第21話:石の巨影に、矢は束ねられる
荒野の縁を駆け上がると、石の風が顔を叩いた。
崩れた柱、苔に縁取られた舗石、そして――広間の中央に、古い道そのものが武器を取ったかのような巨影が立っている。
古道の守護者。
鎧は岩盤、筋肉は地層。眼窩の奥で、青白い灯がぼうと揺れていた。巨腕に抱えられた斧は、道標だった巨岩を削り出して作ったかのように無骨で、刃の縁は千の旅人の足跡を吸い込んだかのように黒ずんでいる。
「来る」
カエデが一歩前へ出た。タワーシールドが地面に触れる瞬間、乾いた音が空気ごと緊張させる。リョウは双剣の位置を半歩落とし、俺は短槍の石突きで足場を確かめる。ハヤトは視界の隅で消え、サクラが腰のポーチを開く音がやけに澄んで響いた。ジンは、背負った大槌の柄を握り、杭と鎖の束を肩から下ろしている。
守護者の肩が、ほんのわずかに沈んだ。
――次の瞬間、世界が割れた。
轟音。斧が振り下ろされ、床石が花びらのように砕け散る。地鳴りが腹を殴り、砂利が頬を打った。カエデの盾に刃が叩きつけられ、火花が宙で散る。滑る足を、後ろから俺が肩で支える。
「助かる」
彼女は短く言い、もう一歩、巨影へ踏み込んだ。盾の縁が低く唸る。
守護者は横薙ぎ。岩の腕が風を押し出し、横一列に立っていた柱がいとも容易く吹き飛ぶ。
「下!」
ハヤトの声が、風の切れ目に刺さる。全員が同時に沈み、刃が頭上を掠める。髪が一本、空に持っていかれた。
「周期、読むぞ!」
サクラが叫ぶ。彼女の目は、巨体ではなく戦場全体を見ていた。
「振り下ろし二一秒周期、三合目で“地割れ”。三回振ったら足元から離れて!」
「了解!」
ジンの声と同時に、俺は広間の四隅を見る。苔むした台座――ただの背景だと思っていた石の塊。だが、側面に刻まれた線刻が、俺の視界では薄く光って見えた。
【鑑定】
視界の端に文字が滲む。
《古語ルーン:欠の巡り、東風に始まり、南炎、西土、北水。影に合わせ、三度打て。》
(やっぱり……)
四つの台座。順番と属性。
起動すれば、守護者の“自己修復”が止まる。俺の頭のどこか深い場所で、巻物の文言――『欠けで開く』『影に捧げよ』――が反芻される。
「ハル!」
サクラが背中越しに緊急用の小瓶を投げてよこす。俺はそれを空中で掴んだ。
「エレメント・オイル、四種。風、火、土、水。足りなくなったら作る!」
「助かる」
守護者の二打目。斧が地面に落ち、カエデが膝で衝撃を殺す。三打目――足踏みだ。
床石が鳴り、青白い光が亀裂から噴き出す。
「今!」
俺は東隅へ駆け、風のオイルを短槍に塗る。揮発した草の香りが鼻を刺す。ペダスタルの上面に短槍を叩きつけると、石の内部で空気がひゅっと収束し、風紋が浮かんだ。淡い光が走り、台座の符が薄く点滅する。
「一つ目、起動! 東・風!」
「南、任せろ!」
リョウが声を残し、炎色の瓶を歯で抜いた。双剣に火が走る。彼は守護者の横薙ぎを、ほとんど刃の裏で受け流し、炎の奔流を南の台座へ叩きつけた。符が赤く燃え、二つ目が点く。
「二つ目、南・火!」
「三つ目は西、土だ」
ジンが土色の泥を大槌に塗り込め、途中で杭を一本、地面に打ち込む。鎖を踏み、足場を固定。守護者の足元に短いチェーン・トラップを敷きながら、西へ回り込む。
「はあぁっ!」
大槌が台座に落ち、鈍い震動が広間の骨に伝わる。土の符が重く灯る。
「三つ目、西・土!」
「最後は北――水!」
カエデが一度だけ俺を見る。俺は頷き、水のオイルを彼女の盾へ塗る。冷気が霧のように広がり、盾の表面に薄い水膜が走った。
