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第三話 Fighting

第三話


数日が経過した。

穏やかで肌寒い空気に包まれた街は今日も朝を迎えていた。至る所で目覚める者があり、そして時たま眠りにつく者もあった。そんな人々の営みの中で、またごく普通の朝を迎える世界がそこにあった。

包丁がまな板を叩く音が鳴り響き、鍋の蓋がかたかたと鳴る。少女は鼻歌を歌いながら色の濃いほうれん草を刻み、味噌汁の鍋へと落としていく。

「おはよう」

「おはようございます!」

少女はお玉を片手に朝の挨拶を済ませる。対する少年はやや眠気まなこだったが、鼻をくすぐる味噌汁の匂いに思考が徐々にクリアになっていく。

「今日も朝食を?」

「はい! 毎朝作りますよ!」

彼女は嬉しそうに味噌汁の鍋へと歩み寄ると、お玉で少しだけすくって口に含ませる。そして、ユリはにっこりと笑った。味加減はちょうど良いようだ。

「今日は任務でしたよね!」

「よく覚えてるな……」

サトルはぽりぽりと頭をかきながら、歯ブラシを手に取る。

「実はですね……じゃーん!」

洗面所から出てきたサトルに向かって、ユリは四角い箱を突き出した。

その箱は丁度サトルのでこを強襲するかのように打ちのめし、ほんの一瞬サトルの意識を彼方へと吹き飛ばす。

「ぐぉっ」

黒い箱に撃墜されたサトルは少しずつ堕ちていき、歯ブラシをくわえたまま床に倒れ伏す。

「なーんとお弁当を作っちゃいました! ユリさん手作り弁当なんです! 朝からゆっくり煮込んだハンバーグは頬が落ちそうなほどとろとろになっていますし、逆にミートボールはぷりっと身が引き締まっています! それからそれから……」

サトルを撃破したことにも気付かず、弁当の解説を始めるユリ。サトルの意識も徐々に回復し、痛そうに顔をしかめながら立ち上がった。

「いつつつ……おい、ユリ」

「さらにピーマンの肉詰めは素早く火を通して美味しさをぎゅっと……はい?」

「弁当を渡すときもう少し穏やかに渡してくれ」

サトルは弁当を受け取ると、それを無造作にカバンの中へと放り込んだ。

「もう少し丁寧に扱ってください! それにお礼もないんですか?」

「礼は後でする。食ってみないと美味いかどうかわからないからな」

そう言って、歯を磨きながら新聞を広げるサトル。そんなサトルの不愛想な様子にユリは頬を膨らませる。

「まったく、礼をきちんと言っておけばよかったって後悔しますよ?」

「ああ、そうかもな。でも、昼飯よりもまずは朝飯からだ」

サトルは新聞を折りたたむと、歯ブラシを片付ける。

ユリはサトルの言葉を聞いて、自分が手掛けた朝食を並べ始める。

肉じゃが、ほうれん草の味噌汁、そして湯気を上げるご飯。典型的な和食型朝食だった。

「今日も美味そうに出来てるな」

並べられた朝食を見て、サトルは少し嬉しそうに言う。時間はあっても、面倒さ故にほとんど料理をしないサトルだったが、こうして温かな朝食を見ていくらか心が和んだのだろう。

