第二十話 普通の女の子 4
「「いただきます」」
手を合わせて唱和する。
箸が無いためフォークを持つと、最初に二人揃って狙ったのはトマト風のそうめんだった。
ズズッと音をたてながら麺をすすると、トマトが絡まってトマトの風味が口の中に広がる。そのまま少しかみ砕きごくりと飲み込む。のどごしが良く、暫く食の余韻を目を瞑って楽しんだ。
「おいしぃー!」
「うん、ほんとに美味しいね」
夕花里は頬に手を当てる。その表情は緩みまくっているが、それを指摘する者はいない。指摘できるものはいるが、別に指摘する程でもないからだ。
文は夕花里の言葉に首肯して、もう一口食べる。
「夕花里さんの料理って久々に食べたけど、やっぱりお母さんの味って感じだよね」
そうめんをみながら夕花里を自然な流れで褒めた。
実際に美味しいのだ。味は素朴ながら、程よい味わいがある。麺の茹で方も、変な茹で方をすると、ここまで艶が出ない。冷ますにもしっかりと計算して、最適な時間で食卓へと並べる。時間をすべて体内時計でやっているのにこのクオリティ。さすがである。
「今度は僕のも食べてみてよ」
「そういえば暗城くんは一体何を作ったの?」
いまだベールに隠されている文の料理に興味津々とばかりに箸で自身が作ったそうめんを一生懸命食べる。そこまで興味津々というわけでもなかった。
文はそこまで勿体ぶるつもりはなく、さっとその隠していた布を取り払った。
「はい。二、三品つくったんだけど、一品目はとりあえず肉じゃがだよ」
「ふぁー……」
文がみせたその肉じゃがに夕花里は目を奪われた。
ジャガイモ。お肉。にんじん。たまねぎが光沢で艶を放っている。どうしてそうなるのか不思議なほど香ばしい匂いが、夕花里のお腹をぐぅ、と鳴らした。
「ふぁ! ち、違うの! 別に大食いとかじゃないから!」
手を前に出してバタバタとふってお腹の音をごまかそうとする。
「ほら、お昼ごはん食べてないから単純にお腹が減っているだけだよね。ほら、これも食べてみて」
「うん。いただきます……」
パクリと一口。そのあまりの美味しさに目を見開いた。
「美味しい!」
「それは良かったよ」
そういって微笑む文を直視できず、顔を赤らめて目を伏せてしまう。それでも、触感はきちんと文の料理を味わっていた。
「ふぁー……私、暗城くんに料理の腕が負けてる気がするなぁ」
「そんなこと……あるけど」
「あるんだ。うん、わかってたよ……」
うぅ、と泣き真似をするが、狼狽えたりせずにそうめんをズズッとすする。
そもそも、文と夕花里では料理の腕は比べ物にならないほどに違う。
夕花里は母親の料理の手伝いをしたり、時々自分で料理に挑戦する、程度だ。
だが、文は毎日ごはんを作る。それも、自分で作りたい物を決めて、食材を調達し、腕を振るう。どんな節約術をも活用することもできる、文はそんじょそこらの主婦より料理が上手い。どころかシェフにおメガネが叶うほどだ。
ただ、食に関して邁進した結果、これである。だったらそのひ弱そうな身体も鍛えればより頑丈になっていただろうに。
そんな文だが、別に食通ではないため、大抵のものは美味しいと思っている。
つるつる。はふはふ。
そうめんをすする音と熱いにくじゃがを口の中で冷やしながら食べる息遣い。そのふたつが支配する空間は、それから二品が食べ終わるまで続いた。
◆
ふぅ、とお冷をごくごくと飲んでで一休み。
「おいしかったねー」
「うん。さっぱりしてて冷たくて美味しかったよ」
「私も肉じゃがなんて……日本の料理をこうも簡単に出せるなんて、さすが暗城くんだね!」
「そうかな……?」
自分を過小評価しているため、そこまで凄いと思えずに首を傾げる。
「これぐらいの料理、夕花里さんでも作れると思うけどね」
「作れるけど……ここまで美味しくない……!」
自身が作ったことがあるにくじゃがを思い出しこの料理と比較して、思わず声が震えてしまった。
はぁぁぁぁぁぁぁ、と大きくため息を吐いてがくりと肩を落とす。
そんな夕花里にフッと頬を緩めると、文はもう一つの料理に目を向けた。それに気付いた夕花里もそっちに視線を向ける。
「暗城くん、その料理は?」
「これ? これは……」
ぱさりと取り払う。そこには、
「わぁ……! ポテトだ!」
「うん。あと、こっちはポテチだよ」
余ったジャガイモをサッと揚げて塩役の葉をまぶしたものがあった。休憩中にポテチを食べたいと言っていた夕花里は目を輝かせて問いかける。
「こ、これ、食べて良いの?」
「ダメ、って言ったらどうするのさ……? とにかく、どうぞ食べて」
「うん! いただきます!」