「任せて」
守護者の斧が四度目の始動。彼女は盾を斜めに立て、刃を滑らせて逸らす。その反動で北の台座へ踏み込み、盾の縁で叩きつける。水紋が弾け、四つ目の符が――
……点かなかった。
「……え?」
符が泣くように微光を漏らし、すぐに消えた。
「違う。足りない」
俺の背筋が冷える。巻物の一節が、遅れて体に落ちる。
『影に捧げよ』
四元素だけじゃない。最後に“影”が必要だ。
(“欠け”……“影”……月齢は“満ちる光”じゃなく、“欠ける影”で扉を開ける)
「サクラ、影が要る! 水じゃない、影の属性!」
「影属性のオイルなんて――」
言いかけた彼女が、すぐにポーチの底をひっくり返した。
「煙墨、月苔、闇砂……ある。作れる?」
「作る!」
俺は背で守護者の風圧を受けながら、手元で小さな調合器を組み立てる。ぷるが俺の肩からすべり降り、二つの瓶を吸い込み、ぐに、と体内で撹拌した。
「ありがとな、ぷる」
手に戻った液体は、光を飲むような濃い紫。栓を抜くと、空気の温度が一瞬だけ下がった。
「影化オイル――カエデ、もう一度!」
「了解!」
彼女は盾を自分の影に重ねるように構え、影のオイルを縁に走らせた。
「来い」
守護者の斧が再び振り上がる。カエデの足が半歩、石を刻む。刃が来る直前、彼女は肩で受け流し、回転の遠心力のまま北の台座に影の縁を叩きつけた。
――点いた。
四隅の符が同時に黒い光を吐き、広間の天井に逆さの星図が広がる。光は次の瞬間、影へと反転し、守護者の胸に黒い円を刻んだ。
【システム:“再生の巡り”停止/防御力 -50%/60秒】
「今だ、全部載せる!」
サクラの号令。
俺はベルトから二つの瓶を抜く。一つは攻速蜜酒、もう一つは関節腐蝕剤。前者を全員に配り、後者を守護者の岩の継ぎ目へ投げつける。紫の液が石の目に食い込み、そこだけ色がわずかに暗くなる。
「行くぞおおお!」
リョウが燃え上がった。双剣が紅蓮に染まり、彼の体が地を滑る。
「紅蓮連牙・十六段!」
斬撃が円となって胸の黒印の上を刻む。火の弧が何本も重なり、黒印から薄い煙が上がった。
「割る」
ジンが低く呟き、大槌を振りかぶる。破甲のルーンが柄に点り、鎖で足首を束ねた守護者の脚を一度、二度と殴る。
「鍛冶師の一撃!」
鈍い音。石が悲鳴のように鳴り、亀裂が膝まで走った。
「隙、つく」
ハヤトが影から飛び出し、短剣に毒と影を二重に塗る。
「急所穿ち(ピアス)」
彼は黒印の縁――影と石の境目を正確に突き、陰印を刻む。そこにリョウの刃が重なり、爆ぜるようなダメージがログで弾けた。
「押す!」
カエデが盾を前へ。巨体の重心を黒円の中央へ押し戻す。
「シールドチャージ!」
盾と岩がぶつかる音が胸に刺さる。守護者がたじろぎ、黒い円の中心に踏みとどまる。
(外へ出さない。円の外に出たら終わりだ)
「三十秒!」
サクラのカウント。彼女は雷管を数個投げ、守護者の足元で感電の火花を散らす。俺は臨界漿(短時間だけ硬度を落とす溶液)を亀裂へ流し込む。
ぷるがその小瓶を抱えて跳ね、俺の手元に空瓶を戻す。
「よくやった」
守護者が、足を上げた。
黒円の外へ出ようとしている。
「鎖!」
ジンが杭を撃ち、鎖を引く。カエデが盾の縁で踝を押し戻す。
「ハヤト、膝裏!」
「取った!」
短剣が腱の位置に当たり、動きが一瞬だけ鈍る。
「二十秒!」
リョウが息を吐く。汗が飛ぶ。
「切り札、行くぞ」
双剣が一瞬、静かになり、次の瞬間、音を置き去りにした。
「迅雷双閃!」
