第1話:序章・傭兵と吸血鬼の昔話
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月どころか星さえ見えない、真っ暗な曇りの夜空。
まるで自分たちの行く末のようだと思った。
傭兵として参加した砦の防衛戦。
戦略的には対して重要でもないが、取られるには惜しい程度の小さな砦。
正規兵を二人ほど配置し、後は傭兵で数合わせしただけの防衛。
友軍が重要拠点を陥落させるまでの七日間だけ防衛に徹し、
砦を守り切ればいいだけの簡単な仕事のはずだった。
実際に四日目までは戦闘さえなく、
ただ飯を食いながら報酬に思いを馳せているだけでよかった。
しかし五日目から、この砦は死地へと変わった。
何を血迷ってこんな砦に投入したのかと思う大戦力。
砦の貧相な防衛設備で凌ぎ、時には外に出て砦を守った。
凄まじい戦力差によって散々にやられ、傭兵たちは次々と屍に変わった。
今は七日目の夜。明日になれば晴れて契約は満了、
報酬を受け取って終わるだけ。
仕事が終わった後にこの忌々しい砦が占領されようが知った事ではない。
一番の問題は生きて砦を出られるかどうかだ。
昼夜問わず攻め立てられ、砦の防衛戦力はあっという間に削り取られていった。
今も雄叫びの後、砦の壁を越えて矢が撃ち込まれてくる。
砦の内情を知っていればすぐに突撃してくるだろう。
何せこちらの残存戦力はたったの四人なのだから。
いや、今まさに三人へと減ろうとしている。
長い金髪の少女が、息も絶え絶えの男を抱きかかえている。
男の体には七本もの矢が突き刺さっており、
もはや助かりようがない重傷を負っていた。
少女はそんな男の頭を慈しむように優しく撫でると、首筋に噛みついた。
血を啜る音。男の命が吸われていく音。
男は安らいだような、恍惚としたような顔をして生涯を終えた。
少女は男の亡骸をそっと寝かせる。
不自然なほど白い肌。口元にのぞく血が滴る犬歯。
焚火の明かりに晒されて輝く、眼鏡の奥の赤い目。
少女は吸血鬼だ。
吸血鬼の少女は服の袖で口元を拭いながら、焚火の近くに座る。
「すまなかったな、介錯を任せて」
「気にしないで、血が足りなくてそろそろ限界だったから丁度良かった」
妖艶な美貌の吸血鬼だというのに、随分と気さくな少女だ。
少女は自分と同じ傭兵。吸血鬼の傭兵という聞いた事もない珍しい存在。
外見は十五歳前後に見えるが、実際の年齢はずっと上だろう。
「それにしてもさ、あたしたちって本当に馬鹿だよね。
こんな状況で律儀に砦守ってるって、もう笑うしかなくなっちゃう」
少女の笑いは力ない苦笑だった。自分も同じような顔をしていただろう。
既に傭兵は自分と少女以外全滅。
正規兵の一人は先ほど死に、残りの一人は焚火の近くで眠っている。
眠っている正規兵はまだ少年といってもいい年齢。死んだ正規兵は老人だった。
どれだけこの砦が重要視されていなかったかがよく分かる。
少女が座ったまま少しだけ腰を浮かせ、
ちょこちょことこちらに近寄ってきて外套をめくってくる。
馴れ馴れしい行動だとは思うが驚きはしない。
自分の外套が目を引くのは知っている。
「こんなの着ててよく生き残ったね、
さすが"黄色槍"なんて呼ばれてただけはあるって事かな」
少女の感想も当然だろう。何せ着ている外套は鮮やかな黄色なのだから。
戦場において目立つ事この上ない。
真っ先に狙われ、身を隠す事もままならない黄色。
そんな外套を着て槍を振るい続けていたからか、
いつしか黄色槍の異名で呼ばれるようになっていた。
「ジュルターだ。異名で呼ばれるのは気恥ずかしい」
「そう? あたしなんて大抵お嬢ちゃんとしか呼ばれないから羨ましいよ?
