第6話:利害と信頼、その交点で
ハルがメッセージを送ると、数秒も経たないうちに返信が届いた。サクラからだった。
『面白い条件ね。いいわ、それで手を打ちましょう。詳細は、いつもの場所で』
その簡潔な文面に、彼女らしい合理性と、ハルへの信頼が滲んでいた。ハルは、一人ではないという奇妙な安堵感を覚えながら、再びあの薄暗い酒場へと向かった。
一番奥のテーブル席で、サクラはすでに待っていた。フードは外され、その美しい顔には、先ほどまでの氷のような冷徹さとは違う、静かな闘志が宿っているように見えた。
「来たわね。それで、条件というのは?」
ハルは、彼女の向かいに座ると、単刀直入に切り出した。
「鍛冶屋裏のゴミ捨て場が、他のプレイヤーに押さえられた。『スクラップ・ハウンズ』と名乗る連中だ。システムの穴を突いた、悪質なやり方でね」
ハルは、先ほどの出来事を簡潔に説明した。サクラは、驚くでもなく、ただ静かに聞いていた。
「……なるほど。予想より早かったわね」
「予想?」
「ええ」とサクラは頷いた。「あなたのインゴットが市場に出た時点で、いずれ誰かがその供給源に気づくと思っていた。問題は、それが誰で、どう動くかだったけど……一番面倒な連中が出てきたわね」
彼女の言葉は、ハルが一人で見ていた世界が、いかに狭いものだったかを物語っていた。サクラは、常に市場全体を、そこに蠢くプレイヤーたちの欲望の動きまでを読んでいたのだ。
「それで、どうする? 彼らと交渉するのか?」
ハルの問いに、サクラは初めて楽しそうに笑った。
「交渉? まさか。ハイエナと交渉しても、骨の髄までしゃぶられるだけよ。それに、あなたの条件は『価格は誰にも口出しさせない』こと。彼らにショバ代を払った時点で、その条件は破られるわ」
「じゃあ……」
「簡単なことよ」とサクラは言った。「彼らが占拠している『宝の山』を、ただの『ゴミの山』に変えてしまえばいい」
その言葉に、ハルは目を見開いた。サクラの思考は、常に彼の想像の一歩先を行く。
「どういうことだ?」
「彼らのビジネスが成り立つのは、そこが唯一の『ガラクタの供給源』だから。もし、それよりも効率的で、質のいいガラクタが手に入る場所が他にあれば、彼らのシマには何の価値もなくなる。あなたは、それを見つけられるかしら? あなたの、その『目』で」
サクラの視線が、ハルの鑑定眼の本質を試すように、鋭く突き刺さる。
ハルは、ゴクリと喉を鳴らした。そして、彼の思考は、地図をなぞるように走った。
(ゴミ捨て場のガラクタ……その本質は、NPCが『不要』と判断して捨てたものだ。ならば、同じように、NPCが毎日、定期的に何かを捨てている場所はないか?)
彼の脳裏に、街の風景が地図のように広がる。そして、一つの場所に、彼の意識が吸い寄せられた。
「……一つ、心当たりがある。だが、外れだった場合、すべてが終わるかもしれない」
サクラは、ハルの瞳の奥に宿る確信と、わずかな不安を正確に読み取った。
「……もしあなたが見誤ったら、私たちの信頼も、商機も全部吹き飛ぶわよ」
彼女は一呼吸置き、そして不敵に笑った。
「その賭け、乗るわ」
二人が向かったのは、街の南側にある、大きな水路だった。生活用水や、各工房から出た排水が、轟々と音を立てて流れていく。多くのプレイヤーは、こんな汚い場所には見向きもしない。
「ここか?」
「ああ。この水路の上流には、街のあらゆる工房が並んでいる。そして、毎日決まった時間に、清掃員NPCが、各工房から出た『産業廃棄物』をここに流しているんだ」
「なるほど。でも、どうやってそれを?」
「見てろ」
ハルは、水路の脇に設置された、錆びついた取水ゲートの前に立った。そして、インベントリから一本のロープと、先ほど露店で使っていた布を取り出す。彼は、布を網のようにロープに結びつけると、それを取水ゲートの金網に固定した。
「……原始的ね」
「だが、合理的だろ?」
あとは、待つだけだった。
数十分後、遠くから鐘の音が聞こえてくる。正午を知らせる合図だ。それと同時に、水路の上流から、黒く濁った水と共に、様々なガラクタが流れてきた。布の切れ端、木屑、そして、キラリと光る金属片。
それらが、ハルが仕掛けた即席の網に、次々と引っかかっていく。
濁流が通り過ぎた後、ハルは網を引き上げた。そこには、ゴミ捨て場にあったものとは比べ物にならないほど、多様で、質の高そうなガラクタが山のように溜まっていた。
ハルは、その中から黒ずんだ金属片を一つ拾い上げると、【鑑定】スキルを発動した。
『黒鉄の欠片 を入手しました』
(鉄じゃない……黒鉄だと!? 銅より上の金属……中級装備にしか使えないはずだ。こんなところで流れてくるなんて――)
それは、銅よりも一段階上の、中級者向けの装備に使われる素材だった。
ハルとサクラは、顔を見合わせた。二人の目には、同じ色の光が宿っていた。勝利への確信だ。
「さて、第二ラウンドと行こうか」
サクラが、不敵に笑った。
二人は、再び街の広場へと向かった。今度は、鍛冶場の前ではない。スクラップ・ハウンズが占拠する、あのゴミ捨て場のすぐ近くで、彼らは新しい露店を開いた。
ハルが、先ほど手に入れたばかりの【黒鉄のインゴット】を並べた瞬間、市場は再び爆発した。
「なんだあれ!? 黒鉄のインゴットだと!?」
「品質85!? ありえない!」
プレイヤーたちは、もはやゴミ捨て場に見向きもしない。誰もが、ハルの露店に殺到する。
その光景を、ゴミ捨て場の入り口で、スクラップ・ハウンズの連中が呆然と眺めていた。リーダー格の男が、吐き捨てるように呟く。
「やられた……?いや、待て、あの素材……どこかで……」
足元には、もはや誰にも見向きされない“本物の”ゴミだけが、無残に残された。
サクラがハルの横で、ほんの少しだけ微笑んだ。
「あなた……やっぱり面白いわ。次は、何を見つけるつもり?」
ハルは市場の喧騒の向こう、静まり返った“かつてのシマ”に目を向ける。
「誰も見ないなら、俺が見る。……“価値”は、数字の外で眠ってる」