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第5話:物知り爺さんの諦念


 *****




「うっとうしい小雨だね」


 ため息と共に、頭巾を深く被り直すアウリウ。

 ここ数日雨が続いており、服が水を吸ってじっとりと重い。

 普通の旅なら村か町で雨が止むまで過ごす所だが、

 イェシルがいる以上そうもいかない。

 不慮の足止めが起こる可能性は常に考えておかねばならないからだ。


 二日前に立ち寄った宿場で聞いた情報によると、この近場に村があるらしい。

 山のふもとで人通りは少ない田舎村だそうだ。

 若干進路からは外れるが、

 外とあまり関わらない村人が災いの花を知らないであろう場所。

 そこで雨が上がるまでの間、休息を取ろうと考えて雨の中を強行してきた。


 黙々と整備が行き届いていない道を進んでいくと、先に村が見えてきた。

 貧相な田舎村を想像していたが、家々が装飾で飾り付けられている。

 手作り感のある素朴な装飾が雨露に濡れている。


「あたしたちを歓迎してくれてるのかな」

「いや、あれは祭りの準備だ。雨が上がったら祭りをやるんだろう」

「お祭りかぁ、いい時に来たかも。美味しい物でもあるといいな」


 呑気な会話をしながら、村に足を踏み入れる。

 すぐに見張りが来るかと思ったが

 雨が降っていて外へ出たくないのか、誰も来ない。

 不用心な村だと呆れつつ、宿を探しに村の中心へと移動する。


 村の中心部はそれなりに豪華に見えるよう飾られており、

 後は雨が上がるのを待つだけのように思えた。

 宿らしき建物は見当たらない。

 旅人が来る事を想定していないのかもしれない。

 商人などの来訪者は空き家にでも泊めているのだろうか。


「ここまで来て結局野宿なんて冗談じゃないよ、

 家には人がいるだろうし聞いてみようか?」

「そうだな……いや、ちょっと待ってくれ。あの家から声がする、行ってみよう」


 雨音に混じり聞こえる会話の声。他と比べて大きな家から聞こえてくるようだ。

 家の中を覗いてみると、十人ほどの村人が会話をしていた。

 村人たちはジュルターたちに気が付くと、警戒した様子で話しかけてくる。


「何だ、あんたら。旅人か?」

「西に旅をしている途中、この村に立ち寄ったんだ。

 宿のようなものはないだろうか?

