第九話 Remembering
第九話
サトルは数週間ぶりに帰宅した。
ふらふらと揺れながら歩き、ベッドに倒れこむ。
……その布団は、かつて彼女の身が包まれていたものだった。
彼はそれをぎゅっと抱きしめ、遠い昔を思い出すように目を瞑る。
共に過ごした日々、二人でとった食事、他愛もない会話……それらがまるで何年も昔のことのようにサトルは感じた。
「お前がいなくなってから……そう日も経ってないんだよな」
全てのことは数週間前のことなのに、彼はそれを懐かしく思いながら手を伸ばす。
確かにしっかりと握っていたハズの日々は、気付くと手からこぼれ落ちていた。それが彼には悔しくてたまらなかった。
ぎゅう、と手を強く握りしめる。
「今度こそ……今度こそは……」
そう、今度こそは幸せを掴む。
十年前の無力だった自分とは違うのだ。今の自分には幸せを守る力が――ある。
サトルは立ち上がり、キッチンへと向かう。
そこは、ユリの面影が一番強く残る場所だった。
朝起きると、すでに起きて朝食の準備をしてくれているユリ。それを横目に見ながら顔を洗いに洗面所へと向かうサトル。
今思えば、もっと彼女の姿を目に焼き付けていればよかったと後悔する。
綺麗に整頓されたキッチンの様子は、彼が一人で暮らしていた頃とは空気が変わっていた。
それを感じながら、サトルは冷蔵庫を開いた。
「これは……」
サトルは一つのタッパーを取り出す。それには可愛らしい文字で書かれた小さな手紙が付いていた。
『おやつに食べてください。感想待ってます』
中を開くと、そこにはクッキーが何枚か入っていた。
サトルはそれを一つ取り出し、かじってみる。
……ふと、一滴の涙がこぼれ落ちる。それは後から後から止め処なく湧き上がり、頬を濡らしていく。
「美味い……美味いよ……ユリ」
ぺったりとその場にサトルは座り込んだ。
そして、泣きながらユリのクッキーの味を噛みしめていた。
リンは女子寮の屋上に立っていた。
そこからは周囲の街を見渡すことができる。
どこまでも続く街灯の明かり。それは地平線の果てまで広がっていた。
一陣の風が吹き、彼女の長い茶髪がゆっくりと揺れる。
そこからは肉眼で男子寮を見ることができる。
その視線はまっすぐと、ある部屋を射抜いていた。
「サトル……」
今やほとんどの部屋が真っ暗となっているその寮の中、彼の一室は明るく輝いていた。
「今ごろ、何してるのかしら」
彼女は色々と考えてみる。
たとえば、コレクションの銃の手入れをしているかもしれない。そのコレクションの中から何丁かは持っていくのだろう。
それとも、食事をとっているのかもしれない。ユリの作った残りの料理を食べているのだろうか。それとも、新しく何かを作ったのか……。
あるいは、寝ているかもしれない。部屋の電気を付けたまま寝るのも悪くない。
そこまで考えて、その思考が無意味であることを悟り、思考を停止する。
「サトルは……もう、私には振り向かないんだろうなぁ……」
そう考えると、一滴の涙が目から溢れてきた。
だが、それは一滴だけこぼれ落ちると、すぐさま止まる。
「あはは、もう涙すら流れないや」
もうすでに、東京タワーで彼のことを好いたまま生きていくのはやめたと決めたはずだった。
だが、それでも彼を想う感情は無限大に暴走し、止まることを知らなかった。
「ユリをどうこうしても、サトルは私のことを好きにならない。たとえ私が何もしなくてもサトルはユリを助けに行く。そうなったら、私はもう、サトルと一生会えないわ」
かといって、共に行ってもユリと戯れるサトルを見ることになるだけであろう。彼女の元にサトルが来ることは永遠にないだろう。
「だからって、逃げるわけにはいかないわ。私は……私は自らの負けを悟るために、行かなくちゃいけない」
自身の狂った愛情に終止符を打つために、リンは行かなければならないだろう。
再び風が舞う。
冷えた体をさすりながら、リンは室内へと戻っていった。
そして、ついにその日を迎えた。
サトルは大きなボストンバッグを二つ担いで、ヒメが指定した時間にそこへとやってきた。