「実際に美味しいですよ」

二人は席に着いて手を合わせる。

「「いただきます」」

まず最初に味噌汁へと手を伸ばすサトル。ほうれん草を箸でつまみ、そして味噌汁を口の中に含む。

「美味い」

サトルは顔を上げてまず一番に言った。やや不機嫌だったユリの表情も、その一言でいくらか和らいだ。

次に、サトルは肉じゃがへと箸を伸ばす。牛肉とジャガイモ、白滝、ニンジンをじっくり煮込んだ品で、ほくほくと白い湯気が上っている。

「美味いな。この分だと弁当も期待できそうだ」

「ありがとうございます!」

先ほどのまでの不機嫌顔はどこへ行ったのか、彼女の表情は満面の笑みに満ちていた。

サトルはそんなユリの表情をまじまじと見つめる。何事かと、ユリは不思議そうな表情を浮かべて尋ねた。

「あの……わたしの顔に何か付いてますか?」

「いや……怒ったり、笑ったりと忙しいなと思ってな」

それを聞いて、彼女はにっこりと笑う。

「だって、嬉しいんです。サトルさんに美味しいって言ってもらえて……」

「美味いものを美味いといって何が悪い」

サトルは味噌汁をすする。優しい味が口の中へ広がっていき、そして後味を残しながら消えていく。

「それにしても……会った頃と比べて明るくなったな」

「うーん、こっちが地の性格なんじゃないですか? この前まではまだ本調子じゃなかったってことです」

「ま、そういうことなんだろうな」

ユリの言葉に納得しながらサトルはうんうんと頷いた。

それにしても……とサトルは考える。

ユリの正体は何者だろうか。料理が上手で、明るくて元気。端から見ればどこにでもいる普通の女の子だ。

だが、それゆえに彼は怪しいと考える。普通の女の子がどうして血濡れで研究所にいたのだろうか。

まるで全身に血を被ったかのように赤く染まっていた彼女は、今目の前で嬉しそうに朝食を食べる白髪の少女とは似ても似つかない。あの時の彼女は何かを恐れるかのようにがたがたと震えていた。もちろん、恐れる対象は自分も含まれていたのだろうが、それだけを恐れていたとは考えにくい。

そして、銃に関する知識。今時ウィンチェスターライフルなどという名前を知る者はそう多くはない。相当の銃マニアか、今では珍しいクレー射撃を楽しむ者だけだろう。

それらを統合して考えられるのは、彼女がメカニックだったという可能性だ。それならば、銃に詳しいことに説明がつくし、研究所を襲撃した連中の使用していた武器の恐ろしさを骨の髄まで知っている。

けれども……と彼は思う。人は見た目で判断を付けるべきではないとは言うが、この白髪の少女が小難しい機械を修理する姿を彼は想像できなかった。

「サトルさん?」

ユリが心配そうな表情を浮かべる。

「どうかしたんですか? 難しそうな顔をして……」

「……いや、なんでもない」

そう言うと、彼は残りの朝食をかっこみ、席を立つ。

「出かける準備をしてくる。ユリも早めに済ませるように」

「え、私もですか?」

何をいまさら、というような表情をしてサトルは呆れる。

「当然だろう。ユリもウチの部隊の隊員だ。仕事がなくても出るに決まっているだろう」

そう言って、サトルは部屋の向こうへと消えていく。ユリはしばらくの間ぽかんとしていたが、やがて我に帰ると急いで朝食を食べ始めた。



仕事、と言っても彼らの部隊はすることがない。

基礎訓練も基本的に自分でするように義務付けられている。他人に強制されてやったところで意味はないからだ。

全体での訓練も月に一度程度である。幼い頃から共に暮らしてきた彼らに、息を合わせるための特殊な訓練は必要ない。

実際の任務の方だが、そう多忙なわけではない。多くて週一度程度、襲撃された地域の後片付けをするだけである。

そもそも日本は戦争に対して非協力的な国だ。日本自体は戦地ではなく、海外へと派遣されている軍も戦地派遣ではなく、難民キャンプの救済や非戦地域の警護などである。

それでも、ロベミライアは世界中へと容赦なく攻撃を行う。転移装置を利用したオートマータ転送によって、場所関係なく攻撃を仕掛ける。それはもちろん日本も標的の一つである。

彼らはそういうときに出動する。まず、日本軍の主力部隊、そして補助にジュニアチーム。といっても、ほとんどの戦闘を主力部隊が行うが、時たまジュニアチームが戦闘を行うこともある。