 雨風を凌げて服を乾かせる場所なら何でもいいんだが」

「この村に人が来る事なんて殆どないから、宿はないぞ。

 商人は村長の家に泊まってもらっているんだが、今も滞在しているんだ。

 祭りの準備中だから倉庫も使っている。残念だが諦めてくれ」


 がっくりと肩を落とすアウリウ。

 ジュルターもイェシルを背負っていなければそうしていた。

 雨の中の野宿はやはり辛い。

 長年旅をしていても慣れただけで辛さはあまり変わらない。

 仕方がないとアウリウの肩に手を置いて踵を返そうとした時、

 老人が声を掛けてきた。


「旅のお方、儂の家に泊まるといい。

 村からは少々離れておるし狭いが、

 お前さんたち二人が寝る場所くらいは用意できるぞ」

「爺さん、その二人に暴れてもらって祭りを中止させようとか考えてないよな?」


 村人の一人が苛立った様子で老人に詰め寄る。

 老人はそれを気にも留めず、微笑みを浮かべたままだ。


「儂は別に祭りを止めさせたいわけじゃないんじゃが。

 山が崩れてきて村が押し潰されるから逃げろと言うておるだけで」


 微笑みながらとんでもない事を言ってのける老人。

 それが本当なら呑気にしている場合ではない。

 しかし村人たちは嘲笑に近い笑いで返す。


「祭りの度に同じ事言ってるじゃないか、爺さん。これで五年目だぞ?」

「いつも何も起こってないだろ、人恋しさでそういうのは嫌われるだけだぜ」

「物知り爺さんが嘘つき爺さんになっちまうから、

 そういう事言うのは止めとけって」


 孤独な老人が話し相手を求め、気を引こうと戯言をいっている。

 村人たちはそう考えて適当にあしらっているようだ。

 老人が穏やかな笑顔を崩さないのも、そう考える理由の一つだろう。

 内容からすれば錯乱状態に近い態度を取らなければいけないはずだ。


「分かった分かった、もう言わんわい。

 それでお前さん方、どうするかのう?」

「貴方がよければお願いしたい。

 見ての通り俺たちは武器を持った旅人だが、いいのか?」

「盗まれて困るような物は何もありゃせんし、

 お前さんは老い先短い爺の命をわざわざ取るような外道でもないじゃろ」

「ありがとう」


 老人に頭を下げると、彼はジュルターの肩を軽く叩いて頷いた。

 村人たちの考えが間違っていなかったとすれば、

 孤独を紛らせる話し相手として招いたのかもしれない。


「儂はモーヴじゃ。雨が上がるまでよろしくな、お客人。

 先に言うた通りここからちょっと遠いからの、迷わんようについて来ておくれ」


 雨具を着て、杖をつきながら外に出て行くモーヴ爺さん。

 村人は肩をすくめながら祭りの話に戻っていく。


「どうしたの? お爺ちゃん行っちゃうよ」


 アウリウが手を引いてくる。

 ジュルターが動かなかったので急かさせてしまったようだ。


「すまない、爺さんの言った事が気になってな。行こうか」

「気を引く嘘にしては壮大過ぎるよね」


 山が崩れて村を飲み込む。冗談や嘘にしては規模が大きすぎる。

 人を襲う獣が山から出てきたとでも言った方が気は引けるはずだ。


 そして、完全に起こらないとは言い切れない山崩れの事を話すのも妙だ。

 ここ数日は雨が降り続いていて、村は山のふもと。条件は揃っている。

 村人や本人の対応からして、人が困る様を楽しむ陰湿な老人ではないだろうに。

 あんな事を言った理由が分からないのだ。


「考え込んでないでまずは服を乾かさない? このままじゃ風邪ひいちゃう」

「それもそうだな」


 大袈裟に身を震わせるアウリウに引っ張られ、思考を打ち切る。

 吸血鬼の彼女は風邪などひかないとは思うのだが、

 濡れた服を着続けるのが不快なのは人間と変わるまい。

 まずは久しぶりの屋根と壁のある寝床に行くとしよう。




 モーヴの家は山を少し回った場所にあり、

 村の郊外というには少々遠い位置だった。

 使われなくなった小屋を買い取り、改装して隠者のように暮らしているらしい。

 家の中は狭いが整理整頓されており、二人が横になる空間は十分にある。


「ふえー、下まで水浸し」

「若いお嬢さんが、爺とはいえ男の前で肌を晒して平気なのかね?」


 肌を隠す最低限の下着以外は全て脱いでしまっているアウリウ。

 モーヴの表情はいやらしいものではなく、孫娘の行動に呆れる祖父のようだ。

 そんな老人に対し、アウリウは平然としながらひらひらと手を振る。


「女の旅人がそんなの気にしてたらやってられないからね。

 大事な所は隠してるし、見られるくらい別に。襲ってきたら容赦しないけど」


 正確にはアウリウは傭兵なのだが、環境としては傭兵の方が劣悪と言える。

 男の方が圧倒的に多く、貧相な拠点に押し込まれる事もある。

 戦場が気分を高揚させるのか、女を見ると手を出そうとする馬鹿もたまにいる。

 そういう馬鹿は手酷い目に遭い、戦場から帰ってくる事がない。

 女傭兵の大半は、欲望と死を跳ね除けて生きてきた者なのだから当然だ。

 そして普通の傭兵は、

 戦の前に頭数を減らし不和をもたらす阿呆を許しはしない。


 アウリウがジュルターと人目を憚らず仲良くしていたのは、その理由もある。

 面倒な奴に絡まれるのを避けるためだ。

 

「ところで、イェシルは平気?」

「屋外に生えていたんだから、雨に濡れてどうこうはないと思うが」


 軽く体を拭いてやると、イェシルは気持ちよさそうにゆらゆらと揺れる。

 乾いている方が気持ちいいのかもしれない。

 そんな様子を見ていたモーヴが、呟くように言った。


「吸血鬼の女子に災いの花か、お前さんの旅路はとんでもないのう」


 寒気を感じたのは裸になっている所為ではないだろう。

 知っていた。そしてあっさり看破された。


「こんな可愛い子を吸血鬼呼ばわりとか、お爺ちゃん酷い人だね」

「旅人だというのに青白い肌、赤い目を陽光から守る眼鏡、妖しいまでの美貌。

 一番の理由は細剣の柄じゃ。

 その細工で剣身に触れて黒炎を纏わせるのじゃろ?

 ほれ、こいつに触って証明して見てもいいぞ」


 モーヴは聖印を懐から出してアウリウに差し出す。

 信仰を伴った聖印は吸血鬼の身を焼く。

 証明の方法としては単純だからこそ欺くのは困難。

 あの料理人には突拍子もない方法で看破されたが、

 この老人は理知的に逃げ道を塞ぐ。


「一応は隠してるつもりなんだけどなぁ……」


 ゆっくりと首を振ってため息をつくアウリウ。

 旅の始まりから、これで正体を明かすのは三回目だ。

 気持ちは分からなくもない。

 しかし今はそれより重要な事がある。


「災いの花、とは?」

「果ての岬へ運ぶお前さんが知らぬはずがないじゃろう、傭兵どの」


 まるでこちらの心と行動を全て読んでいるような老人の言葉に肝が冷える。

 どうやってなのかは分からないが、完全に看破されている。

 誤魔化しは通用しそうにない。腹を括る。


「災いの花だと分かったのはなぜだ?」

「三十年前に同じ物を見た事があるからの。そんな特徴的な花、忘れられんわい」


 この辺りはかなり果ての岬に近い。

 何らかの理由で見に行ったというのはあり得る。


「災いの花と知っていて自分の家に入れたのか?

 花が咲いた時に何が起こったか、知っているんだろう」

「知っておるから村に置いておけなかったんじゃよ。

 あそこには若い衆しかおらんかったが、

 この辺りの年寄りなら知っておるからのう。

 お前さん方に無益な殺生をさせたくもなかったんでな。それだけじゃ」


 イェシルが災いの花であり、百年の間に三度の惨劇を起こした花だと知られれば

 村人たちが錯乱状態になって襲い掛かってくるかもしれない。

 そうなった時、ジュルターたちが殺しを躊躇わない人種である事を見抜いていた。


 内心で舌打ちをする。

 ジュルターたちはほとんど裸で、無防備な状態を晒している。

 気が緩んでいたとしか言いようがない。

 自分たちが何を運んでいるのかを失念していた。

 大人しく無垢な少女としての言動しか見ていなかったので、

 災いの花だという事実を忘れてしまっていた。

 緊張しつつ老人の出方を伺っていると、

 モーヴは腰に手を当てながら座り、火にかけられた鍋を開けた。


「安心しなされ、何もする気はないよ。災いの花を村から離したかっただけじゃ。

 粥でも食って温まるといい。肉は入っておらんからお嬢ちゃんも食べられるぞ」


 にこやかに粥を器にすくい、ジュルターたちに差し出してくるモーヴ。

 老人の真意は分からないが、器と匙を受け取って粥を食べる。

 自身で味見もしているし、

 吸血鬼だと分かっていてアウリウにも渡しているので、

 妙な物が入っていたりはしないだろう。


「どうじゃね、お味は」

「……作ってもらって悪いが、まあ麦粥だな」

「美味しい物じゃないよね」

「仕方ないじゃろ、もう粥でもないと噛めんし腹が受け付けないからのう」


 モーヴは億劫そうに粥を食べている。

 食べなければ体がもたないので無理に食べているような印象だ。

 彼が何年生きたかは知らないが、終わりは近いのだろう。

 イェシルの入った籠を手元に寄せると、老人は寂しそうに言った。


「イェシルか。名を付けると別れが辛いぞ」

「そうかもしれないな。だが名を付けてよかったと思っている。

 別れの辛さに怯えて拒絶し合うより、最後が辛くともいい旅路を行きたい」


 災いの花を果ての岬に運ぶ意味を、当然老人は知っていた。

 最初の会話で約束したのだ、せめていい旅路にしようと。

 傭兵にとって別れなど日常。

 共に酒を飲んだ友人と敵味方に分かれ、友を殺した事もある。

 しかしそれに怯えていたなら、そもそも友にはなれなかったのだから。

 だからこそ生き様を貫く。相手が人間だろうが花だろうが関係なく。


 モーヴはイェシルをじっと見つめる。イェシルも老人を見つめ返す。

 しばらく見つめ合うと、モーヴは優しい微笑みを見せた。

 イェシルはわずかに目を細め、思慮に耽っているように見える。

 