すでに他の仲間は集まっていた。
「いよいよっすね」
ヒロキは大きなボストンバッグを床において、その上に座っていた。
「皆の武器っす」
ヒロキは全員にそれぞれの武器を渡す。
「隊長の武器は連射速度を上げておいたっす。リン隊長はナイフの振動数を、ヒメちゃんのは全般性能の底上げをしといたっす」
三人は武器を受け取ると、久しぶりにその重み感じながら、それぞれ収納する。
「それにしても、こんな場所でどうするの?」
ナイフをくるくると手で回しながら、リンもボストンバッグの上に座ってヒメに尋ねる。
「あと少しで迎えが来る」
そう言ったヒメは小さなスーツケースを指先で弄りながらうずくまっていた。
「それにしても、隊長は荷物が多いっすね」
「少し武器を持ってきた。大きな戦いになるだろうからな」
サトルは重そうなカバンを片手で担ぎながらそう答える。
そうしてしばらくの間四人は待っていると、やがて低い音を唸らせながら一機の飛行機が降りてきた。
「垂直離陸式旅客機……パイロット付きとはずいぶんと都合がいいモノを用意したな」
「パイロットはいない」
やがて、飛行機の中から一人の男が降りてくる。
「こんな子供だったとはな。まあいい、金は用意できているのか」
「これ」
スーツケースとは別に持ってきていたカバンをヒメは男に差し出す。
「ふむ、確かに。それにしてもこんな時期に修学旅行とはいいご身分だ」
男はカバンを持ってどこかへと歩いていく。
「買ったの」
「高かったんじゃないか?」
「お金が全部なくなった」
「後で半分出すわよ」
「うん」
ヒメはそう言うと、飛行機へと乗り込んでいく。
三人も後に続いて飛行機へと乗り込む。
中は色々と内装に凝っていて、様々な装飾が飾りつけられていた。
「うぇ……趣味悪ぅ」
「文句言うな。どうせ長いこと使うわけじゃないしな」
ヒメは操縦席に座ると、慣れた手付きで機械を操作する。
「動かせそうか?」
「大分カスタマイズされてるけど大丈夫」
やがて、軽い振動と同時に機体が浮かび上がる。
「乗り心地は悪くなさそうね」
「ヒメの運転なら大丈夫だろ」
やがて、轟音を轟かせながら飛行機はまっすぐに飛び出した。
飛行機に乗ってから数時間が経過した。
機体は自動操縦でまっすぐに演習予定地へと向かっていた。
「順調に進んでいるな」
「……」
ヒメはサトルの言葉にこくこくと頷く。
「これから今回の任務を説明する」
ヒメはそう言うと、カバンの中からいくつかのヘッドセットと、ノートパソコンを取り出した。
「私の能力をパソコンに搭載した装置で強化する。それで皆の行動の数秒後を予測する。皆はヘッドセットで私の言葉を聞いて、その通りに動くこと。その間私は動くことができない。だから、能力発動中は基本、誰かに担いでもらうことになる。サトルとリンが前線に立つことを考えると、それはヒロキが妥当だと思う」
「お、オイラっすか!?」
ヒロキは少し頬を赤らめて慌てふためく。
「適任ね。前線は直接戦闘、後援はライフルで支援しながら無線でサポート。2チームに分けるのがよさそうだわ」
「わ、わかったっす」
ヒロキはややぎこちなく頷いた。
「目的地に到着したら、ヒロキは私を連れて身を隠す。そして支援射撃でサトル達をサポートする。サトル達はしばらく身を潜めて待ち、ユリとオートマータの戦闘が終わるのを待つ」
「待て、俺はユリが戦っているのを黙って見てろっていうのか?」
「それが最善。作戦をオートマータに邪魔されないし、サトル達はユリの戦力を見ることができる」
「む……それはまあそうだが……」
ヒメはそこまで説明すると、四人に小さなリュックサックのようなものを配った。
「これは……?」
「パラシュート」
「……は?」
「急いで荷物を体に巻きつけて」
そう言って、ヒメは三人にベルトを配った。
「ちょっと待ってよ! まだここは海上だし、それに着陸しやすくするために垂直離陸式の旅客機を選んだんじゃないの!?」
「保険」
そう言うと、ヒメは操縦席の方へと戻っていく。
次の瞬間、どこからか声が聞こえてきた。
『こちらアメリカ空軍だ。貴機はどこの所属だ?』
