7、
週明け、学園に登校すると、生徒たちは少々色めきたっている様に見えた。
数日前の夜会でいい出会いを果たした生徒が多いらしい。
アリス・ブレークの死など、この学園から一人を除いて忘れさられている様に感じる。
それを横目に教室に向かおうとすると、呼び止める声が後ろからかかった。
「今まで、パトリシア様には大変お世話になりまして」
目の前で、深々とそう頭を下げるのはシエンナ・コールマン。薄茶色の髪の毛がさらさらと肩から流れる。
「ご結婚かしら? おめでとうございます」
貴族の子女は様々な理由で急に成婚が決まることも少なくない。
だからシエンナがそう言った事も、単純にそれなのだろうと思った。
「いえ、そう言った訳では……」
彼女が視線を反らし、顔を歪めたので、首を傾げる。
「では一体……?」
「家を……乗っ取られてしまったのです……」
シエンナの返答に驚き、淑女であるまじき叫び声をあげて、周囲を脅かしてしまったことは申し訳ないと思っている。
自分を取り戻し、シエンナの手を引いて早足で歩きだす。周囲からの注目を浴びているこのままでは、彼女に迷惑をかけてしまうと思った。
「パトリシア様?」
不安そうな声で後ろから名前を呼ぶ声を一旦、横に置いて兎に角、歩き続け、ソサエティークラブに向かい、その中の個室の一室にシエンナを引き入れる。
「私がこちらに来てもいいのでしょうか?」
おろおろとするシエンナはソサエティークラブの会員ではない。
「問題ないわ」
ソサエティークラブの会員が人を呼ぶ場合は問題ない。過去にラリー殿下がアリス嬢をつれてそうしていたように。
ソファーに座るどこからともなくお仕着せを来た紳士が現れる。ソサエティークラブには専属の執事・メイドがいる。二人分のお茶を言いつけて、シエンナにもソファーに座る様に言う。
「私がいいと言っているのだからいいのよ。それで一体何があったの?」
ゆったりとした気持ちで問いかけたつもりだったが、それがいけなかったのか、はたまたこれが悪役令嬢の既存の力なのか。目の前の少女は子ウサギの様にふるふると身体を震わせた。
「きっかけは、私の父が食あたりで亡くなった事でした」
「――伯爵様、亡くなったの?」
驚いた。コールマン伯爵が亡くなった話はまだ聞いていなかった。
「ええ、まだ正式に公にはしておりませんの。ですから、パトリシア様がお知りにならなくてもおかしくありません。もちろん、これから正式な発表を行う予定ではありますが、一足先に……学園ではとてもよくしていただいたので、パトリシア様には私から直接お話をしたいと思ったので」
私はありきたりだが、お悔みの言葉を述べた。
「ご丁寧にありがとうございます」
シエンナは少しだけ瞳を潤ませている。
「それで、家を乗っ取られると言うのはどういった?」
「本当は、言わない方が良い事なのかもしれないとも思いました。コールマン伯爵家の醜聞でございますし……ですが、どうしても納得できなくって……お話を聞いていただいてもよろしいでしょうか」
「もちろんよ。力になれることなら……それより伯爵様はどうして?」
コールマン伯爵は中年の健康的な人だったと思う。食べる事が好きで、普通よりは身体つきががっしりとしていたが。
「急な発作か、もしくは食あたりではないかと先生は仰っていました」
急な発作とは。シエンナはそれについて、健康な人でも原因不明でぽっくりと亡くなることがまれにあるのだと説明したようだ。
「食あたり? 何かおかしなものでも食べたの?」
「それが、私はそんなことはないと思うのですが。わからないのです。お医者様は普段食べているものでも、何かの拍子にそうなることもあると。そして、身体の抵抗力が落ちている時は、死につながる場合もあると。確かに仕事が忙しいと言って、寝る時間もままらなかった様子は見ておりましたが」
シエンナはそう言って首を傾げているが、私は余計に首を傾げる。食あたりで亡くなるなんて本当にありえるのだろうか。
「そのお医者様は信頼できる方なの?」
「その、つまり……父の状態を見てくれた先生がおかしなことを言っているとは思いません。お医者様はコールマン伯爵家に昔から仕えてくれている人ですから。最近も父の体調を診てくださって、まあ、ちょっと血圧が高いのでその薬を処方していただいたことはありました。少し話が脱線しましたが、その日の夕食は私達を同じものを食べていて……夜苦しんだようですが、私達気が付かなくって……朝、父が起きてこないことを不審に思った執事が、部屋に行くともう……」