彼らはそういうとき、確実に高い戦績を上げる。だからこそ、最強の部隊の一つとして数えられるのだ。

今日もトレーニングルームには意識の高い少年兵達が通っていた。といっても、ダンベルを上げて体を鍛えるわけではない。

この時代における体力の強化とは、主に電気刺激筋強化と、薬物投与という二つの方法が取られる。

前者は電気刺激により筋力を爆発的に強化するトレーニング方法で、薬物投与と合わさって高い効果を上げる。

後者は筋肉を組成するアミノ酸や、その吸収を助ける物質などを投与して、筋肉の増強を手助けする。電気刺激筋強化の効果を数倍に高める効果を持っているのだ。

反復運動による筋強化など、時間が掛かるだけで誰も行おうとはしない。誰もが楽な方法で筋力を強化する方法を取ろうとするのは当然だった。

だが……今日も旧トレーニングルーム……ダンベルなどが置かれた部屋に通う者がいた。

サトルは汗を流しながらダンベルを上下する。リンは壁に駆けられたダーツを楽しみ、ヒロキはサトルのものよりかなり軽いダンベルを担ぎ、ヒメは静かに本を読んでいた。

「リンたちもたまにはどうだ?」

「あたしはパス。どうせ筋力付かないし」

「オイラはやってるっす」

「……」

思い思いの返事が返ってくる。サトルは自分の持っていたダンベルを置き、ヒロキの持っていたダンベルの重量を増やす。

「な、なんでオイラだけ……」

「お前のダンベルは軽過ぎる。その状態であと一時間そうしていろ」

そう言うと、サトルは再び自分のダンベルでトレーニングを再開する。

ユリはそんな四人を見ながら部屋の一角に座っていた。目の前で繰り広げられる様子は、彼女が想像していた恐ろしい訓練とはかけ離れたものだった。

「あのー……リンさんとかは訓練しないんですか?」

「話さなかったっけ? 私って特殊な体質で、重いものを持ったり、強い力を発揮したりするのに適していないの。なんていうか、俊発力だけの筋肉って感じ? 早い動きはできるんだけどね~」

そう言ってリンはナイフを投げる。それはど真ん中にターゲットを貫き、後ろの壁にまで突き刺さる。

「なるほど……ヒメさんは?」

「……体重がない」

力とは体重が大きく関係する。それゆえに、体重がなければどんなに筋力があっても大きな力は生まれない。

「たくさん食べたりとかは……?」

「一週間レーションだけで生活した。けれども体重は300グラムしか変わらない」

レーションとは超高カロリーの軍用携帯食糧である。一口で数千カロリーに達するため、軍用非常用食糧として主に用いられる。味はあまりよろしくないとの評判で、好んで食べる者は少ない。

「私だったら絶対にしないわね。あんな不味いのだけでよく一週間も耐えられたと思うわ」

やれやれと肩をすくめながらリンは言う。またしても彼女が放ったナイフはど真ん中へと刺さる。

「た、隊長……オイラスナイパーっすよ? 筋力トレーニングは……」

「黙ってやれ」

サトルは黙々とダンベルを動かす。ダンベルによるトレーニングによって得られる筋力は、科学的なトレーニングに比べれば少ないが、彼は師の教えを守って忠実に続ける。

“科学的なトレーニングはお手軽に筋力がついて確かに便利よ。けれども、そんな方法で鍛えても精神力までは身につかないわ。ただ延々とダンベルを上げ下げするだけでも、強い意思を持って続けることができれば確実に精神力は鍛えられるわ”

全てはその言葉に従った結果だった。もちろん、彼も科学的なトレーニングは受けている。それだけではなく、彼はこうして地道にトレーニングを続けていた。だから、彼には今の地位があると言っても過言ではない。

「……ふう」

一度サトルは休憩を取る。アミノ酸や電解質などが配合された特殊なスポーツドリンクを一気に流し込む。水分及び電解質補給は反復トレーニングにおける鋼の規則だ。これは守らなければ、逆に体を痛める原因となる。

