第二十八話 自称妹と後輩 1
場は日本に戻る。
住宅街ともビル街とも少し外れた閑静な位置にある普通の学校。
その学校の正門に、まだ立て付けが新しい綺麗な字が書かれてある。
『詠月高等学校』
文たちが通っている学校――――通っていた学校だ。
文たちが異世界に飛ばされてから一ヶ月半ほど過ぎ去っていた。
突如として消えた一クラスの問題は一段落がついた頃合い。それを物語るかのように、一時期はマスコミが大量に押しかけてきたのだが、現在は静けさを取り戻している。
クラスの半数以上が消えた事件に対し学校側は、世間には集団留学、保護者にはぎりぎり逃れた生徒から聞いたことをそのまま報告した。
だがそんな荒唐無稽なことが信じられるわけもなく、しかしそうではないと筋が通るわけもなく、マスコミも、保護者側もそれを信じることしかできなくなっていた。
しかし一部の保護者は、そんなことを到底信じることが出来ず、実際はもっと何かあったのだと学校側を抗議し、訴える構えを取っていた。
家で「そうか、あいつはもう……」ということを何度もやっているうちに、もう開き直って学校側からお金をむしり取れればよくね? という考えに至ったわけではない、と信じたい。
夕暮れの学校をタッタッタッ、と高らかな音を立てながら廊下を小走りする一人の少女。
彼女の名前は暗城澪。自称暗城文の妹である。
首元あたりまでしかない黒髪を靡かせながらとある場所に向かっていた。
本校舎とは別に建築されている部活棟。そこの三階の一番奥にある部屋だ。
そこまで辿り着くと、息を整えるために一度その場で何回か深呼吸をする。
見上げるとそこにはそっけない字が書いてあった。
『文芸部』
そのそっけない字を見て、義理の兄を思い出し、心臓が締め付けられる感覚が一瞬襲われる。
それに抗うかのように扉バッと開けた。開けたせいで一回閉まった。澪は少し恥ずかしくなったので今度は力を加減して開け放ち、笑顔を浮かべた。
「しっおりーん! 遊びに来たよー!」
少し顔が赤くなっているが、夕日が差し込んでいるおかげでそれはバレないだろう。
ゴソゴソと窓際の席の対面が動いたかと思うと、本を机にゆっくりおいて振り返った。
柚原詩織。文芸部に所属するたった二人の片割れである。
腰には届かない少し癖っ毛のある深緑の髪を二つに結って前に流し、淡い緑色の縁のメガネをかけている。
憂いた表情をして澪をみつめるが、本人は気づいていない。
憂いている表情は愛する人を二人も一緒にいなくなってしまったから。その表情を見る度に澪は言葉に詰まった。
暫く見つめ合っていると、ふぅっ、と息を吐いて詩織が口を開いた。
「……しおりんはやめてくださいって、何回も頼んだと思うのですが」
「ええー! いいじゃんしおりん! んー、しおりんじゃないならスラリん?」
「それはいろんな意味で嫌なので普通に詩織、って呼んでください」
「わかったよしおりん!」
ニッコニッコしながら大きく返事をする。それに思いっきりため息を吐いて詩織は本に栞を挟むと本を閉じた。詩織を本に挟むわけではなく、それはサンドイッチ状態が好きな詩織である。
「今日はどうしたんですか?」
「ふっふーん! 聞いてよしおりん! さっきね、お兄ちゃんの家に行ってきたの!」
「……文先輩が帰ってきたということは聞いていないんですけど」
「そうだよー。もちろん、無断でね!」
「………」
不法侵入である。
「どうしたのしおりん?」
「……それで、どうしたんですか?」
「うん! エロ本ないか探してたの! でもね、お兄ちゃんってエロ本持ってなかったんだよ!!」
「……、……それが、なにか?」
一瞬澪の覇気に飲まれかけていたが、なんとか戻ってこれた。
具体的に言うと文先輩ってホモ……? と思いかけていた。腐りかけている。
「私、お兄ちゃんが許せない! せめて好みぐらい教えて欲しいのにぃ!!」
「知りませんよ、そんなこと」
「……気になってるくせに」
ビクッと詩織の体が震える。
「本当に気にしていないなら本を読んでるもん」
「そ、それは、友達が来ていますから」
必死に絞り出して出したのがこの言葉だった。顔は無表情を取り繕っているが、手汗や冷や汗がダラダラと流れ出している。
それを知ってか知らずか、澪はジト目でジッと詩織を見つめる。
「そ、それで、そのあとどうしたのですか?」
「……そのあとね、お兄ちゃんのベッドでゴロゴロした後、泊まろうと思って持ってきたパジャマとかを出してたんだー」
「へ、へぇー……そうなんですか……」
文の家は一軒家で一人暮らしであり、現状は文が異世界に召喚されたことによって、誰も住んでいない空き家状態になっている。
しかし、だからといって勝手に家に入って寝泊まりするのは違法行為なのだが。たとえそれが自称妹だとしても。
