1~事の始まり
男の名はギルバート・レノックスといった。
この男を一言で評するならば、彼はまぎれもなく、悪党であった。
彼は善良な人間を脅し、痛めつけ、陥れ、暴虐の限りを尽くして彼らの金品や権利を略奪した。生れてからこれまでに数えきれないほどの悪事を働き、一度たりとも己の罪を悔いる事は無かった。
生き延びるという目的の下に、ありとあらゆる罪は赦された。
遠い昔、彼も善良な心を持っていた。しかし彼の身に起きた数々の悲惨な出来事が彼を変えてしまった。いつしかギルバートは傭兵とは名ばかりの、札付きの悪党にまで堕ちていた。
数日前のことだ、彼にその仕事が舞い込んできたのは。
それは妙に羽振りの良い仕事だった。その話をギルバートに持ち掛けたのは、彼が唯一心を許していた仲間の一人で、グレイブ・ハロックという男だった。
「普段となにも変わりゃしねェよ。いつも通りの、簡単な仕事さ」
そう。いつも通りの仕事だった。
――馬車を襲い、御者をしこたま痛めつけ、積荷を奪うのだ。
ところが、その日揃った顔ぶれに、ギルバートは違和感を覚えた。
集まったのはギルバートとグレイブを含め8人という大所帯だった。
……荷馬車を襲うにしては頭数が多い。
即席の猟兵団を率いるのは、口髭を湛えたやけに身なりの良い男で、着崩してはいるが、他にも彼の仲間と思われる男が二人いた。残りは自分達と同様傭兵崩れのゴロツキだ。
「標的は今晩、王都へ向かいこの道を通る。見通しの悪い林間に差しかかった処で、馬車を制止する。これはギルバートの役目だ。目標を確認したら此方から合図を送る。役目は理解したな?」
「ああ、了解だ。……続けてくれ」
役割の確認の度、覗き込むような鋭い視線を向けるリーダー格の男に、ギルバートは本能的に警戒心を抱いた。
彼らはギルバートが今までに会ったことのない種類の人間だった。
「あいつら、一体何モンだ?」
隙を見てギルバートはグレイブに問いかけたが、彼は「今後の得意客さ」と言い、答えははぐらかされた。
どうもグレイブの方はそれなりに連中と親しいらしい。
一抹の不安はあったが、ギルバートの内心ではグレイブに対する信頼の方がまだ些か勝っていた。奴は賢い男だ。これまで何度も共に危ない橋を渡ってきた。問題はないのだ、今回だって。
ギルバートはそう自分の心に言い聞かせた。
そして、すっかり日が落ちた頃、果たして林道にそれらしい馬車が現れた。
「止まれ、止まれ」
狭い林道。明かりを手にしたギルバートが道を塞ぎ、馬車を止めさせる。ギルバートは慣れた様子で二頭の馬に近づくと、御者が何事かと尋ねるよりも早く、彼を御者台から引き摺り下ろしていた。
転落した御者が呻き声を上げると同時に、仲間の男達が四方から馬車に近づき取り囲む。
こいつはどういうことだ? ギルバートは困惑した。
標的は荷馬車などではなかった。立派な客車には金色の縁取りが為され、一目で身分の高い人間が乗っていることが見て取れる。
そして、客車の扉に彫られた紋章には見覚えがある。あれは王家の紋章ではないのか。
「ギャァ――!!!」
男の悲鳴で、ギルバートは我に返った。いつの間にか客車の左右から、音もなく鎧を着込んだ二人の男が飛び出していて、
不用意に近づいた間抜けな一人が腕を斬られていた。
すぐさま別の仲間二人が次々に剣を抜き、鎧の男達と斬り合いを始める。
その二人はリーダー格の男の傍にいたあの男達だった。
鎧姿の動きは明らかに剣術を修めた人間のそれであったが、対抗する二人もそれとほぼ互角の腕前だった。
相手の風体に油断があったのか。拮抗しているかのように思えた決闘は、気づけばどちらもあっけなく勝敗が決していた。
争いの跡に残されたのは、地に伏し、止めを刺された鎧男たちの姿であった。
ギルバートが呆然としていると、足元から御者のくぐもった呻き声が聞こえた。
彼は短刀で喉を突かれ、死んでいた。
「何してるッ!」
焦りがあったのか。ギルバートは思わず声を荒げた。その怒声に、短刀を逆手にしたグレイブが顔を上げ、ニヤリと笑った。
「お前、最初から知っていたな? この馬車に積荷は無い」
ギルバートの詰問に対し、怒るなよ、と相棒は不敵に笑い返す。
「あれが積荷さ」
彼の視線の先に、男たちによって客車から乱暴に連れだされる二人の少女たちの姿があった。
歳の離れた姉妹。身にまとう上等な衣装だけを見ても、彼女らこそがルーヴェイン王の二人の娘、ローザリア姫とイクセリア姫であることはもはや疑いようが無い。
華奢な身体を男達に捕えられ、それでも抵抗する二人に、リーダー格の男が近づき、何事か呟く。そして――
それは一瞬の出来事だった。
月明かりに白刃が閃いて、ローザリア姫と思しき少女の身体が鮮血と共に崩れ落ちた。




