第十五話 Deciding
第十五話 Deciding
翌日になった。
空は灰色の雲が覆いつくし、今にも雨でも降ってきそうな天気だった。
サトル達は今日はサンタモニカ兵とは出ずに、キャンプの方で休息を取っていた。
いや、正確に言えば作戦会議だろうか。今回の作戦は夕方から夜にかけての夜戦である。
この調子では、今夜は月も星も出ることはないだろう。
「これ、夜戦用の照明灯」
レンがクリスタル状のライトをサトル達に手渡す。強力な内蔵バッテリーにより、広範囲を強力に照らし出すライトである。これをいくつか転がしておけば、十分な明かりを確保することができる。
「ありがとう」
「僕たちにはこれくらいしかできないけれど……頑張ってね」
サトル達はレン達に礼を言うと、キャンプ場を後にする。
時刻は15時。ヒメが調べた記録には、今日の17時より作戦が始まると書かれていたようだった。
残りの二時間で、サトル達は十分な準備をしなければならない。
「ねえ、サトル」
リンはサトルと二人で歩いていた。
ヒロキ達は射撃スポットを確保するために、サトル達は戦場の情報を頭に叩き込むためにそれぞれ別々に行動を取っていた。
「いよいよね……」
「ああ……」
鉄骨がむき出しになったビルが何十本も立ち並ぶ。
元は規則正しく並んでいた高層ビルだったのだろうが、度重なる戦いによってその姿はわずかな面影のみをそこに残していた。
「ヒメによると、この辺りらしいわね」
ヒメが予測したユリの最終到着地点である。ユリはたった一本の刀だけを持ってこのロサンゼルスに舞い降り、オートマータを破壊しながら市中を一周する。ヒメはこのルートを、レン達が書き記したオートマータの分布図を元に予想。最終的に今リンが立っているこの広場の辺りまでユリは戦闘を行い続けると予測した。
つまり、この場所で最後に戦闘を行い、そして自陣へと帰還するのである。
それは、ここで待っていればオートマータを全て排除し、疲弊した状態のユリと対峙することが可能であるということを意味しているのである。
「疲れ切った状態を襲うっていうのが何ともアレだけど、まあしょうがないっちゃしょうがないわね」
「俺達はもっとも確実な方法を取る。ただそれだけだ」
ヒメの話によると、それでも五分五分というところとのことである。それほどまでにユリの戦闘能力は高い。
「ビルの中に入って待ちましょう」
リンはサトルを手招きすると、近くの崩れかけたビルの中へと足を踏み入れた。
そこからはちょうど広場が見え、ユリの戦う様子を見るにはちょうどいいだろうといえた。
「あとは……待つだけね」
リンは適当な場所に腰かけると、サトルも座るように促す。
サトルはリンの促すままにリンの隣へと腰かけた。
懐から煙草を取り出す。そしてそれくわえた横からリンがライターを取り出して火をつけた。
「気が利くな」
「たまにはね」
サトルは大きく煙を吸い込むと、真っ白い煙を吐き出した。
「今まで長かったわね」
「そうだな」
ユリとの出会い、共に過ごした日々、別れ、そして決意……。
ここまでに至る過程はまさに数カ月にも渡る。
あっという間のようで、とても長い日々。だが、ついに決着を付けるときがきたのだ。
「今日、もしかすると全てが終わってしまうかもしれないのね」
「けれども、俺は諦めない。明日への道は続いている。途切れることなく続いている」
それは、強い決意。必ず最愛の人を助け出し、そして未来をその手に掴み取るという強い想い。
サトルはそれを胸に刻み込むと、目を瞑る。
(ユリ……必ず助けだすからな……)
そして時が経過した。
曇っていた空からはぽつりぽつりと雨が降り出し、しっとりと腐った大地を濡らしていた。