あたしはアウリウ、改めてよろしくね。今夜限りの付き合いかもしれないけど」
普段は傭兵同士で一々自己紹介などしないが、今はそうしたい気分だった。
アウリウの方もそんな気分だったらしい。
彼女が言った通り、ジュルターが明日を迎える事はないだろう。
砦の防衛設備は使い切り、人数もたった三人。
敵は砦に戦力が残っていると勘違いして攻めてこないだけ。
わずかでも小突いてみれば気付くだろう。防衛戦力など存在していないと。
張りぼての後ろで震えながら夜が明けるのを待つ子供のような心境になる。
「あーあ、周りに敵がいなかったらな。
毎度毎度大声出して矢を飛ばしてきて、うっとうしいったらないよ。
もうちょっと静かにしてくれないと寝られないじゃない」
吸血鬼なのに夜に寝るのかと言おうとして、気付いた。
夜になってから定期的に続いた、声を上げてからの射撃。
矢が当たった音から判断して二十本。
同じ間隔で、同じ数の矢。それが五回続いた。
こちらを休ませず疲弊させるためかと思っていたが違う。
慣れさせるためだ。またか、と思わせるための攻撃に見せかけた偽装。
本命が他にある。
「アウリウ、夜目は利くか?」
「昼間と変わらないよ。どこを見たらいいのかな」
「身軽な奴なら砦に侵入できる場所が一つだけある。そこを頼む」
眼鏡を外し、指定した方向を目を細めて見つめるアウリウ。
しばらくしてから眼鏡は掛け直され、落胆のため息が漏れた。
「ランタンを持ってるのが二人で、全部で五人かな。
砦に刺さった矢に縄を付けて上ってきてる。あの散発的な攻撃はこのためかぁ。
ここからじゃもうどうしようもないね、中に入られる。
後一手先に気付いていたら……。
張りぼてだって知られちゃった。後は門を中から開けてお終いってね」
砦の内情は知られた。七日間にわたる防衛戦も無為に終わった。
後は夜が明ける前に敵兵がなだれ込み
戦いにすらならない蹂躙が始まるだろう。
吸血鬼のアウリウはどうか知らないが、
ジュルターと正規兵の少年は確実に死ぬ。
愚かにも黄色の外套を着続けて傭兵をやっている以上、
常に死の覚悟はしているが。
槍を手に取り、ランタンに火を灯して立ち上がる。
アウリウはきょとんとした顔でジュルターを見ている。
そんな彼女に言った。
「門の前で敵を倒す。まだできる事があるんだから終わりじゃない。
一手遅れたんじゃない、辛うじて間に合ったんだ。
そいつを倉庫の隅にでも隠して、お前は逃げてくれ。
吸血鬼なんだから闇に姿くらい隠せるんだろう?」
「五対一で門を開けさせないようにするって? 無理でしょ」
「無理だったならそれでいい。無為に終わるのも構わない。
だが、やってもいないのに諦めたくはない。
皆が命と引き換えにもたせた張りぼてを、夜明けまでは立たせたい」
時間が惜しいのでそれだけを言って駆け出そうとすると、腕を掴まれる。
振り向くと、吸血鬼の少女が立ち上がっていた。
「五対二でやろう、あたしも一緒に行くよ。
この子はここで寝かせておいていいでしょ、
どうせあたしたちが失敗したら終わりだもの」
「吸血鬼が不死とはいえ、蘇生には相当の手間が掛かるはずだがいいのか?」
「あたしたちの張りぼて砦だからね。
後、闇に隠れられるっていうのは人間が勝手に想像したでたらめだよ」
そう言って笑顔を見せるアウリウ。
その笑顔は可憐な花のようであり、少女が吸血鬼だという事も忘れて見惚れた。
「俺が死んだら好きに血を吸ってくれ」
「死体の血って吸血鬼には毒なの。覚えておくと役に立つかもね?」
二人で同時に駆け出す。
絶体絶命の窮地だというのに、なぜか負けて死ぬ気が微塵もしなかった。
吸血鬼が共にいるからではない。この少女が共にいるから。
門には自分たちが先に到着した。
敵は真っ直ぐに門へと迫っている、手間のかかる罠を作るような余裕はない。
「ジュルター、これ適当な所に結んで」
「分かった」
アウリウが出した細い糸の端を壁や置物に結んでいく。
もう片方の端は彼女が左手に持っている。
簡素な罠で一度しか使えないが、上手くいけば非常に大きな隙を作れるはず。
その隙に最低一人でも数を減らせなければ自分たちの負けだろう。
門は機械式で、小さな砦らしく一人でも開くようにできている。
開閉装置がある場所は開けた場所で、装置に一人でも取りつかせれば終わり。
三日間の戦いでアウリウの強さも大体は分かっている。
彼女が手に持つ得物は細剣で、真っ向から斬り結ぶ方ではない。
搦め手を使って翻弄しながら必殺の一撃を突き入れる戦い方だ。
