第4話:行き詰った料理人
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旅を続けていると、どうしても不足する物が出てくる。
食料や水は勿論だが、破れたり壊れたりする物も補充したくなる。
それに加え、ずっと野宿というのは精神が休まらず、体にも辛い。
必要な物を買ったらすぐに宿へと引き籠ろう、
そうアウリウとも話しながら町に入ったのだが。
「そこの旅人さん! お願いがあるんだけど、いいかな?」
町に入ってから一歩目で、厄介事が向こうからやってきた。
アウリウは露骨に嫌な顔をしている。ジュルターも似た顔をしているのだろう。
こちらに駆け寄ってきた女はそんな事を一切気にせず、にこやかに話を進める。
どうせ碌でもない荒事か下らない雑事だろうと考えていたが、
女の口から出た言葉は想像さえしていなかった代物だった。
「貴方が背負ってる籠の植物、舐めさせて!」
意味が分からな過ぎて思考が停止した。
ジュルターたちと女は初対面のはずだ。
いやそもそも、人間に酷似した植物を舐めようとする発想が理解不能だ。
ジュルターより僅かに早く正気に戻ったアウリウが前に出て怒る。
「いきなり意味の分からない事を言わないでくれる?」
アウリウと女の目が合う。
しばしの沈黙の後、女は自然にアウリウの手を取り、手のひらを舐めた。
小さな悲鳴を上げてジュルターの後ろに隠れてしまうアウリウ。
女は口をもごもごと動かし、味を確かめているように見える。
「何なの!? あたし食べても美味しくないよ!」
ジュルターの服で手を拭きながら怯えるアウリウ。
自分の服で拭いてくれと言いたくなったが、
今はそれどころではないので言わずにおいた。
この訳の分からない変態をやり過ごす方が先だ。
「これは……埃っぽい薄味の腐肉? 塩味が全然しないけど、血の臭い……」
女は味を分析しているようで、独り言が漏れている。
分析が終わると手をぽんと叩き、自信満々にアウリウを指差した。
「貴女、吸血鬼ね」
「本当に何なのあなた!?」
一舐めされただけで正体を看破され、すっかり怯え切ってしまうアウリウ。
明確な敵であれば勇猛に戦う彼女だが、変態の相手は慣れていないらしい。
威嚇するように女の前に立つと、女は手を振って敵対意思がないと伝えてきた。
「ごめんなさい、珍しい食材を見かけてつい興奮してしまったわ。
私は料理人なの。こんな所じゃなんだから私の店に来てくれない?
門でこれ以上騒いで、衛兵に目を付けられたくないでしょう?」
横目で門の方をちらりと見る女。
誰が騒ぎを起こさせたんだと怒鳴りたくなったが、
それでは余計に衛兵の目を引くだけだ。
武器を持った旅人と、自分の店と言っていたからにはこの町の住人。
どちらを牢にぶち込むかと聞かれれば、当然旅人のジュルターたちだろう。
初手から完全に嵌められていた。
「俺たちを取って食う気でないのなら、招待を受ける事にするよ。
昼飯くらいは出してくれるんだろうな?」
「もちろん」
朗らかな笑顔の女に対し、アウリウはジュルターにぴったりとしがみついて
警戒心をむき出しにしていた。
女に案内された店は小ぢんまりとしていて、
あまり流行っているとは言い難い所だった。
人通りの多い所からは外れ、一見では料理を出す店だと判別できない。
中に入れば狭いながらもそれなりの食事処なのだが、
昼頃だというのに客が一人もいない理由が分かる気がした。
「吸血鬼ちゃんは何食べるの? 私の生き血とか?」
「肉と魚、臭いの強い香草は食べられないから、甘いお菓子でも作って。
血を吸う所は、誰かと一緒に食べる時に見せるものじゃないからね」
「そっか。籠のお兄さんは?」
「お勧めがあればそれで。酒はいらない」
「はいよ、それじゃ少し待っててねー」
注文を聞くと、女は厨房に入っていく。すぐに調理の音が聞こえてきた。
厨房は壁に隔たれて見えない。向こうからもこちらは見えないだろう。
今のうちに聞いておかないといけない。
「イェシル、どうする? 嫌なら断るが」
「葉っぱならいいよ」
「イェシルって毒のある植物じゃないよね?」
アウリウの疑問はもっともで唸ってしまう。
ジュルターは迂闊にも素手で触れていたが、手がかぶれたりする事もなかった。
とはいえ、口に入れたが最後の猛毒が含まれている可能性を否定はできない。
イェシルを撫でた後、手を洗わずに目や口に持っていったかどうかは
気にした事もなかったので覚えていない。
あの山賊もそうだったが、イェシルは美味しそうに見えるのだろうか。
そんな下らない事を考えていると、
イェシルが髪のような葉をジュルターに向けてくるので撫でてやる。
触るだけならただの葉っぱだ。
「まあ、死ぬのはあの変態だけだしいいか」
身も蓋もない言い方をするアウリウ。その通りなので何も言えない。
町から全力で逃げなければいけなくなるので避けたい事態ではあるが。
そのまま他愛ない話をしながら待っていると、料理が運ばれてきた。
ジュルターには肉料理、アウリウにはお菓子の皿。
女は自信満々に胸を張って立っている。
料理を食べてみると、素直に思った事がそのまま口から出てきた。
「美味いな」
「うん。気味が悪いくらいに美味しい」
アウリウの感想に一言一句同意する。
珍妙な言動に似合わない料理の美味を表すなら、それしかない。