そんな外を見つめながら、リンはぽつりと文句を言う。
「ちぇ、雨が降るなんてついてないわね」
「そうだな」
徐々に気温が下がりつつある。中には多少、白い粒も混じっている。このまま気温が下がり続ければ、雪に変わるかもしれない。
途中、幾度か徘徊していたオートマータを撃墜しつつ、ユリが現れるのを待っていたが、いつまで経っても現れる様子のないユリに、リンは痺れを切らしたのか、大きなあくびをする。
「本当に来るのかしら」
「ヒメを信じるしかないだろう」
『リン、油断しないで』
ヘッドセットからヒメの声が聞こえてくる。リンは適当な表情を浮かべながらはいはいと頷く。
「でも、本当に来るの? 戦ってる音とか聞こえてこないし、オートマータも相変わらずあたし達に戦いを挑んでくるけど」
『私はプレコグ。クレヤボヤンじゃない』
「そうね」
リンはぶーぶーと文句を垂らしながらヒメとの会話を楽しみ始める。
『隊長、おいらも一応さっきから色々な方向を見て回ってるんすが、全然それらしい動きがないっす。もしかすると、日本に騙されたんじゃないかとか……』
「……」
サトルの中にもその考えはあった。もし、日本軍が嘘の情報をわざと流していたとすれば、ここにユリが現れないのも納得がいく。
だが、なぜそんなことをするのかがわからなかった。
そう考えると、ここにユリは間違いなく来ているということである。
『サトル、リン、大きいのが来る……!』
「ッ!」
その声を聞いて二人は急いで武器を構える。
彼女の言い方から、やってくるのはユリではないだろう。だが、だからといって油断することはできない。
『ビルから出て!』
ヒメの言葉を聞いて二人はビルを飛び出した。
次の瞬間、物凄い音が響き、ビルが斜めに傾いた。
「嘘……でしょ?」
リンの言葉とは裏腹に、その怪物はビルをなぎ倒しながら姿を表す。
「大型……それも特別級か……ッ!」
オートマータは一般的に大きさでランク付けされている。
小型、中型、大型とあり、小型というのは最も小さいタイプで動植物・昆虫などの姿を模したものである。数十年前はこのタイプが一般的であった。
そして、中型とは人間を模したオートマータである。最近はこのタイプのものが最も多く用いられており、ロベミライア軍の主力兵器となっている。
それよりも大型の種類……例えるならば、象や鯨のような大きさをもつ種類が近年増加しつつある。それは、中型のように小回りが効かず、かつ動作も緩慢だが、耐久性と攻撃力を考えれば、間違いなく最強である。
さらに大型はいくつか分類され、その中でも一際大きい……まるでビルのように大きな種類を特別級と呼ぶ。
体長およそ10メートル。重量数十トンというその巨体は、腕を振るうだけで山を震わせ、一度内蔵された兵器を起動させれば街一つが消えるとさえ言われている。
「これは……骨が折れるな」
「ぼやぼや言ってる場合じゃないわ。来るわよ」
二人はほぼ同時に跳躍する。そこを狙ったかのように、胸部に搭載されたミサイルポッドより小型ミサイルが放出される。
誘導性能を持つホーミングミサイルは一度避けただけでは回避しきれない。どこまでも追い続ける誘導能力を持つ、厄介な平気なのである。
「鬼ごっこは追いつかれなければいいのよ!」
リンは迅速の動きでビルの合間を縫うように走る。次々とミサイルはビルの壁にぶつかりながら、爆発音を残して消えていく。
「そして……触れられなければいい!」
清羽を乱射しながら、レンは次々とミサイルを迎撃する。高い爆発能力を持ってはいるものの、それはある程度の衝撃を受ければ空中で爆散してしまう。ミサイルは対象へと追いつく前に次々と爆発を起こして落ちていく。
「今度はこちらの番だ」
