第九十八話 誰のための対立か 2
その場をウィズに任せてふらりと甲板に出ると、ピミュさんが手すりに両腕を乗せて顔を伏せていた。潮風でピミュさんの髪が無造作に舞う。前は肩甲骨ぐらいだったのに、今はそれより伸びているみたいだ。
髪の長さにこれまでの道のりを思い出すと、何とも言えない気分になる。
ピミュさんは僕と出会わなければ、という思いすら生まれた。けど、そんなの後の祭りというやつで、しかたないもの。
それに、悪いことばかりじゃない。と、信じてる。不幸だけがピミュさんの下に訪れたわけではないから。
ゆっくり頭を振ってピミュさんに近づいた。
「どうしたのさ、そんなところで」
「ふぇぇぇ……フミさぁん……!」
勢いよく顔を上げたピミュさんが物凄い勢いで僕の方に振り返ったかと思うと、涙を浮かべながら僕に抱きついてきた。
まさか抱きつかれるとは思ってもいなくて、たいして力があるわけでもないからそのままの勢いでしりもちをつく。
なんかあったの? と聞こうとして、ふと思い出す。
ピミュさんって、確かボッチちゃんを慰めに行っていたはず。それがさっきの話で、それと今のピミュさんの現状を鑑みればすぐに答えが見えてくる。
その結果に一つため息をつく。
「失敗したんだ、ボッチちゃんを慰めるのに」
「ふぇぇぇ……。私のお菓子あげようとしたんですけど、村から戻ってきてからずっとカリカリしてて、受け取ってもらえなくて……」
「まあ、心情察する、とは言えなくもないけど。あと、お菓子で機嫌が良くなるほどピミュさんみたいな単純思考じゃないんだよ」
「ど、どういう意味ですか!?」
「ピミュさんみたいに素直な人はきっと将来いい女性になるんだろうね、って意味だよ」
「え……えへへ、ありがとうございましゅ……」
ちょろいなぁ。
頬を赤らめて俯いたピミュさんに、わざとらしくポンポンと頭をたたいて撫でる。こんなちょろちょろしいとこれからのピミュさんの未来が怖い。
「えへへ……フミさんの手の感触気持ち良いなぁ。匂いも、暖かさも……えへ、えへへ、えへへへ……」
……ヤンデレ気質も、将来危ないなぁ。特に僕の未来が。
「それでボッチちゃんはどこにいるの?」
「ふぇえっ? ぼ、ボッチちゃんでしたら私と外に出たはずですけど……――」
「消えなさい! この筋肉ダルマ!!」
ピミュさんの声を遮ったのは紛れもないボッチちゃんの暴言。それと同時に床からでっかいものが吹き飛ばされてきた。
そのまま宙を舞ったそれはそのまま何回かバウンドしながら僕とピミュさんの足元にズザザッ! と滑りながらたどり着いて止まった。僕とピミュさんが顔を見合わせて、またそのでっかいものを見る。
どうみても、フェンだった。
しかも手にはバーベルが握られている。下から吹き飛ばされてきたことからも、フェンは筋トレルームでいたはず。
なのに、なんでフェンが吹き飛ばされたんだろう。しかも、犯人は確実にボッチちゃんだ。
ボッチちゃんの筋力パラメータを一回覗いてみたいね。
「ふぇ、ふぇ、フェンさんんんん!?」
「う、ウヌゥ……はん、にんは……ぐふぅ」
「あ、完全に伸びた」
「そんなこと言ってる場合じゃないですよ! HP回復ポーション持ってないですか!?」
「多分入ってる」
アイテムボックスから素早くHP回復ポーションを取り出してピミュさんに手渡しすると、身を翻して穴に近づく。
「ああ、もう。こんなでかい穴を作っちゃってさ。誰が直すと思ってるのかな」
独り言を呟きながら下をのぞき込めば、筋トレルームの中央に見慣れたフードが膝を抱えて蹲ってる。
明らかに『病んでますよ』オーラをビンビンと放っていた。
……このままだと面倒だなぁ、なんて思って左手で頬をぽりぽりとかく。そしてため息一つこぼしながらボッチちゃんのところまでの距離を測ると、そっと飛び降りた。
膝を最大限曲げて衝撃を和らげて、ゆっくりと立ち上がる。……やっぱり、無理があったか、痺れて動けない。
でも、自然に治るし、今はさほど問題ではない。
上を見上げながらヒノキの棒を床につけ、【クリエイト】と唱える。
そうすればみるみると天井が元通り、と。
「ボッチちゃんさ」
僕とボッチちゃんの二人だけの空間で、ため息交じりに告げる。
「あんなことでピミュさんやフェンに当たらないでもらえないかな」
「あんな、こと?」
かなり低い声がボッチちゃんから漏れて微かに身じろぎをさせたかと思うと、緩慢な動きをして立ち上がった。フードから漏れたその瞳にはいろんな感情が浮かび上がっている。
憎しみ、悲しみ、怒り、困惑。
その他諸々。
混ざりに混ざって淀んだボッチちゃんの眼を見て、ため息をついてから人差し指を立てる。
「見知らぬ人が死んでいたことに、だよ」
そう言うと。
僕は後ろに吹っ飛ばされた。