店の外観を差し引いても、確実に常連客がつく味だ。
「じゃ、こっちも味わわせてもらってもいいかな?」
「葉っぱの先を舐めるだけなら。噛むなよ。
それと、口に入れた事がないから毒があるかどうかは分からないぞ」
「ああ、大丈夫よ。解毒剤持ってるから。
貴方たち普通に触ってたから、即死するような毒はないでしょ」
緑色の液体が入った小瓶を軽く振りながら、イェシルの葉を口に含む女。
しばらくもごもごと口を動かしてから離れる。
女は何度か小さく頷いてから言った。
「……辛味と酸味。ほぼ同じ味の食用草があるね」
「それって珍しい物なの?」
「市場で売ってるよ、値段も銀貨一枚で数束買えるくらい。
見た事もない珍しい植物をわざわざ使う意味はないかな」
確かに女の言う通り、
どこでも売っている物で同じ味が出せるならその方がいい。
イェシルはがっかりしているように見える。
食べられたかったのかと言いそうになってしまった。
女はそれ以上何も言わず、黙ってジュルターたちの食べる姿を見ている。
その様子はとても嬉しそうで、
料理を作る事とそれを食べてもらう事が好きなのだろうと感じた。
久々の美味い料理を味わっていると、店に男が入って来る。
男はジュルターたちの姿を見ると軽く一礼をし、こちらに近づいてくる。
「あら、ヴァーレン。匂いに釣られたの?」
「そうだったらよかったんだけどね。ホペア、少し裏で話したい」
男はヴァーレン、料理人の女はホペアという名前らしい。
気にする事もない。どうせ今日が終われば忘れてしまう名だ。
「別にここでいいわよ? 旅人さんたちに聞いてみたかった事もあるし」
「厄介事の臭いしかしない……」
嫌そうな顔をするアウリウに対し、申し訳なさそうに頭を下げるヴァーレン。
「すみません、ホペアはこういう性格なので……」
「貴方も大変そうだな。聞くだけなら構わないよ」
男の手慣れた謝り方に哀れみを覚えつつ、了承の返事をする。
ヴァーレンは一度ため息をつくと、話し始める。
「ホペア、どうしてあんな勝負を受けたんだ。
料理勝負で負けたらこの店を明け渡すなんて、どう考えてもおかしいだろう」
彼はちらりとジュルターたちの方を見たので、説明的な言葉選びは意図的か。
「この店は両親の遺言で守っているって、君が言っていたんじゃないか。
あいつらをやり込めるためとはどうしても思えない。理由が聞きたい」
「……私にも分からないの」
傍若無人に振舞ってきた女から出たとは思えない、消え入りそうな声。
「旅人さんたちは知らないと思うけど、この町には大きな料理店があってね。
とにかくお高い料理ばっかり出して金を搾り取ろうとする連中。
そいつらに色々されて、小さな料理店がいくつか潰されちゃって。
今回は私の番で、難癖付けられて勝負する事になったのよ」
「それで珍しい植物をいきなり舐めさせてなんて言ってきたの?」
アウリウの問いに首を振るホペア。
「私の夢のため。私は自分が最高に美味しいと思える料理を作りたいの。
でも私はこの町から出た事ないからさ、
見た事ない植物なら珍しい味がするかもと思って。
好きな御伽噺の料理人を真似てみたんだけどね、
そんな都合良くはいかなかったよ」
何となく彼女が聞きたい事は分かってきたが、黙って続きを促す。
「そのためには色々な土地を巡り、色々な食材と出会うべきなのは分かってる。
でも、この店を残せって両親の遺言もある。
ヴァーレンの事だって……諦めたくない気持ちがあるの」
「ん? 二人って恋人同士なの?」
茶化すような言い方のアウリウに、ホペアはゆっくりと首を振る。
「私の片思い。ヴァーレンは別の料理店の一人息子で跡継ぎなの。
恋人同士が商売敵だなんておかしいでしょ、
彼に告白するなら店じまいする覚悟でしないと」
本人を目の前にしての、愛の告白にも等しい宣言。
少しだけからかうつもりだったアウリウは驚き過ぎて目を丸くしている。
ヴァーレンは驚く事もなく、寂しそうにホペアを見つめている。
この様子なら告白は間違いなく通る。相思相愛の関係のはずだ。
三つの目的が排他になっている。どれかを選べば残り二つは選べない。
聞きたい事は分かったので、こちらの意見を言う。
「あたしはヴァーレンさんと一緒にお店やった方がいいと思うけどな。
この町にある物で最高の料理を作ればいいし」
「俺は夢を追うべきだと思う。自分の人生に胸を張るために」
ほぼ同時に喋ってしまい、アウリウと顔を見合わせてしまった。
言った内容が全く違う事にお互い苦笑する。
「籠のお兄さんも吸血鬼ちゃんも、そうやって生きているからなんだね」
吸血鬼という単語に狼狽しているヴァーレンを横目に、
ホペアは何度も頷いている。
確かに、ジュルターたちの意見は己の指針を語っているに過ぎない。
どれか一つしか選べない選択を迫られたなら、
結局の所は自分が欲しい物を選ぶのだから。
しばらく頷き続けていたホペアは動きを止め、静かに言う。
「そうなんだよね。誰に聞いても、店を優先する人はいないんだ」
その言葉を聞いて、初めて気が付いた。
無意識に"どれか"ではなく"どちらか"を選択していた。
店は最初から除外していた。アウリウも同じはずだ。
夢か愛。それと比較してしまえば真っ先に外される選択肢だったからだ。
「こんな事言いたくないけどさ、両親の事好きじゃなかったんでしょ?