「そういえば隊長、ユリちゃんとはどうなんすか?」

ヒロキは勝手に休憩を取ってサトルへ尋ねる。

……瞬間、空気が凍りつく。

リンが放ったナイフは中心から2ミリほどずれ、ヒメは本をめくる手を止める。

「お前が考えているような不純な関係はない。ただの同居人として、寝食を共にするだけの関係だ」

「ベッドは……」

「お前も知っての通り、ベッドは片方は使えない。だから俺が床に寝ている。ユリは俺がかつて使っていたベッドを使用している。もちろんシーツなどは交換した」

……場に再び空気が流れ出す。

放たれたナイフはまっすぐに真ん中を貫き、ヒメは再びページをめくる。

「今日はお弁当作っちゃいました」

しかし、その一言で場の空気が一気に氷点下まで下がる。

「弁当!?」

一番に食いついたのはヒロキだった……が、目の前を振動するナイフが通過して沈黙させられる。

「どういうこと、サトル……?」

「ユリが弁当を作ってくれた。ただそれだけだ」

「それだけ……?」

次にユリへと視線が突き刺さる。ユリはまるで影を縫い取られたかのように微動することもできなくなる。

「ユリ、どういうことか説明してちょうだい」

例えるなら、ナイフ。鋭く研ぎ澄まされた氷のような刃。

その視線は向けられるだけで体が動かなくなり、刃に触れようものならば凍り付いてしまいそうなその斬っ先をユリはまっすぐに向けられる。

「ど、どういうことって……た、ただお昼ご飯を作っただけです……」

「出しなさい」

リンの命令で弁当箱が強制的に引きずり出される。それは正午を待つことなく開かれ、その中身を人の目に晒す。

ハンバーグ、ミートボール、ピーマンの肉詰めなどといった肉ベースのおかずは体を動かすサトルのことを配慮したものだろうか。ご飯は山盛りに盛られ、とても食べ応えがありそうだ。

リンは特にハンバーグを注視する。そのハンバーグには……トマトケチャップでハートマークが描かれていた。

「……ハート」

いつの間にか本を閉じたヒメもまっすぐにハンバーグを指さして指摘する。ハートが意味するモノは愛情、慈愛などといったものである。それはすなわち、乙女心を具象化させた存在とも言える。

