなかったっけ?」
「うぅ……いつもは梓ちゃんに一から十まで聞いてるから」
「あぁ、なるほどね……。お疲れ様です、梓さん」
梓さんをみてそう告げると疲れたような顔をした。
「うん……そろそろいつの間にか呼び方が変わってる〝文くん〟に押し付けたいわ」
「こんな手のかかる人はいらないね。保育園に持っていくよ」
「保育園!?」
素直に思ったことを言うと、桜さんはムンクの叫びのような顔をして叫んだ。
こんなリアクションとれる保育園児は少ないんじゃないかな。きっと上手くやっていけるよ。
「とりあえず、保育園行こうか」
「やだよっ!?」
「ゴミはゴミ箱へ、幼児は保育園へっていう言葉、知らないのかな?」
「初めて聞いたよっ!?」
『保育園はいやぁ、保育園はいやぁ』と物凄い勢いで首を横に振っている。
その様子を微笑ましいものを見るような視線が二つ。憎々しげに見るような視線が一つ。僕を視線だけで射殺そうとするのが他の男子クラスメイト全員……。
なにこのクラスの男子。超怖いんだけど。
そう思っていると、男子勢の会話が耳に入ってきた。
「あいつ、俺らのアイドルであり聖女である東雲さんを弄んでるぞ……?」「おい……暗城の野郎……あとで祭りだな」「ブラッドフェスティバル……」「……ここに、火薬がある……爆発……」『それだ!!』
…………今日はこのあと逃げ一択、かな。てか、なんで火薬持ってきてるのさ?
はぁ、とため息を吐くと、今度は別のところから女子の会話も聞こえてきた。
「暗城くん……そっちだったのかしら?」「そっちって……幼児プレイってこと?」「ええー! そ、そうなの……かな……?」「暗城、君……」「……特殊なプレイがお好み?」「きっとそうね。桜ちゃんにそういうプレイを強要させようとしているに違いないわ!」
ぜんぜんその気はないから! 僕に特殊な性癖はない!
……後で梓さんにそっちの処理は頼んでおこう……。爆弾解体処理とか諸々も……。
今の僕にできること。
桜さんの方を向いて、聞こえてきた会話を忘れることだ。
「……じゃあ教えるから、理解しようとしてね?」
「っ! うん!!」
◆
桜さんは感情が顔にでやすい。だから、僕から教えられているという状況に何かしら楽しみを覚えているみたいだ。
学校では聖女の微笑みとまで言われている笑顔をまんべんなく浮かべているのだから。
僕はその顔を一瞥してそのことについて考えるのをやめると、問題に目を通して解説をする。
だけど、それもすぐにやめた。
「いい、桜さん? 桜さんは一応頭が良い部類に含まれる。だからきちんと勉強して、きちんと復習すれば普通に百点は取れるはず。わかった?」
「う、うん」
「頷くだけじゃない。実行するんだよ?」
「は、はい!」
「はいじゃない。手を動かすんだ」
「……」
「返事は?」
「はい!」
桜さんも頭は良いはずなんだ。ただ、僕の方をなんとなく見てくるし、一々わかってそうな問題を訊いてくるし、たまに一回教えた箇所をわざとらしくもう一回訊いてくる。
最初は丹念に教えたけど、途中から放棄したくなってきた。
途中からスパルタチックになっていた気がするけど、決して面倒になったからではない、とは思う。
自分の鞄から違う本を取り出して読み始めたらふふっと笑われた。
笑った声の犯人を本から目を上げてジトッとした視線を向けると、やっぱりというか桜さんだった。
「なにさ?」
「入学したばかりの日を思い出して……。ね、ねえ文くん。文くんって私と初めて会った時のこと覚えてる?」
「……確か、桜さんが変な愛想笑いを浮かべながらクラスメイト全員に挨拶し終えたあと後に、僕の方に寄ってきて何故か耳元で自己紹介してきたんだよね?」
「う……その通りです……」
あれは本当に酷かった。本を読んでいたら急に耳元で自己紹介し始めるんだから。
それより変なところで記憶力あるね。
「あの日から僕のことずっと付きまとっているよね?」
「へっ? えぁわぅふにゃふぁ!」
「顔にさ、バレた! と、図星です! って書いてあるよ」
入学式がだいたい一年前。その日からずっと付きまとわれている。クラス替えでも離れることがなかったし。本当にずっとだ。
「……えっと私ね、実はね――」
「さて、勉強に戻ろうか」
「えぅー! 聞いてよー!」
「きっと、皆と仲良くなろうと考えてたんでしょ?」
「えっ? なんでわかったの!?」
桜さんの考えそうなことだ。
「桜さんは単純だからね。じゃ、戻るよ? それとも本当に保育園行く?」
「文くん早く勉強しよ!」
保育園はやだ! と握りこぶしを作りながら気合を入れると、桜さんは勉強に本気で取り組み始めた。
さて、僕は本でもよも――――
「……文君?」
「……勉強、やろうかな」
この中で一番凄みがあるのは銀河とか僕じゃなくて、梓さんかも。
お読みいただきありがとうございます。