何で遺言なんか律儀に守ってるの」
「吸血鬼ちゃん、可愛い顔して結構怖いんだね」
アウリウの看破は正しかったようで、ホペアは力なく苦笑する。
彼女は遺言で残せといわれた、と言った。
それは強制的に課せられた命令だ。自らの意思で守りたいというものではない。
家族が愛した店を守りたいと思う者の言葉にしては義務感が過ぎる。
口ごもるホペアに代わり、ヴァーレンが代わりに訳を話す。
「……彼女の両親は料理に取りつかれた怪物だったよ。
はっきり言うけど、二人の料理は対して美味しくなかった。
でも娘のホペアの料理は絶品だったんだ。君たちも食べたなら分かるだろう?」
ホペアの両親は町で料理店を構える料理人の夫婦だった。
対して美味しくもなく、店主の拘りだけが強すぎる店は閑古鳥が鳴く有様。
一人娘にもあまり愛情を注いでいなかったという。
偶然仲良くなったヴァーレンの家で
まかないを食べていたくらいには放置されていた。
しかし、それは一変する。
ホペアがまかないで美味しい料理を食べていた事に加え、
天賦の才もあったのだろう。
態度の悪い客に対して嫌がらせで娘の作った料理を出し、それが絶賛された。
その後、娘に料理を作らせたところ店は繁盛した。繁盛してしまった。
吹けば飛ぶような両親の誇りと自我は、
娘の成功は自分たちの才を受け継いだからだと思い込んでしまった。
それからの両親は、
ホペアに自分たちの知る料理の技術を可能な限り叩き込んだ。
鉄拳制裁は当たり前。開いた指の間に包丁を突き立てられ脅される事も日常。
料理の役になど立たない虐待を数年。
ヴァーレンはそれを知った時、二人を殺してやろうかと思ったほどだという。
彼が手を下す前に、ホペアの両親は病であっさりと他界したが。
「話を聞けば聞くほど、この店に固執する意味が分からないんだけど。
焼いて更地にしたくならない?」
「でもさ、そうしたら何も残らないんだよ。あの人たちが生きた証」
アウリウの質問に答え、静かに話し出すホペア。
「私の技術ってさ、ヴァーレンのお父さんから教わったのが基本なんだ。
あの人たちが殴りながら仕込んだ物なんて、
全部既存の劣化品で使い物にならない。
だから、この店がなくなったら、あの人たちは完全にいなくなるの」
何かを言おうとしたアウリウは、一瞬口を開いたが声を出す事はなかった。
ホペアが証なのではないか、と言いかけたのだろう。
違うと言い切れる。
子が生きた証になるとは限らない。
両親から受け継いだものを全て捨てる子がいるのなら、それは証ではない。
それこそが目の前にいる料理人だ。
「あの人たちが好きなのか嫌いなのか分からない。
ただ残したいって思った。
私の育った家、私が料理を出してきた店でもあるから」
「そして、だから賭けたのか。負けて納得するために」
「普通にやれば負けないと思うんだけどね」
言い方からして八百長は確実。下手をすれば妨害行為もあり得るかもしれない。
それで構わないと。いかさまで負けたのだから納得して諦められると。
消極的にも程がある選択肢消しだ。
ヴァーレンは納得こそしたようだが、悲しそうに首を振っている。
話を聞きながら、料理を食べ終える。
アウリウに目配せをすると、彼女は頷いて残りの菓子を口に放り込んだ。
既に意見は言った。話を聞いてもそれが変わるはずもない。
これ以上ジュルターたちがどうこう言う問題でもないだろう。
立ち上がって別れの挨拶をしようとした時、扉が乱暴に開かれる。
入ってきたのは見るからにごろつきな風貌の男が二人。
明らかに料理を食べに来た客ではあるまい。
「よお、邪魔するぜ」
「俺たちは食い終わったから、こっちが出て行ってからにしてくれるか?」
「そういう訳で、ご馳走様。色男さん、彼女をちゃんと守ってあげなよ」
「貴方たち割と薄情ね!?」
そう言われても、本当に関係がないのだから仕方がない。
アウリウと二人で肩をすくめる。
ホペアの言葉から、脅しが来る事を予想して
ジュルターたちを店に連れ込んだのかもしれない。
しかし残念ながら、面倒事に付き合う気はない。
出口に向かおうとすると、ごろつきに行く手を阻まれた。
「退いてくれないか?」
返答の代わりに振るわれた拳を身を逸らして躱し、腕を掴む。
そのまま床に押し倒してやり、肩を外してやった。
激痛に悲鳴を上げるごろつき。
「あのさあ、何で武器持った旅人にいきなり殴りかかって来るの」
そう言いながら、アウリウはもう一人のごろつきに細剣を向けている。
切先はまぶたに触れそうな位置。ごろつきは恐怖で身動きもできないようだ。
武器は飾りではなく、相手を殺すために振るえる。
それが理解できない訳でもあるまいに。
相手は争いを嫌う。相手は法を守る。
相手は自分たちを傷つけない。相手は武器までは抜かない。勝手な思い込みだ。
「それで、何の用事だ?」
聞きながらもう片方の腕は肘を外してやる。
アウリウは細剣の切先を皮一枚分だけまぶたに刺し入れる。
その時点でごろつき共は泣きながら許しを請い、何でも喋ると言ってくれた。
大方の予想通り、相手方が妨害工作のために暴れさせようとした連中だった。
彼らは相手の料理店で働いている下男だったらしい。
喧嘩や荒事が得意だったので命令されて来たとか。
運の悪い連中だ。そんな店に拾われた事も、今ここに傭兵が二人いた事も。
「そ、その、生意気な女の指を二、三本ほど折ってこいって、へへへ……」
細剣を突きつけられているのにへらへらと笑うごろつきの顔を、
跳ねるように突っ込んできたヴァーレンが殴った。