「それは……ただ可愛くしたかったから……」

「……ハート」

そうヒメが言うたびにリンの額に浮かぶ青筋の数が少しずつ増えていく。

「やっぱりサトルと同じ部屋ってのが間違いだったのよ……」

今度は本当にナイフの斬っ先を向けてリンは言う。

「私と部屋を交換しなさい。あなたにサトルを任せられないわ」

「ちょ、リンたいちょ……」

音もなくヒロキの前髪が数本落ちる。それを見て彼は声にならない悲鳴を上げる。

「そんな、ムチャクチャです! わたしは断固拒否します!」

「ゆ、ユリちゃ……」

今度はユリの視線に射抜かれる。例えるならば、猛々しさを込めた白虎。ナイフのようなユリのそれと違って粗削りではあるが、それでもヒロキを黙らせるには十分だった。

「ふーん、拒否……ね」

一歩ずつユリへと迫るリン。二人は視線をぶつけ合って激しく火花を飛び散らせる。

「騒々しい。大人気ないぞ、リン。子供か?」

ついにサトルはため息をついてスポーツドリンクのボトルを置いた。

「これ以上ややこしくなるのは御免だ。現状でいい」

そう言って再びトレーニングを始める。

「さ、サトル!?」

その言葉に悲しそうな表情を浮かべるリン。徐々に目が潤っていき、瞳が揺れる。

「うぐぅ……サトルの馬鹿ぁ!」

そう言ってリンは部屋から飛び出していく。

「……」

ヒメは黙ってため息を付くと、リンの後を追って部屋を出る。

「隊長って……超が九つ付くくらいの鈍か……」

銃声が耳の横を通り抜け、彼は慌てて言葉をつぐんだ。

「サトルさん……」

ユリは複雑そうな表情を浮かべたまま、広げられた弁当を見つめて静かに座っていた。



リンは屋上に出て、一人寒風に吹かれていた。

いや、傍には影のように寄り添うヒメの姿。彼女は親友のことが心配になって追いかけたのだった。

「なによなによなによ、新参の癖に新参の癖に~っ!」

「……」

リンはぶんぶんとヴィブロナイフを振り回す。そのたびに空気が裂ける音が響き、端から見ればかなり危険であること間違いなしである。

ヒメはそんなこともお構いなしに本のページをめくる。

「サトルもサトルよ! あんな女のどこがいいのよ!」

「……リン、ユリのことが少しわかった」

ヒメの言葉に鋭く反応するリン。身を乗り出してヒメへと迫る。

「何なの!? あの女は結局なんなの!?」

「……私たちと同じ」

「……それって、ジュニアチームってこと?」

ヒメはこくこくと頷く。それを見てリンは残念そうな表情を浮かべる。

「そんなことわかってるわよ。ユリは私たちの後援部隊に入ったんでしょ」

「……それよりも日付は古い。ジュニアチームに所属した日は今から12年前」

「12年前!? ちょっと、それどういうこと!?」

リンはヒメの胸元を掴んでゆっさゆっさ揺らす。

ヒメは少し迷惑そうな表情を浮かべてリンを振り払うと話し始めた。

「ジュニアチーム、F部隊元所属。数日前、後援部隊に異動」

「F部隊……? 何それ?」

ヒメはふるふると首を横に振る。そこまでは彼女もわからなかった、という意味である。

「非正規部隊……?」

「戦闘部隊かも、補給部隊かも、後援部隊かもわからない」

リンは腕を組んで考え始める。彼女は未だかつてユリの姿を部隊内で見た記憶がない。あんなにも透き通るような白髪の少女である。一度見ていれば忘れるはずがない。

「記録にはLily-2316と書かれていた」

「百合……か。2316というのは何かの通し番号……?」

ヒメは再び首を横に振る。

「……ちなみにバスト89、ウエスト55、ヒップ84」

「な、私より大きい!?」

突然、リンは自分の胸に手を当てる。ヒメは無駄だということを悟ったのか、自分の胸を見ようともしない。

「……ますます怪しい女ね……」

「……」

再びヒメはこくこくと頷く。いくらなんでも情報が少なすぎた。これだけの情報では、ユリの正体を掴むどころではない。

「さっき料理を見た限りでは、結構上手にできていたわ。ということは……補給部隊の食事担当?」

裏方の方となれば、一度も姿を見たことがないのも納得である。だが、ジュニアチームにそんな部隊が存在するなどという話は今まで一度も聞いたことがなかった。

「……食堂はパート・アルバイトの仕事」

「任務のときにお弁当を作ってくれるのも食堂のおばちゃん達よね……」

リンはFの付く言葉を思い浮かべる。

「Find(捜索)、Fight(戦闘)、Factory(工場)、Fake(偽)……」

「……Flower(花)」

そう、小さな声でヒメが呟く。

「Lilyは百合の花。ユリの名前も百合の花」

「……いくらなんでも、それだけでそう決めつけるのは早計だと思うわ」

一陣の風が吹きすさぶ。冬という季節にはなんと不似合いな言葉だろうか。

「……戻りましょう。こんなとこに長いこと居ても風邪を引くだけだわ」

そう言って、リンは体を震わせる。仮にも季節は12月。あまり長いこと外に居たくないのは至極当然といえよう。

「……」

ヒメはしばらくの間考え込んでいたが、やがてリンの言葉に頷くと部屋の中へと戻っていった。



そして時間は過ぎていき、時刻は正午となった。

食堂にはたくさんの子供達が集まり、それぞれの食事を取る。固形栄養剤や栄養ドリンクで済ませる者、食堂で注文する者、弁当を持ってきている者など多種多様である。

サトルはユリと並んで弁当箱を開ける。その隣にヒロキが座り、正面にリン、リンの隣にヒメが座る。

ちょっとしたいざこざがあっても、この四人はすぐに元に戻る。ちょっとした子供同士の喧嘩のようなもので、すぐに仲直りするのである。今までもこういうことは幾度かあったが、すぐに四人は集まってこうして食事を取るのである。

