第4話:ガラクタの山と最初の価値
ハルの決意の言葉は、初心者の喧騒にかき消された。それでいい、と彼は思った。この世界で、自分はまだ何者でもない。誰にも注目されず、誰にも警戒されない、ただのモブキャラクターA。それは、彼の計画を実行する上で、最高のカモフラージュだった。
彼はまず、街のメインストリートをゆっくりと歩き始めた。戦闘に向かうプレイヤーの流れに逆らい、まるで観光客のように、一つ一つの店の看板や、道端で会話するNPCの言葉に耳を傾ける。
(まずは、この街の経済の輪郭を掴むことだ)
彼の視界の隅には、常に半透明のウィンドウが開かれており、そこに手書きのメモのように思考が記録されていく。
・道具屋:『薬草』の買取価格、1つ1シード。『ヒールポーション(小)』の販売価格、50シード。
(なるほど。薬草50個でポーション1個分の値段か。だが、ポーションの材料は薬草だけじゃないはず。この差額に、最初のビジネスチャンスがある)
・武器屋:最低ランクの『銅の剣』、販売価格200シード。
(初心者がスライムを1体倒して得られるのは、平均2〜3シード。剣一本買うのに、100体近くのモンスターを狩る必要がある。この負担は大きい。もっと安価な武器があれば、確実に需要がある)
ハルは、現実の仕事と同じように、淡々とデータを収集し、分析していく。他のプレイヤーがモンスターのドロップアイテムに一喜一憂している間に、彼はこの世界の経済法則そのものを丸裸にしようとしていた。
一通りメインストリートの調査を終えたハルは、多くのプレイヤーが見向きもしない、街の裏路地へと足を踏み入れた。湿った石畳の匂い、建物の影が作る薄暗がり。ここにも、価値の欠片は眠っているはずだ。
そして、彼はついに目的の場所を見つけた。
街の鍛冶屋の裏手にある、ゴミ捨て場。そこには、制作に失敗したであろう武具の残骸が、無作法に山積みになっている。錆びついた釘、折れた剣の破片、歪んだ盾。他のプレイヤーにとっては、ただの背景オブジェクトでしかない。
だが、ハルの目には、それが宝の山に見えた。
(あった……!)
彼は周囲に誰もいないことを確認し、ゴミの山に近づく。そして、おもむろに手をかざし、覚えたてのスキルを発動した。
「収集」
彼の目の前に、半透明のウィンドウが開き、システムログが流れ始める。
『錆びついた釘を入手しました』
『折れた剣の破片を入手しました』
『歪んだ鉄の小盾を入手しました』
アイテム欄が、あっという間にガラクタで埋まっていく。しかし、ハルの口元には、確かな笑みが浮かんでいた。計画の第一段階は、成功だ。
彼は、人通りのない裏路地のさらに奥へと移動すると、インベントリを開き、収集したガラクタの山を眺めた。
「まずは、分解だ」
ハルがそう呟き、スキルを発動すると、彼の目の前でアイテムが次々と光の粒子に変わっていく。
『錆びついた釘を分解し、鉄の欠片 x 1 を入手しました』
『折れた剣の破片を分解し、鉄の欠片 x 2 を入手しました』
『歪んだ鉄の小盾を分解し、鉄の欠片 x 5 を入手しました』
数分後、彼のアイテム欄には、数十個の「鉄の欠片」が積み上がっていた。
(よし……! これだけあれば、インゴットがいくつか作れる)
心の中でガッツポーズをする。次は、このガラクタから価値を生み出す、錬金術の工程だ。
「錬金」
彼の目の前に、古めかしい小さな錬金釜が出現する。彼は、インゴット一つ分に必要な「鉄の欠片」を計算して釜に投入し、錬成を開始した。彼のステータスウィンドウに表示された、MPの青いゲージが、ゆっくりと、しかし確実に減少していくのを注意深く見守る。
(戦闘職にとってMPは生命線だが、俺にとっては生産活動の原資そのものだ。これが尽きれば、俺の工場は停止する。無駄遣いはできない)
ゴポゴポと、釜の中から気泡の弾ける音が聞こえる。数分後、光が収まり、釜の中から取り出されたのは、不純物が取り除かれ、鈍い輝きを放つ金属の塊――【鉄のインゴット】だった。
ハルはすぐに【鑑定】スキルを使用した。
【鉄のインゴット】 ・等級:コモン ・品質:72 / 100 ・詳細:不純物がある程度取り除かれた鉄の塊。基本的な武器や防具の素材として利用できる。
(NPCから買うインゴットの品質が、平均50前後。これは、間違いなく売れる)
ハルは、他のプレイヤーが鉱山で必死に鉱石を掘り、それを精錬して作る「鉄のインゴット」を、元手ゼロ、わずかなMPの消費だけで作り出すことに成功したのだ。
彼は、すぐさま街の広場へと向かった。
鍛冶スキルを上げたいプレイヤーたちが集まる鍛冶場の前で、彼は地面に布を広げ、作り出したインゴットを並べ始める。
「インゴット、いかがですかー。NPCショップより少しだけお安くしておきますよ」
彼の小さな露店に、最初に気づいたのは一人の屈強な戦士だった。
「ん? インゴットだと? NPCから買えばいいだろうに……ん? 品質72? おい、これどうやって手に入れたんだ?」
「企業秘密、というやつですよ」
ハルが微笑むと、戦士は「怪しいやつめ」と言いながらも、その品質と価格に惹かれ、いくつかのインゴットを買い上げていった。
それが呼び水となった。
「品質72がこの値段は反則だろ! 俺、10個まとめて買う!」
「おい並べよ! 順番だろ!」
「まさかチート使ってるんじゃ……?」
噂が噂を呼び、ハルの露店にはあっという間に黒山の人だかりができ、小競り合いまで起き始める。そんな熱狂と混乱のざわめきの中、ハルはただ静かに、口の端を吊り上げていた。
計画の成功を確信し、彼の口元が緩んだ、その時だった。
その人だかりを、まるでモーゼの奇跡のようにかき分けるようにして、一人の女性プレイヤーが彼の前に立った。フードを目深にかぶっているが、その佇まいは他の初心者とは明らかに違う。
彼女はインゴットを一つ買うと、その場で鑑定し、ハルに鋭い視線を向けた。
「あなた、おかしいわ。この品質のものを、この価格で、この回転率で売るなんて。どうやっても採算が合わない。一体、どうやってそのインゴゴットを〝調達〟しているの?」
その声には、単なる好奇心ではない、市場の異常を許さないという、冷徹な意志が宿っていた。
ハルは、自分が初めて、この世界の本当のプレイヤーと対峙していることを悟った。