ごろつきは吹っ飛んで床に転がる。
激怒を手で制し、ごろつき共に顎をしゃくって外に出ていけと促す。
「伝言を頼む。
勝負の前に下らない妨害をやるのなら、怖い旅人が夜にでも会いに行くと」
ごろつき共は慌てて店を出て行った。
やはり厄介事に巻き込まれたと、アウリウと二人で顔を見合わせため息を一つ。
美味い飯の礼として脅し付けてやったが、どのくらい効果があるだろうか。
ホペアは恐怖で微かに身を震わせていた。
ここまで明確に自分を傷つけに来るとは流石に予想外だったのだろう。
そんな様子のホペアをちらりと見たヴァーレンは、
ジュルターたちに頭を下げる。
「僕に払える限界までなら、貴方たちの言い値で報酬はお支払いします。
勝負が終わるまで、ホペアを守っていただけませんか」
「ちょ、ちょっとヴァーレン!?」
「僕だけだったら君を守れてはいなかった」
自身の非力さに憤るような苦々しい声に、ホペアはそれ以上何も言えない。
「勝負がいつ行われるかにもよる。こいつを運ぶ急ぎの旅なんだ」
「勝負は二日後。審査員は三人。
指定された場所は最近連中の傘下になった店で、食材はその店が用意する」
「ろくでもない仕込みしてくるの確実じゃない」
呆れ顔のアウリウに苦笑を返すホペア。
当然、彼女も分かっていて挑んだ勝負のはずだ。
急ぐ旅とは言ったが、果ての岬までの道程は四十日ほどの猶予を設けてある。
二日くらい使っても問題はあるまい。
悩める料理人がどんな結論を出すのか見てみたくなったのもあり、
ここで巻き込まれたのも何かの縁だと思う事にした。
「分かった、請けよう。報酬は毎食、美味い料理を食わせてくれればいい」
「ヴァーレンさんも料理人なんだよね? お菓子食べ比べさせてよ」
ホペアとヴァーレンは驚き、続いて笑顔で頷いた。
「腕はホペアには負けないつもりだから、期待してほしい」
「言ってくれるじゃない、お兄さんと吸血鬼ちゃんに審査してもらいましょ」
お互いに好意を持っている相手であり、競い高め合う好敵手。
この二人の関係はそういうものなのだろう。
「あたしはアウリウ。この人がジュルター。
一応隠してるんだからさ、吸血鬼ちゃんは止めて欲しいな」
「分かったわ。二日間よろしくお願いね、アウリウちゃん」
握手を交わす二人。ジュルターはヴァーレンと握手を交わした。
背のイェシルを見てみると、わずかに微笑んでいるような気がした。
一応気を張ってはいたのだが、二日間は襲撃が来る事もなく平和だった。
二人の料理人が作る、甲乙つけがたい美味い料理を食べて過ごしていた。
そして勝負の前夜。
「結局、ただ食わせてもらっただけになってすまないな」
「気にしないでよ、貴方たちがいてくれるから暴れに来なかったんだろうし。
それに、食べ物を余らせるのは気が引けたしね」
ジュルターたちは店にずっといたのだが、客が入ってくる事はなかった。
相手に嫌がらせでもされているのだろうか。
「明日の勝負、何作るか決めたの?」
「何が作れるかによるから、何も決めてないかな。
作れるもので最高に美味しい物を作るから、一緒に食べようか」
まともな食材が用意されているとは思えない。
審査員は最初から勝者を決めているはず。
それでもホペアは美味しい料理を作るだろう。
負けが確定している八百長勝負であろうとも、全力を尽くして。
おもむろにアウリウが立ち上がり、扉に歩いていく。
怪訝な表情をするホペアとヴァーレン。
そんな二人に向かって口を開き、長く鋭い犬歯を見せつけるアウリウ。
「この二日お菓子ばっかり食べてたから、そろそろお食事の時間なんだ」
「町人を襲っちゃだめよ!?」
「郊外に羊がいたから、ちょっと貰ってくるだけだって。
人は襲わないから大丈夫、
羊だって死んじゃうほど吸ったりなんかしないから」
それだけ言うと、アウリウはさっさと出て行ってしまった。
今更ながら彼女が吸血鬼だという事を改めて感じたのか、
二人は不安を隠せない様子だ。
アウリウは満腹になるまで血を吸えば、
黒炎や再生で消費しない限り五十日は血が枯渇しない。
まだ二十日近くは保つはずだ。
だというのに血を吸いに行ったという事は、満腹にしておきたいのだろう。
明日、いざとなった時に黒炎を使うため。
荒事の予感。長く戦地にいたからか、そういう嫌な勘ほどよく当たる。
ホペアとヴァーレンは調理場で明日の準備をしに行き、
一人残されるジュルター。
何とはなしにイェシルの近くに座り直す。
店に置かせてもらっていた災いの花は
飾ってある珍妙な観葉植物にしか見えない。
そうだったなら幸せだったかもしれないと思いながら、その葉を撫でた。
***
勝負の当日。指定された店に向かう。
ヴァーレンは自分の店の事もあるので、
行くのはホペアとジュルターたちだけだ。
当然といえば当然なのだが武器の持ち込みは禁止され、槍を預ける事になった。
身体検査は簡単なものだったので、短剣は隠し持っている。
イェシルの入った籠は押し問答の末に持ち込みが許された。
万が一にでも盗まれる訳にはいかないし、
勝負の様子を見せてやりたかったというのもある。
そこそこ大きな店の中には用意された調理用の大きな机が二つ。
審査員であろう三人は既に別席に座っており、
ジュルターたちをどこか気まずそうに見ていた。
良心の呵責はあるらしい。金に釣られて人を陥れる事に加担しておいて。
机の前には一人の男が偉そうに陣取っていた。
「こいつがホペアさんの指を折れとか命令した奴?」
「うん、そう。私に勝負を持ちかけてきた下衆野郎」
「な、何を証拠に!?