「ところでさ、何で山が崩れるなんて事言ったの。

 お祭りがうるさいから嫌いとか?」

「本当の事だから仕方なかろう。

 この五年は無理矢理に抑えてきたが、もう限界じゃ。

 最初に言った時に逃げてくれれば

 最低限の被害でどうにかできたんじゃがなあ」


 言う事を聞かない子供について愚痴るような口調。

 しかし内容は凄まじい事を当然のようにやってのける自信に溢れている。

 村が全滅するような山崩れを、老人が自分だけでどうにかできると。


「お前さん方を招いたのはそれが一番の理由でな、手を貸してほしいんじゃよ。

 山崩れから村を守る、連中にしてやれる最後の手助けをの」

「山崩れ自体を起こさないようにか?」

「そんな事できるはずなかろう、来年の祭りまで耐えるようにじゃ。

 警告を聞いてくれん赤の他人を五年は守ったんじゃから、もう知らんわい」


 呆れたように、拗ねたようにそっぽを向くモーヴ。

 気持ちは分からなくもない。

 本当に人知れず守ってきたというなら

 嘘つき扱いをされてまで守りたいとは思わない。

 感謝が必要だという訳ではない。守るに値する価値が見いだせなくなっただけ。


「最後のお祭りかぁ」

「そうなるじゃろうなあ」


 アウリウとモーヴの諦めきった深いため息。

 村人が警告に聞く耳を持たず、

 破滅の日まで何事もなく過ごすと理解しているがゆえ。

 そういうものだ。

 家族と木が押し流されたあの日も、

 そんな事が起こるとは微塵も考えていなかった。

 起こってから予兆だったと気が付く。

 後悔に意味はない。時間は過去に戻せない。


「分かった、俺にできる事なら手を貸す。一宿の恩もあるしな」

「俺にじゃなくて俺たちに。そういう所は好きじゃないよ」


 アウリウが冷たい指で脇腹を撫でてきたので、少し仰け反ってしまう。

 こちらも裸同然なので彼女の姿を直視する訳にもいかず、

 顔を向けないで頭を指でつついた。


「お前さん、人間の女に飽きた口かね?」

「たまたま一緒にいるのが吸血鬼と災いの花なだけだ。

 二人が人間でも一緒に旅をしていたさ」


 アウリウとイェシルが人間ではないから一緒にいる訳ではない。

 陽気な女傭兵が気に入っているから五年来の友でいる。

 果ての岬で葬ると花の少女に約束したから連れて行く。

 彼女たちが人間でない事など些末事だ。

 

