2~夜闇
「俺たちはまんまとハメられたんだ! グレイブの野郎にな!」
怒りを顕に喚き立てるのはベンスと名乗る、背の低い醜男だった。
ギルバートは黙って彼の言い分を聞いていた。
リーダー格の男と、その仲間の二人は馬車と死体を始末すると言い残し姿を消した。それから既に数刻が経っていた。
グレイブと腕を斬られた男も、集合場所に繋いでおいた馬と共に姿を消した。
残されたギルバート達は、少女を連れて森の中を歩き、木こりの仕事小屋であろう粗末な板張りの小屋に辿り着いた。
今、帳の張られた小屋の中には小さな明かりが灯され、三人の男がそれを囲んでいる。
そして部屋の隅には糸の切れた人形のようになった少女が、小さく丸くなり蹲っていた。
全てがなんとも不可解だった。
王家の馬車を襲った目的は一体何だったのか。消えた男たちはどこへ行ったのか。
残された男達の心には次第に疑心暗鬼の闇が渦巻いていた。
「ここで一晩を明かすのか!? とんでもねぇ! 二度と連絡は来ないだろうよ!」
ベンスは得体のしれない恐怖に囚われており、完全に理性を失っている様子だった。
「ともかく、俺はこれ以上の仲間割れはゴメンだ。さっさと決めちまおう、これからどうするのか。あんたはどう思う?」
額傷のあるもう一人の男が、ギルバートに意見を求めた。
――闇雲に行動を起こすのは、馬鹿のやること。
賢い人間は過去に起きた出来事と今の状況を把握することで、これから先に起こる出来事に『先回り』をするのさ――
それは皮肉にもギルバートがグレイブから学んだ言葉だった。
それがグレイブの受け売りだという事実を伏せたまま、ギルバートは現状を把握することが最優先だと男達に述べた。
今回の狙いは最初から王家の馬車だった。
馬車を襲った時のグレイブの様子が、それを証明している。しかし彼はその事実をギルバートや仲間たちには伝えずに隠していた。
さらに言うなら、隠していたのはグレイブばかりではない。リーダーの男とその一味らしき二人も同様だ。
馬車を襲った時の彼らの優れた手際を思えば、護衛の数ばかりか、馬車に二人の少女たちが乗っていたことも、彼らは最初から全てを知っていたように思う。また、確証こそ得られてはいないが十中八九馬車に乗っていたのはこの王国、ルーヴェインの王女たちだ。
彼らは迷うことなく二人の姫のうち一人を殺し、もう一人を殺さずに生かしておいた。
まず、これが不可解な点であった。
どちらも殺してしまうか、あるいはどちらも殺さず人質にするというのであれば事はもっと単純だったのだが。なぜ彼らは年上の姫を殺し年下の姫を生かしたのか? そこには間違いなく彼らの目的があったはずだ。
ところが、この目的を考えてみると、より大きな疑問点にぶち当たってしまう。
なぜ彼らは折角生かした少女を放ったらかしにして、行方をくらませたのか?
これでは少女を生かした意味が無いばかりか、もう一人の少女を殺した意味すら無くなってしまう。
結局、いくら考えても彼らの目的は分からないまま。ギルバート達一味には王女殺しと王女を攫ったという事実だけが残った。
「ケッ、偉そうに長々と講釈を垂れやがって。結局なんにもなりゃあしねェ」
ベンスはギルバートを睨みつけ、口汚なく吐き捨てた。
だがそれでも彼の様子は一時の錯乱状態に比べれば、幾分か落ち着きを取り戻していた。
「つまるところ、俺達は馬車を襲い王女を殺害した一味というわけだ。おまけに今もこうして連れ去った王女を拘留している。このことが王に知れれば、間違いなく俺達の死罪は免れないだろうさ」
そう言って、額傷の男が嘆息する。その言葉にベンスがハッとした。
「オイ、だったらその娘をいつまでも置いておくこと自体、ヤバいんじゃねぇのかよ?」
「だからと言ってどうする? ここから逃がすのか? それとも口封じに殺すか? 仮にも王女をそのように扱うことは絶対に許されない」
「何が王女だァ馬鹿バカしい! 王や貴族が俺達に一体何を与えた? 奴らが与えたのは貧しさと憎しみの心だけさ!!」
途端に感情的になる二人、もはやこれ以上の議論は続けられそうになかった。
ギルバートはいがみ合う二人を制し、早々に結論を出すことにした。
「夜の森を下手に歩いたところで、魔獣共の餌になるのは目に見えている。逆に考えれば、襲われた馬車が今夜中に誰かに見つかることもないだろう。事件の発覚は早くとも明日の朝、となりゃここで夜を明かすのが賢明だろう」
ベンスの方はやや不満気な様子だったが、その考えには納得をしたらしく異論は出なかった。
「なら朝まで、交代で見張りを立てよう」
そうして話し合いは終わり、まずはこの提案を出したギルバートが最初の見張りに立つこととなった。
ところが、それから間もなく事件は起きた。
ドスン、と小屋の中から大きな物音が聞こえた。
嫌な予感に、ギルバートは急いで戸口へ向かう。
小屋の中へ踏み入ったギルバートが目にしたのは、壁に寄り掛かるように倒れて呻く額傷の男の姿だった。
「クソッ……この糞野郎っ」
「大丈夫か!? 何があった!」
掠れた声で呻く男に向かって、ギルバートが叫ぶ。その時、暗がりからベンスの声と、震えた少女の息遣いが聞こえた。
「おい邪魔をするなよ。順番が済んだら後でお前にも代わってやるからよォ」
無残に引き裂かれ床に落ちているのは、少女が着ていた鮮やかな黄色い上着。
そして、視線の先の暗闇に少女の白い肌が浮かび上がった。
事態を把握した瞬間、ギルバートは突然全身の血が煮え滾るかのような激しい怒りに見舞われた。
「ヘヘッ、体つきはまだ子供だが、よく見りゃ上等な女だ」
下卑た笑いを浮かべた男の腕が、少女の素肌を撫で回す。彼女は必死にもがき抵抗したが、大人の男の力には勝てず、ついにベンスは少女の身体を抑え込んで馬乗りになった。
ギルバートはそのとき確かに、少女の顔から感情という感情が消え失せる瞬間を見た。
絶望、絶望、絶望、
それはまさにそれ以外の言葉では表現することが出来ない、
恐ろしい記憶。
全ての感情が消え失せて、身体はひとりでに動いていた。
ギルバートの肘がベンスの首を締め上げたと思うと、男の身体を無理矢理に少女から引き剥がし、そのまま物凄い力で首を捩り込んだ。
抵抗する間もなく鈍い音がして、ベンスの首はへし折られていた。
間髪を入れず、飛び起きた額傷の男が後ろからギルバートに掴みかかった。
ところが、ギルバートは振り向きもせずに後手に男の喉元を掴むと、力任せに握り潰した。
「ぐぅ!!!!」
鬱血した男の顔が見る見るうちに赤く染まる。男は激しく暴れたがギルバートの指は深く食い込んで、男の喉を離さなかった。
そしてついに男は窒息し、力尽きた。
――――――――
その後のことは、何も覚えていない。
気が付くと、ギルバートは少女を背に抱えて、ただひたすら森の中を進んでいた。
彼は闇に怯えていた。闇の中には、自らの死よりも恐ろしい何かがあった。