時間を掛けた一対一か、自分たちが多数の場合の援護で真価を発揮する。
今回のような対多数の防衛戦は最も不得手と言ってよく、
二対一になっては押し切られるはずだ。
雑兵ならともかく、砦に入り込むような特殊任務に長けた精鋭を相手取るなら
四対一は不可能に等しい。
受け止められる限界が三人。
槍に力を込めて構える。初撃で一人、何があろうと減らす。
「合図は要る?」
「炎と同時に突っ込む」
ジュルターの返事と敵が見えたのは同時。
夜の闇に紛れる黒衣で身を包んだ敵が五人、
ジュルターとアウリウに突っ込んでくる。
松明の光に照らされる黄色の外套と、少女の美しい金の髪。
相手からすれば居場所を教えているようなものだ。
接敵の直前、敵の一人が大きく横に逸れる。そいつが門を開ける算段か。
それを見てアウリウが左手を上げる。
次の瞬間、敵の目前に黒い炎の糸が現れた。
敵が全員大きくたじろぐ。
その隙を逃す訳もなく、一人孤立した敵を渾身の力で貫いた。
横から胴を串刺しにした槍を引き抜き、残りの敵に向き直る。
アウリウの様子を見ると、彼女も一人を仕留めたようだ。
しかしアウリウは脇腹を押さえており、衣服が裂け血が流れている。
「ひっどいなあ、結構高かったのに……」
強引に一人を仕留めたので大きく隙を晒し、脇腹を深く斬られたらしい。
普通の人間なら致命傷に近いだろうが、
苦しそうにしているが立っているあたり流石の吸血鬼だ。
アウリウの細剣は黒い炎が剣身を包んでおり、敵はそれを見て動揺している。
簡素に説明されたのだが、黒い炎はアウリウの奥の手だそうだ。
彼女が触れている単一の物体に黒炎を伝わせる、
魔術とは非なる吸血鬼の特殊能力。
先ほど結んだ糸は黒炎を伝わせるための物だった。
今までの戦いで使っていなかった理由は、血が足りなかったから。
つまり今、細剣に宿る黒炎は老正規兵の命をくべて燃えている。
「後は任せてくれ」
「笑えない冗談だね。あたしが三つ貰うんだから」
強気に返してくるアウリウだが、状態は悪い。
相手は間違いなく手練れ。完全に虚を突いた渾身の一撃を危うく躱されかけた。
アウリウも並の相手なら深手を負ってまで数を減らす事はしなかったはずだ。
三対一では厳しい。三対二の形にしても彼女は苦しいだろう。
心苦しいが、信頼する事にした。
「俺が三つだ」
「遅かったら横取りしちゃうよ」
軽口を叩き合うジュルターたちを前にしても、表情一つ変えない敵兵たち。
一番厄介な敵だ。彼らは全員が死ぬまで目的を果たそうとするだろう。
「はっ!」
一歩踏み込んで槍を振る。
曲剣で槍頭を弾かれ、もう一人がその隙に直剣を横薙ぎ。
迫る刃に石突を合わせて軌道を逸らす。
可能ならば一度下がりたいが、間合いを取り過ぎては門を開けられてしまう。
長物の有利間合いを保ちつつ、攻め気を絶やさずに倒しきるしかない。
視界の隅には黒炎が揺れる。
アウリウが戦っている相手の得物は短剣。
細剣の方が間合いは長いので、近づかせないように牽制している。
しかしアウリウの動きが鈍い。黒炎の熱で辛うじて間合いを保っている状況。
あれだけの重傷ともなれば再生にも時間が掛かるようだ。
黒炎は摂取した血を激しく消費してしまうと聞いた。
それを維持して戦うとなれば消費量は莫大のはず。
しかも負傷の再生にも血を消費するらしい。
時間を掛けたい所だが、動きが鈍った彼女が一対一で相手をするには厳しい敵。
五合、いや四合でジュルターが二人を倒さねば負けると考えていい。
この状況で恐怖や緊張を感じない自分は狂っているのだろう。
頭の中は澄んでいる。いつも通りに槍を振るうだけ。
直剣の鋭い突きを躱す。
足を斬りつけようとする低い曲剣の斬撃を後ろに一歩下がって躱す。
敵二人が一瞬だけ目配せをした。
優位からの油断か、同僚が二人死んだがゆえの焦りか。
どちらにせよ、それをジュルターに見せたのは失策だ。
曲剣の方が開門装置へ抜けようと身を引く。
その瞬間、長剣の方へと槍を突き出した。
前に出て援護をするつもりだったのだろうが、それが裏目になった。
槍の刃は読んだ行動の通り、敵の左胸を貫いた。
敵を蹴飛ばして無理矢理に槍頭を引き抜き、即座に構え直す。
離脱する意味を失った曲剣の方は、舌打ちと共にこちらを睨みつけてきた。
味方が倒されても即座に攻めては来ず、守りを固める敵。
その判断の正否は分からないが、こちらとしては厄介だ。
アウリウが倒されるまで待ちに徹されては分が悪い。