「二人、か。お前さん方、もしかして災いの花と意思疎通ができるのかね?」


 モーヴの鋭い指摘に、音を出さないように息を飲んだ。

 普通はいくら人間に似ているからといって植物を"一人"とは数えない。

 人として同一視できるだけの何かがあると言っているも同然だ。

 アウリウに視線を送ると、彼女は首を横に一度振り、続いて頷いた。

 隠しても無駄だから喋らせていい。同意見だった。


「イェシル、喋っていいぞ」

「こんにちは」

「人間に酷似した姿であるなら、会話できるという可能性は考慮していたが……。

 初めまして、花のお嬢ちゃん。儂は物知り爺さんのモーヴじゃ」

「はじめまして」


 好奇心のままにイェシルを触ろうとするモーヴを止める。

 怪訝な顔で首を傾げる老人。


「イェシルは自分に触った者の言語を即座に覚える。

 アウリウが触ったからか吸血鬼の古語も喋れるらしい。

 魔術師だったりしないだろうな?」

「それを聞いて背筋が凍ったわい、その通りじゃよ」


 火の側にいるというのに、体が一気に冷えたような感覚だった。

 もしモーヴが触れていたなら

 イェシルは魔術言語を覚えてしまっていたからだ。

 使えるのかどうかは分からないが、もし魔術が使えるようになったら。

 念のために止めてよかったと心の底から安堵した。


「お爺ちゃん魔術師だったんだ。山崩れを魔術で止めてきたの?」

「魔術は使ったが、所詮老いぼれの手慰み。場を整える程度じゃの。

 魔道具ならどうにかできる物もあるが、材料も時間も何もかも足りん」


 魔道具の作成には簡単な物で数日、

 強力な効果を持つ物なら数十年が必要と聞いた事がある。

 その間は睡眠と食事以外の時間を魔道具作成に使わなければいけないとも。

 強力な魔道具が現在では殆ど作られない理由がこの作成難易度だ。

 人生の全てを費やした、絶大な効果を発揮する魔道具。

 たった一つの物のために人生を捧げられる者はそういない。

 ジュルター個人としては生き様に憧れのようなものもあるが、

 作ろうとする者は数少ない。


 モーヴは作ろうと思えば作る技術を持っているのだろうが、

 山崩れを防ぐ魔道具となると規模が大きすぎる。

 老いた身では時間も限られているし、

 何よりそこまでして村に尽くす義理もない、という所か。


「食べ終わって少し休んだら出ようかの。

 雨具は儂の古着を適当に破いて使ってくれ。

 爺のお古だから汚いとか言わんでくれよ?」

「そんなの一々気にしないよ、ちゃんと洗ってあるみたいだし」


 渡された二枚の古着を遠慮なく破くアウリウ。

 鼻歌まじりに針と糸で手早く雨具としての体裁を整えていく。

 それを見ていて、思いついた事があるので言ってみる。


「古着が余っているなら、もう一枚貰えないか?」

「構わんが、何に使うつもりじゃ?」

「イェシルだけそのまま雨に打たれるのは可哀相だと思ったんだ」


 植物を相手に何をと思われるだろうが、

 そう考えてしまったのだから仕方がない。

 呆れられるかと思ったが、老人は笑顔で三着ほどの古着を手に取った。


「イェシルちゃん、どの色が好みかのう?」

「真ん中」


 イェシルが選んだのはくすんだ黄色の服だった。

 ジュルターの外套とよく似た色。

 モーヴから黄色の服を受け取ったアウリウは自分の荷物から何かを取り出し、

 即席の雨具に縫い付けてイェシルに被せた。

 頭を覆う部分に小さな赤い石のような飾りが二つ並んでいる。

 赤い目。誰の物を模しているかは分かりきっている。


「二人だけお揃いなんてずるいでしょ、あたしともお揃いね」


 眼鏡を軽く持ち上げて笑うアウリウ。

 確かに、薄い金色の長い髪に赤い目、そう見えなくもない。


「そうやっていると親子みたいじゃの」

「三人とも人間だったらよかったんだけどね」


 寂しそうなアウリウの呟き。

 異種族は生きる時間さえも違う。共に生きれば片方が置いていかれる。

 それどころかジュルターは

 災いの花であるイェシルを殺すために旅をしている。

 親子のようだというなら、娘を殺すために処刑場へ運ぶ父親か。

 酷い親もあったものだ。


 せっかく乾いたというのにまた濡れる羽目になるが、手早く服を着ていく。

 雨具があるだけましと思うしかない。


「儂から離れんようにな。いつ地滑りが起きてもおかしくない状況じゃから」

「村に土砂や水が押し寄せたりはしなかったのか?

 山のふもとで災害に遭った事がないとは考えにくいんだが」


 ジュルターの故郷は山からは少し離れていたが、川が近かった。

 大雨になると川は度々氾濫し、畑や家が被害を受けた。

 村そのものを飲み込む山崩れが起きようというのに、

 村人が呑気に過ぎやしないだろうかと思ったのだ。

 ジュルターの問いに、モーヴはゆっくりと首を振る。


「記録を見る限り、百年間一切起こっておらんのじゃよ。

 山の神様が守ってくれていたんじゃろうかね。

 ……五年前からもう、神様の加護はなくなっているというのに」


 山神の代役を務めてきた老人は、悲しそうに言った。

 百年の平穏こそが村を滅ぼすという皮肉を嘆いて。


「後一年だけ加護を続けさせてやるとしようかの。

 そういや、お前さん方の名前を聞いておらんかったな?」

「俺はジュルター。彼女はアウリウだ。よろしく」


 モーヴと握手を交わす。

 その手は老人とは思えぬほど力強かった。




 ***




 小雨が降り続ける中、山道を歩く。

 籠を背負っていると山菜採りにでも来たような気分になってしまうが、

 不安定にぬかるむ土の感触が緊張を維持してくれる。


 山を少し上っていくと、所々に岩で作った壁のような物がある事に気が付く。

 土の中から突き出ているようにしっかりとした壁で、

 上からの土砂を受け止めて横に逸らすように設置されているようだ。

 自然にある物として見る事もできるが、

 よく観察してみれば計算された人為的な配置だ。

 これらはモーヴがつくった防壁だろう。


「村人たちにこれを作る所を見せたらいいんじゃないか?」

「儂が魔術師だと知られてしまう、冗談じゃないわい。

 面倒事から逃げてここで隠居しとるというのに」


 こんな事ができる魔術師だと知られれば、必然として村人たちはモーヴを頼る。

 助力を拒否すれば激しく非難し罵るだろう。そんな力がありながら、と。

 だから無力な老人を装っていたのだ。


「それで、あたしたちはどうしたらいいの?

