悩める王子は三角関係
フィアレント王国第四王子であるクロムウェル・ランソルト。
彼は国王の父を持ちながら、娼婦の母を持つ望まれぬ王子だった。
血統を重んじるランソルト家の人々は当然彼を歓迎することはなく、影で陰口を叩くどころかクロムウェルに聞こえるようわざと罵り疎みの言葉を投げかけ、汚された王家の名に対する鬱憤を晴らしていた程である。
彼彼女らが本当に自分を憎んでいるのか。それとも、自分とは関係のない物事に対する苛立ちの捌け口としているのか。
幼い頃からそんなことを考えていたクロムウェルだが、結論はどちらでもよかった。理由がどうであれ、城内での生活が煩わしいという事実は変わらない。特に王妃の息子である異母兄弟の第一、第三王子の嫌がらせにはうんざりしていたし、いっそ城を出ればどれだけ気楽かと毎日のように思っていた。
しかし、それでは自分を貶めてきた連中に背中を見せるようなものである。彼はそれを良しとせず、十六歳までの長い時間を自己研鑽の時として使い切った。もっとも、元来の気質から好戦的であったため、もっぱらその時間は剣術や体術、馬術などの習得に当てられていたが、それはそれで、彼にとっては愉快な時間だった。
そうしてクロムウェルが十六歳になった年。彼はフィアレント王国を守護する蒼統騎士団の第六分団団長に任命された。
元々、王位を継ぐ第一王子以外の王子は騎士団に入団するのが、ランソルト家の習わしではある。しかし、入団直後に団長を任されるなど前代未聞の出来事だった。加えて彼が統べなければいけない第六分団とは、実力は申し分なくとも気性や人格に問題があるとみなされた者が集められた、騎士団の吹き溜まりと呼ばれている分団であった。
もしかしなくともクロムウェルを快く思わない人間の仕業だったのだろうが、その嫌がらせの結末として、当のクロムウェルは大して嫌がることもなく第六分団団長となり、あっさりと団員を従えてしまったというオチがついている。
そのオチがつくまでにも、あっさりとはいえ紆余曲折はあったのだが、ともかく彼は不動の第六分団団長に就任したわけである。
そしてその三年後。
かつて烏合の衆とも呼べる第六分団をまとめあげたフィアレント王国第四王子は、自室で頭を抱え悩んでいた。
娼婦であった母親譲りの艶やかな金髪をかき上げ、紺碧の瞳を物憂げに沈ませ、端正な眉を潜ませながら、大きく溜息を吐く。
「……どうしてこうなった」
書き込みだらけのフィアレント王国周辺の地図を広げた机の前に腰を落ち着け、一切の覇気が抜け落ちている目線が宙をさまよう。
窓の外ではとうの昔に日が暮れているが、クロムウェルはといえば日が落ちる前から自室で項垂れ続けていた。他の分団とは異なり、寄宿舎に半ば強制収容されている第六分団は分団長も団員と食事を共にするのが常である。そしてその夕食は一時間以上前に始まっており、今頃姿を見せないクロムウェルを団員たちは気にしているかもしれない。
「いや、それでいい」
気性人格に難ありというレッテルを貼られている彼らのことだ。そのうち出てくるだろう程度に考え、自分たちは賑やかに食事を囲んでいる様子が易々と思い浮かんだ。クロムウェルにしても、別にそれで構わない。
確実に心配をして部屋を訪れる人間が、たった一人いればそれでいい。
クロムウェルはそんなことを考え、沈んでいた面持ちから一転、それを嬉しげなものにした。
「……そうだ、何も焦る必要なんてない。アイツが俺を慕っているのは確かだ。きっとすぐにでもここに――」
半ば自分へ言い聞かせるように独り言を呟いていたクロムウェルの耳へ、不意に扉のノック音が聞こえた。
それと同時に言葉を区切り、瞬時に表情をいつものぶっきらぼうなものへと変化させる。いっそ気味が悪いほど素早い準備を終えた後、クロムウェルは「入れ」と平坦な声で言った。そしてその声へ答えるように開いた扉の向こうには――。
「失礼します」
やや癖のある茶髪と、十七歳という年齢にしてはやや幼い印象を与える顔立ちの少年が立っていた。そしてその少年の姿を見ると同時に、クロムウェルは口角を引きつらせた。
「……どうしてエルではなく、お前が来るんだ。アレン」
「やはりそういう魂胆でしたか、クロム分団長」
