3、
ソサエティークラブに入ってすぐの場所はカフェスペースになっている。いつもは、それなりに話声が聞こえるが、今日はしんと静まり返っている。
そりゃ、学校が休みだから。と言うのが大きな要因だろうけれど。
大きく息を吐いたところ、カツカツと靴音がし、現れたのは、オルティスその人だった。
黒い瞳は温度がなく、私を見据えると、
「殿下がお待ちです。こちらへ」
オルティスに連れられてやって来たのは、ソサエティークラブの中でも最奥にある、一室のプラべートルーム。
ここは王族専用の一室で、私もパトリシアとして足を踏み入れるのは初めてだ。
物語のストーリーの中では、アリスと密会をするのによく使っていたと書かれていたが。
オルティスが扉をノックすると。
「入れ」
と、中から、ひたひたと忍び寄ってくるような遺恨に満ちた声が響く。
「お待たせいたしました」
私は、心を固く持って、綺麗にお辞儀をした。
「お前がやったのだろう。日々の彼女に対する嫌がらせを含め」
ぐっと厳しい瞳で私、パトリシアを睨みつける。
目はぎらぎらときらめき、狙った獲物は逃がさないとでも言いたげだ。
「いえ、私は絶対にやっておりません」
内心ため息をつきながらも頑なに否定をした。
一応と言うか、目の前にいるラリー・アトルガンが今でも私の婚約者だ。
意識を失って倒れていたというのに、気遣う言葉は一つもなし。
「お前」
「やっておりません」
強い口調で再度、否定の言葉を言うと、逆に王太子は私がそこまで感情をあらわに発言すると思っていなかったのか驚いた表情を見せた。
「では、誰が殺したのだ、私の……」
ラリーはそう言って、体を震わせる。
いつからアリスはこの目の前の男のモノになったのだろうか等……ツッコミどころは満載で本当はあんぐりと口を開けて呆然としたいところだったが、公爵令嬢の大きな仮面で心を隠した。
「私にはわかりかねます」
「君が彼女をこんなめに、こんな姿にしたのだろう」
「私はやっておりません」
「口答えをするか?」
「では証拠を見せてください」
「……そうやって、ひらりと追及をかわして、真実をはぐらかすのだろう」
王太子殿下の威厳を全て、捨て去ってラリー・アトルガンと言う一人の人物の心の声に聞こえた。
いつもは余裕の素振りで誰にでも笑顔で応対する殿下が、ここまで感情をあらわにするのは珍しい。私もパトリシアとしてのキオクを振り返って、こんな殿下は見たことが無かった。
もしかしたら、この殿下の言葉に心を動かされる人もいるかもしれないが、私は言葉を聞けば聞くほど心が冷めていく。
しかし、多分このままで放置すれば、恐らく私に全責任を押し付けて、前世で見た物語の流れ。いや、もしかしたらそもそもヒロインが殺された時点で、ストーリーを逸脱しており、もっと最悪な結果を迎える可能性があるかもしれない。
「では、実際に君が殺人事件に関わっていない証拠を持って来たらいいだろう。それが君の最期と言っても過言ではないがな」
それであればと、私はぐっとこぶしをにぎりしめる。
「それでは、殿下。私に命じていただけませんか? 犯人を捜して見せます」
私の言葉が以外だったのか、ラリー殿下は目を見開いたが、少し逡巡して、口角を上げる。
「猶予は一か月。もし、見つからなかった場合は君が全ての責任だ」
つまり、他に犯人が該当しなかった場合は、私が犯人だと言われている様なものだ。
何と言うか、この男が私のことが心底嫌いなのだなと改めて知った。不思議と傷ついた感じはしなかった。
「かしこまりました。では、お願いですが、彼女が亡くなった現場をもう一度、調べさせていただけませんか?」
「いいだろう。しかし、何かされてはかなわん。オルティス。案内してさしあげろ」
どこからかオルティスが現れると色のない瞳を私に向ける。
「御意」
ソサエティークラブを出る。
私の前には、先導するようにオルティスが歩いて行く。
ラリー殿下にそう啖呵を切ったものの、犯人の目星は全くわからなかった。