「……」
ヒメはその通信に対して答えない。
『答えなければ迎撃する。所属を答えろ!』
「ヒメ、ちょっと答えなくてもいいの!?」
「正式な手続きは踏んでいない。だから強硬突破する。迎撃されたら飛び降りて、HALO降下で降りる」
「ちょっと、無茶言わないでよ!?」
「やるしかない」
『最終通告だ! 所属を答えろ!』
それに対してヒメは答えなかった。
『これより、攻撃を開始する』
「ベルトを締めて!」
その瞬間、機体が大きく旋回する。
突然の揺れに三人は大きく傾きながらなんとか立つ。
「も、もっと早く言ってほしいっす!」
ヒロキはなんとか椅子へとたどり着くと、ベルトで体を固定した。
「まったく! ヒメはいつもいきなりなんだから!」
リンとサトルも椅子に座ると体を固定した。
機体は大きく揺れながら右へ左へと揺れ動く。
「武器はないのか!?」
「ない。これは民間の所有していた普通の旅客機。戦闘機じゃない」
その直後、再び大きく旋回する。
180度回転すると、旅客機内の荷物が大きく上下する。
「避けきれない」
時折銃弾がかするような音が聞こえてくる。おそらく、敵機の攻撃が被弾しているのだろう。
「見て! 陸よ!」
やがて、陸地が見えてくる。ここまで来れば直撃を受けたとしても降下することができるだろう。
「大きいのが来る。ショックに備えて」
ヒメがそう言った直後に大きな揺れが起こる。攻撃が直撃したのだろう。
「く……行けるか……?」
「無理」
再び大きく揺れる。そろそろ限界が近いのか、窓の外に黒煙が流れる。
「準備して。もうすぐ脱出する」
三人はベルトを外すと、ヒメから渡されたベルトで荷物を体に固定し、パラシュートを背負った。
「ヒメ! ハッチを開けてくれ!」
サトルがそう叫ぶと、ハッチが開く。その眼下には陸地が広がっていた。
「行くぞ!」
そう言うと、一番にサトルが飛び降りる。続いてヒロキも飛び降りた。
「ヒメ! アンタも早くしなさい!」
「今行く」
短くヒメはそう言うと、再び自動操縦へ切り替え、リンの隣に並んだ。
「行くわよ!」
二人は同時に飛び降りる。
それと同時に一際大きな揺れが起こり、それと同時に左翼のエンジンが爆発する。
下には広大な山脈が広がっていた。サトル達の後を追いかけるように、リンたちは降下していく。
視界の端で今まで乗っていた旅客機が爆発しながら斜めに落ちていくのが見える。一歩遅ければ、巻き込まれた可能性もあっただろう。
四人はパラシュートを開く。徐々にスピードが落ちていき、すぐに陸地へと着陸する。
旅客機を迎撃した戦闘機は、今度は四人の方へと降りていく。
「こっちの反撃の番だ」
サトルは大きなボストンバッグから、とてつもなく巨大な銃を取り出した。
「な、なんすか!? そのでかいお化け銃は!?」
「レールガンだ」
そう短く告げると、レールガンをセットアップさせる。
まっすぐに彼らの方へと戦闘機が向かってくる。それにまっすぐ標準を合わせ、サトルは電圧を上げていく。
「これで終わりだ!」
サトルは引き金を引いた。瞬間、一筋の閃光が走り、戦闘機が爆発する。
「凄いっす……」
爆発を起こした戦闘機はそのまま斜めに降下していき、やがて地表に衝突して大爆発を起こした。
「人間に向けて撃つ銃じゃないな」
「そうね。せいぜい戦車とかかしら」
四人は大爆発を起こした戦闘機を見上げながら、山脈の中腹に立っていた。
アメリカに到着した一行はロサンゼルスを目指していた。
予定ではまっすぐにロサンゼルスへと向かう予定だったが、空軍に追われたことによって到着地点がズレてしまたった。
着地場所はロサンゼルスのはるか130キロ北の山中。
「まずは海岸の方の道路のある場所に出る。そこでヒッチハイクして、サンタバーバラへ向かい、そこで車を手に入れてロサンゼルスへ向かう」
ヒメは淡々と任務の説明をする。
残りリミットまであと6日、ゆっくりしている時間はない。
「待っていろ……ユリ」
サトルは小さくそう呟くと、山中の歩きにくい中を一歩一歩と踏みしめていった。
次話、第十話 Hitchhiking