そもそも料理勝負に関係のないお前らが何故ここにいる!?」
出会い頭に強烈な会話をするアウリウとホペア。
男は激しく狼狽している。
機先を制するのは勝負の基本だ。戦いだろうが口論だろうが変わりなく。
「護衛の依頼を請けているからな、
どこかの誰かが彼女に危害を加えようとしたせいで。
それとも、料理勝負に部外者がいたら不都合でもあるのか?
八百長ができなくなるとかな」
そう言いながら審査員の方に視線を送ってやると、全員が目を逸らした。
嘲るように肩をすくめつつ、首を回すように周囲をざっと見る。
五人ほど物陰に隠れて様子を伺っている。
何かあったら飛び出てくる算段だろう。
アウリウの肩に手を置くと、片目を閉じて合図をしてくれた。
彼女も周囲の気配は察知していたようだ。
「いい加減にしろ! お前たちと違って暇じゃないんだ、さっさと準備しろ!」
「ホペアさーん、こっちこっち」
「そっちはおれの机だ!」
しれっと机の前にいるアウリウに怒鳴る男。
アウリウの前の机には、いかにも上等そうな食材が並んでいる。
もう片方の机の食材は見るからに貧相で、種類が少なく質もよくない。
一応食べられる物だけが置いてあるだけましだろうか。
「じゃあこの辺の果物貰っていこうかな」
「止めてやれ、勝っても惨めなだけの勝負をする恥知らずだ。
頭も腕も性根も腐っているんだ、せめて食材だけでも上等にしないと」
好き勝手をするアウリウ、容赦のない挑発をするジュルター。
男は怒りが爆発寸前といった様子で、もう声すら出さずにこちらを睨んでいる。
暴発してくれれば八百長勝負など反故にできるのだが、
どうしても勝負だけはしたいらしく踏みとどまっている。
そこまであの店が欲しいのかとも思ったが、ここまで躍起になる利点がない。
立地が悪く狭いあの店を欲しがる理由が分からない。
男にとって利となる理由とは何なのか。
そこまで考えて、ホペアの利を聞いていない事を思い出した。
「一つ聞きたかったんだが、お前が負けたら彼女に得はあるのか?
そう言えば聞いていなかったなと思ってな」
「二度と店に手出しはせん」
「こっちに何も得がないから、勝手に追加させてもらうね。
ホペアさんが勝ったら、おじさんが全身の毛を剃って裸で町一周ね。
無理か、確実に負ける勝負にこんな条件」
「このクソガキ……いいだろう! 負けたらな!」
朗らかな笑顔から発せられる無茶苦茶な条件にあっさりと乗ってくる男。
確実に勝てる仕込みがあると言っているようなものだ。
そう考えていた時、後頭部を柔らかな葉っぱが撫でる。
イェシルだ。稼働限界まで動いて、ジュルターに何かを伝えようとしている。
植物の様子を見ているふりをして、イェシルに小声で話しかける。
「どうしたんだ?」
「あの人、ホペアさんを見てる。欲しいって」
ジュルターにしか聞こえない囁き声。その内容で、勝負の本質を理解した。
確かに言われてみれば、男は激怒しながらもホペアをちらちらと見ている。
腕のいい料理人を値踏みする目ではない。もっと下劣な欲望の目だ。
ホペアやヴァーレンに聞いておくべきだったかもしれない。
男が嫌がらせや八百長勝負で手に入れてきた店に
年頃の女性はいなかったかと。
「さて、無駄話はここまでにして始めましょ。何を作ればいいの?」
「好きな物を一品作ればいい。彼らが食べて判断する」
「分かったわ」
男の思惑を知ってか知らずか、ホペアは調理を始める。
男も調理を始めたが、手際が悪い。同一の工程に倍の時間をかけている。
アウリウを近くに呼び、イェシルの言った事を耳打ちして伝える。
彼女はゆっくりと首を振り、特大のため息をついた。
「ああもう下らない。愛人になれとか言ってきた貴族様といい勝負できそう。
あいつと同じ思いしてもらう事になりそうだね」
口角を上げ、鋭い歯を見せるアウリウ。
荒事は確定したので、気付かれないよう仕込みをしておく。
窓の長いカーテンを外して絨毯のように床に敷き、そこに座る。
男は音がここまで聞こえるような歯ぎしりをし、
ホペアは吹き出すように笑った。
座る席がなかったのだから仕方がないと言わんばかりに踏ん反り返る。
位置はホペアと隠れている連中三人の間。
おもむろに立ち上がり、近くに片付けられていた椅子を引っ張り出し、
審査員の一人の隣に椅子を置いて腰かける。
「八百長の報酬は何だ? 金か? 身代の安全か?」
覗き込むように言ってやると、
審査員たちは汗をかきながら必死に顔を逸らした。
しばらくそうやっていても席を立つ様子はない。
逃げたくても逃げられないのか。
どうやら両方かも知れないと思いつつ、軽く椅子を蹴ってアウリウの所に戻る。
残り二人が潜んでいる奥の扉が引っかかるように椅子を置いてきた。
この部屋に入ってくるには多少時間が掛かるはずだ。
ジュルターたちが最初から傍若無人に振舞ったおかげで
誰も気付いていない様子。
その後はつつがなく調理が進み、ホペアの料理が先にでき上がる。
小さな皿に乗った、一口大のお菓子が六つ。
ホペアは審査員の前に皿を一つずつ置き、
残り三つをジュルターたちの所に持ってきた。
「一緒に食べようか」
「おじさーん、こっちもうできたんだけど、審査員連中も先に食べていいのー?」
「勝手にしろ!」
未だ食材と格闘している男の許しが出たので、菓子を口に放り込む。
ほのかな甘みに果実の味と香り、口触りも心地よい。
アウリウは満面の笑顔で、審査員たちも初めて笑顔を見せている。
しかし審査員たちの笑顔はすぐに曇ってしまう。
当然だろう、どれだけ美味しくても否定しなければいけない料理なのだから。
「随分小さいお菓子だったけど、材料足りなかったの?