医者がそう言ったのは、それ以外に死につながる様な原因が見当たらなかったのだろうと、自分の中で結論をつけた。
「ごめんなさい。辛いことを思い出させてしまって。それで……その遺言書は?」
彼女は家を乗っ取られると言っていたが、遺言書があるのなら、そんな問題はないのではないかとパトリシアは思ったのだ。
「あるにはあるのですが、父が独身時代に作ったもので、父の全ての財産の相続人は私のおじ。父の弟になっているのです」
再度、驚きの悲鳴を漏らしてしまい、すぐに謝罪した。
「いえ……父も、まさかそんなに早く自分自身に死が訪れるとは思ってもみなかったようで。これから、父が亡くなったことを王国に届け出まして、葬儀を執り行い、遺言書の執行は恐らく来月には、なされるのではと思っています。父の葬儀には、もちろん私も母も参列致しますので、屋敷におりますが、葬儀が終わった次の週ぐらいには家を出て行かなければならないとのことで」
父と家族で暮らした想い出の家なのにと、シエンナは声にならない嗚咽を漏らし、涙をこぼした。
「私の洋服や父から誕生日にもらったアクセサリーなども、屋敷の財産として換算されるようで、何も持ち出すことが出来ず、身ひとつで出て行けと叔父が」
涙を浮かべながら、睨みつける様な強い眼差しを見せるシエンナが、不憫でならなかった。
「まあ、なんてこと。その叔父様は慈悲の心なんてないのかしら」
いけしゃあしゃあと、そんな事を言って見せるが、前世の記憶の小説の中にある悪役令嬢のパトリシアはもっと非道な行いをしていたことを思い出したりもした。
「叔父と母は仲が良くないものでして……叔父は母に、自分と再婚すれば屋敷に置いてやろうと言い出したのです。しかし、母は叔父のことを嫌っているものですから。……私も正直な所好きになれません」
「お父様の伯爵様は本当に食あたりで亡くなったのでしょうか?」
質問にシエンナは視線をゆらめかせ、強い力を帯びた。
「証拠はありませんが、私は叔父が父の死に関与しているのではないかと思っております。叔父は父が亡くなれば、遺産が全て自分の元に入って来るのを知っておりましたから」
「何かそう思わせる大きな要因があるのですか?」
「叔父が自身の道楽に全てのお金を費やして、ほとんどお金はなかった様で」
シエンナは更に言いにくそうに表情を歪め、視線を反らす。私はせかさずに根気強く言葉を待った。
非常に悩んでいる様子だったが、胸に手をあてようやく大きなため息を吐く。
「まず、叔父についてはご存知でしょうか?」
シエンナの父であるコールマン伯爵には何度もお目にかかったことがあるが、伯爵に弟がいたのは知らなかった。今のシエンナの話を聞いて、そうなのかと思った。
「いえ、ごめんなさい」
「パトリシア様が謝罪することではありません。叔父は、貴族らしからぬ趣味を持っておりまして……僻地や奥地に出向き、新しい生物や植物の研究を行っておりました。自分自身で”冒険家”と名乗っておりますぐらいですから」
シエンナはこめかみに手をあて、論文も発表しているのですと語った。
「本格的にそれほど、研究されているのならば、その道の第一人者なのかしら」
「それならばまだ良かったのかもしれません。叔父の論文はあまりにも独創的すぎて、学会の方から爪弾きにされている様です」
なんとも言えず頷き、話題を変えるべく、伯爵が亡くなった時の状況を改めてたずねた。
「その日……父が亡くなった日の事ですが……まずその、叔父は研究にお金をつぎ込んで、先ほども言った通り、破産しておりまして、私たちの屋敷で暮らしておりました。父は……それでも血繋がった弟だからと冷たい対応はせず。私の認識としても変わった人と思っていましたから、屋敷におりましても、私達家族と関わることを好まず、食事などもほとんど一人でとっていて、それについて不思議などを感じたこともありませんでした。それに、実地研究と称して、ほとんどを旅行に費やしていたので、あまり屋敷にいなかったといいますか」
「その旅費は伯爵様が?」
「はい」
シエンナはため息交じりにそう言った。
「じゃあ、今まではそれなりに上手くやっていたのね。叔父がシエンナさんやご家族をどう思っていたかはわかりませんが」
「私の事は正直全く興味すらなかったと思います。ですが、私の母には好意を持っている様でした」
「伯爵夫人に?」
「ええ」
「その叔父様に奥様や、もしくは婚約者の方は?」
シエンナは首を横に振る。
「叔父の性格上無理です。家庭を持てば、少し落ちつくのではないかと、父も結婚を勧めてましたが見向きもしませんでした。ただ、母には好意を持っている様に、私には見えました」