 壁の点検でもしたらいいのかな」

「お前さん方にやってほしいのは、山を崩してもらう事じゃよ」


 モーヴの返答に疲れた顔を見せるアウリウ。

 難度が高い上に危険。老人に任せる仕事でないのは確かか。


「わざと小規模に崩しておいて耐えられる程度にするんだな」

「手間が掛かるし、一人では難儀じゃからの、

 お前さん方が丁度来てくれて助かったわい。

 儂が指示を出すから、合図をしたら上の方で崩してくれるか」

「分かった。爺さんは下で?」

「微調整と、何かあった時に土砂崩れを受け止める役じゃの」


 モーヴがゆらりと片手を動かすと、手のひらに炎が灯る。

 雨の中でも燃え盛る魔術の炎。

 呼吸音に等しい詠唱で現れたそれは、

 魔術師としての技量を理解させるに十分だった。


 武芸者でしかないジュルターに土砂を受け止める術はない。

 どれだけ体を鍛えても、技を磨いても、自然に勝てるはずがない。

 こんな時はいつも自問する。ならば武の高みを求める意味は何だと。

 十年のあいだ戦に身を置いてきたが、未だに答えは出ていない。

 出るはずがない。

 数多の先人が本気で求めても見出せなかったものだというのに。


 今思い悩むべきではない思考を隅に追いやる。

 小規模に崩すといっても土砂崩れには違いなく、

 上のジュルターたちも相応の危険が伴う。

 集中しなければ命を落とす可能性も十分にある。

 一宿一飯の恩にしては大き過ぎる気もするが、

 ここで村を見捨てられるなら果ての岬にイェシルを運ぶ事はなかった。


 アウリウが腰に結んだ縄を掴み、彼女の少し上に位置取る。

 モーヴが手を上げて合図をすると、

 アウリウは目の前の木を体重をかけて蹴飛ばした。

 しっかり根を張っているはずの木が大きく傾く。

 滑る土砂に巻き込まれる直前、跳躍してきたアウリウの体を抱きとめる。


「"風よ格子の刃となれ、触れるもの全てを微塵に斬り裂け"」


 雨と土砂崩れの中でもはっきりと聞こえた、老人の力強い詠唱。

 土砂と共に滑り落ちようとしていた木が、

 爆ぜるように一瞬で細かな角材のように裂かれた。

 土砂と木屑が岩壁を伝い、村の方向から外れていく。

 周辺に被害はなく、予定通りの極小規模で制御された土砂崩れだ。


「……何が手慰みなのさ、尋常の威力じゃないよ」


 ジュルターの腕の中で身を震わせるアウリウ。

 先ほどのものは風の魔術だったようだが、

 あれを自分に向けられたらと想像すると背筋が凍る。

 戦場で魔術師を見た事もあるが、ここまでの魔術ではなかった。


「よし、ここはこれでいい。まだまだあるからの、雨が止む前に終わらせんと」

「雨が上がると何かあるのか?」

「多分じゃが祭りの準備が再開してしまうからの、急がねば。

 お前さん方も、抱きしめ合っている暇なんかないぞ」


 そう言われて、アウリウを抱きしめるような格好のままだと気が付いた。

 顔を見合わせるが、お互いに頬を赤らめるような事もない。


「後何回か分からないけど、きっちり抱きとめてよね」

「任せてくれ」

「何じゃい、からかったのにつまらんのう」

「もうそんな年じゃないし、

 この人も女抱いたくらいで恥ずかしがる性格じゃないよ」


 肩をすくめて笑うアウリウ。

 そういえば彼女の正確な年齢は聞いた事がない。

 今度、道中の暇な時にでも聞いてみようかと思った。


「他の人に今のを見せたら分かってくれないのかな」

「魔術は使っておらんが、一回やって見せた事はあるぞ。

 山神様が護って下さっているのに何て危険な事を、とぶん殴られたわい」


 イェシルの呟きに大きなため息で返すモーヴ。

 愚かさを嘆くのではなく、どうにもならない諦めが込められた息だった。




 その後、順当に指定された数か所を崩していく。

 山の中腹辺りにある七つ目を崩し終わり、場所の位置関係を思い返してみた。

 石壁やモーヴの魔術で受け止められていなければ、

 全ての地点が連動して崩れ、大規模な山崩れが起きていただろう。


 土砂や樹木に振るわれたモーヴの魔術は威力も凄まじいが、

 本当に恐ろしいのは精密さなどの制御能力だ。

 絶大な威力の魔術だというのに、周辺に一切被害が出ていない。

 老魔術師がやろうと思えば

 隣り合った人間の片方だけを焼き尽くす事もできるはず。


「お爺ちゃんの魔術なら、

 この山を丸ごと削り取っちゃえばよかったんじゃないの?」

「それに何の意味があるかのう?」


 冗談めかして言ったアウリウに、静かな声で答えるモーヴ。


「この山は村に恵みをもたらす場所なんじゃ。

 山の幸や動物たち、それがなければ村は成り立たん。

 それにな、過ぎたる力の行使は恐怖しか生まんよ。儂はもう御免じゃて」


 無意識にだろうが、アウリウがジュルターの方へ一歩身を寄せてくる。

 老魔術師の返答は、やろうと思えばできると言っているに等しい。


「まるで一度やったように聞こえるな」

「……底抜けに愚かな魔術師の、昔の話じゃよ」

「すまない」


 後悔がにじみ出るような低い声。それに対して一言謝り、話題を打ち切った。

 誰にだって聞かれたくない事はある。

 それは強い信頼関係の下に話されるべき事で、

 会ったばかりの他人が詮索するべきものではない。

 

