第2話:傭兵と災いの花の旅立ち
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「いやー、今回も報酬ご馳走様」
「俺が何かした訳でもないんだが」
「黄色槍は勝ちを引き寄せる、そう言われてるの知ってるでしょ?」
五年来の付き合いになった吸血鬼の少女が茶化してくる。
彼女は五年前から全く容姿が変わらない。
少女と言うのはおかしいのだろうが、外見が少女のままなので仕方がない。
ジュルターの方は多少変わっていると自分では思う。
流石にあの頃の若造と同じだとは思いたくないが、どうなのだろうか。
当時は鮮やかさを保っていた黄色の外套はすっかり色がくすみ、
継ぎ接ぎでぼろぼろ。
ここまで歩んできた旅路の証。
外套としての機能を失うまでは使い続けるつもりだ。
今回の戦いは傭兵にほぼ出番がなかった。
かなり厳しい戦力での砦攻めだと考えられており、傭兵も百人ほど雇われた。
しかし蓋を開けてみれば、砦に攻め入る前に敵の重要拠点が陥落。
砦は放棄され容易く占拠できた。
噂では新進気鋭の天才軍師が何事か策を弄したと囁かれているが、
真相は分からないし知る意味もない。
自分たち傭兵にとって重要なのは、何もせず金が貰えるという事実だけ。
今は自軍の本拠に帰還中。通り道にあった村に立ち寄り休んでいる所だ。
いつもなら酒場は傭兵と兵士が騒いでいる所だが、
何もしていないのに騒ぐのは躊躇われたのか割と静かだ。
「黄色槍の逸話がまた一つ増えたね。槍を一度振ったら砦が落ちたって」
「根も葉もない嘘を捏造しないでくれ」
アウリウとは両手の指で数えられない程の戦場を共にしてきた。
その度に黄色槍の逸話を増やそうとしてくるので困っている。
偶然なのか意図的なのか、
ジュルターとアウリウが敵として戦場で出会う事は一度もなかった。
先ほどの勝ち馬を引き寄せるという話も、元は彼女が言いふらしたもの。
そしてこれは間違いなく偶然と言えるが、話の通りその全てが勝ち戦だった。
一介の傭兵が戦況を左右するなど英雄譚ですらあり得ない。完全なる偶然。
それなのに、傭兵たちは陽気な吸血鬼の戯言を信じて
風の噂に乗せてしまったのだ。
傭兵仲間の噂話で済んでいるのが幸いだろうか。
「それにしてもさ、騎士さんたちが急に出ていったのは何だろうね。
吸血鬼でも近くに住み着いてたりして」
「そいつを討伐してくれって言われたらどうするんだ」
「報酬とそいつの言動次第かな」
呑気そうな笑顔のアウリウだが、眼鏡の奥の瞳は冷徹な光を宿している。
実際に報酬が良く、相手が下劣な輩であれば彼女は躊躇なく手を下すだろう。
根拠はないがその瞳は、吸血鬼という種を嫌っているように見えた。
そんな他愛もない話をしていると、酒場の扉がやけに重々しく開かれる。
入ってきたのは部隊の責任者である騎士の男。
表情は非常に暗く、何事かあったのは一目で分かった。
彼は酒場に傭兵が集まっている事を確認すると、静かに口を開く。
「傭兵諸君に頼みたい事がある、旅支度を整えて村の郊外に来てくれ。
諸君以外も全員招集している」
「戦の報酬まだ貰ってないんですけどー?」
「もちろん報酬を反故にはしないし、追加報酬も十分に支払う事を約束する。
まずは現物を見てもらわなくては信じられない事だからだ」
酔っぱらいの野次かと思うアウリウの言葉に、疲れた様子で返答する騎士。
余程の厄介事なのだろうと推測できる。
騎士の言う通り、見てみない事には請けるかどうか判断しようがない。
傭兵たちは荒事の予感に期待する者、
報酬前の面倒事に嫌な顔をする者が半々ずつ。
「旅支度か、請けたら即出発だろうな」
「うーん、まあいいか。この村あんまり美味しい物なかったし」
旅人や傭兵の旅支度などすぐ終わる。
保存食と水に必要最低限の持ち物、そして愛用の得物。
背負い袋一つあれば足りる荷物を持って宿を出る。
「外どんな感じ?」
「雨でも降ってきそうな曇りだ」
「じゃあ被らなくてよさそうかな」
被ろうとしていた外套の頭巾を外し、
長い髪をかき上げて服の外に出すアウリウ。
吸血鬼は強い日光の下に長時間いると、肌が焼け爛れていくらしい。
いつも掛けている眼鏡も日光から目を守る魔道具だと聞いている。
それがどちらも必要なさそうな厚い雲。
五年前にアウリウと共に死守した、あの時の砦の夜空のようだと感じた。
村の郊外に集められた百人の傭兵。
その前では数人の兵士が壁を作るように横並びになっている。