だからこそ、次の攻撃で決める。
摺り足で横に二歩、続けて一気に踏み込んでの突き。
わずかに後ろに下がるだけで躱す敵。受けを使ってもくれない。
槍を右手一本で持ち、大振りに横へ薙ぐ。
かすりさえしていない。ジュルターが大きく姿勢を崩しただけ。
槍頭の軌道にアウリウと対峙していた奴がいなければ、だが。
狙い通り、アウリウに注意を払っていた相手は首の後ろを深く斬られ、
支えを失った人形のように倒れ込む。
槍を振り切って隙だらけのジュルターに襲い来る斬撃。
しかし曲剣より一手早く、下段から放たれた刺突が最後の敵を貫いた。
ジュルターの脇を潜るように突っ込んできた、
小柄な少女の細剣による必殺の一撃。
わずかな肉の焼ける臭いと共に、侵入者は全滅した。
「随分と無謀な賭けに出たもんだね?」
「横取りしてくれると思っていたよ」
アウリウと顔を見合わせて笑う。
自分たちの位置から閃いた咄嗟の思いつきだったが、
彼女なら意図を理解して最善の行動を取ってくれると根拠もなく信じられた。
「お代わりが来たりしないよね?」
「その時は一緒の墓にでも入るか」
「熱烈なお誘いは嬉しいけど、あたし死んでも蘇っちゃうから無理かな」
軽口を叩き合うくらいしかできる事がない。
侵入経路を塞ぎたくても、そんな余力も物資も存在しない。
敵軍の指揮官が余程の慎重派ならば、朝までは何もしてこない可能性もある。
朝が来た所で完全包囲されている事には変わりなく、
増援に期待するのは都合のいい奇跡を願うのと同義。
だから今夜か明日が最期だ。
それでもいいと思えた。
小さな女吸血鬼と笑い合って死ねるのなら、この生も悪くはなかったから。
***
朝日が昇る。敵は慎重だったようで次の手を打たず、夜を明かす事ができた。
ついに七日間、砦を守り切った。
しかし少年の表情は暗く沈み、
アウリウは清々しい諦めの表情で壁に身を預けて座っている。
守り切っただけで勝った訳でも、砦を囲む敵がいなくなった訳でもない。
結局の所、無意味な意地を張り通したというだけだ。
だがそれでいい。これで胸を張って死ねる。
それにしては攻撃が遅い。昨日までの圧迫感が消えている気がする。
昨夜のような潜入かと周囲を見渡すが、そのような様子もない。
外で大人数が動く音がしたので
いよいよかと覚悟をしたのだが音は遠ざかっていく。
音を聞いてきょとんとした顔のアウリウに木の板を渡した。
「吸血鬼使いが荒いんだから、もう」
文句を言いつつもジュルターの意図を察して、
アウリウは跳ねるように飛び起きて砦の外を見に行った。
吸血鬼の彼女なら矢が一、二本当たった所で死にはしないはず。
木の板と砦の壁に隠れながら慎重に様子を伺っていたアウリウだが、
首を傾げた後に大きく身を乗り出して外を見る。
今までならば間違いなく矢の雨に晒される愚行だったが、
矢どころか敵の声さえ飛んでくる事はなかった。
「敵が撤退してる。こっちの攻撃を警戒しながら急いで下がってるよ」
「後一押しで落ちるのに撤退?」
「こっちの戦力がまさか三人だとは思わなかったのかもね」
ジュルターたちの所まで降りてきて悪戯っぽく笑うアウリウ。
三人で顔を見合わせていると
目立たない位置にある旗が風もないのに大きく揺れた。
拠点や町に設置されている遠隔通信用の魔道具だ。
旗のある場所にある程度の言葉を送れるので重宝されている。
この砦で唯一の正規兵となった少年が旗を撫でると、威厳のある声が告げた。
「我ら敵拠点の占拠に成功。
友軍であれば貴君らの勇戦に敬意を。
敵であるならそこで身を震わせているがいい」
その勝利の報告で敵が撤退した理由が分かった。
友軍が攻略していた拠点はこの砦の近くで、攻めの橋頭保となる場所だった。
そこを占拠された以上、こんな砦に陣取っていても敵陣深くで孤立するだけ。
素早く撤退を決めた敵の指揮官はやはり慎重過ぎる人物らしい。
もしわずかでも勇猛さが上回っていたら、砦は落ちていただろう。
今までの疲労が肉体と精神へ一気に押し寄せてくる。
「守り切ってやったぞ、俺たちの張りぼてを」
立ったままだが、死んでいった同僚たちに祈りを捧げる。
アウリウと少年も、ジュルターに倣うように祈っていた。
祈りを終え、疲れた体を無理にでも動かし旅支度を整える。
アウリウも手早く支度を整えていく。
少年はジュルターたちが何をしているのか分からず首を傾げている。
「お仕事終わったから帰って報酬貰うんだけど」
「お前も一緒に来た方がいいんじゃないか?
