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視点が変わります。
前世のキオクと、今ここが【恋シロ】の世界だと言うことは、物心ついた頃から気が付いていた。
前世でとても好きだった物語の世界。
アリスはそこに気が付いた時に歓喜した。
ラリー殿下は、金髪碧眼のまさに”王子”と言う言葉を体現した人だ。
側近のオルティスもラリー殿下とは違った感じで、イケメンだし、将来あの二人に囲まれて過ごせるのならご褒美人生だと思っていた。
今がどんなにつらくとも。
小説の通りになれば、信じて生きて行けばと。……
アリスは孤児だった。
十歳のころ。孤児院から男爵家に引き取られた。
名目は、子供が出来なかったブレーク男爵家の娘とされたが、男爵家での扱いは使用人と差異はなかった。
孤児であるのに、ブレーク家の家名を持つ使用人。
男爵家には、アリスの他に元々使用にはいたが、アリスを腫物の様にあつかい、誰もが遠巻きにした。
孤独だった。
原作では、『逆境に負けない健気なヒロイン』。その一言で片づけられていたが、”逆境を”を生き抜くことが本当に大変だと身を持って知った。
でも、それも学園に入学するまでの間だと思って。
十五歳になって、学園への入学が決まりホッとした。
いくら、使用人として扱われていたとしても、男爵令嬢の娘の地位は変わらない。
学園は、貴族の子息令嬢は誰もが入学しなければならないので、アリスも行かない訳にはならない。
学園は寮生活になるし、やっと一人で自由に過ごせると思うと心が楽になる。
それから、運命の人(殿下)に会えるのだと思っていた。
アリスの人柄に惹かれ集まってきた友人も何人はいたと、物語にはあったので、それも楽しみにしていたが、誰もアリスに話かけるものは無く、特に、殿下に目をかけられる様になってからは、尚更クラスメイトとの距離も開いていき、学園も自由ではなく、孤独だった。
男爵家と言う狭いしか世界しか知らなかった、若い娘が急に放り出されて右も左もわからない。
アリスの侍女として、ローラ・ドリーと言うメイドが、ついて来たが、彼女はアリスを令嬢ではなくメイドだと思っているらしく、体面を保つ程度に仕事しかしない。つまり、ラリー殿下の前では恭しく振る舞っているが、男爵家のメイド長の目も届く訳がないので、誰もそれについて注意をするものはない。
そんな時。
寮の廊下で見かけた一人のメイドがいた。
着ているお仕着せから、高位貴族に仕えるメイドだわかる。
彼女の名前は知らない。
ただ、毎日同じ時間で同じ場所で見かけるので親しみを感じて、なんとなく声をかけた。
「大変ですね」
男爵令嬢ではあるものの、ほとんどメイドとして生きて来た時間の方が長いので、今彼女がやっている仕事の大変さは手をとるようにわかる。
声をかけられたメイドははっとして、アリスを見た。
最初は驚いた様子で、会釈をして走り去っていくだけだったが、何度か顔を合わせ、声をかけるうちに打ち解けていったと思う。
少しだけ会話のキャッチボールが成り立つ様にもなった。
最初は特に中身のない話――決まり文句の挨拶や、天気のことなど。意味のない言葉を交わすだけだったが、少しずつ自分のことをぽろりぽろりとどちらともなく話すようになった。
彼女は、自分は高位貴族の令嬢に仕えているメイドだと打ち明けた。
「ずっとメイドの仕事をしていて、辛いと思ったことはないの?」
アリスは不意に何の気なしにそう聞いた。
高位貴族であれば、地位やお金の無い貴族令嬢が行儀見習いとして仕えている場合があることを知っている。今目の前の彼女も身分は低くとも、一介の貴族令嬢なのではないかと思ったのだ。
「仕事が辛いと思ったことはないですね。やりがいを感じています」
力強い彼女の言葉に、メイドの鑑の様な人だと思う。
(私は彼女の様にはなれない)
令嬢としても、メイドのしても中途半場。
実際の物語のヒロインを目指しているのに、どこか遠ざかっていくようにも感じる。
そんなアリス自身にため息がでる。
