第1章 海月精霊は誘う。⑥
修正しました。
まるまる1話とばしていました……。
――“本物”の“海月精霊”とは、こういう事か……!
その感嘆をナーディルは懸命に飲み込んだ。
事の始まりから、ずっと自分は驚いたり、ぽかんとしたり、騒ぎの間も役には立たず――
これ以上の無様をさらしたくない。
ナーディルは平静を装い、目の前の光景を見つめていた。
――あの緊迫した場をおさめたのは、海月精霊の恰好をした少女(?)だった。
ビーナームが騒いでいる間に、倒された男たちは、ほうほうの体で、逃げだしてしまったようだ。
その場に残されたのは、海月精霊一行と、ナーディル達だけだった。
紫眼の男は、ビーナームの前からすっと動き、少女を庇う位置に立った。
その時になって、ようやく理解した。
ビーナームの混乱を引き起こしたのが、自分の迂闊な行動だったのだ。
みるみる顔が熱くなった。
「ねえ、ナジュム兄さま」
少女のほがらかな声が響いた。
「この方は、疲れてここで一休みしていたわたしに、親切に声をかけてくださっただけなのです。
そしたら――通りすがりのおかしな人たちにからかわれてしまって……。
わたしを庇って下さったの。ぜひお礼をしたいわ。
ねえ――」
頭から1枚布をすっぽりと被っていて、中身はまったく見えない。
その魔術印のような模様がついた辺りが、ナーディル達に向かって、こくんと傾いた。
小首を傾げたらしい。そこが顔か。
「こんなところではなんですもの。
どうぞ、我がアル=ナシームの商館においでくださいな」
「ぼく、喉がかわいた!お腹も減っちゃった!」
“ユスフ”が、紫の眼を無邪気に輝かせている。
――「ナジュム」という“隊長”と同じ色だ。
その屈託のなさにビーナームが相好を崩した。
「おお、おお。この老いぼれとしたことが、とんだ醜態を――」
「いいえ。ナジュム兄様が、つい気を立ててしまったのです。
こちらこそ、ご無礼いたしましたわ」
ナジュムは、すっと殺気を消した。
ひとつ肩をすくめてから、居住まいを正す。
「お嬢の言う通りです。
――失礼したが、よろしければご招待したい。当家の主も歓迎することでしょう」
こうして
「お坊ちゃんが通りすがりの海月精霊(?)を助けた」
「お礼に海月精霊の屋敷(?)に招待されるらしい」
という筋書きで話は収まり――
ナーディル一行とアル=ナシーム家一行は市場近くの商館へと移動することになった。
商館に招かれ、その奥まった部屋へとたどり着くまでの短い間に、ナーディルは記憶の中からアル=ナシーム家のことをさらえた。
臨卓議会の議席を有し、近隣諸国でも有数の富豪の一族。
元々は蒼鯨船団という大規模な船団を抱え、外洋貿易で財をなしてきた。
アル=ナシーム家といえば、有名なのは二つ。
一つは、ここ十年ほどの間に、魔術具などの新技術の開発・商業化を進め、成功していること。
そういえば、最新の開発品は――
ふとナーディルは顔を上げ、思わず呟いた。
「魔石灯——」
窓のない廊下を煌々と照らし出しているのは、壁にかけられた“魔石灯”だった。
それは魔素を持つ石を組み込んだ照明器具だ。
魔石を定期的に入れ替えることで、半永久的に使用でき、さらに明るさの強弱や光の色合いも調節できるという逸品である。
従来の蝋燭や油灯は煙と匂いがつきまとい、長く使えば熱もこもる。
燃料の補充も必要だ。
だが魔石灯にはそれがない。
つい最近、王宮にもアル=ナシーム家から献上されたばかりの魔術技術の結晶である。
「魔石灯か…。
これの吊り天燭台は見事だった。
七色に輝いて、まるで玉石のようで…」
思わずこぼれたナーディルの賛辞に、海月精霊が、ふっと笑ったような気がした。
表情はまるで見えないのだが。
道案内のように、壁に並んだ魔石灯に照らされているのは、白い“海月精霊”の後ろ姿――
なぜか、ゆらゆらと揺れている。
その現実味のなさに、ナーディルは戸惑った。
そして、その戸惑いは、王宮と比べても遜色のない内装の部屋で、驚きに変わった。
海月精霊が、おもむろに手をあげた。
ナーディルの目が引き寄せられる。
海月精霊が、皮を脱いだ。
――いや、被り物だ。皮ではない。
頭からするりと白い布が滑り落ちる。
そこには、銀色の波打つ髪に縁どられた、被り物よりもなお白い、嫋やかな少女の顔があった。
そして、静かな知性の光をたたえた――紫の瞳。
もう一つのアル=ナシーム家の特徴――
その血筋に受け継がれる、紫の色。
ナーディルは今度こそ、声が出なかった。
心の中で叫ぶ。
――精霊の化身だ……!




