13、
「まさか……」
枢機卿はみるみると顔色を悪くした。
「もしかして」
レイチェルも枢機卿と同じ様に顔色を悪くしている。理由を聞くと、
「私も詳しくはないのだけれど、陛下が秘密裏に持っている幻の密偵部隊がいると聞いたことがあって、もしかしたらと……」
その言葉に私はゆっくりと頷く。
確かに、表向きにはオルティスは王太子であるラリー・アトルガンの側近を務めているが、私が見る限り二人の間には見えない壁の様なものがあると感じていた。
つまり、陛下が王太子を監視するためにオルティスが配置されていると言われると、その疑問がすとんと型にはまる。
「私は……の権限を受けて、こちらにおります」
オルティスは更に身分証の様なものを取り出して枢機卿に見せているが、こちら側からは見えない。
前世の記憶では、オルティスの本当の役割は”王家の影”と言う裏設定があったことを思い出す。
王家の影と一口に言ってもぼんやりとしたもので、実際どういったことをしているのかの全貌は見えなかったが、これではっきりとする。
あの若さで子爵位を賜ったのは、王家の影として密偵舞台に配属され、万が一の事を考え、実家の公爵家には害が及ばない様にあえてそうしているのだと言うことが。
「侯爵家以上で、優秀な子息令嬢は王家から影にならないかと打診があるのよ。パトリシアは婚約者候補だったからなかったのかもしれないけれど」
「レイチェルの所には打診があったの?」
レイチェルはこちらを見ずに頷いた。
「弟に」
ブラック家は兄とパトリシアの二人だ。
兄はブラック家のほとんどの仕事を任されており、領地にいるため最近はほとんど会う事がない。
流石に家の跡取りとなる子息には打診は来ないのだろう。だから、ブラック家にそう言った打診が無かったことから知らなかったのだと。
ちらりとマクテルを見る。彼もオルティスに視線を向けているが、驚いた様子はない。つまり、
「マクテル様もこうなることを知っていらっしゃったのかしら」
レイチェルはぎょっとした表情をこちらに向ける。
「違う違う。私は心を読むとかそんなことは出来ないからね」
よっぽど慌てふためいていたのだろう。レイチェルはふっと笑みをこぼしてまた視線を舞台の方に向けた。
「マクテルがこんな変な舞台に呼ばれたのだって本当は最初からおかしいと気が付いていたの。だから、枢機卿に弱味でも握られているんじゃないかと心配になって。でも私一人じゃ、何も出来ないから。だからパトリシアを誘ったの。貴女はいつも冷静だし、的確なアドバイスをくれるから。でも、ごめんなさい。まさかこんな事になるなんて思わなくて」
珍しく、こんなしおらしいレイチェルをみれたので、これはこれで役得かな、などと現実逃避してみたり。後で、マクテルには小言を言われそうだけれども。
「気にしないで。それにオルティス様が出てきてくれたから、なんとかなりそうですし」
「そうね、オルティス卿が出て来たということは王家が入るということだから、枢機卿もこれ以上、下手なことは言えないはずだわ」
二人は顔を見合わせてニコニコとほほ笑んだ。
先ほどまではガラスから身を乗り出す様に舞台の様子を見ていたが。少しソファー席に身を預けられる様になった。
まもなく舞台の方にはオルティスを同じ色の騎士服を着た舞台が取り囲み枢機卿と青年を引き連れて行く。
枢機卿は抵抗していたが、オルティスに、
『こんな豪奢な屋敷に住んでいるが、本当は家計は火の車でなのであろう? 主催や来賓客として読んだ高位貴族にわざと過失を犯される様なことを仕組み、賠償金を巻き上げていると、他の貴族からの苦情が王家に寄せられている。後ほど、じっくりと話を聞かせてもらおう』
そう言われ、流石に逃げられないと思ったのか、その後は従順に騎士の指示に従って歩いて行ってしまった。
イーデン伯爵家の財産に枢機卿は目を付けたのだろう。
花束を持って来た青年は枢機卿になかば脅される形で今回のことをやったのだろうと想像がつく。何も言わず、そのまま彼も騎士達に連れられて行った。
私はそやりとりを見聞きしながら、では、先ほど見せた指示書はどうやって用意したのだろうかと考えていると、背後の扉がガチャガチャと音をして、扉が開くと、先ほどまで舞台にいたマクテルが顔を覗かせた。
「さあ、帰るよ」