「伯爵夫人に?」
パトリシアは素っ頓狂な声を上げる。
「多分、近くにいる異性が母だけだったからかもしれません。母は愛想がいいですから、その社交辞令をまともにとらえていたのと思います」
「なるほど」
確かに彼女の母親であるコールマン伯爵夫人はほがらかで愛想がよく、ほっそりとした美人である。
「そんな叔父なのですが、父が亡くなったその夕食に関して言いますと、その日は珍しく叔父が自分から、一緒に食事をしないかと言って来たのです」
深く頷き、話の続きを促した。
「叔父はちょうどその時、未開の地と呼ばれる南国の大陸から戻ったばかりでした。それで、叔父は生物についても研究していると言いましが、それは植物も対象の様です。私は詳しくないのですが、稀に食用の珍味と呼ばれる様な食材を採取したり調べたりもしていると。それで、今回新しく発見された珍味とも呼ばれるフルーツがあるので家族で食べようと言い出しまして。私は叔父にしては妙に明るい様子で、ちょっとおかしいなとは思っていたのです。でも、叔父としてもよかれと思ってやってくれているのだと思ったものですから、その時はなんとも申し上げませんでした」
「そのフルーツと言うのは?」
「グレゴンと言うものなのですが」
「グレゴン?」
聞き覚えがない。家の財力や社交の話題作りのために、古今東西の食材については一通り知っているつもりではあったが。
シエンナはそのグレゴンとう言うフルーツは最近発見された新しいフルーツなのだと説明をつけ加えた。
「柑橘系のフルーツで、私も食べてみましたが味としては甘酸っぱい感じ、みずみずしく、食感がジューシーだったのを覚えています」
「じゃあ、そのグレゴンなるフルーツ自体は美味しいものだったのね」
「ええ。父はとても喜んで、このフルーツを流通させたらは話題になるのではないかと叔父に提案していました」
コールマン伯爵の優しさもある発言だとパトリシアは感じた。その事業で成功するればその叔父はもう後ろ指を刺されることなく、今以上に研究に熱中できるだろうと。
「叔父様はそれに対しては何と?」
「そうできればいいのですが、と苦笑いを見せました。どうもそのグレゴンと言うフルーツを発見したのは叔父ではないみたいで、先に発見した方が、そのフルーツの流通に向けて準備を進めているのだと話ていましたから」
「その先に発見された方と言うのは?」
「ブレーク男爵家の……」
その家名を聞いてはっとした。ヒロインのアリスの家だからだ。シエンナもそれに気が付いたのか、はっとして話を切り替える。
「ともかく、家族全員がグレゴンと言うフルーツを食べたのは確かです。フルーツを切り分けたのは料理人でした。料理人は古くから我が家に仕えてくれている方ですし、今回父の死を誰よりも悲しんでいくれています。ですから彼が疑わしいとは思えません、叔父と共謀しているということも考えられないと」
「じゃあ、伯父様が食事に毒を混ぜたと考えていらっしゃるの?」
「わかりません。ただ、父の亡くなったタイミングから考えても、その食事のトリックがあるのではないかと思うのですが……ただ、先ほども申し上げた様に、食事は皆同じメニューを取っています。ただ」
「ただ?」
「父が亡くなって叔父の部屋の前と通った時に『上手く行った』と小さく呟きながらほくそ笑む気味の悪い声が聞こえて……私、それで叔父がなにかしらのからくりを仕掛けたのだと」
シエンナはそこまで言って、呼吸を忘れた様に口元に手をあてる。
「ここまで、べらべらと一人でしゃべってしまって申し訳ございません。私が今申し上げたことは、証拠のないただも空想にすぎません。ですが、誰にも話すことができなくて……」
涙が思い出された様にはらはらとこぼれる。
前世に出てくる小説の中でパトリシアが、ヒロインであるアリスに非道に振る舞ったのは、友人であるシエンナが失脚の後に自殺を図った事に関係があると作中ではにおわせられていた。
もし、シエンナを助けることが出来れば。
そう思って、シエンナの両手を取った。
「大丈夫。任せて。私に出来ることならば力になるわ」
それに、もしかしたらヒロインの死に関する何か情報が得られるかもしれないとも思ったのだ。それと同時に、なんとかしなければと力も入る。
もし、伯爵の死の疑いを晴らすことが出来なければ、彼女は今回の事で、生きる気力を失い、自殺をしてしまう。その結果も知っている。
――なにか手を差し伸べられなかったのか。
原作でパトリシアはそう考え、より一層表情をなくしていくのだ。