3~偽物の騎士
悪夢から目が覚めて、まだ深い夜の底にいるような、そんな感覚だった。
本当に長い間、森の中を進んできた。
相変わらず少女の反応は無く、黙り込んだまま。まるで幽霊のようにその場にふらりと立っていた。
きっと彼女の心は壊れてしまったのだろう、とギルバートは思った。
そのとき、ふいに森の中を風が吹き抜けて、木々の枝葉がざわざわと音を立てた。雲がゆっくりと流れてゆき、少女の細くなびいた髪がキラキラと輝き始める。そうして月明かりが少女を照らし出した瞬間、ギルバートは思わず息を飲んだ。
少女の瞳が、真っ直ぐにギルバートを睨みつけていたからだ。
気高く、強い意志を宿したその瞳に圧倒され、ギルバートは思わずたじろぎ、身を引いた。
そしてもう一つの事実に気が付いたとき、彼はさらに愕然とした。
少女の細い二本の脚が震えていた。
こんな単純なことに、なぜ気が付かなかったのか。
彼女は俺が恐ろしくてたまらないのだ。
なのに少女は一歩も引こうとはしない。そればかりか、今もこうして相手を怯ませるほどの強い意志をその瞳に宿し、恐ろしい相手に立ち向かっていたのだ。
このとき自分でもなぜそのようなことをしたのか分からない。
――ギルバートは少女の前に跪くと、両手を胸の前に重ねて、こう言った。
「今から、俺はお前を守る騎士だ。たとえこの命に代えても、必ず貴女を守り抜く。だからもう震えるな」
その様子はまるで、彼が子供の頃に読んだ物語を演じているかのようだった。
体の弱い病床の妹にせがまれて、何度も何度も読み聞かせた。小さな姫君を守る勇敢な騎士の物語。
彼はそんな騎士がこの世に存在しないということを、とうの昔に理解していた。
なぜ今さらそんなことを思い出したのだろうか。
この少女を安心させるため?
こんな思いつきの嘘が、少女にとって何の慰めにもならないことは分かりきっている。
まさにそれを物語るかのように、少女は黙り込んだまま、表情を変えることもなく、ただじっとギルバートの瞳を睨み続けていた。
また森に風が吹き、木々がざわめく。長い夜だ。ギルバートは思う。
この夜が明けてしまえば、全てが終わる。
男が今までに犯してきた全ての罪が白日の下に晒され、全ての罪は男の死をもって償われることになる。
最期の時が目前に迫っているというのに、ギルバートの心は不思議なほどに穏やかに落ち着きを保っていた。
この夜が明ければ、全てが終わる。
ならばせめてこの夜が明けるまでは、この気高く誇り高い小さな姫君を守る勇敢な騎士であろう。
ギルバートはそう誓った。
その時、彼らの背後の向こうから、枝を踏み分ける音が聞こえた。
ギルバートは腰元の短刀を抜き、少女をかばうように振り返ると、じっと息を殺した。
足音が近づいてくる。そして――
「よォ、ギルバート」
茂みから現れたのは、ニヤついた笑みを浮かべた細目の男、グレイブだった。
「なんだか大変な事になっちまったみてぇだな。俺がハナっからちゃんと説明してりゃ、こんなことには。本当にすまねぇ……」
グレイブは頭を掻きながら、申し訳なさそうに、そう言った。だがギルバートは短刀を構えたまま、警戒を怠らなかった。
「ちょっとした手違いがあったのよォ。俺たちが襲った馬車のすぐ後に、後続の護衛が付いていたらくしてな、このままじゃ今晩中に仕事が見つかっちまうってんで、俺たちゃその始末に今まで奮闘してたってワケなのよ」
彼の釈明を聞くうち、ギルバートの心にはまたもやもやとした暗雲が渦巻き始めていた。
「ギルバート、お前が仲間割れを起こすたぁ、珍しいじゃねェか? 山小屋の様子は俺も見てきたぜ? 全くヒデェことをしやがる。ともかくよォ、落ち着けよ、ギルバート。お前ェは今、頭に血が上ってるんだ。なぁ? 自分でも分かってんだろう?」
困り顔で必死になってギルバートをなだめようとするグレイブ。その様子は、冷静沈着で頭の切れる、いつもの彼だった。
たしかにその通りだ。
今の自分はどうかしている。グレイブに、この親友に、刃を向けるなんて――
ゆっくりと、ギルバートが短刀を構えた腕を降ろす。それを見たグレイブはようやく安堵した様子で溜め息をつくと、笑顔を見せた。