こんなに美味しいなら、あと三個くらい欲しかったな」
「それもあるけど、あれ位にしないと審査員の人たちが可哀相だからね」
ホペアの視線の先には、未だに調理を続けている男の姿。
皿に盛られた肉は分厚く塊のようで、その上に何かを乗せるらしい。
食欲が湧くより先に、見ているだけで胸焼けがしてくる。
食べ比べるという事が一切考慮されていない、独りよがりの極みだ。
だからホペアは小さな菓子を作ったのだろう。
あれを食べ切らなければいけない審査員たちのために。
それからしばらくアウリウと言葉遊びで時間を潰していると、
ようやく男の料理が完成した。
切り分けられてもいない肉の塊を悪戦苦闘しながら食べる審査員たち。
案の定、食べ切ったのは一人で、残りの二人は半分程度で力尽きてしまった。
料理を残された事に怒る男を尻目に、
素早く審査員の所に近づき皿の肉を口に入れてみる。
「案外悪くはないが、量が多い上に味も濃すぎる。
大食漢でもなければ半分が限界だ。彼らに怒る事じゃない」
「審査員でもないくせに、このごろつきめ!」
「はいはい、さっさと結果を教えてくれない? こっちは長い事待ってたんだから」
アウリウに睨まれ、審査員たちがうつむく。
うつむいたまま、満場一致で男の方を示した。大声で笑い出す男。
「帰るか」
「お店取られちゃうけど、どうするの?」
「どっちにするか選ぶまで、彼の所で泊めてもらうつもり」
「ちょっと待て!」
完全に関心を失って帰ろうとするジュルターたちを制止する男。
心底うっとうしそうに、男に向き直るホペア。
「店は片付けも終わって、荷物も運び終わってるから。お好きにどうぞ」
「そうだ、店はおれの物だ。あの店をどうするかはおれの機嫌次第。
店を潰されたくなければおれの言う事を聞けよ」
男の醜悪な笑い。ホペアは呆れ果てた様子で何かを納得していた。
「そっか、取られた店って年頃の女の子がいた店じゃない。
……そんな下らない理由で」
呟かれた言葉から感じられるのは殺意さえ滲ませる激怒。
被害者への同情か、料理人の誇りを汚した者への怒りか、
こんな奴の口車に乗って店を開け渡そうとしてしまった己への憤りか。
その全てが込められている気がした。
ジュルターはホペアの前に立ち、アウリウが後ろ。
アウリウは床に敷いたカーテンの端を踏むような予定通りの位置だ。
ホペアは心底呆れた表情で、男に言う。
「元々店は閉めるつもりだったから、あんたの機嫌とかどうでもいいよ。
私はあんたの物にはならない、残念だったね」
「お前の都合も心も関係ない。出番だぞ!」
男の号令と同時に奥の扉が開きかけ、
椅子と荷物に引っかかって半開きで止まった。
後ろの扉からはごろつきが三人、短剣を持って向かってくる。
即座に足元のカーテンを掴み、大きく広げるアウリウ。
カーテンがごろつき三人に被さる。
アウリウが武器を持っていれば止まったろうが、彼女は丸腰のまま。
わずかな時間を稼ぐ事くらいしかできない。
そう思ったから突っ込んだのだろう。
瞬間、カーテンは黒い炎を吹き出しごろつきたちを焼く。
布全体に黒炎を纏わせて一網打尽にするため、
わざわざカーテンを床に敷いておいたのだ。
上半身を炎で炙られたごろつきたちは悲鳴を上げてのたうち回る。
その悲鳴を聞いてすぐに動く。
驚愕している男の顔に拳の一撃をくれてやる。
手近にあった食材から固い木の実を二個ほど掠め取りつつ奥の扉へ。
扉はほとんど蹴破られるように開かれ、二人のごろつきが部屋に入って来る。
手にはやはり短剣。前のごろつきに木の実を投げつける。
木の実は短剣を持つ指に当たり、相手は短剣を取り落とす。
勢いのままに突っ込み、逆手で首を掴んで腹に膝蹴り。
ごろつきの体が曲がり姿勢が低くなる。
そこを後ろから狙ってくる上段狙いの短剣。
逆手に力を込め、ごろつきの頭を盾にして短剣を受ける。
手を離して一歩後ろに下がり、渾身の蹴りを腹に打ち込む。
二人のごろつきはもつれ合って倒れ、身動きが取れない。
後ろにいた無傷なごろつきの顔を全力で二回踏みつける。制圧は完了した。
部屋の隅で震える審査員たちを横目に、男の側に三人で集まる。
「お、お、お前たち! おれにこんな事をして、た、ただで済むと……」
「あんたこそ、こんな事をしてどうなるか分かってるんでしょうね」
この期に及んで高圧的な態度をとり続ける男。状況が理解できていないらしい。
怒り心頭のホペアを制してアウリウが男の側に座り、体に触れる。
「動かないでね、おじさん。身動きしたら全身を炎で包むよ」
脅しによって身動き一つしなくなった男を、アウリウは後ろから抱きかかえる。
そして、首筋に牙を突き立てた。
血を吸う音だけが部屋に響き渡る。
男は苦痛と恐怖に顔を歪める事はなく、むしろ快楽に身を委ね切っている。
少しの間だけ血を吸ってから、アウリウは首から顔を離す。
そして、何が起こっているか分かっていないホペアに説明する。
「異性の吸血鬼に血を吸われると、激しい快楽を感じるの。
血を吸う時は無防備だから、相手が抵抗しないようにするためらしいけど」
アウリウは気を失っていた男の頬を引っ叩く。
男は自身に何が起きたのか理解できていない様子で、激しく混乱している。
