第二十五話 疑問
「んぅ……?」
段々と意識が明瞭になっていく感覚とともに、感覚も鋭敏になっていく。
手の先にあたるほのかに吹き抜ける風や、穏やかな光が目を刺激する。一度目をギュッと閉じてからゆっくりと目を見開いてみた。
「……え、なにここ?」
さっきまでいた平原、じゃない。どこかに運ばれたのかな? いや、それでもおかしい。
本当にどこなのかわからない。だって、目に見える範囲全てがぼやけているんだから。
「はぁ、またなんか面倒事が起きてるような気がするなぁ」
ため息を吐かずにはいられない。
でもため息を吐いてばかりだとなにも変わらない。できれば変わってほしいけど、そんなことは起こらない。起こったら嬉しいのに。
とりあえず、道だと思う方向に足を踏み出してみて、気づく。
「そっか。僕、立っているのか」
思わず苦笑いをして、ここがなんなのかすんなりと理解できた。
ここは、夢の中だ。そして僕の本体である身体は、多分まだ平原で横たわっているはず。
あれ、でも僕の意識はここにあるということは、実際は違う? 夢の世界を認識できたという話は時々聞くけど、夢の世界で自ら行動を決めたという話は聞いたことがない。ずっと、誰か知らないプレイヤーが自分をゲームのキャラクターのように操る。だから本来僕はゲームキャラクターとして僕の意志とは関係なしに勝手に動くはずなんだけどなぁ。
……まあいいや。一旦考えを置いてこのぼやけた空間を闊歩する。
一歩足を踏み出すごとに、地面が色を塗り直したかのようにクリアになっていく。
とんとんとん、と地面が明瞭になっていくのを楽しみながら一定の速度で歩き続けていると、不意に右側の壁が終わって少し広い空間が出来た。その開かれたところがなんとなく階段にみえないこともない。
なんとなく左側をみると、僕がこの空間に降り立った時に感じた光がより強い刺激として目を射す。
手を前に伸ばして前との距離を計りながら近づくと、硬い感触が手に伝わってきた。ツルッとしていてノックするように叩くとコンコンと少し高い音を立てる。
……もしかして。
僕の中で一つの確信めいた仮定が生まれた。
向かって右側が壁で、左側が窓。進んだ先が階段。そして、きっと夢ということは僕にとって縁がある所。この三つを総合すれば自然と一つの答えが思い浮かんできた。
「――……ここは、高校、なのか」
僕が通っている高校。いや、今は異世界だから通っていた、が正確だね。
全てを認識してから数秒後、僕を中心に一気に視界がクリアになった。右に見える学校の階段。廊下の端にある消火器に、少し傷がついた壁。暖かい光も、綺麗な夕日だとしっかりとわかった。
どこからか綺麗な音色や、グラウンド方向から野球部の掛け声やサッカー部のゴールネットを揺らす音が聞こえる放課後。
この時間帯は、僕が一日で一番好きな時間帯だ。
学校で授業に縛られずに思い思いの時間を過ごすことができる。部活に精を出す、家に帰る、残って勉強をする。本当に人それぞれだ。
……だけど。
「だれも、いないんだよね」
外を覗いても、声を発する人はいない。教室の中から喋り声が聞こえても、誰もいないしただ寂しく机に夕日が差し込んでいるだけ。
ただ、“声”は聞こえるし“音”も聞こえる。久々に、夢だけど、高校に来たというのに、なにもかもが中途半端だ。しっかりしているのは学校の作りだけ。
「なんか、ちょっとした悪意を感じるよ」
苦笑いを浮かべて、階段を登る。
――ち――て。
何か、聞こえる?
はたと立ち止まって耳をすませてみる。
こ――へきて。
こっちって、どっちなのさ?
……こっちかな?
声がしたと思った方向に、耳をすませると、まだ聞き取れないけど、さっきよりかは声が強まった気がする。
……行ってみようかな。
突然聞こえ始めたのか、それとも今まで気づかなかったのかはわからないけど、声の主は僕を呼んでいる。この世界が僕の夢だと関わらずに呼んでいる。だったら、それは夢の住人なのか、それともイレギュラーなのか、確認すべきだ。
声が聴こえる方向にゆっくりと、少しずつ足を速めながら向かう。声に導かれるままに廊下を進んでいくと、だんだんと教室の数は減っていって、最後には教室や職員室などがある棟とは別の、部室棟と呼ばれている場所に辿り着いた。
部室棟に足を踏み入れるのを躊躇って足を一回止める。けど、気になるものは気になる。だからすぐにまた足を動かして入る。そして奥へ突き進み、ここだと思ったところの扉の前で立ち止まった。
この夢の住人、もしくはイレギュラーは皮肉屋かな。……でも、僕がこうやって罪悪感を感じているということは、僕もまだ人として壊れていない証拠なのかも。
そっと、そこにかかってるネームプレートを指でなぞる。
『文芸部』
シンプルにそう書かれた字は、確かに僕の字だ。
それもそうだ。この部活は、僕が本を放課後にゆっくりと読むためだけに作ったんだから。
でも、なんでここから声が? いや、もうすでに聞こえなくなっている。『こっちに来て』と目的を達成したから。
取っ手をかちゃりと音をたてながらゆっくりと押し開ける。……鍵は開いていた。
中にはエアコン一台に長机二つくっつけてある。椅子は窓側には校長室にあるようなふかふかの椅子が二つあって、くっつけてある長机を挟んだ向かい側には、応接室にあるようなソファが一つ。さらに、本棚が六架あり、そこには本がぎっちりと並べてあった。他にも、生活に困らない程度のものならなんでも揃ってる。