「あーあ、隊長羨しいっす。女の子の手作り弁当なんて……」

そう愚痴りながら、ヒロキは量産型食堂のおばちゃん手作りうどんをすする。

「あら、女の子の手作り弁当を食べられないのはあんただけのようね」

「……」

リンとヒメの昼食はヒメが一人で準備する。これが二人のいつもの昼食の風景だった。

今日も可愛らしい弁当箱が二つ並べられ、仲良く同じ中身の弁当を並べていた。

「昨日までは隊長も仲間だったんすけど……」

「そんなに言うなら食うか?」

そう言ってサトルはヒロキに弁当箱を差し出す。

「じゃあ、ありがたく……」

瞬間、恐ろしいまでの殺気を感じる。

眼は獅子。まとう気迫は伝説の神獣、白虎。

可愛らしい少女とは思えないほどの鋭い視線がヒロキを射抜く。

彼は突き出しかけた箸をそろそろと引っ込める。

「やっぱ、いいっす」

「そうか?」

サトルは隣で発せられる殺気に気付かないのか、弁当箱を引っ込める。

「じゃあ、あたしがもらおうかしら」

そう言って、リンが箸を躍らせる。

ピーマンの肉詰めをかっさらった箸はすぐさま持ち主の元へと舞い戻り、獲物を彼女へ運ぶ。

「うーん、美味しいわね。味付けも絶妙だし、火の通り加減もばっちしね。なかなかやるわね、ユリ」

そう、仮面のような笑顔でリンは言う。ユリも仮面の笑顔を張り付けてそれに対峙する。

「じゃあ、俺ももらうぞ」

そう言って、サトルはリンの弁当箱からエビフライをさらう。

突然の不意打ちにリンは反応することもできなかったが、誰よりも大きな衝撃を受けたのはユリだった。

リンはユリにだけわかるようにニヤリと笑う。ユリとしては屈辱である。リンが弁当を作ったわけではないが、サトルの一番箸を奪い取られただけでなく、自分の弁当に一番に箸を付けられたのだ。