斬撃はもはや線ではなく、点の連なり。黒円の中心が白く見えるほど高速に刻まれる。ログがクリティカルで埋まり、守護者の胸に走っていた亀裂が深くなる。
「十秒!」
(足りるか――)
俺は最後の一本を掴んだ。
破砕触媒。石の共鳴周波数を狂わせ、共振破壊を誘う薬。
「ジン、ここに合わせて!」
俺が槍尻で示したのは、胸の黒印から走った一番古い亀裂。
「わかった!」
ジンが大槌を振りかぶる。俺は薬を亀裂へ流し込み、三つ数えた。
「今!」
大槌が落ちた。
石が歌った。
重く低い、不協和の音。広間の空気が一瞬だけ波打つ。亀裂が走る。胸から脇腹へ、脇腹から腰へ。
リョウが最後の一刀を落とす。
「――抜刀・終!」
刃が入った。
沈黙。
次の瞬間、守護者の巨体が崩れ、広間の床へ膝をついた。
青白い灯がふっと消え、岩の鎧が砂へ戻っていく。
【システム:フィールドボス〈古道の守護者〉討伐】
【報酬:古道の鍵/守護者の核石/星映砂×1】
【新ルート解放:東方門 “フレイア街道”】
「……やった、のか」
俺は短槍の石突きを床に突き、息を吐いた。
膝が笑っている。腕が鉛みたいに重い。それでも、胸の中心に冷たく明るいものが灯っている。
「やったぜ!」
リョウが双剣を天に掲げる。汗に濡れた笑顔が、広間の埃の光を跳ね返す。
「最高だな、おい!」
「ふぅ……堪えた」
カエデが盾を下ろし、髪を耳にかける。頬に走った砂の線が、戦いの軌跡みたいに見えた。
彼女は俺に視線を寄越し、ふっと柔らかく笑う。
「押し戻す時の合図、助かった。信じて踏み込めた」
「助かったのはこっちもだ。ありがとう」
ハヤトが短剣を回し、鞘に収める。
「……認める」
いつもの皮肉はない。
「“見るだけ”じゃない。お前の“目”は、作戦に変わる。次も、その目に乗る」
ジンは無骨に頷き、俺の肩をがしと掴んだ。
「よく合わせた。お前の合図がなければ、共振は起きなかった。職人の仕事だ」
サクラが最後に近づいてきて、俺の手の甲を一瞬だけ握った。
「……創ったわね」
彼女はほんの少し、目元だけ、笑う。
「“見る人”じゃない。“創る人”。今のあなた、好きよ」
そのとき、ぷるが俺の足元でぴょいんと跳ねた。
俺は笑って、ぷるの頭(らしき部分)を指でつつく。
「お前も、よく混ぜた」
**
砂塵が落ち着くに連れて、広間の東側に石の門が音もなく開いた。
そこから流れ込んでくる空気は、薄く冷えていて、遠くに氷の匂いがした。
フレイア。地図の上でしか知らなかった街の名が、現実味を帯びる。
俺は、ドロップに転がっていた星映砂を掌にのせた。
白でも黒でもない、薄明の粉。
【鑑定】
《星映砂:星詠みの水晶の母材から零れ落ちた微細な砂。光ではなく「軌跡」を映す。一定条件で“影像”を記録する。》
(星の運行を映す水晶)
胸の奥で、現実の“物語”の歯車が、またひとつ噛み合った。斎藤。黒木。見立て会。
俺はサクラを見る。彼女は頷く。
「次へ進みましょう」
リョウが肩を回し、カエデが盾の革紐を締め直す。ハヤトは無言で門の影を確かめ、ジンは大槌の柄を叩いて強度を確かめる。
ぷるは俺の肩に戻り、膜がぱちんと小さく鳴った。
「行こう」
石の門をくぐる直前、俺は広間を振り返った。
砂へ戻った守護者の胸元、黒い円の跡だけが、まだかすかに残っている。
そこに、影が集まり、欠けが生まれ、道が拓けた。
俺たちは六人で、次の道へ歩み出した。
二つの世界を一本の線で結ぶ、そのために。
そして、あの“怪物”を、必ずこの場へ呼び寄せるために。