「雨、止んできたね」


 手のひらを空に向け、雨の様子を確認しているアウリウ。

 雨具をずらして上を向いてみると、確かに雨粒が一滴かかったくらいだった。


「こりゃいかん、すぐに山を下りんと。祭りの予行演習が始まってしまう」

「本番じゃないのに危ない事でもあるの?」

「見れば……いや、聞けば分かる。

 一番厄介な場所があるんじゃ、ついて来てくれ」


 疲れで少々不安な足取りながら、可能な限り急いで歩いていくモーヴ。

 聞きたい事は後回しにして、ぬかるんだ山道に集中しながら後に続いた。




「うへぇ……」


 心底嫌そうな声を漏らすアウリウ。気持ちはよく分かる。

 モーヴに案内されて到着した岩場には、

 数人分の幅と高さがあろうかという巨岩があった。

 余りにも頼りない支えで、辛うじて耐えているようにしか見えない巨岩が。

 上から蹴り飛ばしたらそのまま山の下まで転げ落ちていきそうな状態だ。

 ジュルターたちは今、その巨岩を見上げるような位置にいる。

 これで恐怖心を感じない者がいたら、それはそもそも心を持たない存在だろう。


「そろそろ始まるのう。お前さん方、ちょっと聞いておくれ。

 あの大岩は今回で落ちてくる。

 儂が事前に作っておいた通り道に誘導して安全な場所に滑り落としたい。

 相当危険ではあるが、魔術を使う間だけ儂を守って欲しいのじゃよ」

「守るとは?」

「風の魔術で大岩を受け止めるんじゃが、強度の集中が必要でな。

 小石が顔に当たるだけでも集中が途切れる」

「お爺ちゃんの前に立って、飛んでくる物を体を張って叩き落せって事ね」


 老魔術師の魔術がどんな物かは分からないが、あの巨岩が滑り落ちてくるなら

 少なくない小石も共に転げ落ちてくるだろう。

 それら全てを弾き返す。失敗すれば魔術が消えて巨岩の下敷き。

 普通なら馬鹿げていると嘲笑われる行為だ。

 しかし、何故だろうか。これほど心が躍るのは。


「アウリウ、イェシルを頼む」

「わたしをモーヴの前に置いて、ジュルター。

 大きいのじゃなければ当たっても平気だから」


 イェシルが意見してきた事に驚いたが、確かにそうだと納得する。

 災いの花が持つ、いかなる攻撃も受け付けない絶対防御。

 大きさから全身を防御するのは無理だが、下半身に対する防御にはなる。


「怖くないのか?」

「それよりも、わたしにできる事をやりたい」

「分かった、任せるぞ」


 イェシルの入った籠をモーヴの前に置き、縄でイェシルを縛り、

 少し離れた場所にいるアウリウに縄を投げ渡す。

 細剣を得物とする彼女は飛来する石を弾くには向いておらず、

 むしろ槍を振るうジュルターの邪魔になる。

 失敗に備えてイェシルが岩と共に落ちていかないよう、

 引っ張り上げてもらう役割の方がいい。


「この位置でないと上手くいかんとはいえ、恐ろしいもんじゃな。

 ……ジュルター殿、魔術が失敗したら躊躇わず儂を見捨てろ」

「イェシルを果ての岬に届ける事が最優先だからな、そうさせてもらう」


 老魔術師と頷き合う。

 周囲の地形は先ほど確認して、

 いざという時の離脱場所も三つほど候補に入れておいた。

 失敗時に彼を救出できるような超人的能力も技もジュルターにはない。

 お互いに覚悟の上。岩に押しつぶされても、モーヴは恨みもしないだろう。


 槍を手に取り構える。頭上には今にも落ちてきそうな巨岩。

 身震いがするのは死の恐怖からか、高揚感からか。


 自然の猛威にただの人間が抗い、勝つ。

 あの時どれだけ望んでもできなかった事を、鍛えた武芸で成し遂げる機会だ。

 それが自然というにはあまりに小さく、下らない自己満足でしかなくても。


「合図は」

「山の下から聞こえてくるぞ、もうすぐな」


 わずかな静寂の後、歌が聞こえてきた。

 最初はかずかに聞こえる程度だったが、徐々に数も声も増えていく。

 山神を称える歌は雄叫びに似たものへと変わり、空気を震わせる。

 山の地面も例外ではなく。

 巨岩が爪先ほど動いたのが、やけにはっきりと見えた。


「"吹きあがる風、一時だけ見えざる腕となりて"……」


 後ろから聞こえる老魔術師の詠唱を聞きながら、集中する。

 打ち漏らし、離脱の判断。ここからは一瞬が生死を分かつ。


「来るよ!」


 アウリウが言ったのと同時に、巨岩が一気に傾き落ちようとする。


「"空にその姿を留め置け"っ!」


 詠唱が完了し、激しい風が吹きあがる。

 巨岩の落下速度が制止寸前にまで低下する。魔術は成功したようだ。

 風に巻き上げられ、こちらに飛んでくる小石が三つ。

 わずかに早い一つを左に弾き、即座に右への横薙ぎで二つを弾き飛ばした。

 息を一つ吐き、構えをとり直す。


 吹きあがる風がかすかに動きを変えていく。

 岩の左側に当たる風がわずかに弱まり、そちらの方向に岩が動いていく。

 その先には魔術で作られたであろう岩壁の滑り台。

 しかし岩が動く速度はじれったいほどに遅い。

 滑り台まで半分の距離を進んだ時点で、十四個の石を弾いた。


 巨岩は半分になった道程を、更に四分の一進んだ。

 あと少しのようにも思えるが、恐らくはここからが本番だろう。

 この先は地面との接点が完全になくなり、空中に浮く事になる。

 制御の難易度も一気に跳ね上がるはずだ。


 岩が地面から離れた瞬間、何かに躓いたかのように揺れる。

 巨岩の上に載っていた石と、地面から削れて落ちてくる石。ざっと見て二十超。

 わずかな猶予で弾くべき石を選別する。

 横に逸れていく物、致命的な部位に当たらない物を除けば九つ。

 思考の暇さえなく飛来する石。柄の中ほどを持ち、構える。


 左へ逆袈裟掛け、二個を叩き落とす。そのまま石突で頭に飛んできた石を弾く。

 水平に右へ横薙ぎ、槍頭と石突で一つずつ弾く。

 細かな小石が肩や腹、脚に四個当たったが

 動きに支障はなく、後ろにも通していない。

 槍を左に回し、肩上を抜けようとしていた二個を払う。

 左手を槍から放し、大きく振り回すように右へ。

 本命以外も含め、五個を同時に弾いた。

 左を抜けようとした最後の一つには裏拳を打ち込んで弾く。

 残りはそのまま体で受けた。


 巨岩はゆっくりと滑り台へと進み、こちらへ落ちてくる気配はない。

 凌ぎ切った安堵で一つだけ大きく息を吐き、再度槍を構え直す。

 その後は岩が揺れる事もなく、飛来物も三個程度で余裕を持って対処できた。


 巨岩が滑り台に乗ると、ゆっくりと山の斜面を滑り降りていく。

 このままでは加速して落ちていくのではと危惧したが、

 岩は風を纏ったまま速度を保って滑っている。

 滑り台の先にあるのは巨大な穴。

 そこに嵌め込まれるように、巨岩は音を立てる事なく落ちた。

 石突を地面に立て、痛む体を支える。


「見事な槍術じゃった」

「爺さんこそ、見事な魔術だったよ」


 モーヴとお互いに称え合う。