男が意識を取り戻したのを見てから、アウリウは再度血を吸いだした。
一気に吸い尽くすような勢いではなく、
少ない酒をちびちび飲むような吸い方で。
快感に変化はないらしく、男は悶えながら気を失った。
その顔は涙と鼻水と涎をすべて出して恍惚に歪んだ、
無様さよりも恐ろしさが先に立つ姿。
「吸血鬼に血を吸われる快楽を味わった人間は、もう元には戻れない。
一回までなら強靭な精神で耐える人もいるけど、三回吸われたら終わり。
何をやったって楽しめない。美味しい物を美味しく感じない。
血を吸われる快感だけを求めて生きる半死人になる」
再び、男の頬を引っ叩いて起こすアウリウ。
男の表情には底知れぬ恐怖と、
それ以上に与えられる快感を期待する媚びた喜び。
アウリウは男の髪を掴んで自分の方を向かせ、
口を笑顔の形に歪めて血に濡れた牙を見せつける。
「女の吸血鬼って割と珍しいんだ。一生のうちにもう一度会えるといいね」
死ぬまで続く拷問の開始に等しい宣告の後、三度血を吸い始めるアウリウ。
男は快感を少しでも長く享受したかったのか、
アウリウが牙を抜くまで気を失う事がなかった。
意識を失った男をその場に寝かせ、吸血鬼の少女がこちらに歩いてくる。
無意識だろう。ホペアが一歩後ずさった。
「帰ろうか。もうお店をどうこうとか考えられないと思うよ」
「そうだな。その前に聞いておきたい事があった」
まだ部屋の隅で怯えて震えている審査員たちの前に立つと、
小さく悲鳴が上がった。
両手を振って危害を加えるつもりがない事を示す。
「別に何もしない、ただ聞きたいだけなんだ。
本当はどっちの方が美味かった?
どちらだと言っても構わない、奴とは違うからな」
ホペアは驚き、アウリウは興味津々の様子でこちらに近づいてくる。
二人の審査員はすぐにホペアを指し示したが
一人だけはおずおずと話し始める。
太めの体形をした男性。唯一料理を完食した審査員だ。
「わ、私は彼の料理の方がよかったと思う。味も濃くて私好みだった。
お嬢さんの菓子は確かに美味しかったが、薄味で量が少なかったから……」
「うーん、一理ある。あたし、後十個は欲しかったもん」
男性の評に頷きながら、欲しい数を三倍に増やしているアウリウ。
ホペアは何かの気付きを得たようで、静かに男性を見ている。
二人を横目で見てから男性の近くに膝を付き、視線を合わせてから頭を下げた。
「貴方は正当な評価を下していたのに、八百長などと言って申し訳なかった」
「……いや、八百長だよ。
我が身可愛さにどんな料理であっても票を入れただろうから。
謝って済む事ではないが、本当にすまなかった」
頭を下げる男性に、ホペアは何も言わず頷きだけを返した。
***
ホペアの店に帰ってくると、待っていたヴァーレンが駆け寄ってくる。
「ホペア、無事でよかった!」
「私の予想を超えて上手くいったっていうか、上手くいき過ぎたっていうか……」
歯切れの悪いホペアに代わり、起こった事の説明をする。
誇張はせず、隠し事もせず、淡々と事実だけを述べていく。
「そういう訳だから、もう大丈夫だと思うよ。
あたしたちが町をさっさと出て行けばいいだけだね」
「結果的に店もそのままだ。選択肢は三つのままになってしまったな」
「大丈夫、もう決めたわ」
ホペアはヴァーレンの前に立ち、深呼吸をする。
そして、静かに言った。
「小さな頃からずっと、貴方の事が好きでした」
恥ずかしさで頬を赤らめながら、それでいて不安を隠しきれていないホペア。
そんな彼女に、ヴァーレンはただ一言だけの確認をする。
「いいんだね?」
「うん」
二人はしっかりと抱き合う。
気恥ずかしさで目を逸らすと、見るからに嬉しそうなアウリウの姿が映った。
そういえば彼女の意見はそうだったなと思い出す。
ふと、後頭部を葉が撫でる。
ホペアに聞きたい事があるのだろう。あの山賊の時と同じように。
アウリウの肩を軽く叩き、指の動きでそれを伝える。
彼女は微笑んで頷いてくれた。
背から籠を下ろし、抱きかかえるように持ってホペアたちに向ける。
抱き合ったままの姿勢で、きょとんとした顔を向けてくる二人。
「どうしてそれを選んだの?」
「……この植物、ううん、この子って喋れたの!?」
「驚かれるだろうから喋らないように言いつけていた。
聞きたい事があるらしいんでな。別れの前に答えてやってくれ」
驚きで随分と熱烈な抱擁になってしまっている二人の前で、イェシルを撫でる。
どうしてその選択を選んだか、理由を教えて欲しいと願う花を。
ホペアはしばらく考え、ヴァーレンをちらりと見て、話し始める。
「ヴァーレンと一緒なら、私はあいつらにならないから。
父さん、母さん、そしてあの男。
店を守っても、夢を追っても、私はあいつらと同じに成り果てる。
それが分かったの」
審査員の男性の評価を聞いて気付いたのだという。
八百長抜きなら確実に勝てると思い込んでいたと。
そして、人によって好みが違うという当然さえ忘れていたという事も。
独りよがりの料理。彼女が忌み嫌う者たちと同じ。
ああにだけはならぬと誓って生きてきたのに
同じになりかけた自身に絶望したと。
「それと、もう一つの理由。こっちの方が理由としては大きいんだけど……。
