あとがき
あとがき
佐久の里の物語、如何だったでしょうか?
僕なりの思い出を書きました。
縄文の時代が長く平和に過ごしてきた事に僕は感銘していました。
人が何に注目し、どうやって生きてきたか、という事です。
縄文は長く、移動の定住をする未開な民族とされていたけど、近年、縄文の知恵の発掘が進み、大分とイメージも変わってきました。
また、歴史を教える時の区分での教え方にも疑問を持っていました。
時代が転換すると線を引くように違う時代が教えられる。
それは本当のことなのか。
大きくなって、経済学なるものがあり、それは人の欲が作り出すものだと、先生が語ります。人の欲。なるほどその通りなのだろうと思いました。
歴史の時代の線には、違和感が続きました。
小説家の先生が時代を描かれる時、時代の線引きはありません。
そこでやっと、歴史も人の欲の積み重ねが、動かした結果だという事に納得しました。
でも、線以外の解説はありません。
そこで、自分で書いてみようと、20年ほど前から考え始めました。学者ではなかったし、細かいことよりも、概略を理解するようにしていました。
そこで、縄文の暮らしが浅間山の森の中で続いていた事を知りました。しかし、佐久の里の弥生集落では、生まれた空白的な時間のズレがありました。
何故だろうと、考えたのです。
歴史の研究も進みました。縄文時代の暮らしぶりの詳細が分かってきて、何処にも書いたはいなかったけど、移動するグループがいたんではと考えるようになりました。
紀元前2、3世紀頃からの弥生時代の動きが詳しく分かるようになると、紀元前8世紀頃まで遡るらしい。
あ、その頃には、中国大陸では戦乱の時期で、逃げてきた奴らもいたんじゃないかと思いました。
縄文の暮らしの実態。大陸の戦乱。
それらが重なり、佐久の里の弥生集落の生まれる時間的な空白を埋める考えが浮かびました。
佐久の里の前に上越市に渡来人が来て弥生集落を作り、それが様々な動きの中で、佐久平への移住となって時代が埋まりました。
僕の話は、このように作られました。