そういって眉を潜めるアレンと呼ばれた少年だが、その表情にはどこか緊張の色が伺える。
彼は先月第三分団の上官相手に揉め事を起こし、第六分団へ異動して来たばかりの少年だった。王国へ仕える様々な人材を育成する士学舎では、文武両面において優秀な成績を修めていたとクロムウェルは聞いている。そんな人物がなぜ第六分団へ異動させられたのかと言えば、一言で言うに彼は第三分団という集団に全く『向いていなかった』のである。
そんな彼だからこそクロムウェルは快く第六分団へ迎えたのだが、今となってはそれも悔やまれる。
「いくらエルが俺と親しくて自分が寂しいからって、こんな風に女性を自室へ誘い出すのはどうなんですか?」
信じられないとでも言いたげな表情のアレンは、きっぱりとそう言い切り、対するクロムウェルは言葉を詰まらせた。
エルというのは、第六分団で唯一の女団員である。むしろ同じ種族の人間ですらない、辺境の地の戦闘種族の少女だった。見た目こそ人間と大差ないが、身体能力が段違いに高く、第六分団の最前線で敵を文字通り蹴散しているぶっちぎりのエースである。
戦地では馬いらず、自身の足で地を駆け、己の手足を剣として敵を貫く。そして戦闘種族としての本能なのか、嬉々と敵の血を浴びる様は『駆けるトラウマ』として変わり種の多い第六分団内でさえ噂されていた。
当然、正確には騎士ではないのだが、クロムウェルを慕い、団員として彼に従っているのがエルという少女だった。
そして、そんな彼女に恋をしているのがクロムウェルという男だった。
戦中は鬼神のごとき最凶アタッカーであっても、日常生活ではそこいらの娘と変わらない。笑えば可愛いし、怒らせると面倒で煩わしいこともある。クロムウェルとエルは彼が分団長になる少し前からの知り合いだが、そうこう三年という月日を過ごしている間に、クロムウェルの方が落ちてしまったのだった。
肝心のエルには『恋』という文字が微塵も存在せず、どこまでも『主』としてクロムウェルを慕うばかりである。それでもいずれ思いは通じるだろうと信じて疑わなかったのだが、そんな矢先にやって来たのがアレンという少年だった。
「お二人が近しい仲なのは知ってますが、それ以前に節度ってものがあるんじゃないですか」
そう真面目な顔で節度を問う彼だが、そんなアレンもエルに好意を寄せていることをクロムウェルは知っている。
この一か月で何があったのか知らないが、一週間ほど前に「クロム分団長はエルに好意を持たれてるんですよね。俺もエルが好きなので、これからよろしくお願いします」とよくわからない宣戦布告をされたのである。本人いわく、なにごとも正々堂々と取り組みたいらしい。
二十代半ばから三十代後半の男所帯である第六分団に同い年の少年が入団したということで、エルは急速にアレンと親しくなっていった。それまではクロムウェルの後を付いて回っていたというのに、何かとアレンがアレンがと言ってクロムウェルの視界から消える。
かつてこれほどまでに毎日が辛いと感じたことはない。
そう幼少の頃から周囲に疎まれて育ったはずの王子が頭を抱えるほど、彼にとっては深刻な悩みだった。
「……お前が、俺たちの何を知ってるっていうんだ」
ぼそりと呟かれた言葉に、アレンは「え、と」と言葉へ詰まったように間をおいて口を開いた。
「三年前に助けたはずの女の子が全く自分を恋愛対象として見てくれず、逆にクロム分団長は三年間ひたすら思いを募らせ続け悶々としていることは聞きました」
「その通りだよクソ」
あまりに正確な情報だったため、文句のつけようもなかった。
普段から愛想がなく仏頂面でいることが多いクロムウェルは、例え好意を抱いている対象の前であってもその姿勢を崩さない。それが原因で彼女に気付いてもらうことさえできていないのだった。それなのになぜか周囲の団員たちはその手のことに察しが良い――そう本人は思っているが、実際にはエルの前で無意識に張っている見栄を団員の前で張れていないだけである。
「笑いたけりゃ笑え」
三年も前から知り合っているというのに、何もアレンに対して優位に立てている気がしなかった。