間接部位を狙って巨獣のトリガーを引く。間接部位はたくさんの動きを必要とするために、どうしても耐久力が落ちてしまう。強力な防御力を持っているとはいえ、それは大型特別級のオートマータといえど同じだった。
「GYAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
狂気ともいえるような悲鳴が轟く。だが、巨獣の攻撃によっても間接を破壊することができず、表面の装甲を傷つけただけだった。
続いて、背中のポッドが大きく開く。そして、ブレードを大きく開き、ヘリコプターのプロペラのように回転しながら二人の方へと迫り来る。
「スラッシュリッパー……! 厄介なものを……」
ミサイルとは違い、高い貫通能力をもつブレードは多少の攻撃ではびくともしない。ビルにぶつけてもビルの方が耐え切れずに切削され、崩れ落ちるだけである。
「ちッ!」
リンは紙一重の動きで刃を回避する。だが、ブーメランのように刃は戻り来て、再びリンのすぐそばをかすめる。
『飛んで!』
リンは指示通り高く飛び上がる。同時に、ブレードから火が上がる。劣化ウラン弾をヒロキが放ったのだろう。強力な貫通能力を持つ劣化ウラン弾は、特殊軽金で作られているとはいえ、一撃でスラッシュリッパーを破壊する。
「私よりサトルを!」
サトルもなんとか身をかわしながら攻撃を凌いでいた。だが、ブレードの周囲に発生する真空波によって、少しずつ傷を増やしていた。
『隊長! その銃にはオリハルコンを使ってあるっす! なんとかガードを……』
「無理に決まってるだろう!」
サトルは巨獣を唸らせながらなんとかブレードを回避する。だが、超炸裂の爆発力をもってしてもブレードの軌道を変えるのがやっとで、破壊するまでには至らない。
「早くアレ壊しなさいよ!」
『ここからじゃ死角で狙えないっす! もっと広い場所へ……!』
ヒロキは必死に叫ぶも、ブレードの軌道はそう簡単にサトルを逃さない。徐々に徐々に追い詰めて、ついには背中がビルの壁に触れる。
彼の正面からは三本のブレードを携えた回転鎌。もはや避けることができる場所はない。
「クソ……ここで終わりか……?」
サトルは両手の銃を構え、どうにか破壊できないかとトリガーを引く。だが、わずかに軌道が変わってももはやどうにもならない距離にまで刃は迫っていた。
『サトル! 両手の銃を交差させて!』
「受け切れるわけ……」
『いいから! 急いで!』
「ッ!」
ヒメの眼に何が映ったかはサトルにはわからない。だが、それでも彼女を信じてサトルは二丁の銃を交差させる。
『来た! 彼女が……来た!』
その言葉が先か、はたまた彼の目に映ったのが先か。
一瞬、雲の間から月光が降り注ぐ。
照らされた姿は天使。金色のジャケットを身にまとい、雪の中を純白の髪を携えて飛ぶ彼女の姿は、天使と見紛うほど神々しかった。
手には一本の刀。それを彼女が振るうと同時に、数十メートル離れたスラッシュリッパーが一撃で粉砕される。
飛び散った破片がサトルへと飛んでいく。ブレードの一本がサトルの真正面に吹き飛び、交差した銃に当たる。
「ユリ……!」
彼の言葉が聞こえたのか、一瞬だけサトルの方を見る。だが、次の瞬間には巨大な化け物の方へと視線をやる。
「GAAAAAAAAAAAAAAAA!!」
再び咆哮が轟く。だが、そんなものを諸ともせずにユリはソレの真正面へと飛んだ。
「ユリ!」
サトルは大きな声で叫ぶ。オートマータの巨体の至る所から銃口が姿を見せる。
一瞬後にはばらばらのひき肉が残されるかと誰もが思った。
だが、一瞬先を見たヒメははっと息を飲む。
ユリが手に持った刀を振るう。その次の瞬間、誰もが信じられないような光景を目の当たりにする。
たった一振り、ただそれだけでその巨体が縦に割れ、崩れ落ちる。