彼らの後ろに、自分たちが招集された理由たる厄介事がある。
「諸君らの中には、これが何か知っている者がいるかもしれない。
だが決して狼狽しないようにしてくれ」
騎士が手を上げると、兵士たちは二手に分かれて壁を開く。
そこにあったのは、小さな木に咲きかけた花の蕾だった。
いや、花と呼んでいいものなのだろうか。
下半身が土に埋まっているのか確認できない以外は完全に人間の少女のようで、
頭にある大きな蕾がなければ植物だとは思わなかったはずだ。
少女の顔の部分は視線も動いているし、表情も細かく変わる。
一見では罰か何かで色を塗られて埋められた少女かと思ったほどだ。
「阿呆らしい。
わざわざ呼び出して何だと思ったら、可愛いお花ちゃんじゃねえか」
若い傭兵がつまらなそうに言うと、他の者も同意して白けた空気が流れる。
ジュルターも正直な所、彼らと同じだ。
珍しい植物を自慢でもしたかったのだろうか。
お偉方の冗談は下々の者には理解しがたい。
自分たちだけは楽しいだろう冗談の宣言を待っていると、
アウリウがジュルターの腕を掴んできた。
かなり強い力で掴まれていて痛いくらいだ。
まるで、行くなとでも言っているかのように。
「"災いの花"だ……」
壮年の傭兵が呟いたその声は、心の底からの恐怖に震えていた。
聞き慣れない言葉に首を傾げていると、騎士が一歩前に出て話し出す。
「一夜の間に突然生えてきたという植物だ。
花が咲くと恐ろしい災いを振りまく忌まわしい植物。
九十年前は一つの村を生き物が住めぬ地に変え、
六十年前はある国の城と城下町で殺戮の限りを尽くし住民を皆殺しにした」
話の内容に傭兵たちが後ずさる。
アウリウに腕を掴まれていなければジュルターもそうしていた。
あどけない少女のような姿が
おぞましい化物の擬態にしか見えなくなってくる。
「そ、そんな物騒な奴さっさと始末しちまえよ!」
「できるのなら諸君らを集めたりしない」
騎士は腰の長剣を抜いて災いの花へと近づく。
災いの花とはいえ植物でしかないはずだが、
顔の表情が怯えたものへと変わっている。
長剣が大上段に構えられる。そして、渾身の力で振り下ろされた。
金属同士がぶつかるような甲高い音が響く。
花の蕾に叩きつけられた長剣は、かすかな傷さえ付けられず蕾に触れていた。
よく見れば、剣の刃の方が欠けてしまっている。
「見ての通りだ。
剣や槍どころか大型弩砲の直撃でさえ無傷。衝撃さえ感じていない。
火で焼こうとしても焦げ目も付かない。
どんな魔術を叩きつけても何の効果もない。
三十年前の記録では、あらゆる方法で傷を付けられなかったとある」
完全無敵の防御。先ほどの一撃を見ては信じるしかない。
「だったら引っこ抜いて川にでも捨てちまえばいいだろ?」
「正にそれこそが諸君らに頼みたい事だ」
騎士が目配せをし、兵士の一人が大きな籠を持ってくる。
背中に背負えるように皮の紐が取り付けられている籠。
何を入れるための物かは言わずとも分かる。
「ここから遥か西にある"果ての岬"と呼ばれる場所まで、
半年以内にこれを運んでもらいたい。
そこは三十年前、災いの花を聖女と英雄たちが討ち滅ぼした場所だ。
岬に張られた結界の中で花が開いてしまえば、防御は消失し滅ぼす事ができる。
花が開いてから首を斬り落とせばこいつは枯れる。
果ての岬には災いの花を討つ使命を持った守人が住んでいる。
守人の力を借りて討つのだ」
そこまで話して、騎士は長剣の刃を植物の首筋に当てる。
まるで斬首される直前の罪人だ。
騎士はざわめく傭兵たちを気にする事なく説明を続ける。
傭兵たちの質問で時間を取られる事もあったので、
要点を抜き出して整理してみる。
頼まれごとは恐ろしい植物である災いの花を特定の場所まで運び、始末する事。
報酬は前金だけでも破格。合計すれば十数年は遊んで暮らせる。
国境までは兵士が二人ほど付き添うが、
国境を越えた後は単独で向かってもらう。
半年の期限は花が咲くまでの時間。
悪辣な手だと思った。
西の方向にあるのは今まさに戦争状態にある敵国だ。
暗に言っているのだ。災いの花を敵国に捨ててこい、と。
気付く事なく花が咲いてしまったなら
敵国は大被害を受けて戦争が有利になる。
しかもそれを傭兵にやらせ、敵国を通る正当な理由まで作ってある。
もし事が発覚しても蜥蜴の尻尾切りをし、知らぬ存ぜぬで通すのだろう。
その上、傭兵たちは今回働きらしい働きをしていないため
後ろめたい気持ちと破格の報酬で釣り、
非道な破壊工作でも請ける可能性を上げられる。