それに、前世ではそんなストーリーは無かったのだ。ヒロインが死ぬなんてまずあり得ない。
普通、悪役令嬢の役柄に転生した人物は慎ましく生きて、断罪を避けると言うストーリー展開になるのがテンプレのようだけれど。
確かに、断罪を避けるというのは間違ってはいないけれど、それは殺人の容疑者としてでは断じてないと思う。
一体、だれが。
その疑問はこちらが聞きたいほどである。
しかし、犯人が分からない限り、このままだと私が殺人犯になるだろう。
なんとかしなければと歩き始めた。
アリスの部屋の前には、騎士団がまだ物々しい程に配置されており、騎士達は私の姿を見て、訝しんでいたが、オルティスが居たこともありすんなりと中に入ることが出来た。
「足元にお気を付け下さい」
オルティスはそう言って、アリスの部屋の扉を開けた。
彼女自身の死体はもうなかったが、部屋の絨毯には生生しい血痕の後が残っている。
「あの時、はっきりとわからなかったのだけど、アリスさんを殺害した凶器は一体?」
「恐らくこれです」
私の問いかけに、オルティスは床に残っていた弓矢を示す。
「弓矢?」
「ええ、倒れていたアリス嬢の近くに残されていました」
ヒロインであるアリスは弓矢で殺されていたのか。
「なぜ弓矢なのでしょう」
私はかがみ込んで、弓矢の形状を見る。
特別なものではない。パトリシアである私でも扱える様な形状のものだ。
そう考えると、男性、女性。どちらの可能性もあるということだ。
「それはこちらもわかりかねておりました。弓矢自体は、学園の騎士科の生徒たちが、授業の際に使用するもので」
凶器が弓矢で無ければならなかったのは、なぜだろう。
もう一度、その疑問を頭の中にめぐらせる。
もっと手っ取り早い方法なんていくらでも他にあったと思うのに。
「なぜ、犯人はなぜ弓矢を用いたのでしょうか。それについてオルティス様はどうお考えに?」
思わずそう質問した。
オルティス様は腕を組み、考え込む仕草を見せる。
「それは、私も疑問に思っていた所です。弓矢は遠距離からの攻撃には向いている武器ですが、近距離からと言うのは……ないとは言いませんが、それであればもっと適した武器が他にもあると思うのです」
オルティスの言葉に、そうだと同意を示し頷く。窓の外から狙ったというのであればわかるのだが。
「窓は開いてなかったのですよね?」
「ええ。内側から施錠されていました」
オルティスの言葉の通り、窓ガラスが割れた形跡、鍵が無理やり壊された形跡も見られない。
それに、わざわざ現場に凶器を残していった。そのことに意味はあるのだろうか。
「パトリシア嬢。弓矢は?」
「もちろん扱ったことはあります」
ブラック家は文武両道。勉学はもちろんだが、一通りの護身術。武器の扱いについてもレクチャーを受けている。これは使用人についても一緒であるので、モワノもあてはまる。
そう考えると、犯人の幅は大きく広がる。
尚且つ。
「遠目から射るのでしたら、やはりそれなりに鍛錬を積んだものではないと無理でしょう。しかし、近距離であれば、そこまで必要もないでしょうし……」
「つまり、私が犯人でも全くおかしくないということね」
自嘲気味に笑う。
「ある意味そうですが、近距離で弓に慣れない素人であれば、違う手段を選ぶだろう。他にいくつも方法はあるのだから。でも犯人は弓矢を選んだ。そこになにか犯人の意図があるのかもしれない」
冷静な声でオルティス様はそう言ったが、私は不覚にもこの人が前世の私が推していた人だと思い出してしまい、なんと答えていいのかわからなくなってしまった。
それに、オルティス様とこれほど近距離で話すのは初めてかもしれないと思う。
しかし今、現実に会って感じている感情は、緊張感と恐怖。どうしてか、わらないけれども、前世で感じていた同じ感情を覚えることはなかった。
「部屋の中を歩いて見て回ってもいいですか?」
「どうぞ」
オルティスはさも気にしない様子だった。
