第四章 豚房からの脱走 1
掃除の終わった運動場は、とても気持ちが良いものです。
僕もお日様の光に当たりながら、仲間の豚たちに混じって運動場を走り回っていました。
と、その時です。
僕が、運動場から外の通路へと出る扉、そう、あの兄ちゃんが掃除のために入って来た扉に軽くぶつかった時です。
(ガシャン!)
という音とともに、その扉が外に向かって開きました。
「 ‼ 」「ぶ? ぶへッ…?」
どうやらあの掃除の兄ちゃんが、扉を完全に閉めるのを忘れていった様です。
扉には、豚たちが鼻でいたずらをして開けてしまわないように、上から落とすマジックの落とし込みが付いているのですが、兄ちゃんはそのマジックを落とし込むのを忘れてしまったみたいです。
「ブー、フゴ?、フゴ? ブー!」
僕は注意深く足下の臭いを嗅ぎながら、ゆっくりと運動場の外に出てみます。
その僕の様子に、同じ豚房の豚たちも興味ありげに「ブー、ブー」と鳴きながら、僕に続いて出て来ます。
僕が豚舎の外に出るのは、これが生れて始めての経験です。
そこは、コンクリートで固められた通路になっていました。あのツナギの兄ちゃんが、いつもリヤカーを引いて来る道です。運動場に降った雨水を流すための小さな溝が、運動場の柵に沿って続いています。
そしてその向こう側には大きな欅の木が、道路沿いの深い側溝に沿ってずっと並んで植えられていて、その手前には、緑色をした低い植え込みが続いていました。
「フゴ! フゴ! ブー」
僕はそう鼻を鳴らして通路のコンクリートの臭いを嗅ぎながら、通路を歩いて行きます。柔らかいお日様の光が、僕の身体に優しく降り注いでいます。
「ブブー! ブビビー!」
ほかの豚房の豚たちが、外の通路を歩く僕たちに気づいて羨ましそうに喚いています。
「ブー! フゴ、フゴ、ビー!」
僕は、ざまあみろとばかり、彼らを横目にどんどん更に先へと歩いて行きます。
僕の直ぐ後ろには、やはり同じ豚房から逃げ出した豚たちが続いています。
育成豚舎とほ育豚舎との境に、私たちはやって来ました。そこは広場になっていて、とても大きな欅の大木が何本も植えられ、周りに気持ちの良い木陰を作り出しています。
辺り一面が、コンクリートとは違う、ふわふわと柔らかくて気持ちの良い褐色の絨毯の様なモノで覆われています。鼻先を近づけ、くんくんとその匂いを嗅いでみると、湿ったとても良い匂いがします。
これがたぶん、土という物なのでしょうか。始めて見ました。
鼻で、土に穴を掘ってみます。僕らの鼻先は鼻鏡と言って、平らでとても固くできています。だから、鼻で穴を掘るくらいの事はへっちゃらです。
首を前後に動かしながら穴を掘っていきます。その土はとてもふかふかで柔らかく、穴はみるみる大きくなっていきます。
「フゴ! フゴ! フゴ! 、プー」
僕は、穴の底の土の匂いを嗅いでみました。穴の中はヒンヤリと湿っていて、何とも言えず良い匂いがしています。
「モグ、モグ、ブヒー…」
我慢ができなくなって、僕は土を少し口の中に入れると、食べてみました。
「ブー、… ペッ! ペッ! ぺ!」
たまらず口から、土を吐き出します。とても良い匂いはしますが、それは食べられる物ではなかったみたいです。
今度は穴の中に身体を潜らせると、体の上にその土をまぶしてみました。体がヒンヤリとして、それはもう気持ちが良いと言ったらたまらない事。そうして穴の中に寝そべっていると、またうとうとと眠ってしまいそうになります。
ふと、周りを見回すと、一緒に豚房から抜け出て来たほかの豚たちの姿はどこにも見えません。てんで勝手に、あちこちへと散らばって行ってしまった様です。
穴の中で砂浴びをしているのは僕一人だけでした。
「ブヒー、ブヒー…、ブ、ブ…」
呼び掛けるように鳴いてみましたが、私のその鳴き声に応える声はどこからも返って来ません。
きっとみんな、この広い養豚場の敷地の中に、バラバラに散らばってしまったのでしょう。
「ブッ、ブッ、ブ、ブウ…」
僕は、顔を上げると考えてみました。
「せっかく豚房から出られたのだから、この養豚場の中をあちこち見てみよう。きっと僕の知らない物がまだ沢山あるに違いない。…それには、小父さんたちに捕まらない様にしなきゃ……」
僕がそう思った時です、向こうの方で人の声がしました。
「おーい、豚が外に出てるぞ! どこの豚だ?」
それは、あの小父さんの声でした。
「ブヒー! ベヒー、ブー!」
追い掛けられ、逃げ惑っているかの様な豚の鳴き声も、小父さんの怒鳴る声に混じって聞こえて来ます。
「ブビー! ビー、ビー!」
「すいませーん、たぶん育成豚舎の豚です。朝の掃除の時に、扉を閉め忘れてしまった様です」
「早く捕まえろ! 側溝にでもはまったら厄介だぞ」
小父さんと、兄ちゃんの怒鳴り合う声も聞こえて来ます。
「ベヒ! ベヒ! ブゥ、ブ!」
どうやら豚たちは二人に追い立てられ、逃げ回っている様です。
「そっちに行ったぞ!」
「そっちだ! 豚舎の中に追い込め!」
「ブヒー! ブビー、ギャー!」
小父さんたちと豚たちの声が入り交じって、大変な騒ぎです。
「うーん。早く僕も、どこかに逃げるか、隠れるかしなきゃ。小父さんたちに見つかったら、また豚舎の中に逆戻りだからな…」
僕は「ブㇶ、ブㇶ」と小さくそう言うと、目の前の緑色の植え込みの中に飛び込んで、ジッと身体を固くしていました。




