6、
前世の記憶が思い出されて、一週間がだった。
今、私が何をされているかというと、モワノにコルセットを締め上げられている最中だ。
「お嬢様、もう少しです、頑張って、んっ」
モワノが気合を入れて縛りあげる手に力をこめると、「ぐへっ」などと、令嬢らしからぬ声が出た。
今日は学園主催の夜会である。
学校の方針は文武両道。
その中には社交も含まれており、季節ごとにガーデンパーティ―や夜会などが催される。
「後は髪の毛を整えて終わりですからね」
モワノはドレスの裾を整える。
「……ありがとう」
私はげっそりしながら、鏡の前に向かう。
先週も王家主催の夜会に出席したばかりだ。これほど夜会が続くと流石に疲れが出てくる。
鏡にうつるのは、モスグリーンのレースがあしらわれた、少し大人っぽいデザインのドレスに疲れた私――パトリシア・ブラックの顔。
モワノに促され、鏡を目の前に、座らされるとあれよあれよと、髪の毛を綺麗に結い上げあられる。
「さあ、出来ましたよ」
満足そうなモワノの表情と鏡の中で目が合う。
「ありがとう」
私はすっと立ち上がり、大きく息を吐いた。
パトリシアは高位の貴族として、様々な夜会に出席し、年齢に割には経験があると思うが、今日はかなり気持ちが重い。
そりゃあ、そうだ。
アリスが亡くなってからはじめての夜会。
物語のストーリー通りに進んでいたとしたなら、アリスが私に、果実水をかけられるというイベントが発生したはずだった。
でも、そのアリスはもういない。
ヒロインのアリスの無惨な死で、私の婚約者(ラリー殿下)からは、殺人犯だと思われている。
そんな中でなにが楽しくて、微笑んでダンスを踊らなければならないのだ。
考えれば考えるだけ気が遠くなりそうだ。
「大丈夫でございますか?」
モワノが心配そうな表情を向ける。
そこには、ごまかしも疑いもない。ただ、ひたすらに純粋に私を心配する気持ちだけ。その純粋さがどこかほっとしながらも、少しだけ怖くなった。
「行くわ。このままここに居たら本当に行きたくなくなっちゃうもの」
「何かお気にさわりました? 髪型が気に入りませんでしたか?」
「ううん。とても素敵」
ドレスに合わせてたアップスタイルは、いつもならパトリシア・ブラックがしない様な髪型でどこか新鮮だった。
「モワノは十分やってくれているわ。ただ、今日はなんとなく気分がのらないだけ」
もし、原作の通りであれば、パトリシアに嫌がらせをされたアリスはラリー殿下に慰められ、二人の仲を深める。
ラリー殿下のパートナーであるパトリシア・ブラックを、オルティス様が上手くをあしらってアリスとラリー殿下をバルコニーで二人っきりにする。
そんなストーリーだったと思う。
そして、パトリシアをたしなめるオルティス様の姿に前世のユリは惚れ惚れしていたと記憶がある。
また、痣が痛む。
会場は既に、人で溢れていた。
私は一人で会場に入る。
別に学園主催のものだから、パートナーの有無を問わない。まずは夜会に慣れていくこと。これが第一の目的だから。
もちろん、夜会は若い子息令嬢の出会いの場でもある。
普段のクラスでは会う事のない、他学年の生徒と話が出来る唯一の場だ。
もともと婚約者のいる、私には関係のない話だったけれど。
所詮、誰かに勝手に熱を入れ上げて騒いでいるだけ。
そう思って、自分自身をいさめるのだけど。
もしかしたら……などと思うと、心がざわめく。
そう思うのは、パトリシアとしてなのか、ユリとしてなのかはわかない。
可愛らしい令嬢達はピンク、レモンイエロー、ラベンダー、ライトブルー、様々ない色のドレスが舞っている。
きょろきょろと会場を見回したが、ラリー殿下とオルティス様の姿は見当たらない。
ほっとした。
本来であれば、ブラック家の令嬢として社交をしなければならないのだが、今日ぐらいは休んで良いのではないだろうか。
ラリー殿下もいらっしゃらないし。
ふとざわめきが聞こえて振り返ると、レイチェルが入って来るところだった。
隣には、一人の男性が彼女に手を差し伸べる。
「さあ、参りましょうか。お嬢様」
レイチェルはむっとした表情で手を払いのけ、スタスタと会場に足を踏み入れる。
その様子を見ていた周囲の少女たちは、『なにアレ』『高位の貴族だから、なんでもやっていいい訳じゃないのよ』『マクテル様がお可哀そうだわ』と、囁きあっている。
レイチェルが行ってしまった先を目で追いながら佇む男性。
マクテル・イーデン。
イーデン伯爵家は家格はそれほど高くないものの、国内屈指の商家でその名前は海外諸国にも鳴り響いている。
マクテルとレイチェルは婚約者だ。
レイチェルに言わせれば、名ばかりだと言うが、れっきとして王家に認められている。
次第にマクテルは女性たちに囲まれ、ちやほやされる。
彼の甘いマスクと、言葉は少女たちの心をつかんで離さない。
なにせ、彼の特技はピアノである。
後で、会った時にレイチェルから文句を並べられるのだろうと、その様子が目に浮かぶ様だ。
一目をしのんで薄暗い庭の方に向かった。
小さなベンチがあるのを知っている。
そこで空でも眺めようと思っていたのだが、先約がいて驚いた。
「オルティス様?」
私はあまりの驚き様に、カーテシーも忘れてただ、その人の様子を見ている。