およそ10メートルの巨体が刀の長さという、物理的な問題すらも無視して真っ二つになるということに、その場にいた全員が驚愕し、唖然とする。
『戦帝……完成していた……』
「るーらー? 何よそれ! 一体なんなのよ!」
ヒメは口早に説明を始める。
戦帝とは日本軍が極秘裏に開発していたギミックブレードである。
従来のブレードタイプの武器の常識であったヴィブロ機能を撤廃したその武器は、ガリアン機能という今までにないタイプのまったく新しい機構を搭載した。
刃を数十枚に分割させ、中心を伸縮自在のワイヤーを通すことにより、刀身そのものが数倍の長さに分かれる機構をとっている。
切削能力はヴィブロタイプのブレードよりも落ちるものの、その射程距離は比較にならないほど伸びた。
また、ヒート機能を搭載することによって、熱による溶解という新しい切削方法を取っている。
従来の切削能力に加えて熱による溶解機能を持ったその刀で斬ることのできないものはほとんど存在しないだろう。
だが、刃の軌道が鞭状になるため、自身の体を傷付けかねないという理由で、ガリアン機能を搭載することはとても難しいといわれていたのである。
「どうしてそのガリアン機能ってのが搭載された剣をユリが持ってるのよ!」
『おそらくあのジャケット……オリハルコン繊維で編まれている』
オリハルコンとは、とある実験の中、偶然で精製された金属であり、ダイヤモンドよりも高い硬度を持つ謎の金属である。
熱にも大変強く、一般の物質がプラズマ化してしまう超高温にも耐えるその金属は、加工することが難しい半面、防具として用いることができればおそらく最強であると言われている。
もっとも、加工するには核融合炉のような超々高温状態下におかなければならないため、誰もが使用を諦めた素材である。
『まさかそんなものが作られるなんて……あの二つは世界最高峰の歩兵兵器だといえる……』
白銀の軌跡を残しながらユリが地上へと舞い降りる。
月はすぐに姿を隠し、再び辺りをぱらぱらと白い雪が舞い始めた。
「……ユリ」
彼女は冷ややかな表情でサトルを見つめる。
「サトルさん……逃げてください」
彼女はそう言うと、ブレードを構えた。
「り、理性が維持できるのも数秒だけ……です」
「俺は逃げない。お前を助け出す。それ以外はない」
サトルは強くそう言った。瞬間、彼女の表情は寂しげなものになる。
「私は……あなたを殺したくありません……お願いだから……」
「断る」
ユリは涙に表情をくしゃりと歪ませる。
「……えぐっ……ひぐっ……サトルさん……ごめんなさい……さようなら」
そう言い残すと彼女の姿が消える。
その瞬間白銀の軌跡がサトルへと襲いかかる。
寸でのところでサトルは銃を交差させてガードする。
『隊長! オリハルコンを使っているとはいえ、メッキにしてあるだけっす! あんまり頼らないようにしてほしいっす!』
「それを先に言え!」
サトルは大きく後方へ後退する。続いて黄金の光が一条伸びる。
ユリは思い切りブレードを叩きつけた。サトルは再び銃で受け止めた。
二人の眼前で火花が飛び散る。
「お前の目は俺が覚ます! 絶対に、絶対に二人で生き残るんだ! そして……また共に暮らそう!」
ユリは高く高く飛び上がり、大きく刀を振るった。
サトルは巨獣を放った。空中で数十の爆発が起こり、うねる刃を受け止める。
『6時27分34度!』
右方向から突然襲いかかる刃をわずかに身をひねらせて回避し、刃の元へと清羽を乱射する。しかし、黄金のジャケットに身を包んだ彼女に攻撃は通らない。
「巨獣でも大丈夫か……?」
『わからない……でも、使うしかない』
「ちっ!」
サトルは強く舌打ちすると、巨獣のトリガーを引いた。