パクッとまずはポテトから。重厚で塩辛いかと思いきや、どうやら野菜も少し使われていたために風味で胃が重くなることはなかった。
「織り込んである野菜はさ」
夕花里が不思議そうな顔をしたのを察して文が口を開く。
「この世界で手に入るものなんだ。その野菜の名前は……テュテュガ。効果は、胃を重くしないこと」
「そ、そうなんだ……」
少し気落ちする。地球のものに、この世界のものを混ぜ込ませる。もともとはこの世界で採れた野菜たちで、ただ使ったものは日本のものと似たものだ。しかし、テュテュガはまったくもって違うもの。
なんでいれたのだろう? と不思議に思っていると、案の定というか、文が更に言葉を続けた。
「僕は、夕花里さんや一緒に召喚されたクラスメイト達が、かわいそうだと思ってるんだ」
「かわい、そう?」
「そう。だってほら……」
文は一度言葉を切ると、ニヤリと笑った。
「僕みたいに、この世界を満喫することができてないからね」
「……そう、かな?」
自分のことを思い返してみる。
朝起きて、ご飯を食べ、訓練して、ごはん食べて訓練して、午後三時ぐらいからは自由行動がある。だけど、それも早く強くならなくちゃという強迫観念みたいのがあって、やはり修練を積んでしまう。
そう思い返してみると、確かにあまり自由度が無いように思える。
「一つだけ。夕花里さんだからこそ忠告してあげる」
夕花里さんだからこそ。その言葉に特別感があって気分が高揚する。が、次の言葉に冷水を被せられたかのように一瞬でその高揚は下降した。
「王様は、信用しないでね?」
「え……どういうこと……?」
「そのままの意味。これ以上はちょっと言えないなー」
悪戯笑顔を浮かべながらポテチを一口頬張る。
字面だけの意味を受け取ると、最初に説明してくれたおじさんを信用するなということだ。だが、それがどういう経緯でそうなるのか、夕花里には全く理解が出来ない。
ただ、気になる異性とこの国の王。天秤にかければなんてことのない。
「わかった。王様に気をつければいいんだね?」
「そう。夕花里さんには悲しい思いをしてもらいたくないからね」
といっても帰れないと知ったら悲しむんだろうけど、と心のなかで失笑する文は、それでも言葉を続ける。
「僕はさ、夕花里さん。自分が弱くて良かったと思っているよ」
「…………」
「この城壁の中で閉じこもって、こうやって夕花里さんと話したり、料理したり、本を読んだりする。こういう平凡な人生は、僕の一番好きなことなんだ」
「私も、好きだよ。だから訓練を受けて、世界を平和にして……」
「平和、か。僕的にはそうやって争いの道具をもって修練していると、いずれ何処かで慢心する。それで、力と権力に溺れてしまう。いくら賢くても、愚行を犯すときだってあるんだ」
僕のようにね、とかすれ声程度で呟く文。
「っとまあ、僕の考えの披露はここまでにしておいて――」
「――――………………私はね、暗城くん」
ゆっくりと、語りだす。
「この国、ううん、私とクラスメイト、それにこれまで知り合った人たちに、少しでも幸せになってもらいたいの。だから…………好きでもない武術に力を入れる」
「…………」
「私は、できれば魔王さんと話し合って、攻めないでって頼みたいよ。でも、それは無理なんだよね。だから、少しでも傷を付けられないように守る訓練を積むの」
その瞳には、誰も傷つけたくないという意志を垣間見ることが出来る。
文はその考えに口を出そうとして、やめる。
――その考えは矛盾している。
そう夕花里へ提言するのが少しばかり憚られたからだ。
それに、魔王だって話し合いをしたら攻めてこないかもしれないし、そもそも今のところ実害がない。つまり、本当に魔王がこの国を攻めている、という証拠がない。だから、訓練を積むというのも自ら道具として扱われるのかもしれないのだ。
だが、そんなことを夕花里に伝えても意味が無い。それを伝えるぐらいなら、まだ夢の世界を見せたほうが良いだろう。
「凄いね、夕花里さん。応援しているよ」
「う、うん! ありがとう、暗城くん」
夕花里は嬉しそうに破顔し、文が作った今度は文が作ったポテトサラダに手をつけ始める。
ただ、文はその手を止めたまま思考の渦へと埋もれていく。
(誰も傷つけたくない、か。僕も、力があったらそう言え……無理だね。力があっても無くても、僕の心の中にあった正義はすでに崩れ去っている。あるのは……良い人ぶるということだけ。ただ……)
ちらりと夕花里へと視線を向ける。
文が夕花里と過ごす時間。共通の趣味というものを持ち合わせている人は、とても心が安らぐものがある。文は日本にいる頃から、夕花里への壁は殆ど無い。文が心を許している数少ない一人なのだ。