いつの間に来たのだろう。少々疲れた様子ではあったがいつもの彼だった。
レイチェルはすっと立ち上がると、マクテルの差し出した手に自身の右手を滑り込ませる。
「君も」
マクテルはレイチェルをエスコートしつつ、私を振り返る。
珍しく真面目な言い方なので、どうも調子が狂う。レイチェルが関わるとこんな表情を見せるのだと。
無言で二人の後に続いた。
廊下やホールには、先ほどまでごった返している。趣味の悪い香水をふりかけた貴族達の姿は無くなって、その代わりに騎士達が忙しそうに右に左に走っていた。
その中で騎士達に指示を出している人物がいる。オルティスその人だ。
マクテルと、連れられる私とレイチェルを見て目を細める。こちらに向かって来た。
「これで、僕はもうお役御免で良いだろうか」
マクテルは疲れた様子でそう嘆いた。
「ああ非常に助かった」
そのやり取りで、やはりマクテルはこうなることを知っていたのだと理解した。
「僕は彼女を送り届けなければならない。場合によっては彼女の両親に釈明が必要だろう」
マクテルはそう言って、レイチェルを見たが、彼女は神妙にどこか床を見つめている。この後、起こりうる展開から目を背け、現実逃避をしているのだろう。
「オルティス殿にはもう一人の令嬢をお願いできるだろうか」
視線が私に集まる。オルティスの手を煩わせる訳にはいかないと思い、断ろうと口を開きかけた所で、
「わかった」
オルティスが頷き、マクテルのレイチェルは足早にそのまま行ってしまったので、二人の行方を目で追うしか出来なかった。
「行きましょうか」
そう言って、手を差し出すので、そこまでされて断る訳にも行かない。
なるべく美しい所作を心掛けてお辞儀をしてみせる。
これは、彼の善意なのだと思って。
「家まで送ります」
いつもより冷えた声で、手を掴むと少々乱雑に引き寄せられる。
表情からは読み取れないが、怒って居るのだろうか。引きずられながら、ホールの一画にある絵画にふと焦点が定まる。
「あの絵が気なるのですか?」
オルティスは私の視線に気が付いてそう言った。
「いえ、ただ」
なんとなく見おぼえがとあるとは言えない。それは前世のキオクで思い出したカラーの絵と瓜二つだった。
「それを描いた画家はわからないのですよ」
「わからない?」
「ええ。とある貴族の使用人が飾らないかと枢機卿の屋敷に持って来たそうです」
「なぜそれを?」
「ああ、以前亡くなったアリス……失礼、男爵令嬢が同じことを枢機卿に聞いていたので」
はっとした。
アリス・ブレークは前世のキオク――同じ知識をやはり持ってたのだろう。
ストーリーの主人公は確かに異世界転生を果たしたと書かれている。
だけど、この世界でまさかと思っていたが、やっぱりストーリーの通りなのだ。
枢機卿の屋敷の出ると、既に馬車が用意されており、乗り込んだ。正確に言うと押し込まれたという方が正しいかもしれない。
このまま、一人で馬車に乗って帰るのだろうと、心の中で思っていたらオルティスも乗り込んで来た。
向かい合わせにで座る形で、オルティスは携帯していたサーベルの柄で馬車の天井をコツコツとならすと馬車が動きだす。
オルティスはそのまま腕を組んで目を閉じてしまい、非常に居た堪れない空間がそこにあった。
どうしたものかと小さく息を吐くと、オルティスから視線を外し、外の風景に目を向けた。
いつの間にか辺りはずいぶんと闇を深めている。
ガタンと馬車が揺れて、自然とオルティスに目が向いた。
彼はまだ目を閉じていたので、それをいいことにまじまじと顔を見る。鼻筋が通る白皙の面立ち。綺麗な顔だと心から思う。
だけど、なぜかわからないが、それ以上の何かを感じることはない。
過去世の”ユリ”は彼を見る度に胸をときめかせる何ををいつも抱えていたのに。今のパトリシアがオカシイのだろうか。
もちろん、オルティスの存在がなんとなく気になってはいる。
でも多分それは、前世から長く想っていたから、その気持ちの積み重ねでそう思うのだと思った。
見ていたことがバレたのかオルティスが不意に目をあける。流石に気まずくって、目を反らした。
「君は……」
そう言葉を聞いて、もう一度、まっすぐに彼を見た。
一体何を言われるだろう。
「君はいつも、犯罪が行われている現場で遭遇するな」