「あ、やったな!?」

それだけに留まらず、リンは一個しか入っていない煮込みハンバーグ(ハートマーク付き)を強奪する。

「一個しかないハンバーグを!?」

それどころか、ヒメまでもがサトルの弁当箱からおかずを搾取する。

「ヒメ!?」

「……美味」

こうして弁当大戦争が始まった。

もはや自分の弁当ではなく、他人の弁当を奪い取る血で血を洗うような戦いが始まった。

各人はもはや自分の弁当に手を付けるのも忘れて相手の弁当を奪い取る。

ユリが作った弁当は見るも無残に奪い取られ、もはや白米しか残ってはいなかった。

リンとヒメの弁当も、半分くらいずつはなくなっている。

「くく……もう俺には奪われるものはない」

「あら、まだ白いご飯が残っているじゃない」

「……撤退」

リンはまだ戦意喪失してはいないのか、白米相手に箸を構える。ヒメはまだ自分のおかずが残っているうちに早々撤退を決め込む。

「はぁ……お弁当戦争に参加できないオイラ、なんだかさびしいっす……」

ヒロキは自分が弁当を持って来ていないことを嘆きながらうどんをずるずると食べる。

「あの……」

そのとき、彼の元へと弁当箱が差し出される。

「少し食べちゃいましたけど、よかったら食べてください」

四分の三ほど残っている弁当箱をユリが差し出す。ヒロキは目を輝かせながらユリを見つめる。

「い、いいっすか!?」

「ええ、あと、ちょっとお手洗いに行ってきます」

そう言ってユリは席を立つ。

「さあ、覚悟なさい」

「覚悟するのはお前だ……」

戦争を繰り広げる二人はユリが立ったことにも気付かずに戦いを続ける。

「……」

特大のため息をついたヒメは、自分の弁当箱を黙ってヒロキの方へと差し出した。

「ヒメちゃん?」

「食べて。追ってくる」

そう言って、ヒメは席を立つ。そして、トイレとは別の方向へとむかったユリの後を追いかけた。



ユリは黙って階段を上っていく。ヒメは気付かれないように音を立てずに彼女の後を追いかける。

しばらく行くと、彼女はそのまま屋上へと出ていった。ヒメも屋上へと繋がる扉に身を滑りこませる。

彼女はフェンス脇へと歩いていく。冷たい風が屋上を駆け抜け、雪のように白い髪の毛がぱらぱらと舞い上がる。

「……ふぅ」

ユリは特大のため息をついた。そして、何をするわけでもなくぼーっと虚空の彼方を見つめる。

「……」

ヒメはゆっくりと彼女の隣に立つ。ユリは驚いたような表情でヒメを見つめる。

「心配」

「……ありがとう」

ユリはすぐに穏やかな表情を浮かべて、曇った冬の寒空を見上げる。

空の一角は黒く濁り、今にも雨か雪が降ってきそうな天気だった。

「どう思ってるの?」

「え……?」

突然、ヒメがユリへと尋ねる。

「サトル」

「ああ、サトルさんですか……」

ようやく先程の言葉の意味を理解したユリは、目を瞑ってゆっくりと喋り始める。

「凄く、カッコいいと思います」

「それだけ?」

「ちょっと怖いけど、優しくて、寡黙だけど、本当はお喋りで……凄く惹かれます」

ヒメは黙ってユリの言葉を聞く。

「朝ご飯を作ったとき、凄く嬉しそうに笑ってくれたんです。今日の弁当を作ったときも笑ってくれました。結局ほとんど口に入りませんでしたけど……」

「……ユリの料理、優しい味がした」

ヒメは素直に料理の感想を述べる。

その言葉に目を丸くして驚くユリ。目の前の、同室で暮らす少年よりももっと寡黙な少女の口からそんな言葉が飛び出すとは思ってもいなかったのだった。

「温もりがあった。とても優しい……」

そこで、彼女は突然言葉を切る。まるで空気の匂いを感じ取ろうとしているかのように目線が鋭くなり、表情が険しくなる。

「“来る”」

「え……?」

ヒメはユリへ覆い被さるように飛びついた。

その瞬間、空気が歪む。

空が……裂ける。

つい三秒前までユリが立っていた場所を銃弾が通過する。

脅しではなく、正真正銘彼女を狙った正確な射撃。もしヒメがいなければ、間違いなく弾丸はユリのいた場所を貫いていただろう。

空の裂け目から姿を表す異形の怪物。人とも機械とも見えるその化け物は、金属製の目を通して獲物を視認する。

「逃げて」

ヒメは懐からマシンピストルを抜くと一気に引き金を引く。軽い振動とともに弾丸が吐き出され、雲間に揺れる怪物を迎え撃つ。

「サトル達を呼んできて」

「は、はい!」

急いで走り出すユリ。

それを見送る間もなくヒメはマシンピストルを撃つ。

空中に浮かぶ金属の人形……ロベミライア軍の主力兵器である自立機動型制圧兵器、その名はオートマータ。

それが雲の切れ間から続々と生まれていく。空を覆いつくそうかというほどの勢いで増殖していくそれは、まさしく機械の大隊と表現するに値するモノだった。

ロベミライア軍が開発した次世代移動手段、転移とは世界の狭間である亜空間を通して一定の地点から別の離れた地点へと物質を移動させる手段である。それは主に機械兵器の敵地への派遣に用いられ、こうして日本に限らず世界各地を襲う。

国連軍も転移の技術を入手するも、失敗すれば転移させられた物質は次元の狭間に取り残されるか、変異して吹き飛ぶという性質上、人間兵を主力とする国連軍にはさほど意味のない技術だった。

元は小国でありながら、ここまで勢力を拡大できたのは、偏にこの質が高く、それでいて数の多い機械兵と転移技術のおかげだと言える。どこを攻撃されるかわからない以上、拠点防衛に兵力を割かざる得ない。故に、ロベミライア本国への攻撃へ回す人員が不足することとなる。これだけの物的優位性を持っていながら、国連軍がロベミライアを制圧することができない理由がそこにあった。