件の天才軍師の策なのだろうか。だとしたら決して相容れない人物だと思う。
横を見てみると、傭兵たちは後ずさりこそしているが前に踏み出す者はいない。
はっきり言って名乗り出る者はただの馬鹿だ。
一歩踏み出そうとすると、腕を掴む手に力が込められた。
「今回は本当にだめ。
あの騎士、知らないのかもしれないけど言ってない事があるの」
「全て伝えられないのはいつもの事だろう?」
「聖女と英雄たちがどうなったか、でも?」
他に聞こえないような小声でアウリウが言う。
その言葉で、ジュルターの性格を熟知しているのだなと苦笑が漏れた。
苦笑とはいえ笑っているジュルターに対し、険しい顔でアウリウは続ける。
「英雄十人のうち九人が死んだ。体中を引き裂かれ肉片になってね。
その中に最愛の恋人がいた聖女は心を壊し、ただ生きているだけの屍になった」
「見てきたように言うんだな」
「聖女と生き残った英雄に会った事あるから。
彼らは当時大陸に名を轟かせた最強の武芸者十人と、
大奇跡を扱える唯一の司祭だったの。
あなた、その域に達していると胸を張って言える?」
胸を張って達していないと言える。
道半ばどころか四分の一も進んだ気がしない。
アウリウがジュルターの事を心配して止めてくれているのも分かっている。
はっきり言って馬鹿や阿呆を取り越して狂人の所業だとも理解している。
それでもだ。
「俺が救いようのない馬鹿なのは知っているはずだ」
「……だから気に入ってるんだけどね」
「止めてくれたのは嬉しかった。達者でな」
アウリウの手を解く。余程の幸運でなければ二度と会う事はないだろう。
寂しそうに胸に手を置く少女の姿を暫しの間だけ目に焼き付け、一歩踏み出す。
「俺が請ける」
「名は」
「"黄色槍"ジュルター」
あえて異名も名乗った。他の傭兵を牽制する意味も込めて。
異名を知っていたのか、兵士の一人が騎士に耳打ちをする。
騎士は一瞬だけ何ともいえない表情になり、すぐに笑顔を作った。
「高名な傭兵だと聞いた。その黄色槍が請けてくれるとは心強い。
では、君は残ってくれ。他の者は明日の出発に遅れないよう」
傭兵たちは思い思いに散っていく。大半は安堵の表情を浮かべて。
その中に混じる嘲笑、哀れみ、得体の知れないものへの恐怖。
ジュルターが自分から異名を名乗る時は、いつもそんな感情を向けられる時だ。
しばらくして傭兵たちは皆いなくなったが、一人だけ残っていた。
金色の髪をなびかせながらジュルターの隣に来て、アウリウが強気に言う。
「報酬、黄色槍と折半してちょうだい。
あたしも一緒に行く。二人の方が確実でしょ?」
「君は?」
「今回雇われた傭兵。吸血鬼だけど。
半分でも美味しい報酬、黄色槍だけに渡してたまるもんですか」
首を傾げる騎士に対し、アウリウは自分の口を引っ張って歯を見せる。
人間ではありえないほど長い犬歯。吸血鬼の証を。
「あたしは死なないから何があっても帰って報告できるよ。
いやまあ、然るべき手順を踏めば滅ぼせるんだけど」
騎士はうつむいてしばらく悩んでいたが、顔を上げるとすぐに頷いた。
「いいだろう、吸血鬼のお嬢さん。
ジュルター殿もよろしいか?」
「気は進まないが、雇い主が決めたのなら文句はない」
「交渉成立ね」
交渉が終わるとすぐに騎士は離れた所にいた兵士たちに指示を出し始める。
兵士たちはすぐに散っていき、騎士も少しの間この場を離れるらしい。
ジュルターたちはしばらくこの場で待機するように言われた。
今、災いの花の側にはジュルターとアウリウしかいない。
隣のアウリウに抗議の視線を送ると、彼女は肩をすくめる。
「あたしが救いようのない馬鹿だって知ってるでしょ?」
「だから気に入っているんだが」
ジュルターの言葉をそのまま言ってきたので、
彼女の返答をそのまま返しておいた。
「吸血鬼の滅ぼし方を示唆したという事は、分かっているんだよな?」
「言わないとあたしを同行させてはくれなかっただろうしね。
何やっても死なないんじゃ、帰ってきた時に殺せないし。
それに吸血鬼と一緒ってなれば、殺す大義名分ができる」
破格の成功報酬は見せ金。
破壊工作を終えて帰ってきたら、待つのは金でなく刃だろう。
ジュルターが異名を知られている傭兵だと知って躊躇ったのはそれが理由。
帰ってきた時にはさぞ豪勢な歓迎が待っているだろう。
戻ってくる気は毛頭ないが。
「死んだら報告する事はできないはずだよな。
嘘をついてまで俺に付き合わなくても」
「嘘は言ってないよ?