オルティス様は私に気付いたが、「ああ」とだけ言って、タバコに火をつけ不味そうな顔をして息を吸い込む。
紫煙が立ちのぼり、不意に此方をみた。
「ゴメン、煙草」
「大丈夫です」
そう答えて、少しだけ笑って見せた。
動揺している表情は1ミリも見せない。
貴族令嬢の仮面は鋼鉄製で分厚いのだ。
(注釈:この世界では煙草に年齢は関係ない)
過去世のユリは乙女ゲームなるものにハマっていて、現実世界ではラリー殿下の様な人にいつも恋をしていた。
リアルでもイケメンで俺様。
好きになる人はそんな人ばかり。
最初は大好きで、何でも彼のためにやりたくなった。だけどだんだんと、それが上手く行かなくなった。
私は彼のためにこれだけ尽くしているのに、なんで。
そんな気持ちが生まれる。
友達にはもっと別の良い人がいるよっていつも言われたけれど、だけど私自身は彼から離れられない。
よく、恋愛の格言みたいなので”見返りを求めるな”、”愛は与えるモノ”とかあるけれど、私はそんな崇高な人間にはなれない。
1ミリだけでもいい。
このヒトから愛されたいと思うのは私のわがままなのだろうか。
その気持ちは今、パトリシアの心の奥底にわずかに続いている。
そんなユリが、唯一イケメンだけど、俺様ではない人を好きになったのが、目の前の推しキャラ――オルティス様である。
「ブラック嬢?」
立ち込める紫煙の香りが私の肺一杯になる。
副流煙は体に悪いと過去世の世界では口が酸っぱくなるほど言っていたけれど、クセになるのがなんだかわかる気がする。
「すみません、ぼうっとしてしまって」
「いや、悪かった。令嬢はこういったものはダメだろう。私の配慮が足りなかった」
オルティスは煙草をもみ消していた。
私は彼の言葉にむっとなる。煙草は貴族令嬢の間ではご法度と暗黙の了解があるが、男性や市井の女性。特に娼館に勤める女性などでは嗜みの一つとされている。
彼にそんな気持ちは無かったのだろうけれど、そういった女性と比べて、あからさまに子供っぽいと言われている気がしたのだ。
だからあんな暴挙に出てしまったのだろう。
「私にも一本くださらない?」
オルティスは明らかに動揺していた。しかし、私は譲らない。
「しかし……」
「大丈夫と言っているの」
過去世で俺様元カレが吸っていたのを一本貰ったことがあるので、大丈夫だと踏んでいた。
私は右手を差し出すと、オルティスはケースから一本煙草を取り出す。
口にくわえると、火を用意してくれた。
確か……と思い出し、煙草の先端に火が触れた時に、息を吸い込んだ。
オルティス様はわずかに眉根を寄せた。まさか、将来の王妃と呼び声の高い私が煙草を吸い方を知っていると思わなかったのだろう。
息を吐くと、煙が吐き出される。
懐かしい。
なぜかそんな気持ちになって、目頭が熱くなった。
寒い雪の日に煙草を吸うのが好きだと言っていたのは誰だっただろうか……。
小さい頃に読んだ、花言葉の本で、煙草の花が掲載されていた事を思いした。
「……花言葉はなんだったかしら?」
「ん?」
オルティス様は安心した様な顔を見せ、自身も改めてもう一本、煙草を取り出し火をつけた。
「昔、いつか読んだ本の中にタバコの花にも花言葉があった様な気がしたのです。ご存知ですか?」
「花言葉?」
オルティス様は紫煙を吸い込むといかにも不味いと言う様な顔を見せたので、私は思わず笑みを漏らした。
「ふふ、そんなに煙草を吸われるのに、不快な表情をされるのね」
「そんな表情をしていたか?」
本人にその様な自覚は無いようだった。
「ええ、とても」
「ん……花言葉ねえ、確か、孤独な愛。ではなかったか?」
「そうなのですか?」
ちょっと違う気がした。前世とこの世界が異なるからだろうか。
私が知っているのは、確か誰の死の悲しみを乗り越えるために煙草を吸って少しだけ心が軽くなると言う様な感じの。
「自信があるかどうかで聞かれると自信はない」
ふっと笑ったオルティス様の表情が、一枚のスチルの様に美しく、私は思わず言葉を失ってしまった。
「……貴女が満足できる様な回答を出来ただろうか?」
私が何も言わないのを気にしてからオルティス様はそう言って私の顔を覗きこもうとする。
それは流石に反則だ。
これ以上は心臓が持たないと判断して。撤退を決める。
「そろそろ行きますわ」
煙草をもみ消すと、顔が赤くなっているの悟られない様に、地面を見ながら。……
足を踏み外し、倒れそうな所、不意に抱き留められた、ふわりと煙草の香りと一緒に包まれた。
何があったのか一瞬わからなくて、頭が真っ白になりながらも、なんとかお礼を言って、そそくさとその場を離れた。
その日の夜はベッドに入ってもドキドキがとまらなかった。
オルティス様と親し気に言葉を交わせるなんて。
あの時の私を褒めてあげたいと。
一緒に煙草を吸った時のオルティス様は何となくだけれど、慣れている様だった。
それはそうだろう。独身で、特定の婚約者も噂では恋人もいない。なによりあの容姿なのだ。
やはり、娼館とか……色々な場所に出入りして慣れているのだろうか。
そうやって考えて悲しくなって、やりきれなくて、後悔して。
涙がでた。
痣から感じる痛みなのか、それが自分自身の感情からなのかわからなくなって、なのにそれを冷静に俯瞰する自分もどこかにいる。
スキニナレタライイノニ
デモキット……キタイニコタエラレナイ