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第3話:再起を賭けた十のスキル

サービス開始当日、午後9時。

ハルは、自室のベッドに横たわり、数日前に届いたばかりの最新型VRギア――《ニューロリンカー》を装着した。流線形の白いボディが、彼の頭部を優しく、しかし確実に包み込む。視界が遮断され、外界の音は遠のき、自分の心臓の鼓動だけがやけに大きく聞こえた。


(今度こそ失敗できない。――これが、最後の賭けなんだ)


彼の脳裏に、幼馴染の屈託のない笑顔が浮かぶ。「最強の剣士になるんだ!」と息巻いていたリョウはきっと、始まりの草原で、仲間たちと笑い合いながら最初のモンスターを追いかけているに違いない。彼は、この世界の太陽になる。だが、自分は月にもなれない。ただ、その光が作る影の中で、誰にも知られず、静かに価値を探すだけだ。


ハルは、ゆっくりと深呼吸をした。

「ダイブ・スタート」

彼の呟きに応えるように、ニューロリンカーが静かに起動する。


――世界が、情報の奔流に溶けていく。

手足の感覚が薄れ、自らの体がデータという名の濁流に飲み込まれていくような、不思議な浮遊感。現実から切り離された意識は、情報の奔流の狭間を駆け抜けていく。そして、長いような、短いような時間の後、彼の意識は真っ白な空間で静かに着地した。


目の前には、巨大な鏡が浮かんでいる。

『アバターを調整してください』

無機質なシステム音声が響く。多くのプレイヤーは、ここで理想の自分を作り上げるのだろう。英雄のような屈強な肉体、誰もが振り向く絶世の美貌。だが、ハルにその願望はなかった。


彼は現実の自分のデータをベースに、ほんの少しだけ、背筋を伸ばし、不摂生で落ち窪んでいた目元に健康的な色味を加えた。そして最後に、瞳の色を調整する。彼は、吸い込まれるような深い黒を選んだ。何物にも染まらない、けれど、全ての光を飲み込み、その奥に真実を映し出すような、静かな黒。鑑定士としての自分を、そこに重ね合わせた。


鏡に映るのは、理想とはほど遠い――けれど、確かに「なりたかった自分」だった。

名前は、迷いなく「ハル」と入力する。


そして、ついにその時が来た。

彼の目の前に、無数のスキルアイコンが星空のように展開される。剣、盾、炎、氷――プレイヤーを輝かしい冒険へと誘う、きらびやかなアイコンたち。


だが、ハルはそれらには目もくれない。彼は、昨日までにノートに記した設計図通り、星空の片隅で埃をかぶっているような、地味なアイコンだけを探し出し、一つ、また一つと選択していく。


【鑑定】【収集】【分解】【錬金】

【鍛冶】【裁縫】【木工】

【テイマー】【料理】


九つのスキルを選択し終え、ハルは最後のスキルへと指を伸ばした。

それは、錆びついた歯車の絵が描かれた、最もみすぼらしいアイコン――【雑用】だった。


(……本当に、これでいいのか?)

一瞬、そう思った。でも――迷う理由なんて、もう残っていない。


彼がそれを選択した瞬間、目の前に、赤い警告ウィンドウがポップアップした。


『警告:推奨構成から著しく逸脱しています。このスキル構成は、戦闘には極めて不向きです。継続しますか?』


システムからの、感情のない、冷たい問いかけ。

「“不向き”か……それがどうした」

ハルは、指先で静かに『はい』を選んだ。彼の瞳に、迷いはなかった。


彼がそう選択した直後、視界が再び真っ白な光に包まれた。


次に目を開けた時、ハルの鼻腔を、湿った土の匂いと、木々の若葉が放つ青々しい香りがくすぐった。耳には、遠くで聞こえる鳥のさえずり、そして風が木々の葉を揺らす音が、信じられないほどのリアリティで響いてくる。


そこは、活気に満ちた「始まりの街コモレビ」だった。

石畳の道を行き交う、自分と同じ初心者プレイヤーたち。そのほとんどが、真新しい剣を腰に下げた剣士か、杖を握りしめた魔法使いだ。誰もが、目を輝かせ、これから始まる冒険に胸を躍らせている。


「うおー! すげえ! 本当に異世界じゃん!」


近くのプレイヤーの叫び声が、立体音響としてリアルに聞こえる。それと同時に、視界の隅には、半透明のウィンドウが表示されていた。


《エリアチャット》

[Player_A]:スライム狩りPT募集!@2名様ー!

[Player_B]:誰かポーション売ってくれー! 50シードで買う!

[Player_C]:この街、広すぎだろ!


街全体に向けたテキストチャットが、ARのように高速で流れていく。その喧騒を背に、ハルはまず自分のステータスウィンドウを開いた。そこには、彼が選んだ10の不遇スキルが、静かに並んでいる。


それらを一つ一つ指でなぞり、ハルは満足げに、そして不敵に、口の端を吊り上げた。


「誰も見ないなら、俺が見る」


彼の最初の目標は、モンスターがうろつく森ではない。

この街の、そしてこの世界の「価値」が、どこに眠っているのかを暴き出すための、徹底的な市場調査だった。

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