それでもただ、と再び思考を切り替える。
(夕花里さんがもしこの先、これ以上僕に入り込もうとするなら、それは、その偽善者のような仮面を取り払って、素になってもらわないと、ね)
少し中二病っぽいことを思い始めた文が思考の渦から浮き上がると、夕花里が顔を赤らめてチラチラと文の方を見ていた。
「あの、暗城、くん」
「どうしたの?」
「あの、ね。私……こうやって、料理するの、初めてでね。ほら、周りに料理ができる人なんて少なくて」
女子高生でここまでのクオリティはなかなかいないだろう。そう思いながらも文は聞き手に徹し続ける。
「だから、その、私達はと、友達…………だよね?」
「うん」
なんでいま友達と言ったところで沈んだのか。あえて突っ込まない。我慢がきく文は偉い子だ。
「だから、そのえと、えええっと……私、暗城くんのこと……」
一度言葉を切って、前を向く。
その瞳には覚悟が。その口にはポテトサラダのジャガイモが。
その真摯な態度に文は夕花里の口に付いているジャガイモを取ろうとした手を止めて、視線を一心に受け止める。
夕花里の若干顔が赤くなっているのは気のせいではないだろう。だが、次にどのような言葉が発せられるか、文でさえわからなかった。
「あ、あ……」
よほど恥ずかしいのか、顔をより赤らめて、口ごもる。
じっと、文は待つ。夕花里がその言葉を発するまで。
夕花里も気づく。文が自身の言葉をずっと待ち続けてくれることを。
だったら、覚悟を決めよう。ここからが小さな一歩。大きくはない。でも、ここからはじまる。全てが始まる。
いや、と考えなおす。
すでに始まっている。だから、ここからは、より深みに入るのだと。暗城文という存在へまた一歩近づくのだ。
「あ、んじょう、くん」
言わなきゃ。言うんだ。その気持だけが前のめりになっている。
そのせいで気が焦っているのだ。
(む、むりな、の……!)
言いたい。けど、気が焦るばかりで言えない。夕花里が諦めようとしたとき、ふっと文と視線があった。
彼の目は、一瞬悲しそうに見えた。
言わないのか、そう言っているようで。
(無理じゃない。これだけの、言葉だもん!)
本当の覚悟を、今決めた。
「暗城くん!」
椅子を後ろに倒しながら叫ぶように言った。
「暗城くんのこと!」
グッ、と言葉に詰まる。が、そのままの勢いにのせて伝えた。
「――――――――文くん、って呼んでも良いかな!?」
「……………………………………お好きにどうぞ」
「ありがとう!」
ただ、下の名前で呼んで良いか確認を取るだけ。それでも、普通の恋する乙女には、それ相応の覚悟が必要なのだ。
夕花里は、その勇気がなく、今まで“暗城くん”と苗字に甘えていた。が、やはり下の名前で呼びたいという欲求は日々高まっていたのだ。
「文くん、ふみ、くん。……えへへっ」
そっとはにかむ姿に、不覚にもぐっときた文は、誤魔化すように布巾で夕花里の口元を拭う。
「ほら、ポテトサラダついてるから」
「ふぁ、ふぁああああああああああ!!」
そのまま一気に全身が真赤になってフリーズした夕花里をよそに、文は夕花里を椅子に座らせて今度はスープをすすり始めた。
「んっ。美味しい」
硬直している夕花里をちらりと見ると、何事もなかったかのようにまた食事をし始めたのだった。
して、この光景をみていた者が、二人ほどいる。
一人はこの王宮のメイド長、ミニスタシア。
ミニスタシアはまたですか、とあまり崩さない表情を少しばかり崩して困った笑みを浮かべ、視線を移す。そこには、もう一人、その光景を観ているリリルがいた。
リリルの視線には文、ではない。確かに最初は文だった。が、今は違う。
じゃあ夕花里か、と聞かれればそれもまた違う。リリルの視線の先には、たくさんの料理。それも、見たことがない料理ばかりだ。
たしかにミニスタシアはそれらの料理にも興味があった。いままで見たことのない、異世界料理。実際に食して舌鼓を打ちたいと思う。が、メイドであるミニスタシアはそうすることが出来ない。
どうしようか、と考え、再びリリルに視線を向け、一つ名案が浮かんだ。
リリルの世話をするという名目で、一緒に食べれば良い。
そう思い、リリルが飛び出すのを待つと、案の定、料理めがけて走っていった。
――計画通り。
その言葉は発しはしないにしろ、顔にははっきりと映っており、リリルの世話をするために続いて文と夕花里の下へと歩いて行ったのだった。
お読みいただきありがとうございます。
おさらい:小さな一歩でも、本人にとっては大きな一歩。
夕花里の恋の行方、その小さな一歩。
2人の距離は、海のように押したり引いたりして揺れている。
さあ、夕花里の恋路はどうなるか。