それほどまでにエルの尊敬心は純粋であり、その純粋さ故にクロムウェルは何も切り出すことができていない。散々ぶっきらぼうに相手をしておいて、いきなり女として好きだなんてことを言えば、彼女が困惑するのは目に見えて明らかだった。そして困惑したエルに、拒絶されるのが何より恐い。
最年少で分団長になっただの、第六分団を従えただのと言われている自分が、そんなものに恐がっている様は酷く滑稽なのだろう。
そう考えて言った言葉だったのだが、当のアレンはきょとんと首を捻る。
「なぜ笑うんですか?」
「……なぜって」
「三年間も好意にすら気づいてもらえないなんて、少しも笑えませんが」
「…………そうだな」
そういう意味で言ったわけではなかったのだが、いちいち説明する気も起きず、クロムウェルは黙って項垂れた。
アレンが異動してきたときも、一週間前に宣戦布告されたときも感じていたことだが、彼は良くも悪くも誠実過ぎる上に天然なのである。これが性悪であれば無下に扱い「エルに近づくな」と言うこともできるというのに、そういうわけにもいかずアレンの扱いにも弱っていた。
座って話をしているだけなのに、ドッと疲れて椅子の背にもたれかかると、不意にアレンがこう言った。
「でも、クロム分団長は凄いですね」
「……は?」
これまでの話を聞いて何を凄いと感じたのか。むしろ遠回しの嫌味だろうか。
そう怪訝そうに小首を傾げるクロムウェルに対し、アレンは頼りない笑みを浮かべる。
「俺は、三年も耐えられません。第六分団の騎士として前線に立っていながら、次また生きていられるかどうか自信がないんです」
「…………」
唐突とはいえ、その静かな言葉にクロムウェルは閉口した。
第六分団は他の分団に比べ、圧倒的に危険な前線に出されやすい。命令が下されるまではこうして穏やかに(一応)過ごしていられるが、一度命令が下ればどこよりも命を落としやすい戦場へ出向かなければならないのである。
もちろん団員が落とさずにすむ命を落とすことがないよう分団長として指示を出し、この三年間で死亡した者はクロムウェルが就任する以前と比べて格段に減っている。ただし、それはあくまで減っているだけで皆無ではない。その死は一概にクロムウェルの責任であるとは言えないが、それでもどうにもならない悔やむものがある。
そしてその『死』の中にいつ自分やエルが身を投じるのか、そんなものわかるわけがない。ただ、わかりはしないが、ひとつ決まっていることがある。
要するに、自分やエル、そしてアレンを含めた団員たちが戦場で命を落とさないよう、分団長としてできる限りのことをするしかないのだ。
わからないことを確実にするために、学び続け鍛え続ける。次に慄く暇すらその時間に当てるしかない。
そう言っておきながら、エルやアレンのことで時間を割き過ぎた自分を自嘲しながらも、クロムウェルは安心しろと彼に伝えようとした。
そしてそんなことに怯えているなら、鍛錬にでも時間をつぎ込め、と――そう激励しようとしたのだが。
「だから、外堀が埋められたら、俺は早々エルへ告白します」
「……え」
どこまでも真っ直ぐな視線で自分を射抜くアレンに対し、クロムウェルは素の声でギシリと固まる。
「でも、俺も死にたくありませんし、エルにも死んでほしくありませんから、俺はエルを守れるほど強くなります! エルと仲良くなりながら!」
「ちょ、待」
「今言いましたからね。それでは正々堂々、よろしくお願いします!」
そう一方的に喋り続けた挙句、アレンは朗らかな笑顔で部屋を立ち去った。
そしてそれを引き留めることもできなかったクロムは、しばし呆然と扉を見つめ、数分後。
「誠実も天然も関係ねぇ……何が何でも邪魔してやる」
完全に据わった目でゆらりと立ち上がったクロムウェルは、ただでさえ相手に威圧感を与える長身の背中から殺気を放ち、アレンの後を追うように自室を後にした。
そしてどうあっても自分がエルに思いを告げるという選択肢が選べないことに、彼はまだ気づいていない。
あらすじにもあります通り、この短編は今後連載物としても掲載する予定です。本編は恋愛ほのぼのコメディ六割シリアス四割、主人公はクロムウェルとアレン、名前のみ登場のエルで三人となります。少しでもご興味を持っていただければ、連載版も読んでいただけると嬉しいです。それでは、読了ありがとうございました。