連中の気が変わってもう一度攻めてこないとも限らないぞ」
ジュルターとアウリウがいなくなったら一人で砦を守る事になる。
それに気が付いた少年は急いで旅支度をしようとして、
足をもつれさせて転んだ。
「ちょっとちょっと、落ち着いてよ。待っててあげるから」
少年は優しく微笑むアウリウを見て、
照れたように顔を赤くして砦の中へ入っていった。
***
砦を出てから二日の旅路を経て、ようやく本陣に着いて報酬を手にできた。
報酬は危険手当と防衛成功を加味され、予定よりも随分と奮発してもらった。
今は少しばかり高級な宿で遅い朝食をとっている。
同じ宿に泊まっていた、机の向かいで菓子を頬張るアウリウも満足そうだ。
昼頃には旅立とうと考えていると、アウリウが話しかけてくる。
「ジュルターはどっちに行くの?」
「北だな」
この辺りの戦いは大勢が決した。
継続雇用されても大した報酬は得られないだろう。
敵軍は劣勢なので傭兵を高値で雇ってくれるだろうが、向こうに付く気はない。
勢力を鞍替えしないのは傭兵を始めた時から決めていた事だ。
一つの戦では同じ勢力にしか雇われない。それを貫いてきた。
傭兵仲間なら笑うであろう下らない感傷だ。
一度でも共に肩を並べた者をできるだけ殺したくはないという。
北の方では二つの国が緊張状態にあるらしい。近々戦が起こるという噂もある。
加えて、北には高名な武芸者が多い。
戦が起こるまで武者修行というのも悪くない。
「あたしはこの戦が一段落するまでここにいるつもりだから、お別れだね」
「俺の分も勝利を見届けてくれ」
「そのために残るんだから、勿論だよ」
朗らかに微笑む少女。
猛獣の牙のように伸びた犬歯を見なければ、
彼女が吸血鬼だなどと思わないだろう。
背を預けて共に戦った今では疑う余地などないが。
少しの間、静寂が流れる。お互いに口籠ってしまったからだ。
ジュルターもアウリウも傭兵。
次は敵同士という事も当たり前のようにあり得る。
殺し合うかもしれない相手だというのに再会を願っていいものかと。
首を振って不安を追い出した。その時はその時だ。
手を差し出すと、アウリウはそっとジュルターの手を握ってきた。
少しひんやりとした、人とは違う温度の感触。
「また会おう。それが敵同士だったとしても」
「約束ね。その時は手加減しないよ」
握手を終えると、アウリウはジュルターの手に菓子を一つ乗せて握らせた。
「でも、あなたとは肩を並べて一緒に戦う方が好きかな」
「俺もだ」
貰った菓子を口に入れて笑い合う。
控えめな甘さの、どこか優しい味がする菓子だった。
菓子を食べ終わって席を立つ。
アウリウは話は終わったとばかりに残りの菓子を食べている。
彼女らしいと思った。
そのまま宿を出る。お互いに手を振り合うような関係でもない。
振り返る事はなかった。縁があればまた会えるだろうから。
その後、本当に十数回近くも共闘する事になったのは別の話。