復活に最低百年かかるから、あいつらには報告できないだけで。
国が残ってたら報告には帰って来れるじゃない」
吸血鬼は死亡しても死体か灰がわずかでも残っていれば
生き血を注ぐ事で復活する。
吸血鬼が不死者と呼ばれる所以だが、その復活には百年の月日を要する。
アウリウが騎士に言った事は
詐欺師が言う"嘘は言っていない"の分かりやすい例。
確かに嘘は言っていない。肝心な情報を意図的に喋っていないだけだ。
「それで、何でこんな馬鹿なお仕事を請けようと思ったの?」
「理由は色々あるが、大きな理由は二つだ」
災いの花の近くまで歩いていき、側にしゃがんで目線を合わせる。
若芽のような色の肌をした少女は、穏やかな表情でジュルターを見ている。
恐らく葉っぱにあたるであろう緑の髪をそっと撫でてみる。
大型弩砲ですら傷一つ付けられないはずの髪は
柔らかな草を撫でているようだった。
少女は目を細めて気持ちよさそうにしている。
「長剣で斬られる時、怯えて目を閉じた。
そういう擬態なのかもしれないが、俺にはそう見えた」
「女は涙を都合のいい時に流せるって言うけどねぇ」
妙な格言を口にしながら、ジュルターの隣に座って少女の頬をつつくアウリウ。
騙されているだけかもしれないが、それならばそれでいい。
少なくとも結界まで運べば、六十年前のような大殺戮は起こるまい。
「もう一つは、戦にはやってはいけない事があるからだ。
戦に身を置いてきたからこそ、外道な破壊や殺戮は許せない。
だから建前に乗ってやる。本当に果ての岬まで運び、そこでこの子を葬る」
アウリウ以外には聞こえないように小声で言った。
戦火に生きる者の矜持。
下らないと笑われるものだろうが、これを失ったらただの殺人者だ。
だからこんな馬鹿をやろうとしている。
「本当に生き難い人だよね。
でなきゃ黄色の外套をずっと着て戦場に立つわけないか」
「こんな奴と一緒にいても碌な事はないぞ」
「碌な事はないけど、後から思い出して笑える事はたくさんあったよ」
そう言って笑いながら、少女の首筋をそっと撫でるアウリウ。
いきなり噛みつきはしないかと危惧したが、
そもそも攻撃が効かない事を思いだした。
アウリウはその後も頬を撫でてみたり、蕾を触ったりしている。
そんな吸血鬼を好奇の目で見ている少女。
人間と違う種なのが珍しいのかもしれない。
「豪気だな、そんな恐ろしいものに平然と触るなど」
「触らないと引っこ抜けないよ」
戻ってきた騎士が驚きと呆れが混じった声を掛けてくる。
騎士の方を見ずに返答するアウリウに苦笑が漏れていた。
立ち上がって騎士に質問をする。
「この花の下半身はどうなっている?」
「分からないが、乱暴に引っこ抜いても構わないだろう。
下がどうなっていても、傷付く事はあり得ないのだからな」
それもそうだと納得し、少女の胴の部分を抱える。
騎士に視線で確認をすると、頷いて許可を出してくれた。
腰に力を入れて引っ張る。
大きさからかなり根を張っていると思い全力を込めたのだが
予想外に抵抗なく抜けてしまったので、思いっきり尻を打ってしまった。
「根っこ、小さ過ぎない?」
「水も養分も必要なければそうなるのではないかな」
災いの花を抱え上げて見てみると、下半身に当たる部分は存在せず
手のひらを広げたくらいの大きさしかない根が一本だけ生えていた。
用意されていた籠に入れてやる。ぴったりの大きさだった。
少女の首から上が籠から出ており、
何となく満足げな表情をしているように見える。
籠を背負ってみると、そこまで重さは感じなかった。
動きにくさも問題になるほどではない。