そして、今も日本軍の中でも急所とも言えるジュニアチーム訓練所への攻撃が始まろうとしていた。

確かにジュニアチームは日本最強の部隊の一つである。だが、後援部隊を含めるとそうはいかない。

α、β、γの三チームのみが戦闘能力を持っている。後援部隊はいわばお荷物である。訓練所には、その主力三部隊とともに、お荷物の後援部隊も集まっている。後援部隊の隊員達を襲う混乱は、確実に主力三部隊へも影響を与えることとなる。

ヒメはゆっくりと後退する。多勢に無勢、いかに三秒先の未来を見通すことができる能力を持っているといえど、これだけの数のオートマータの相手をするのは不可能だった。

だが、彼女は安心する。三秒先の未来を見たからこそ、後退する歩みを止めた。

突如、機械の大隊の中心で爆炎が上がる。

「ヒメちゃん、お待たせっす!」

ライフルを構えるヒロキ。その手には彼の愛銃、精霊が握られていた。劣化ウラン弾を撃ち出したのだろう。

劣化ウラン弾は対象に命中すると同時に炎を上げて燃焼する特性を持っている。また、弾そのものが重いため、通常のタングステン弾よりも速度が出る。故に、本来ならば戦車をも射抜くことができる弾丸なのである。

「他の後援部隊は全員、地下へと避難させた」

「ここからはあたし達の出番だね!」

両手に大小二丁の銃を持つサトル、二本のナイフを構えるリンが言う。

「来るっす!」

機械人形の部隊はしばらくの間滞空していたが、やがて高速で降下していく。

両腕に当たる部分からは白刃が飛び出し、獲物を切り刻もうともの凄い速度で回転する。

「無駄だ」

清羽が閃光を吹く。瞬く間にオートマータの特殊軽金装甲を歪ませる。そこへ狙ったかのように巨獣が撃ち込まれる。オートマータは大爆発を起こして上下に裂けた。サトルは回転するブレードを回避しながら、すれ違いざまに次々と弾丸の嵐を叩き込む。

「遅い遅い遅ーいッ!」

俊敏なオートマータを遥かに上回る速度でリンが飛ぶ。回転するブレードは停止しているかの如く根元から切り取られ、次々と動きを止める。

他の隊員たちも次々にオートマータを撃破する。そこにはもはや、ぐーたら少年部隊の姿など微塵もなかった。

始めは空の一角を占めるほどの数だったオートマータも徐々に数を減らし、もう残りわずかとなっていた。

「これで終わりだ!」

最後のオートマータへと巨獣が食らい付く。機械の体を食いちぎられた機械人形は断末魔を上げながら爆散する。ぱらぱらと散っていくオートマータの欠片を踏み散らしながら、サトルは両手の銃を収めた。

仲間の少年兵達の歓声が轟く。彼らは戦いに勝利したのだ。

「ヒメ、一人でよくやったな」

サトルはヒメの頭をぐりぐりと撫でてやる。ヒメはややくすぐったそうな表情を浮かべつつも微笑を浮かべる。彼女がいなければ、ユリは間違いなく命を落としていただろう。

「ヒメさん!」

戦闘が終わり、安全になったのを確認するや否や、ユリがヒメへと駆け寄り、飛びついた。

今度は半歩ほど後ろへ下がるも、なんとかユリの体を受け止める。

「もっと優しく」

「あ、ご、ごめんさない! つい嬉しくて……」

ぽりぽりと頬をかきながら、ユリは白い頬を朱に染める。

「助けてもらってありがとうございます」

「……ユリは仲間」

その言葉を聞いて、一時ぽかんとするユリ。だが、すぐに満面の笑顔を浮かべて彼女は大きく頷いて、はい!と答えた。




今日は資料の移動というフォールスミッションがあった。

そのお疲れ様会でサトル達はビールを注文する。

「そうだ! ユリちゃんお酒強いのー?」

仲間にあおられ、一気飲みをして目を回すユリ。

サトルは彼女を連れて酔い覚ましに冷たい風に当たらせる。

「サトルさんって……どんな人なんですか?」

ふと、ユリは疑問に思ったことを尋ねてみる。彼の過去を彼女は知りたかった。

「……つまらない話になるぞ?」

そう言って、彼は自分の過去を語り始める。

次話、第四話 Investigating

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