加減は……されていたんだと思う。おなかが少しジンジンと痛むぐらいですんでいるぐらいだから。でも、そこでやっとどこが殴られたかわかるほどボッチちゃんは速かった。
ゆらりと揺れながら立ち上がったボッチちゃんはまるで幽鬼だった。
「見知って……よくしてくれた、人なのよ……!」
「で?」
「だから……だから……」
「だから、なに? あんなぐちゃぐちゃにされちゃってたから、私に同情してほしい? それとも一緒に悲しんで泣いてほしい? ごめんね。僕にはそんなどうでもいいことをするつもりはないよ」
「どうでも、よくない……!」
グッと胸元を掴まれると、背負い投げの要領で今度は床に叩きつけられた。そしてそのまま馬乗りされてグッと顔元まで引き寄せられる。
「死んだのよ!? いっぱい人が死んだ! もう話せない!! 触れ合えない!! ……温かいご飯も、あの村の自慢話も、うっとうしいぐらい夫婦の馴れ初め話も、ぜんぶ、ぜんぶぜんぶぜんぶ!! ……ぜんぶ、もうないのよ……」
ゆっくりとほどかれた手は、かすかに震えていた。フードの中からはぼろぼろと涙が僕の顔めがけて降ってくる。
悲しむ気持ちはわかる。
でも、
「ピミュさんもフェンも、それに僕やウィズも。誰もあの村の人たちと生きて会ってないのに、一緒に悲しめとかボッチちゃんの押し付けでしかないんだよ」
「っ……!!」
「そうやって部屋に閉じこもって同情してほしそうにしたからピミュさんは同情した。フェンは知らないけど、フェンも似たようなことがあったのかもしれない。ああ見えていろいろと旅をしてきたらしいし。だから気持ちが理解できたから一緒に悲しもうとしたのかもしれない」
「……それは……でも……!」
「なのに」
今度は僕がボッチちゃんの胸倉をつかんで体を起こす。抵抗がなかったボッチちゃんをそのまま床に押し倒した。
「ピミュさんには辛く当たって、フェンには暴力? 自分から誘っておいてその仕打ちはいくら何でも酷いんじゃないかな」
至近距離でフードに顔を近づけて言う。ボッチちゃんの手は僕の手をつかんでいるけど、その手に力は全く入っていない。完全に脱力している。じゃまくさいから払い避けて、言いたいことを続ける。
「ピミュさんの境遇は知ってる?」
「…………」
「詳細には聞いてないみたいだね。魔物がたくさん襲ってきた日、あのときボッチちゃんはいたから覚えてるよね? ……ピミュさんはあの日、家族全員を殺されたんだ。僕の到着が遅れたせいで」
「……っ」
「ねえ、ボッチちゃん。ボッチちゃんの家族は死んだ?」
僕の問いかけに、フルフルと頭を振る。
「きっとギルド嬢だからほかにもたくさん見知った人が死んだと思う。親も死んで、仲が良かった人も死んで。ボッチちゃんはさっき言ったよね。暖かいご飯が食べられない、触れ合えない、自慢話も、うっとうしいと思えるほど馴れ初め話ももう聞けないって。ピミュさんはそれがさ、対象が家族なんだ。赤の他人じゃない、唯一の血縁である家族となんでもないことを話すことが、もう、できないんだ」
でもね、とさらに続ける。
「今、ピミュさんは笑ってる。吹っ切れたわけじゃないよ。ただ、やるべきことが終わったから」
「やるべき、こと」
「うん。やるべきこと。それは少なくとも八つ当たりではないし、そうやって同情を煽るように泣くことでもない」
ピミュさんがあの家の惨状を目の当たりにしたときに何をしたか。
悲嘆にくれた? ちっちゃい部屋でべそべそ泣いた? ひたすら家族の敵の魔物を切り刻んだ?
そんなことはないし、そういう心もピミュさんは持ち合わせてない上に力も度胸もない。
ピミュさんは前を見た。今はそれだけだけど、それでも十分立ち直れた。
「私、は……」
ぎゅっとこぶしを握って床に立てると、ボッチちゃんは僕を今度は軽く押して立ち上がった。
そのとき、はらりとフードが外れ、中から真紅の髪が露わになった。
目鼻は整っていて、目は少しつり目。
そしてここが一番重要。
耳。
耳が……獣耳だった。ピクピクと震わせている耳をじっと見ていると、何故か軽く頬を叩かれた。痛い。
ジロリと視線で訴えかけると、ボッチちゃんはボッチちゃんで己を一括するかのように思いっきり叩いた。
「決めたわ」
声からは決意が感じ取れた。
「そう」
決意を決めたのなら、僕はもう用済みだ。だって、二人に無駄な被害が出なければいいんだから。
「それじゃ」
「殺す」
「ん?」
部屋から出ようとした足が思わず止まる。
「あの村の人たちを殺したやつを殺してやるわ」
そう宣言したボッチちゃんの眼は……ひどく淀んでいた。
そして、それから少し。
僕らは港に到着した。
お読みいただきありがとうございます。
おさらい:ボッチちゃん、復讐を決意する。
次は今週かな……? 余裕ぶってたらまた忙しくなってきて……なにこれ、オカシイ。
書く時間の確保が難しいなぁ。