「あぅっ!」
暗闇の向こう側で小さな悲鳴が上がる。死なない程度に有効ではあるようだ。
「サトルの巨獣で死なない人間なんていたのね」
リンも俊足を生かしてユリへの距離を詰める。
両手に光る銀狼を震わせて、リンは思い切りナイフを投擲する。
「ッ!」
ユリは戦帝を引き戻すと、飛び交うナイフを撃墜した。そして、そのままの動きでリンへと刃を振るった。
『1時2分2度』
限りなく真正面からの攻撃。リンは俊敏な動きを生かして迫り来る斬撃を回避する。
「あたしのナイフは効かない! サトル、お願い!」
サトルは巨獣のトリガーを引いた。それをユリは戦帝を振るって打ち落とした。
「クソ……あの剣がある限り、こっちの攻撃も通らないな……」
「……」
ユリは黙ったままブレードを振り続ける。もはやその表情に感情はない。
「ッ! さっきから攻撃が少しづつ正確になってきてるな……」
今まではだいたいの位置を思い切り薙ぎ払うような攻撃が多かったが、気付けばその攻撃は徐々に正確さを増し、回避を行うことは困難になっていた。
「ユリがこっちの動きに付いてきてるのよ!」
「リン! 同時に攻撃をするぞ! お前のナイフでユリのガードを誘発して、こっちが本命を叩き込む!」
「了解ッ!」
二人は一度合流すると、再びユリへの距離を詰め始める。
「……」
ユリは相変わらず無表情で刀を振るう。鞭のようにしなる攻撃は白銀の軌跡を残してサトル達を近付けまいとある一定のフィールドを形成する。
だが、それをなんとか侵食しようと、二人はさらに一歩、一歩と距離を詰めていく。
「いくわよ!」
ユリは懐から三本のナイフを取り出すと、それを思い切り投擲する。
それとほぼ同じタイミングで、サトルは戦帝の柄を狙って巨獣を咆哮させる。
完全にタイミングの合った攻撃。一方がフィールドを崩し、そしてもう片方がフィールドを超える攻撃。それは鉄壁かと思えたフィールドを通り抜けると、ユリの刀の柄を吹き飛ばす。
「ああッ!」
さすがに柄への直接攻撃は堪えたのか、ブレードが手から吹き飛ばされる。
「やった!」
『サトル! ブレスレットを!』
ユリの腕に輝く銀のブレスレット。それが彼女を戦わせている原因だという。
サトルは懐からリンのナイフを取り出すと、ブレスレットの内側へと刃を滑りこませ、一気に切断する。
甲高い金属音が鳴り響く。真ん中のあたりでぷつりと切れたそれは、いくらか降り積もった雪の中へと埋没する。
『やったっす!』
突如、糸が切れたようにユリの体が崩れ落ちる。
サトルはそれを慌てて抱きかかえる。
「ユリ!」
「サトル……さん?」
ユリがうっすらと目を開く。そこにはもう、狂気につき動かされて、狂ったように猛る彼女の姿はなかった。
「ユリ……大丈夫か?」
「……私、サトルさん達に酷いことをしてしまいました」
「いいんだ。あれはお前であってお前じゃない。気にすることはないんだ!」
サトルはユリの体を思い切り抱きしめ、口付けを交わす。ユリもなされるがままに目を瞑る。
「もう……誰かを傷付けなくていいんですか?」
「ああ……。もう、そんな必要はない。誰も殺さなくていいんだ」
サトルはユリの体を抱き上げる。あたりは彼女の髪と同じ純白の欠片が散っていた。
「サトルさん……ありがとうございます」
「礼を言われる……」
『サトル! 危ない!』
静寂の中、突如鳴り響く火薬の爆ぜる音。
真っ白なカーペットの上に、数滴の赤い血がこぼれ落ちる。
「……え?」
サトルは自分の体を見下ろす。胸の辺りに赤い穴があった。
「サトル……さん?」
サトルはユリの体を抱きかかえたまま、ゆっくりと後方へ倒れる。
『あ、あれは!?』
ヒロキはその銃を撃った人間を探し出す。
