2-2 運命の変貌
「君の兄君、すわわち、マキシム・アルジャーノは行方不明という扱いになっている」
「なんですって?」
「私が君を発見した時、マキシム氏は虫の息だった。彼を救うのは不可能だというのが私のその時の判断で、結果的に見捨てたことになる。だが彼の遺体は見つからなかった。翌朝の新聞に、いくつかの持ち物を現場に残したまま行方をくらませていると書かれていたよ」
「私は?」
「君も行方不明だ。遺体は現場にないからな」
「私の体は?」
「さっき遺体を見せただろう。火葬して灰になった。この地の気候では、早々に火葬しないことには、遺体を隠せるものではない」
「そうですか……」
リリアは黙り込む。
「君も気持ちも分からんではないが、その代わり新しい肉体を手に入れたのだから、今はその身体に満足してもらいたいものだな」
「でも、こんな、子供の身体になってしまって、何ができるのでしょうか」
「子供サイズになってしまったのは、材料の都合で申し訳なくは思うが、子供のほうが動きやすいことはあるだろう。特に、これから復讐を目的とするならだ。その身体をどう活かすのか、殺すのか。それは君が考えるしかない。君次第だよ」
博士はそういうと、リリアの体をジロジロ見回した。そして、スカートの裾がめくれ上がっていることに気づくと、ため息をつきながらそれを整えた。
(私はもう普通の少女なのだ……)
博士に指摘されて初めてそのことに気づいたように、リリアは自分の手足を眺めた。先ほどから何か違和感を覚えていたのだが、ようやくその正体が分かったのだ。
「髪は?」
リリアはそう尋ねたが、自分でも何を言っているのか分からなかった。髪のことなど今まで気にしたこともなかったし、髪の色が変わっていたとして、リリアにはそれを知るすべがない。
「髪か……元の君は、長く美しい金髪だったな」
博士はそう答えると、棚に並べてあったガラス瓶の一つを手に取って、中から一束の髪の毛を取り出した。それは黒い色をしたものだった。しかし、よく見るとかすかに赤みを帯びているようにも見えたし、青味がかって見える部分もあった。そして何より妙なのは、光沢があり光に当たるたびに反射していることだ。その黒髪を手で持って目の前に持ってくると、まるでシルクのような質感があった。
(本当に、これが私の髪? )
リリアは信じられない思いでその髪の毛を見つめた。自分の髪の色が黒になったことは理解できたし、艶があって美しいことも分かるのだが、それでもなお受け入れられない部分があるのも事実だった。
(こんなこと……ありえないわ)
「ふむ」
博士は頷く。そして、手に持った黒い髪を光にかざしたかと思うと、そのまま無造作に瓶に戻したのだった。
これ以上追及する気にもなれず、リリアは黙り込んでしまった。博士はそれを見てため息をついたが、改めて話を戻した。
「さて、少し脱線したが本題に戻ろうか」
「ええ」
「まずは、君の復讐についてだが……。いいかね、よく聞きたまえよ。リリア・サバイバーという11歳の少女として生きていく以上、君にはただ普通に生活を送ってもらいたいと思う。この屋敷を出て外の世界で暮らすのもいいだろう。しかしそれはもう少し後だ。まずはここでの生活に慣れてもらい、次に普通の11歳の少女としての生活をするんだ」
「普通……?」
「学舎に通うのだよ。初等部への編入になるがね。ただ、君をひとりで世間に放り出すのは危うい。そこでまず紹介したい人物がいるのだが……」
博士は少し間をおいてから、テーブルの上のベルを鳴らした。リリアはそれを黙って聞いているしかなかった。しばらくして、ドアをノックする音がした。
「入りたまえ」
「失礼します」
博士の部屋に入ってきたのは、二人……いや、一人と一匹だった。黒のスーツに純白のシャツの長身の男と、真っ黒な大きな犬だ。
「紹介しよう。我が家の執事のアンドリュー・ジェンキンスと、番犬のイヌクロだ」
「アンドリューさんと、イヌクロ……?」
「イヌクロは異国の言葉で『黒い犬』という意味だ。見た目そのままだな」
「なるほど」
「お嬢様、お見知りおきを」
「ブルゥ」
執事と犬が同時に頭を下げた。執事はともかく、この犬は人間の言葉が分かっているかのようだった。
「はじめまして、リリア・サバイバーです」
リリアは立ち上がって頭を下げた。イヌクロと呼ばれた犬も頭を下げて挨拶をするかのように見えたが、実際には単に尻尾を振っただけのようにも見えた。しかし、よく見ると瞳の色が左右で違っていた。右目が青く、左目は金色に輝いていた。
「リリアは先ほど目覚めたばかりで、疲れている。部屋に案内してやってくれ」
博士はそう話すと、執事の方に視線を投げた。執事は頷くとリリアの隣にひざまずき、話し出した。その声は、見た目の割に高い声だった。
「それでは、お嬢様をお部屋までご案内いたします」
リリアは頷いたが、博士はその場から動く様子がなかった。執事は立ち上がると、リリアを部屋から連れ出した。イヌクロもついてきた。
ふと視線を感じて振り返ると、博士がじっとこちらを見つめていたような気がしたが、気のせいかもしれなかったし、確かめる気にもならなかった。
三階にあるリリアの部屋は2階の客間と同じ造りで全体的に白い色調だったが、置いてある家具や装飾品はやはり異国風のものだった。全体的に貴族向けのデザインになっているのだが、絨毯やカーテンなどの生地は異国の織物を使っており、あまり統一感がない。
「この部屋がお嬢様のお部屋になります」
執事はそう言って扉を開いた。
部屋の中にはリリアの好みそうな家具が置かれていたが、部屋の雰囲気にはどこか合わないような気がした。少なくともリリアの部屋ではないことは明らかだったし、そもそも博士が医リアの趣味に合わせて部屋の内装を選んでいるとも思えない。
(まさか、この部屋は過去に他の持ち主がいたのかしら……)
ふと疑問に思ったが、まだ頭がぼんやりしているような気がした。博士が言うように、疲れているのかもしれない。でも……と、別の考えも頭に浮かんでくる。
博士の言うことを信じていいのだろうか。確かに自分は新しい身体で生き延びたのかもしれない。しかし博士の本当の目的はなんだろう。自分を助けて、博士は何の得になるのだろう。
このまま屋敷にいていいのだろうか。このまま博士に従っていていいのだろうか。このまま護られていていいのだろうか。
たとえば、博士が「この人物が犯人だ」といって、信じた自分がその相手を追い詰めたとして。
その人物が偽者だったら? 博士が殺させたい人物を、私を騙して殺させたとしたら?
そもそも、なぜ博士は私に復讐させたがっているのだろう? それは単に私の憎しみを煽るためなのだろうか。それとも……
「お嬢様?」
執事の声で我に返ったリリアは、少し頭を振ってから答えた。
「いいえ、なんでもありません」
「お疲れでしょうし、お食事まではまだ時間がありますので、お休みになられますか?」
「あ、あの……お花をつみたくて……」
「花? ああ、失礼いたしました。私は退出します。イヌクロ、行きますよ」
「バウ」
貴族だったころのクセで湾曲的な物言いをしてしまったが、要するにお手洗いのことだ。そして、もちろん嘘だった。人形の身体にお手洗いは必要ない。
リリアは窓に寄り、外を見た。隣の窓が近い。雑多な街のようだ。二階から飛び降りること、この身体で可能だろうか?