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第1章 海月精霊は誘う。③

 海月精霊、という言葉にナーディルは声の主を振り返った。

 恰幅のいい中年の女性が、にこにこと子どもたちを見守っている。

 物問いたげなナーディルの様子を見てとったビーナームが、代わって話しかけた。

 「おかみさん。なんだね、海月精霊とは」

 おかみさんと呼ばれた女性は、とぼけたビーナームの表情に愛想よく答えた。

 「この辺じゃ、今、流行ってるんですよ。子どもを守る海月精霊様にあやかろうって、親が子どもにああやって真似させてんですよ。子どもらも面白がってるしね。」

 「ほら、お守りにって、こんな品物も売らしてもらってますよ」

 おかみさんの手にはゆらゆらと揺れる海月を模した作り物があった。よく見せようと、高々と掲げている。


 ナーディルはまじまじとそれを見た。これが姉王女の求めていた品だろうか。


 可愛いといえば可愛い。

 だが、年頃の王女の持ち物にふさわしいか、と考えると、さっぱりわからない。


 眉根を寄せてうなり始めたナーディルに、おかみさんはまた、笑った。

 「他の店にも、いろいろありますよ。一周、見て回ってから決めるといいですよ。

 

 運がよければ、本物に会えるかもしれないしね。」


 「本物?」

 驚きで声をあげたナーディルに、おかみさんはうんうん、と力強くうなづいてみせた。


 「そりゃあきれいな、“海のお姫様”だって話ですよ」


 その言葉に、ナーディルの脳裏には、白い海月の衣をまとった”お姫様”の姿がよぎった。

 ――が、姉王女だったので、慌てて首を振った。

 それは、ない。


 おかみさんのすすめに従って、ナーディルとビーナームは店先をのぞきながら、市場の通りを歩き回った。


 いくら王宮育ちの世間知らずだろうと、ナーディルとて海月精霊の実物が存在しているとは信じていない。さすがに。


 店先に並んでいる海月精霊の品物は、なるほど、さまざまだった。


 最初の店のように子どものおもちゃ風のものもあり、海月の模様に染めたり、刺繍した生地や、一見、海月とはわからない、よく見れば…という絶妙なデザインの装身具等々。


 その間にも、何人もの“海月精霊もどき”とすれ違った。

 白い布をまとった子どもたちが、あちこちではしゃぎまわっている。


 そうして店先を眺めながら歩いていると。


 ふと、ある店先の品に目がとまった。


 なぜか、目が離せなくなる。


 白い布でできた被り物だ。

 今まで見たものと違うのは、顔を出す穴がないことだ。

 顔にあたる部分には、魔術印のような文様がある。


 そして、この被り物のなにが気になったのだろう……とまじまじと眺めて、それが縫い目のない、一枚布でできていることに気づいた。


 裁縫など、ナーディルにはわからない。

 だが、縫わずにこんな丸に作るのは簡単ではないだろう。


 どうなっているのか、と手をさしのばす。


 すると、すっと被り物が手を避けた。


 避けた。確かに、動いた。


 ナーディルは目を瞬かせた。


 見たか、と問おうとして振り返ると、じいの姿がなかった。

 夢中になっている間に、はぐれてしまったらしい。


 ナーディルはしまったな、と頭をかきつつ、被り物へ向き直った。


 動きはない。が、視線を感じる。見られている、気がする。


 見つめあうこと、しばし――


 

「売り物じゃ、ありません」

「生きてる!?」


「……これは面妖な。見えているのですか」

「それは、こちらが言いたい……」


 ぼそぼそと少女の声が聞こえる。どうやら被り物からで間違いない。


「なにを、しているのか、聞いてもいいだろうか…?」

「お断りしたいです」


 間髪を入れず、断られた。

 が、ナーディルも退けない。

 ――はっとした。


「そなたは、もしや“海月精霊”殿か……!」

「……そうですけど、違いますよ?」


 気のせいだろうか。とてもうんざりとした返事に聞こえる。


 すると、別の声が割ってはいってきた。


「みーつけた。お嬢ちゃん、かくれんぼはおしまいだぜ?」


 へらへらとした、王宮では一生、耳にしないような下卑た口調だった。


「ぼうず、どきな。邪魔だよ」

 その物言いより、ぶわっと立ち込めた男の体臭に、ナーディルは怯んだ。


「……声を出したら、認識阻害は無効化されますか。要検討ですね。」


 ナーディルは、ようやく状況を理解した。と思った。


「――不逞の輩に追われていたのか!?」


「今、それを言う…?」

 被り物で顔が見えないのに、じっとりとした目つきの気配がする。――たしか、そんな表情の獣がいたはず。


 二人の場違いな会話に苛立ったように、男が声をあげた。


「ああ!?文句あんのか、このガキ…!」


 ナーディルに向かって、野太い手が伸びた。が。


「うがぁぁあ!?」


 濁った悲鳴が男の口から吐き出された。


 いつの間にか現れた少年の小さな手が、ふんわりと男の手首を押えていた。


 そうとしか見えないのに、男は耐えきれない様子で、石畳に膝をついた。


 無邪気な笑い声が響く。


「だーめだよ、

 ぼくの姉さまに近づくなんて。

 みのほど知らず、っていうんだよ。そういうの」


「ユスフ」

 なだめるように、少女の声が応じる。――続いた言葉は予想外だったが。


「ばっちいから、それ。

 ぽい、しなさい。ぽい」

「はーい」


 次の瞬間、男の体が、宙を舞った。

 その光景に、ナーディルは呆然とした。


「これは、声も出ない……」

「出てるよ」


 ユスフがけろっと言った。


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