やろうと思えば籠を背負ったまま槍も振るえるだろう。
「君たちにはすぐに出発してもらう。彼らが道案内と護衛として同行する。
旅に必要な食料や水、前金はここに用意した」
二人の兵士にずっしりと重い金貨の詰まった袋を渡される。
兵士はどちらも壮年で、経験豊富な者が選ばれたのだろう。
道案内、護衛。そして監視のために。
「確かに受け取った。国境のどこに行けばいい?」
「彼らが案内する。国境を抜けるための抜け道にな。
君たちが国境を抜けた後、その道は封鎖する。帰りには使えないと考えてくれ」
帰りには災いの花を持っていないのだから問題ないという事だろう。
傭兵が戦時中の国境をまたぐのは珍しくもない。
「分かった。俺たちに何かあれば言ってくれ。なければ出発する」
「くれぐれも、災いの花をよろしく頼む。何事もなく運んでくれ」
それだけを言うと軽く一礼をして、騎士は去っていった。
アウリウと二人だけだったなら、顔をしかめてため息をついていたと思う。
騎士は"果ての岬に"運んでくれとは言わなかった。
言い忘れただけだと思う事にした。一つの国を嫌いになりたくはない。
「では行こう。我々について来てくれ」
「はーい」
のんびりとしたアウリウの返事に渋い顔をしつつ、兵士たちは歩き始める。
冗談は通じない方らしいと思いながら、その後を追った。
***
村を旅立ってから七日。国境付近の森奥に抜け道はあった。
見た目は小さな洞窟にしか見えない。
「この洞窟が国境を越えて掘り進めていた抜け道だ。
お前たちが入り次第、入口を埋める」
「途中で塞がってたら生き埋めになっちゃうんじゃないの?」
「そこまでは知らん。自分で何とかしてくれ」
何とも無責任な言い草にため息が出た。
彼らからしてみればジュルターたちが埋まっても構わないのだろう。
災いの花も土に埋められてしまうのだから。
花が咲いた所でここは国境付近。敵国に押し付けてしまう算段かもしれない。
傭兵の命など枯れた木の葉のように軽い物、
二つくらいなくなっても気に留めるまい。
「行ってくる」
「月並みだが、幸運を祈っているよ」
ランタンに火をつけ、兵士たちに別れを告げて洞窟へと入る。
中はジュルターが頭をぶつけない程度には広く、
横幅も二人が並べる程度に余裕があった。
ランタンをかざしながら進んでいくと、後ろで土が崩れる音がする。
二人でできる作業量だとは思えないので、緊急時用の仕掛けがあったのだろう。
音が収まると、アウリウが大きく背伸びをした。
「あー、息が詰まったぁ! あいつら冗談も通じないんだもん。
花の事を迂闊に喋りたくなかったから、
ジュルターともあんまり話せなかったし」
「いつも静かにしていれば、本当に可愛らしいんだがな」
「あたしはうるさい方が可愛いの」
自信満々に言ってくるアウリウに笑ってしまう。
ようやく監視がなくなったので、何でも好き勝手に言える。
二人で並んで歩き、洞窟を進んでいく。
息が苦しくなるような事はない。
空気の流れがあるので生き埋めの心配はないらしい。
そんな事を考えていると、服の袖をアウリウが引っ張ってくる。
「この子に名前つけよう」
「何を唐突に……」
「"災いの花"って呼ぶの可哀相じゃない。
それにさあ、人前でこの子の事を何て呼ぶつもりなの?」
改めて考えてみると、それもそうかと納得した。
災いの花。こんな単語を人前で出したら間違いなく厄介事が起こる。
それに加え、アウリウが可哀相と言った事も理解はできる。
彼女も吸血鬼として恐れられ、人間たちには距離を置かれる身だから。
「イェシルにする」
「あたしの意見も聞いてから決めてよ!?