「誰よ! 誰が……誰がサトルを!」
リンもサトルに駆けよって、必死に傷口の辺りにガーゼを当てる。だが、そんなことでは傷口から溢れ出す血は止まらない。
ざくり、ざくりと雪の中歩みを進める人がそこにいた。
「久しぶり、皆。そして迎えに来たわ、ユリ」
そこにいたのは……サトルの上司である、ミサトだった。
手には一丁の拳銃。未だ白煙を上げるそれを腰に差し、彼女は一歩、また一歩と歩み寄る。
「ミサト……少将……」
「悪いわね。ユリを完成させて昇級したの。今は中将よ」
リンは黙って銀狼を取り出すと、俊足の動きと距離を詰め、首を狙って攻撃を繰り出す。
「無駄が多すぎるわ。せっかくの早い動きももったいないわね」
ミサトはリンの速度を上回る速度で足を払うと、そのまま腹部に一撃を決める。
「うっ!」
そのままリンは数メートル吹き飛び、ごほごほと酷い咳をする。
「ユリは言わずもがな動けないでしょうし、ヒロキの狙撃も無駄ね」
その言葉とほぼ同時にライフル弾が飛翔する。だが、それもミサトのそばで突如軌道を変えると闇の中へ消えていった。
「最新の電磁波兵器は銃弾にすらも干渉するようになってるのよ。知らなかったかしら?」
『クソっ……!』
そう言うとミサトはユリへ手を差し出した。ユリはしばらくの間その手を取るのをためらっていたが、意を決してミサトへ問い掛ける。
「サトルさん達は……どうするんですか?」
「あなたが望むなら、ここで保護してもいいわよ。私としても、子供が死んでいくのは耐えられないしね」
「何……綺麗事言って……ごほっごほっ」
リンはなんとか立ち上がると、ふらふらとぐらつきながらも銀狼を構える。
「今だってサトルをこんな風に撃って……ユリだって、戦場に送り出して……」
「こうした方がいいのよ。結果として、多くの命を救える。それだけよ。ここで私たちがやりあえば、死ぬのは間違いなくあなた達。でも、こうして戦う前に決着を付ければ誰も死なない。ユリだって、ユリ一人が戦えば、他の人は戦わなくても済む。それによって、多くの命が救われる」
「だからといって、わずかな犠牲を出していいはずがない」
サトルは腹を押さえながら上半身を起こす。慌ててリンが駆け寄り、体を支えた。
「なぜユリが犠牲にならなければならないんだ」
「あら、一つの命を犠牲にすれば大勢の命を救えるのよ?」
「それは……間違っている……げほっごほっ」
雪原に真っ赤な血が吐き散らされる。それを見て、ミサトは痛々しそうに目を細める。
「ここであなた達を殺しておいた方が、この先反乱の芽を摘み取る意味でいいのは間違いないわ。でも、昔の縁もあるし、殺すのはやめておくわ。私も肉親のように思って育ててきた子を手に掛けるのは少々気が引けるからね」
「俺も肉親のように思って慕ってきたあんたを殺したくはない。けれども、俺は大事な人のためならそれすらもしてやる」
「自分勝手ね。自分のために他を殺すことを肯定する。その様子は本当に子供っぽいわ」
「それはどうかな? 大事なものを守るために他を犠牲にしなければならないときもある。俺にとって……世界の平安だとか、人の生き死にだとか、そんなものに興味はない」
サトルは胸のポケットから黒い小箱を取り出した。
「俺は自らパンドラの箱を開ける。ユリをきっかけに変われた俺がこの先どうなるか、ちょっとした好奇心が湧くのでな」
「何をする気……?」
サトルは自らの手でパンドラの箱を開いた。
「まさか……ッ!」
「さようなら、師匠」
そう言ってサトルは銃を構えると、遠慮することもなく引き金を引いた。
銃声が――鳴り響く。
放たれた弾丸はミサトの体を貫き、そして決着をつけた。
――そう、全てが終わったのだ。終わったのである。
次話、最終話 Finishing