「……でも、お仕えしているお嬢様には、どうしても言えないことがありまして……それを抱えて生きるのが辛いと思ったことはあります」
一瞬、見せた影のあるメイドの表情。
アリスはその言葉にぐんと心惹かれた。
自分の仕事に信念を持って、尊敬できる、そんな彼女にも悩みがあるのだと。
*
アリスは嬉しくなった。
この世界で生きていて、ほんの少しだけ誰かの心に寄り添える。
その感覚が少しだけ自分の心を軽くしてくれた。
一人じゃない。
もう少し会話を重ねて行けば、もっと彼女と仲良くなれるかもしれない。
このまま、ストーリー通りに進み、王妃となったあかつきには、彼女がどこの高位貴族に仕えているのかはわからないけれど、彼女を引き抜いて、侍女にしてもらったらどうだろうかと考える。
側にいてくれる人はなるべく信頼できる人がいい。
そう考えながら、寮の廊下を食堂に向かって歩いていると向こうから話し声がこちらへ近づいて来る。
誰かとすれ違うかもしれない。すっと顔色をなくす。
この学園ではアリスが一番低い身分であるため、大抵の相手には視線を合わせない様に頭を下げている。
原作では”身分なんて~”と言って、立ち向かっていくのだが、今のアリスにはそんな勇気も元気もない。
他の人とは異なる、”異端”な行動をした時に、向けられ突き刺さる視線がいやだった。アレに何度も耐えられる自信はこれ以上ない。それに、そこまでやらなくとも殿下だけは、良好な関係を築けているのだから、もういいだろう。
足音と話し声がすぐ、そこまで聞こえ、尚更頭を下げる。
「……お嬢様」
自分ではない誰かに投げかけられたその言葉。聞き覚えがあり、はっと顔をあげた。
彼女だ。
いつも廊下で会う。
反射的に声をかけようとしたところで、体が凍り付く。
彼女がお嬢様と声をかけたのは、パトリシア・ブラック。
アリスが固まって動けないでいるのを知ってから知らずか、二人は軽口を叩きながら、そのまま通り過ぎて行った。
まるで、アリスがそこに居なかったかの様に。
(まただ)
呆然と。
からっぽだった心にふつふつと、憎しみの感情が湧き上がる。
(悪役令嬢のくせに)
彼女は私に、これから断罪されるだけの役柄なのに。
なのにどうして何不自由なく暮らしていて、アリスが欲しいと思ったものはなんでも持っているのか。
メイドだって。
殿下だって。
いつかはアリスのモノになるかもしれないけれど、今はパトリシアのモノだ。
(イライラする)
原作では追放で彼女は終わった。でも今は現実。
(もっと厳しい処罰を下してもいいのよね)
そう思って、ぐっとこぶしを握り締める。
*
「ない、ない……どこに行ったの?」
アリスは寮の自室を隅々まで探したが見当たらない。
「どうして……」
その言葉に答える声はない。唯一、男爵家からついて来たメイドのローラ・ドリーも先日、家族の体調が悪いからと、すっぱり職を辞めて出て行った。後任のメイドは来る気配はない。
そもそもブレーク家はアリスに優しく接したことはなく、男爵はもしかしたらアリスの専属侍女がいなくなったことすらも未だ気付いていないだろう。
「私の日記帳……どこへ行ってしまったのかしら」
幼いころから、辛い事や嬉しかったこと。誰にも言えない、かかえていた感情を吐き出せる唯一の場所だった。幸い、日本語で書いていたので、他の誰かが見てもただのいたずら書きにしか見えないだろう。
(でも、どうして)
(いつも、日記帳を引き出し入れて、鍵をかけておいたのに)
そこでふと、パトリシア・ブラックの顔が目の前に浮かんだ。
(あの女がやったんだ)
せっかくこの世界で心を開けるかもしれない。そう思った人はパトリシアのメイドだった。
きっとあのメイドは、パトリシアに弱味を握られ、にっちもさっちも動けず……アリスが殿下に構われているのを恨んで、メイドをアリスにけしかけたのだ。それから、アリスの大切にしている日記まで。
(本当にあの女は何もかも)
アリスはぐっと爪が手のひらに食い込むほど強くにぎりしめた。
(今に見てなさい。パトリシア・ブラック。絶対に破滅させてやる)




