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青空の手紙

作者: jun

青空の中を浮島のような雲がいくつも泳いでいる。

目に見えるほどの早さではないが、時折空を見上げると、確かに形を変えている。

空には空の時間が流れているのだろう。


夜中降り続いた雨は、夜明けとともに空へ帰り、朝陽が地面を輝かせた。

草木の下で息を潜めていた生き物たちも、朝陽に向かって声を上げる。

生命が騒ぎ出す、賑やかな朝だった。


太陽の光はまっすぐに地面を照らし、温められたアスファルトから雨の残り香が昇ってきた。

私は軽く目を閉じると、胸の奥まで深く息を吸い込んだ。

地面のくぼみに溜まった雨粒が空を泳ぐ雲を写している。


目を開くと私の数歩前を少女が歩いている。

足元の水たまりを気にする様子もない。

白っぽいワンピースにジーンズといった格好で、すらりと伸びた手足を軽く揺らし、肩まで伸びた髪は、歩くたび陽光を透かして薄茶色に輝いた


青空を喜ぶように軽やかに歩を進めると、時折、振り向いて私に笑顔を見せる。

誰もが振り返りそうな整った顔立ちだが、周囲を意識しない無邪気な笑顔は、少女が大人になる過程の危うさを感じさせた。

「ねぇ早く、置いてくよ」

先へ先へと進んでいく少女を見失わないように、私も小走りに走りだす。

「置いていくって、どこへ向かってるんだい」

30を過ぎた運動不足の男には、たとえ小走りであっても息が切れる。

少女はそんな様子をもどかしそうに見ると、私に駆け寄り手を取って引っ張り始めた。

「公園よ。この先にお気に入りの公園があるの。今日みたいな日は、きっとすごく綺麗よ」

少女は住宅地の路地を慣れた足取りで進んで行く。

「こんな住宅地に公園なんてあったかな」

息が切れて半分も声にならない。

私は話すのを諦めて、走るのに専念することにした。

少女の後について、いくつ目かの角を曲がる。


「ここよ」

角を曲がると少女は立ち止まり、さすがに疲れたのだろう、肩で息をしている。

私もようやく立ち止まり、膝に手を置くと、滴り落ちる汗を視線で追いかけた。

息を整えようとするが、どんなに息を吸い込んでも吐き出す息の方が多いのか、苦しさは増すばかり。

あまりに苦しそうに見えたのか、少女は膝を曲げ、私の顔を下から覗き込んだ。

心配しているような、申し訳なさそうな表情を見ると、さすがに情けなくなり、私は大きく息を吐き出した。

次にゆっくりと大きく息を吸い込みながら、いかにも大丈夫という風に、腰に手を当て背筋を伸ばしていく。

もちろん、少女に向かって微笑むのも忘れない(ちゃんと微笑むことが出来ているかどうかは分からないが)。

少女も私に向かって軽く微笑み返すと、くるりと振り返り、今度はゆっくりと歩き出した。


少女の歩く先には住宅地のそばにあるとは思えない、深い森のような公園が広がっていた。

奥へ向かって数本の小道が伸びていて、まばらに人が歩いている。

少女は真ん中付近の小道を選び、手を振って私を誘った。

ようやく鼓動も落ち着いた私は、少女の横まで早足で歩を進めると、森の小道を並んで歩き出した。

木の葉に残った水滴が、陽の光を反射し、キラキラと輝いている。

そよ風が森を通り抜け、雨上がりの芳香を届ける。

私たちは並んで森の小道を歩いていく。

少女は道の脇に咲く小さな花や、森の奥から響く鳥の声に立ち止まり、楽しそうに視線を遊ばせる。

私はそんな少女の様子を目で追っていた。


しばらく歩くと森が開け、緑の芝が短くかり揃えられた広場に出た。

私たちは広場の脇に置かれた小さなベンチに並んで腰を下ろした。

広場では数人の子供たちがボールを蹴り合い、走り回っている。

私は背中をベンチの背もたれに預け、思い切って伸びをする。

隣を見ると、少女も同じように背伸びをしていた。

空を流れる雲のように、穏やかな時間が流れた。

私は陽の光を頬に浴び、ウトウトと瞳を閉じた。

子供たちの声も次第に遠くなっていく。


肌寒い風に私は目を覚ました。

太陽はまだ高いが、思ったよりも長い時間眠ってしまっていたようだ。

広場で遊んでいたはずの子供たちの姿も、どこかへ消えている。

隣では少女が前屈みになっている。

「何してるんだい」

私は開いたばかりの目をこすりながら少女に尋ねた。

少女は下を向いたまま、何か手を動かしているようだ。

私の声が届いていないのか、こちらを気にする様子もない。

私はもう一度少女に向かって声をかける。

「手紙を書いてるの」

少女は顔も上げずに答えた。


私も少し前屈みになって、少女の手元を覗き込む。

手元には真っ赤な風船があり、抱え込むようにしながらマジックを動かしている。

少女は私の視線に気づくと、ちょっとむっとした顔をして、それから風船を隠すように私に背を向けた。

「だめ」

私は諦めてベンチの背もたれに身体を戻す。

「誰に手紙を書いてるんだい」

少女は肩ごしにちらりと私を振り返り、それから空を見上げた。

「誰かな。でも届くと思うんだ」

私も同じように空を見上げる。

「届くといいね」

「うん」

浮雲の影が公園を横切っていった。


風が木の葉を揺らす音と、マジックを走らせる音だけが響く。

「何て書いたかくらいは教えてもらえるのかな」

少女はもう一度私に目を向けると、マジックを唇に当てながら少し考える。

「お元気ですかとか。こちらは雨が多いですとか。そちらの天気はどうですかとか。星は近いですかとか、そんな感じ」

少女もベンチの背もたれに身体を預ける。両手にはしっかりと風船が握られていた。

「雲の上なら雨は降らないだろうし、天気は良さそうだね」

「そうね。でも雲の上だって雨の日にはきっと寂しい気持ちになると思うの」

少女は風船を胸の前まで持ち上げ、ゆっくりと空へ向かって離した。

「君も雨が降ると寂しいんだね」

「そう。でも今は、次の雨が待ち遠しいな」

私たちは風船の軌跡を視線でなぞる。

青空では相変わらず雲が悠々と泳ぎ、赤い風船は、風に乗ってユラユラと空へ昇っていく。

私は心の中で小さく届けと願った。



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