ずっと大好きだったの、この人が。
店も夢も後回しにできるけど、
ヴァーレンの隣にいるのは私じゃなきゃ嫌だった。
この勝負でそれがはっきりと分かったのよ」
「もし、ヴァーレンに他の人がいたらどうしてたの?」
イェシルは更に質問を続ける。
ホペアは少しだけ悩むと、すぐに答えを出した。
「泣きながら町を出て夢を追ったかな。
きっと料理人とは呼べない酷い奴になるだろうけど」
醜悪な存在に成り果てても夢を追う。次善の案としてはあまりに悲しい。
しかし、それにこそ魅せられてしまうのは
ジュルターがその道を進んでいるからか。
戦場で数多の命を奪って武の高みを目指す、己の境遇と似ているから。
いや、それに憧れているからかもしれない。
選ばれなかった次善でも、そんな道を歩める彼女が羨ましいと思う。
「そうはならなくてよかった!」
嬉しそうに、ヴァーレンを強く抱きしめるホペア。
それを見て、心底嬉しそうな笑顔で腕組みをしながら
壊れた人形のように頭を激しく上下させているアウリウ。
ヴァーレンは恥ずかしさからか、
困った表情でジュルターを見てくるが、肩をすくめて返しておいた。
愛する二人の間に入るほど無粋な事はあるまい。
「世界一の料理は諦めるけど、この町で作れる最高の料理は作るつもりだけどね。
いきなり旅人さんの運んでる物とか手とかは舐めないようにするわ。
愛想尽かされて泣きたくはないしね」
「答えてくれてありがとう」
イェシルの質問は終わったようなので、籠を再度背負う。
荷物を手に取り、後は別れの挨拶だけとなった時、ホペアが聞いてきた。
「その、言いたくないなら構わないんだけど。
ジュルターさんって、アウリウちゃんに血を吸われたから一緒にいるの?」
人間の男と女吸血鬼。そう思われるも無理はない。
激しい快楽を求め、
吸血鬼を崇め奴隷のように奉仕する者もいると聞いた事はある。
アウリウに三度血を吸われたあの男もそう成り果てるだろう。
しかし、ジュルターとアウリウはそういう関係ではない。
「俺は血を吸われた事など一度もない」
「吸うわけないよ、半死人になんかなって欲しくないし。
面倒臭くて頑固で難儀な性格してるけど、だから気に入ってるんだもの」
「酷い言われようだな。事実だから反論したくてもできないぞ」
アウリウと顔を見合わせて笑い合う。
お互いに気に入っているから一緒にいる。はっきり言えばそれだけだ。
ジュルターたちの様子を見て、ホペアは微笑む。
「よかった。
とっても仲が良さそうに見えたから、そうであって欲しくなかったの。
吸血鬼だからって、アウリウちゃんを怖がりたくなかったし」
「吸血鬼は基本的に人間を餌としか見てない獣未満の連中だから
間違いなく危険だし怖がった方がいいし、普通の人はそもそも関わっちゃだめ。
今回は特殊で物凄い幸運だっただけって思っておいて」
「そ、そう……」
同族への辛辣な評に困惑するホペア。
誰よりも吸血鬼を知るアウリウが言うのなら、それが正しいはずだ。
身を守る力のない一般人が決して関わってはいけない。
手酷い拒絶にも似た警告は、彼女の優しさゆえだ。
それが分かるからか、
ホペアがアウリウを見る目には恐怖ではなく感謝があった。
「さてと、早めに町を出る事にするよ。
奴は確実にアウリウを捕まえようとするだろうしな」
「あたしの事で何か言ってきたら
南東の方に旅立ったって出まかせ言っておけばいいよ。
二人とも、いつまでも仲良くね!」
「ばいばい」
外に出ようとすると、ホペアが袋を渡してくる。
中身は美味しそうな保存食と長持ちするお菓子、日持ちする果物。
「昨日のうちに作っておいたの、受け取って」
「有難くいただいておくよ、食べられる物だけな」
袋の下部に手を突っ込み、隠されていた金の入った袋を返す。
「ね、面倒で頑固で難儀な性格でしょ」
「一緒になったら相当苦労しそう」
笑い合う女二人を横目に、ジュルターはヴァーレンと握手を交わす。
「貴方たちを引き留めてよかった。旅の無事を祈っています」
「二人で末永く幸せにな」
「ありがとう、ジュルターさん、アウリウちゃん!
それと蕾ちゃん、葉っぱ舐めちゃってごめんね!」
笑顔で手を振る二人に手を振り返し、店を出る。
念のため、店の外には出ないように言ってある。
お互いにまた会おうとは言わなかった。
ジュルターとアウリウはなるべくこの町に入らない方がいいだろうし、
イェシルは二度とこの地を見る事はない。
客商売だから分かっていたのだろうか。余程の縁がなければ今生の別れだと。
根なし草の傭兵をやっていればそんな出会いと別れは日常だ。
関わり合った人たちの未来に、ほんの微かだけ後ろ髪を引かれる思いもまた。
「出発するか」
「そうだね」
アウリウが手を繋いでくる。
ジュルターは槍を使うので基本的に両手は空けておく。
彼女もそれは知っているはずだが、
町を出るまでの間くらいはこのままでいいかと離しはしなかった。
普通の日常に浸るのもたまにはいいだろう。
それを捨ててきたジュルターと、
生まれついた時点でそれがなかったアウリウにも、たまには。
背のイェシルは優しげにゆらゆらと揺れながら、ジュルターたちを見ていた。