 磨き上げた武と魔術で自然の猛威に勝った。

 それがどれだけ小さくとも、勝ちは勝ちだ。

 籠を担ぎ上げる時に痛みで顔をしかめてしまい、

 イェシルが心配そうに見てくるので笑顔を作った。

 作ったというより、自然と出てきたという方が正しいか。


「これで大丈夫じゃ。土台が崩れてくる来年までは保つ」


 その喜びに冷水を浴びせかけるモーヴの呟き。

 小さな小さな勝利は、無意味な延命処置でしかなかった。

 しかし笑う。それがどうしたと笑う。

 無意味ではあったが、ジュルターにとっては価値ある勝利だった。

 それ以上は求めるつもりもなく、必要もない。


 山の下から聞こえる歌が、凱歌のように聞こえた。




 ***




「背中ではないんだし、自分でやれるんだが」

「雑にやったら薬が勿体ないでしょ」


 モーヴの家へ帰ると、アウリウに上着を脱がされ、薬を塗られる。

 打撲によく効く塗薬で、傭兵であり武芸者であるジュルターは

 どれだけ世話になったか分からない。

 それなりに高価な物なので理屈は分かるが、

 母にやってもらった幼い頃を思い出して気恥ずかしい。


 モーヴは何やら荷造りをしている。

 ジュルターたちに何かくれるのかと思ったが、

 それにしては日用品まで荷に入れている。

 あれは旅支度だ。

 破滅する村と心中するつもりはないという事だろう。


「聞いてもいい?」


 突然イェシルが声を出す。

 視線は背を向けたモーヴに向けられており、

 ジュルターとアウリウが返答しなかったのでモーヴはこちらを振り向いた。


「儂にかね? 構わんよ」

「どうしてずっと助けていたのに行っちゃうの?」


 少々言葉足らずの質問。

 その意図を察し、モーヴは顎に手を当てて暫し言葉を探す。

 五年間守り続けた村を見限る、その理由をどう伝えようかと。


「強大な力には重い責任が伴う」


 子供に教えるように優しく、それでいて押し潰されそうな重圧を感じる声。


「儂の魔術はやろうと思えば小さな山程度なら跡形もなく消し飛ばせる。

 好む好まざる関係なく、力を持つ者はそれを振るう責任を自覚せねばならん。

 それが種族としての異能であろうともな。それは力持つ者の義務じゃ」


 モーヴの視線はアウリウへと向けられている。

 吸血鬼。生まれながらにして不死という異能を持たされた娘を。

 そっと牙に触れるアウリウを見て、老魔術師はにやりと笑う。


「じゃが、力持つ者にも"振るわない"権利と自由はある。

 力なき者は言うじゃろう、力持つ者ならば我々のためにその力を振るうべきと。

 そんな事を強制される謂れなんぞないわい」


 まるで悪戯っ子のような笑みで、老人は言い切った。


「力持つ者の義務とかはどこ行ったの!?」

「力を使う事に対する責任を負うのは義務じゃ。

 しかし使わない事を決めるのは他人じゃなく、自分以外にはおらん。

 助けたいと思ったから助けただけ、

 ならどうでもいいと思ったら力を振るわんのも自由じゃ」

「まあ、あたしもどうでもいい奴のために何かしろって言われたら断るけど」


 頬に手を当てて小さく頷くアウリウに同意する。

 山賊が守っていた村の住人を思い出す。

 彼らは戦う力があるジュルターたちに、

 自分たちを守るべきだと言外に迫ってきていた。

 その時に思った事はたった一つ。知った事か。

 傭兵をただ働きさせようとする連中のために

 振るう槍など持ってはいないからだ。

 老魔術師は言っている。どれほど強大な力であろうと同じだと。


「力を振るいたくないと思ったなら振るわなくてもいいんじゃよ。

 生まれついての力も、鍛え上げた力も、

 使わないという事には責任も許可も要らん。

 じゃから儂は行っちゃうんじゃ。もう助けたくなくなったからのう」

「使わない、という事……」


 呟くような小さい声でモーヴの言葉を反復したイェシルは、静かに頷く。


「ありがとう」

「年を取ると説教臭くなっていかんのう。

 話半分、いや一割程度に聞いておいてくれ」

「そう? あたしは割と気に入ったお話だったけどな」


 優しい笑顔のアウリウに同意するように、イェシルはゆらゆらと揺れた。

 負わずともいい責任を負う必要はない、という老魔術師の話が、

 生まれながらに異能を持つ彼女たちの心をわずかでも安らげたからか。


「ただし、やるべき事をやらずして逃げるための理屈ではないぞ。

 やるべき事に全力を費やせん者には、輝かしい明日はやってこない」

「知ってる。明日を見れなかった人もいたけど」


 イェシルが思い出しているのはあの山賊だろう。

 彼に輝かしい明日はなかったが、炎のように熱く、誇り高い終わりがあった。

 あの男にとって、その終わりは明日よりも価値がある物だっただけだ。


 モーヴは微笑みを返し、近くにあった小箱を開ける。

 中にはそこまで高価そうには見えない装飾品がいくつか入っていた。


「儂が暇潰しで作った魔道具なんじゃが、報酬として持っていってくれ。

 大した効果は付与しておらんがな」

「この指輪はどんな魔道具なの?」


 赤い硝子を宝石のようにあしらった指輪を手に取るアウリウ。

 モーヴはどこか楽しそうに説明をする。


「放り投げても元の所に飛んで戻ってくるんじゃ。呪いの指輪もどきじゃな」

「……うわ、本当に戻ってきた!

 一度手に取ったら捨てられないとかじゃないよね!?」

「適当な所にそっと置けば戻ってこないぞい」


 他の物も試してみるが、子供の玩具にしたら喜びそうな魔道具ばかりだ。

 ジュルターとしては、床や壁に放り投げると

 綺麗な光と音を出して跳ね回り続ける球が気に入った。

 ただそれだけの物だが、見ていると何故か童心に帰ってしまう。

 握り拳の半分くらいの大きさで邪魔にもならない。これを貰う事にした。

 アウリウは指輪を気に入ったようで投げて遊んでいる。


「わたしも欲しい」

「イェシル、どれが欲しいの?」

「ジュルターとアウリウに選んで欲しい」


 アウリウと顔を見合わせ、小箱から一つずつ手に取る。

 ジュルターが選んだのは見る方向によって色が変わる石。

 アウリウは合言葉で少しだけ浮かび上がる紐を選んだようだ。

 どちらを選ぶかの勝負といった所か。


「どっちがいい?」

「紐で石を結んじゃだめ?」

「……ふふ、だよね」


 イェシルの提案を聞いたアウリウは、

 器用に紐と石でペンダントを作り、イェシルの首にかけた。

 紐が合言葉で浮かび上がり、色が変わって見える石が

 ちょうどイェシルの目の前に来るよう調整されている。


「引き分けかな」

「いや、アウリウの勝ちだ」


 両手を上げて降参する。不器用なジュルターには逆立ちしても作れない物だ。

 イェシルは嬉しそうに何度も合言葉を言って遊んでいる。


「一つ聞いてもいいかの。お前さん方、何のために災いの花を果ての岬に運ぶ?