ちなみに、何でイェシル?」
「故郷に緑の実がなる小さな木があってな。
一年に一度の実を楽しみにしていた事を思い出したんだ。
その木の名前がイェシルの木だ」
家族との思い出と共に、色褪せてしまった記憶を引っ張り出した。
随分と昔の事のように思える。
今はもう誰もいない。
大雨で氾濫した川の濁流がジュルター以外を全て飲み込んでしまった。
イェシルの木も潰されて圧し折れ、枯れてしまった。
その時こそが、傭兵として生きる事を決めた始まりだった。
忌まわしい花にその名を付けるのもどうかと思ったが、
なぜか他の名を付ける気が起きなかった。
「アウリウが他の名前にしたいのならそれでもいいが」
「……いきなり言われたから、考えてた名前が頭から飛んじゃった」
「悪い事をしたな」
頬を膨らませるアウリウに謝ると、彼女は深く息を吐いた。
そして、籠から頭を出している少女の頬を指でつつきながら笑う。
「変な名前じゃないしそれでいいかもね。
これから、あなたの名前はイェシル。そう呼ぶからね」
「はい」
舌足らずな可愛らしい声の返事に、驚いて顔を向ける。
アウリウも驚きの表情で固まっていた。
「あなた、喋れるの!?」
「二人がわたしに触ったから、二人の言葉を覚えたの。こんな言葉も」
災いの花……イェシルが共通語に続けて聞き慣れない言葉を口にする。
するとアウリウが頭を抱えてしまう。
「吸血鬼の古語まで喋れるの?
あたしたちの頭の中を覗いて学習しちゃったって事……?」
こちらの言語を学習していた事も予想外だったが、
それ以上に予想外だった事がある。
「何時から俺たちの話を理解していた?」
「撫でてくれた時から」
何を話していたか、話してしまっていたかを懸命に思い出す。
思い出した内容に、今度はこちらが頭を抱えてしまう。
ジュルター自身が言っていた。果ての岬でイェシルを葬ると。
目的地で殺されると分かっていて従順にしている者がどこにいるというのか。
籠を背から下ろし地面に置き、その場に座る。
ちょうどイェシルと目線が同じになるように。
小柄なアウリウは中腰でジュルターたちと目線を合わせている。
一度大きく息を吐いてから、決心して言う。
「聞いていたのなら分かっていると思うが、
俺がお前を果ての岬まで運ぶのは、お前をその場で殺すためだ。
お前が泣き叫んで懇願しても止める気はないし、
どんな妨害をされても必ず運ぶ」
隣ではアウリウが細剣の柄に手を掛けている。
無意識にやっているのだろうが、イェシルを相手にしては武器など意味がない。
イェシルは真剣な表情で、一言だけ呟くように聞いてきた。
「どうして?」
ジュルターが触れた時から言葉を理解していたなら
大きな理由の二つは聞いていたはず。
ならばこの疑問は理由を聞いているのではない。そんな気がした。
「そうするべきだと、そうしなければならないと思った。
俺がやらなければ誰かが非道を為すと思った。
俺ならば非道は起こさせないようにできるとも。
だから俺がやらなければいけないし、俺が成し遂げたいと思った」
心のままに思った事をそのまま言った。
自分でもこれが真に心の奥底から出た言葉なのかは分からない。
それでも本心には違いない。
イェシルはじっとジュルターを見つめ、微かに動いて頷いた。
「連れて行って。そして、成し遂げて」
「……改めて言うけどさ、連れて行かれたら殺されちゃうんだよ。
イェシルはそれでいいの?」
「災いはない方がいい」
どこか寂しげな微笑みを浮かべるイェシル。
アウリウは細剣から手を離し、蕾をそっと撫でる。
「そうだね」
かすかな声の同意は、今にも泣きそうに聞こえた。
立ち上がり、アウリウとイェシルの頭に手を乗せる。
二人はきょとんとした顔でジュルターを見てくる。
「せめて、良い旅路にしよう」
「死刑囚に処刑人が言う事じゃないと思うの」
アウリウの痛烈な指摘に何も言えなくなって頭をかいた。
彼女は色々な感情が入り混じった苦笑を浮かべている。
ジュルターもそんな顔をしているのだろう。
「わたしは、良い旅路がいいな」
そう言って微笑むイェシル。惜しいと思ってしまった。
花が咲いたなら、きっとこの笑顔のように可愛らしい花なのだろう。
それが災いと殺戮をもたらすものでさえなかったなら、ゆっくりと見たかった。