これ全部、僕の記憶と全て一致している。僕の夢の中だから当たり前かもしれないけど。
でも、一つだけイレギュラーがある。
誰かが……椅子に座っている。
窓の方を向いて座っているから顔が見れないけど……――
「こんにちは、暗城文君。やっと来てくれたね」
「……なんで、僕の名前を?」
目を見開いて問いかけると、椅子がくるりと回転した。
その人は、いや、その子は男の子とも、女の子とも見て取れる容姿で、とても昔から僕のことを知っていると言いたげな笑顔を浮かべてきた。
でも、僕はこんな子知らない。
「君は?」
「んー、わからない?」
立ち上がってふんわりと舞うように回る。うん、全くわからない。
「誰?」
「もー……わかるでしょ?」
そう言ってふふっと怪しく声を漏らした。
「ボクはね……そう、君だよ、あんじ――」
「そういうのはいいから、早く君がなにか教えて」
「…………」
……せっかくの決め台詞を台無しにしちゃったみたいだ。ものすごく落ち込んじゃった。
はぁ、と思わずため息を漏らすと、涙目で僕を睨みながら口を開いた。
「……ボクの名前はウィズダム。気軽にウィズ、って呼んでね?」
「ウィズダム」
「…………ウィズって呼んでね?」
「ウィズダム」
「…………うぃ、ウィズって――」
「ウィズダム」
「……………………う、ぐしゅ、うぃ、うぃじゅって……」
少しいじりすぎたかな。少しだけ反省して頭を掻く。
「……ウィズ」
呟くように言うと、今の今まで泣いていた顔が、まるで花が咲くような勢いで笑顔になった。涙で顔が結構濡れてるけど。
すぐにハッと気付いて顔を拭くと、んーっと唸ってから口を開いた。
「えっと、文君が聞きたいことは分かるよ。ボクがなんでこんなに愛らしくて可愛らしいかでしょ?」
「ぜんぜん違う」
「あれっ?」
おっかしいなーと本気でそう思っていたように呟くウィズ。僕も、ここが夢世界じゃなくて現実世界だったらその冗談に少しはのったかもしれないけど、ここは夢世界だからね。
「僕が聞きたいのは、なんで僕の夢の中に知らない人物が出てきたのか、だよ」
「んー、なるほどねー。まあ、とりあえず座りなよ。そこが君の特等席なんでしょ?」
そういって窓側にある二脚あるうちの一脚、ウィズが座っていない方を指さした。
たしかにそうだけど、なんで知ってるのさ?
椅子にボスっと座り込んで、軽くウィズを睨む。
だけど、どや顔をされただけだった。
「じゃあ、文君の質問に答えるね」
一拍間が置かれて、
「ここが夢の世界だからだよ」
「……はい?」
意味がわからない。
そう思って声を上げたけど、ウィズはそれを楽しんでいるかのように口を開いた。
「うーん、夢世界といっても、今ここにいる空間は本物の夢世界といったらいいのかな」
ウィズは僕を見ずに虚空を見つめて考えながら言葉を紡いでいく。
「人間が夢をみるメカニズムは科学で解明されているよね?」
「……レム睡眠とノンレム睡眠を九十分を一周期に、レム睡眠時に脳が働いているから、その時に脳が夢をみせるものでしょ」
「そう。それが地球で解明されたメカニズムにして、睡眠時の『夢』だね。じゃあ、さ。人間がもともと睡眠を取らなければいけない理由を文君は知ってる?」
「それは……人間の生理的欲求の一つを満たすためでしょ?」
僕がそう答えると、ウィズは苦笑して、小さく首を横に振った。
「そうだけどね、違うよ。フミ君が言った一歩先、その睡眠で癒せるものだよ」
ちょっと説明する表現がむずかしいけどね、とウィズが漏らす。
ウィズが言った意味を少し考えこむ。寝る理由。そういえば、本で読んだことある。
「もしかして、精神疲労の回復?」
「正解っ! じゃあ文君が倒れた理由は?」
「魔力を使った時の精神疲労……」
「じゃあじゃあ、今ここにある文君の意識は?」
「そりゃ、身体は向こうにあるんだからせいしん、たい…………」
…………まさか。いや、決めつけるのは早計だ。
震える声を精一杯抑えこんで、口を開いた。
「ねえ、ウィズ。これは現在の科学の推論からはずれるんだけど、もし精神が癒やされているとき、人間は夢をみるんだよね。……じゃあ、そこには当然のように精神があるわけだよ。だったらさ……」
自身の体を見下ろしす。
「……今これが起きているのは当然のように脳内だ。そこにウィズがウイルスのように脳に入ってきたんだ」
「正解! と言いたいところだけど、残念。六十点しか上げられないや」
楽しそうに数回くるくると椅子を回し、また僕を見る。
「いくつか違うところがあるけど、大切な部分だけ違うところを教えるね!」
そう元気に言ったけど、それより僕の震えは、止まらない。
「その前に一つだけ質問して良い?」
「ん? なになに?」
「簡潔に訊くけど………………ウィズが僕のスキルに細工をして気絶をさせたのかな?」
「あ、うん。そうだよー。そろそろ頃合いかなーって思ったらなんと文君が戦闘訓練! ならこの気を逃さないようにマジックポイントの減りを早くしようと……おも、って………………」
なに。なんで語尾が小さくなったのかな? 僕はニッコリと笑顔を浮かべているはずなのに。
「ふぅ」
スクっと立ち上がってゆっくりとウィズに近づく。
「え、と……」
困惑顔を浮かべているウィズにもう一度にっこりと笑いかけると、右手を握りしめて、おもいっきり振り落としやった。
お読みいただきありがとうございます。
おさらい:文君のMPの減りは、ウィズのせいでした。