 金だというなら割に合わん。名誉や名声のためならそんな物は欠片も得られん。

 大切な友のように心を交わしたその子の末路、当然知っておるじゃろう」


 その問いは穏やかな老人ではなく、威厳に満ちた老魔術師からのもの。

 生半可な心持ちであれば気圧されて言葉を失った事だろう。

 ジュルターには心に決めた返答がある。それをただ言葉として出すだけ。


「それを為さなければいけないと思ったからだ。為し遂げたいと思ったからだ。

 何よりも、イェシルと約束をした。俺が果ての岬でお前を葬ると」

「あたしはそれを見ていたいと思ったから。

 放っておけなかったっていうのも多分にあるけどね」


 二人で、老魔術師の険しい視線に真っ向から向き合う。

 見透かされているような目に怯む事はない。

 好きなだけ見透かせばいい。今言った以上の理由がないのだから。


「イェシルちゃんは」

「ジュルターとアウリウに連れて行って欲しい。果ての岬で終わるために」

「……そうか」


 優しく微笑んだモーヴは、静かに頷いた。

 そして小さな紙きれをジュルターに握らせてくる。


「果ての岬に張られた結界を作っている魔道具、その操作方法じゃ。

 結界の規模縮小、天井だけを開く……やろうと思えば破壊も。

 魔力は一切要らん。操作は複雑じゃが、そういう仕掛けが組み込んである」

「何でそんな物をお爺ちゃんが!?」

「結界の魔道具は、儂が二十年を掛けて作ったんじゃよ」


 懐かしむ様に目を細めるモーヴ。

 即座に浮かんだ二つの疑問をぶつける。


「俺たちがこの村を通る事を知っていたのか?」

「ある程度予測は立てていたが、会えたら幸運くらいの気持ちじゃの。

 五年もかけて、来るかも分からん連中を待つほど使命感に燃えてはおらんよ」


 一つ目の返答に関しては嘘ではないと思う。

 立ち寄る村の候補は三つ用意してあり、ここは三番目の候補だった。

 天候や行き先の噂話、情報などから最終的にこの村を選んだのだ。

 この村には立ち寄らなかった可能性の方が高い。

 モーヴは五年前からこの村に住んでいるので、

 純粋にジュルターたちが偶然立ち寄っただけなのだろう。

 疑問は次の二つ目こそが重要。


「なぜこれを俺に渡す?」


 災いの花に対抗するために作られた結界の操作方法。

 魔術を必要としないのなら、これを持つジュルターは結界を自由にできる。

 災いの花が咲いた時、結界を壊して世界に解き放つ事さえも。

 一介の傭兵に破滅を委ねるような行為の意図が分からない。

 モーヴは心からの笑顔で答えた。


「ぶっ壊してやりたくなったんじゃよ、あの結界を。

 誰も彼もを縛り付けて不幸にしかしない失敗作を、残しておく気がなくなった。

 じゃからお前さんに託したんじゃ。その心のまま、好きにしてやるといい。

 お前さん方三人を見ていたらそう思った、それだけじゃ」


 結界の実物を見た事がないジュルターには

 判断材料が少なすぎて何とも言えない。

 アウリウは難しい顔をしてじっとイェシルを見ている。

 災いの花を倒した英雄に会った事があると言っていたので、

 結界を見た事があるのだろう。

 そのアウリウが明確な否定や驚愕を返さない。

 モーヴの言葉に理があると考えている証拠。


 結界に何があるのかは実際に行ってみないと分からない。

 壊すにしろそうでないにしろ、自分の目で見てから決めろ。

 託すと言ったのはそういう意味のはずだ。

 ならば選択肢は多い方がいい。


「どうするかはその時にならないと分からないが、貰っておく」

「それでいい」


 ジュルターが紙切れを荷物に入れると、

 老魔術師はそれだけ言って荷造りに戻った。




 ***




 翌朝。空は晴れ、すっかり雨も上がった。


「雨はうっとうしいけど、お日様が出てるのも困るんだよねぇ」


 深く頭巾を被り、大きなため息をつくアウリウ。

 不死の異能は強力だが、面倒事も多くなるものだとつくづく思う。

 彼女の金髪が陽光に照らされて輝いたなら、さぞ美しいだろうに。

 そう考えてしまうのは、ジュルターが太陽の下で生きる人間だからだろうか。


「それでは、宿場までよろしく頼むぞい」


 小さな袋に荷物を詰め、旅支度を済ませたモーヴが頭を下げる。

 西に三日ほど行った所にある宿場まで一緒に行く事にしたのだ。

 どうせ通り道なのだから、もののついでだ。


「お爺ちゃん、その宿場に住むの?」

「いや、そこから南に小さな集落があるらしくての、そこに行こうかと。

 残り少ない余生を静かに過ごすよ」


 未練を残すような、寂しい微笑みを見て分かった。

 老魔術師に残された命は一年もないのだと。

 山神の代役はもうできない。その前に命が尽きるから。

 もし来年の祭りまで命が続いていたなら、その時モーヴはどうしたのだろうか。

 その時は文句を言いつつ、山神の代役をもう少し続けていたような気がする。


「果ての岬でやる事を終えて生きていたなら、爺さんに会いに行くよ」

「楽しみに待っていると言いたいが、それまで生きとるか分からんのでな。

 もし逝っていたら、墓なり死体なりに報告しておくれ」

「そこは気合を入れて生きていて欲しいんだが」

「お前さんこそ」


 二人で笑う。お互いに生きているか分からないからこその適当な約束。

 傭兵と老人の約束などそんな物でいい。


「あれ? 声が聞こえ出したけど、もうお祭り始まるの?」

「朝日が昇ってから日が落ちるまでずっとじゃよ。それを三日間じゃな」

「じゃあ早く出発しようよ。お祭りは好きだけど、ここにはもう来たくないかな」


 小さく首を振るアウリウに同意する。

 自分たちにはもうどうしようもない以上、気持ちが沈むだけだ。

 それに、山が今すぐに機嫌を損ねて崩れてくるかもしれない。

 村を去ると決めたのなら一時でも早く去るべきだろう。


 モーヴは村の方を向き、祈りを捧げる。

 ジュルターたちも簡素ではあるが祈りを捧げた。

 謝罪でも懺悔でもなく、ただ彼らが山神の元へ安らかに向かえるようにと。

 

 老魔術師は嘲笑われても警告を発し、一人で村を五年も守り抜いてきた。

 ジュルターたちは偶然立ち寄っただけの旅人。

 責任や罪悪感を感じるような義理はない。

 山神の代役をしたのは自分たちがそうしたかったからで、

 助けなければならない理由は存在しないのだから。


「イェシル、薄情だと思うか?」

「よくは分からないけど、そうじゃないとは思う」

「そうか」


 そっとイェシルの頭巾を外し、葉を撫でる。

 情がないと断定されなかった事が嬉しかった。

 ジュルターは薄情者でいいが、

 アウリウとモーヴをそう思ってほしくなかったから。


「お爺ちゃん、野宿って平気なの?」

「朝起きずに死んどるかもしれんのう」

「勘弁してくれ、せめて宿場までは何があっても生きていてもらうからな」


 そんな事を話しながら、誰からともなく歩き出す。

 もう誰も村の方向を見る事はなく、振り向く事もしなかった。


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