「澪さん。不法侵入はダメですよ?」
「だいじょぶだよっ。合鍵預かってますもん! 渡される時に『もう、ピック使って開けないでよ?』って言われてから渡されたけど」
「澪さん……」
友人が犯罪者予備軍だったことに心の中で涙した。表情は眉一つ動かしていないが。
「あぁ、お兄ちゃん……お兄ちゃんは今何処に……」
そこまで言って、机の上にぐてーっとなり、そのままポケットからお菓子を取り出して食べ始める。
その様子をみてふふっと微笑むと隣にあるもう一つのふかふかしている文の特等席をみやる。
「ほんと……文先輩はいまどこで何をやっているのでしょうね……」
またしても憂いた表情をだす。
その憂いた表情は神秘的で儚く、消えてしまいそうな雰囲気を出しており、クラスの男子はもちろんのこと、同性である澪もまたその姿にほんの少しだけ見惚れてしまうことがあった。
「文先輩…………」
「大丈夫っ! しおりんの愛しのお兄ちゃんはしおりんのところに絶対帰ってくるよ!」
ふんすっと意気込んで詩織に力説する。
愛しの、と言ったところでチクリと胸の部分が痛んだが、澪は気づかないフリをした。
数秒おいて詩織は言われたことを理解し、瞬間的に顔を赤く染め上げると、慌てて反論するために口を開く。
「そ、そんなんじゃないです! 文先輩がいると心の中がポカポカしていつも私より早くここに来て私が扉開けた時軽く微笑んで『お疲れ様』と短く声をかけていただけますがそれだけで顔が火照ったりしてでも――」
「ストップ、ストーーップ!! わかったから! 墓穴掘ってるから!」
「あ……」
自分で発した言葉に気づき、かあああああっとさらに顔を赤らめ、本で顔を覆い隠した。
その仕草がまた可愛いなぁ! と思うと同時に、お兄ちゃんはこんな可愛い子から想いを寄せられているのかぁ……と感心する。そこで先ほどよりもさらに鋭い痛みが胸を走った。
(お兄ちゃん……ううん、お兄ちゃんはお兄ちゃん。恋心とか抱いていないもん)
――――そう思いこむ。
思い込まないと自身がどうにかなってしまいそうだった。
澪の中では最も頼りになり、誰よりも好きだった文がいないというのは精神的にかなりきついものがあるのだ。
「文先輩……」
また、詩織も愛しい人を思っているかのように文の名前を口の中で転がす。
詩織は、口ではなんでもないと言っているが、心の内では恋心を寄せている。それは先ほど言動からも読み取れることだった。
詩織が文と出会ったのは入学してすぐの頃。澪の明るい性格と詩織の落ち着いた性格が程よくマッチした二人が仲良くなると、本が好きだと見抜いた澪が本を読むための文芸部がお兄ちゃんが作ったことを教えてもらったのが出会いだった。
たった二人。それはイコールで話す回数や一緒にいる時間が長くなるということ。ゆったりとした文との時間。最初は数時間だったのだが、部活外でも触れ合える時間が増えると、いつの間にか詩織は文に恋をしていた。きっかけは些細なことだったかもしれない。もしかしたら、一緒の部活に入ったその時からもう、恋は始まっていたのかもしれない。
その先輩が急に消えて心の中にぽっかりと穴が空いてしまった。そして、文と同じクラスだと聞いていた姉も消えてしまった。その二つの喪失感はあまりにも大きい。最初に一週間はほとんど喉にものが通らず、家で泣き出してしまうほどに。
それをみた澪は、その喪失感を少しでも埋めようと笑顔で、いつも以上に話しかけ始めた。
澪も澪で、文がいなくなったことでかなり堪えているというのに、だ。
詩織もそのことには澪に感謝している。そして、目を閉じると思い出す。その時の、澪の痛々しい笑顔が。
今もこうして澪は平気なふりをしているが、文の家に行くのはなにか手がかりがあるのかもしれないという希望的観測の下なのかもしれない。それが例えエロ本でも。
だからだろうか、こんなことを口走ったのは。
「……今日」
「ん?」
「今日、一緒に文先輩の家に行きませんか?」
「んー、いいよーっ」
ぴょんと起き上がるとニヤニヤと詩織の方を向く。
その表情の意図に気づいて、またも本で顔を隠す。
「しおりんは準備しないといけないから、そろそろ行く? まずはしおりんの家に」
「そうですね」
そう返事をすると、テキパキと片付けをしていく。
といっても本を鞄にしまい、紅茶を飲み干してエアコンのスイッチをオフにするだけだったが。
机に置いてあった鍵を取ってから二人揃って部屋から出ると、鍵をしめて部屋を後にした。
そのとき澪が、トンボみたいでトンボじゃない、どこか小鳥にも似た奇妙な虫が視界の端に映ったが、すぐに忘れてしまった。
お読みいただきありがとうございます。
おさらい:文を慕う自称妹と後輩。