まだ部屋の中には生活感が残っており、絨毯に散った血痕のシミさえ、なければもう少しで部屋の住人が帰ってくるのではないかとも思われる程だ。
アリス・ブレークは小さな一人部屋で、家具はベッドとデスク、本棚。衣服をしまうクローゼット。簡単な洗面。があり、まずベッドを見て回る。使用された形跡はない。
昨夜は、彼女もラリー殿下に連れられ王家主催の夜会に参加していた。私は彼女が会場のホールに居るのを見ている。
ふとクローゼットを見ると、昨日彼女が来ていた、桜色のふわりとしたドレスがそのままにかかっている。
ドレスはラリー殿下の趣味で誂えたもの。
アリスは――夜会から帰って来た所、犯人に襲撃されたということになるだろうか。
ベッドの隣に置かれたサイドテーブルを見て、私は首を傾げる。
「これは?」
そこに置かれるには似つかわしくない、小さな豆皿が置かれている。そのお皿の中に血がかかったのか、乾いた血痕。
「魚柄?」
お皿の淵はデフォルメされた魚柄であった。
なぜ、こんなものが。
「アリス嬢は、こういったモノを集める趣味が?」
オルティス様を振り返ると、彼も不思議そうは顔で首を傾げる
「殿下の話からはそう言ったことは……それを言うとこの部屋には不思議なものがある。例えば」
オルティスは死体があったろうあたりを指さした。
「こちらに、アリス嬢がうつ伏せで倒れていたのですが、死体には白いガウンが足半分に被せられていました」
「これは騎士団で彼女に被せたものでは?」
オルティスは首を振った。
「いえ、発見当初からありました。アリス嬢が来ていたものが、脱げたというよりも、倒れた後に被せられた形跡があり、なんのためにそれを被せたのかがわかりません」
私も駆けつけた時に、アリスが倒れている現場を見たが、その時は意識を失ってしまい、気付くことができなかった。
憶えているのはただ、血潮の海。
「それからあれも」
オルティスが指さしたのは、壁に立てかけられたシャベル。
「防犯用かしら」
思わず、そう言ったがまさかと思ってすぐに首を振った。だって、もし本当にそうだとしたら、死体のそばに落ちていなければおかしい。だって、それを持って犯人と戦ったのだろうから。
「窓から入り口意外の経路から侵入した形跡は?」
オルティスは首を振った。
「死体の配置からも、この扉から入って来た犯人に狙われたものと思われます」
その可能性しかないように思われると言葉を付け足した。
「扉に鍵がかかっていたのなら、鍵を持っていた人物……なのかしら」
そう言いかけて、口をつぐむ。思えば、パトリシアに仕えるモワノは寮のマスターキーを持つことを許可されている。高位貴族令嬢の侍女であれば皆、そうだ。
それに、管理人の所に行って、家に鍵を忘れてしまったとかなにか言えば鍵はすぐにこの学園の生徒であればだれでも借りることが出来る。
私も、以前その現場を見たことがあるが、鍵の持ち出しに帳簿などはないので、誰がいつ借りて行ったのかは、管理人のキオクだけが頼りだ。
「もしかしたら、アリス嬢が鍵をかけ忘れていた可能性がある」
オルティスは小さな声でそう言った。
「入口から犯人が来たとして、よけようと思わなかったのかしら?」
「アリス嬢が抵抗した、もしくはもみ合った形跡は今のところみられておりません。不意を突かれたのだと」
「この部屋の鍵を持っていたのはアリスさんだけ?」
それに、夜会から帰って来てドレスを脱いだのなら、それを手伝う侍女がいたのではと思う。
「そうです。彼女は侍女をつけていませんでしたから――いえ、正確に言うと一か月ほど前にやめてしまったのです。マスターキーは寮の管理者が持っていますの。しかし、昨夜。夜会から帰宅されて、もしかしたら鍵を閉め忘れたと考えると」
「ある意味誰でもやろうと思えば犯行が可能と言うことね」
逆に難しい。
犯人の可能性がこの学園に通う全ての生徒、先生も含めにある。そこから、彼女の殺害について動機を持つ者を探して証拠を突き付ける必要があるのだ。でも、やるしかないのだと私自身に言い聞かせる。