オルティスがそんなことを呟く。それは暗にパトリシアがその犯罪に関わっているとでも言いたいのだろうかと思ってむっとする。
「……私は……」
「君が首謀者ではない事はわかっている。アリス嬢の死については私からは何も言うことは出来ないが」
「私は一切関係ありません」
思わず、身を乗り出すと、オルティスは目を丸くしている。咳払いをしてもう一度深く座りなおす。
「もう少しご自分を大切にしたほうがいいのでは」
今度は私が目を見開く番だった。まさかそんな事を言われると思っていなかった。
「心配してくださっているのですか?」
オルティスは柔らかく微笑む。妙にそわそわとして目を反らした。
「……殿下は、あれからどうされていますか?」
わざと話題を反らす様にそう聞いた。オルティスは一瞬、わかりにくレベルだが眉を寄せる。
「変わりない。――やはり気になりますか?」
君に殺人の容疑をふっかけた人物なのにと言いたげだ。
確かにそうであることは変わりないが、できれば、今は殿下とは関りを持ちたくないが、いずれは断罪の場へ出向かなければならない。それまでには、自身が関わっていないという証拠を揃えなければならないが……。大きくため息をついた。
「大丈夫だとは思うが、気を付けるに越したことはない」
オルティスはそういって再び目を閉じた。
オルティスといてもやもやするのは、彼が私を一人の女性として扱っているからだと気がついた。
慌てて思考を反らす。明日になれば、きっとレイチェルからお詫びの連絡があるのだろうなと全く別の事を考えるように。
オルティスの存在を振り払うように、ここでもう一度、今までの事を振り返ってみる。
亡くなったアリス・ブレーク。前世の記憶で言うヒロインは、学園では上記成績を収め、順風満帆のはずだった。
もしこの世界が前世の小説の通りにストーリーが進んで行くなら尚更だ。
しかし、そんな彼女が苦悶の表情を浮かべ、自身で倒れていた所を発見された。
アリスの殺人の容疑は現在、パトリシアに向けられる。
殿下の言う方だと、殿下がアリスに目をかけていたのを嫉妬したパトリシアが彼女に手をかけたのではないかと言うことだ。
『君が彼女をこんな目に、こんな姿にしたのだろう』
『私はやっておりません』
『口答えをするか?』
『では証拠を見せてください』
そう言った所で殿下はひるむ。自分の激情だけで私にそう突っかかり、なんの証拠集めもせずに言葉にしているのは、彼との長年の付き合いの中でわかるし、まあ百歩譲って、彼の気持ちもわからなくない。
殿下はアリスに対して、私には持ち合わせない淡い想いを抱いていたのだ。
しかし、私の生命、家格にも関わって来ることだ。こちらとしても出るところはしっかりと出なければ。
考えが取り乱れているのは殿下だけではない、私だって一緒である。
なぜかというと、パトリシアはこのストーリーについて前世の記憶と言う知識を持ち合わせた。
けれど、こんなことは話にはなかった。
これからどうやってストーリーが進んで行くのか、さっぱりと見当がつかず、戦々恐々としてる。
『では、実際に君が殺人事件に関わっていない証拠を持って来たらいいだろう。それが君の最期と言っても過言ではないがな』
殿下のその言葉が何度もリフレインする。
なんとかして、アリスを殺害した犯人を探し出すか、パトリシアが一切関係ないという証拠を見つけなければならないのだが。
「ジューク卿をご存知か?」
一人で考えにふけっていた所、前から響く声にはっとした。そういえば、オルティスに家まで送ってもらっているところだったと思い出す。
「ジューク卿ですか?」
名前は聞いたこともある気がするが、どんな人だったのかは思い出すことが出来なかった。
「表向きは読書家、本の収集家で知られているが、裏では情報屋として有名だ。貴族の御つきのメイドたちから金になりそうな情報を購入しているらしい」
それを聞いてはっとした、先ほど(ずいぶん前の事に思われるが)演奏会の会場でみたハンプティダンプティだ。
彼のあだ名だけが広まっており、パトリシアもそちらの印象が強く残っていた。
「なぜそれを?」
オルティスは意味深な言葉を残して窓を見た。
「今回、伯爵家のレターセットの出どころはジューク卿からではないかと睨んでいる」
気が付くとブラック家はもうすぐそこだった。




