12、
舞台袖にコンソールテーブルがあり、マクテルはそこに花束を静かに置くと、またピアノに戻り、次のもう一曲を引き始めようとしたピアノの椅子に腰かける。
その瞬間。
舞台袖から火があがる。
先ほどの花束が炎を上げて、燃え始めているのだ。
最初は演出のひとつであるのかと、観客も興味深そうに見ていたが、マクテルが驚愕の表情をみせ、炎が消えることなく更に勢いを増し、舞台の天幕を燃やし始めた所で、人々は目の色を変えた。
もくもくと煙が立ちのぼり、舞台全体を覆い始める。幸いなことに、レイチェルとパトリシアがいるボックス席はガラス張りになっており、煙がこちらに入って来ることはないが、扉の鍵はかかっているため、逃げ場がない。
観客は我先にと席を立ちあがると出口に走り始める。
レイチェルも居ても立っても居られなくなった様で、扉に向かうがやはり施錠されており、押しても引いても扉が動く様子はない。珍しく髪の毛が乱れている。
見ていられずに、レイチェルの元に行き、二人で扉を力づくで開けようと心みるが、結果は変わらない。
か弱い令嬢の力では扉を押し破ることは不可能である。
「どうしよう」
レイチェルが泣きそうになって私を見る。泣きたい気分だが、ここで泣いても何も変わらない。涙をこらえる様に、唇をかみしめる。
目の前の状況は、非常にまずい状況であるのに、私自身は意外と冷静を保っていられた。それは前世の知識から、私達は死なないことを知っている。この事件に、死者は出ない。
しかし、知っているとはいえ、怖いモノは怖い。
「でも」
取りした声を意識しながらも、前世のキオクではパトリシアもレイチェルもここに居ると言う描写はなかった。ストーリーに異物が混入した時に、結果が変わる可能性はあるのだろうかと、一抹の不安がよぎる。
「ん?」
レイチェルは首を傾げる。
「マクテル様は何があってもここに居てと言っていましたわ」
「そうだけど……でもこんなことって想定外でしょう?」
鼻声でそう訴えるレイチェルは普段のツンツンとして言葉と態度が抜け落ちて、非常に庇護欲をそそられる。
この緊迫した状況の中で、逆に頭が冴え、彼女を安易にこの観覧席の外に出してはいけないと言うことを強く感じる。
息を吐いて、私は立ち上がり、舞台の様子を見た。
空気の入れ替えがされたのか、大分煙はおさまり、火も消し止められている。そのかわり、舞台も客席も水浸し。
舞台の上には消火のための水を浴びたマクテルを含めた数名の男性が何かを言い合っている。
「ねえ」
レイチェルを呼び寄せる。
目頭にハンカチを当てながらも、きっといつものレイチェルの表情を取り戻した彼女にこの様子も見せる、息を飲んだ。
大きな身振りでマクテルに向かって怒鳴りつけている男がいる。
「枢機卿だわ」
その立ち姿に見おぼえがあった。
記憶では、いつもつかめない笑顔を浮かべている彼が感情を、声を荒げている。
あたりのざわめきが静まり返ったところで、その声はよく聞こえた。
「一体、どうしてくれるんだ。これじゃあ、せっかく企画した舞台がめちゃめちゃだ」
枢機卿は頭を抱えてそう言った。
つまり、今回のボヤ騒ぎの原因はマクテルにあると言いたいのだろうか。どうみても不可抗力ではないかと、むしろあの出火の原因となった花束を用意したのは枢機卿。貴方ではないのかと疑問を持つ。
先ほどまで涙ぐんでいたレイチェルは表情を変え、怒りをあらわにしている。
「私は……」
マクテルが何か言葉をを返そうとした所、枢機卿が間髪入れずに言葉を続ける。
「君がこの舞台を盛り上げるために、あの様なサプライズの演出を企画してくれた努力は評価に値するが、しかし実害が出てしまってはどうにもならん」
「あの演出を考えたのは私ではありません。勝手にあの花束が燃え出したのです」
マクテルは毅然とそう言った。
隣でレイチェルがマクテルを応援するように頷いている。
枢機卿はため息をつくと、後ろを振り返り手招きする仕草を見せた。
「何をしているのかしら」
そう呟くレイチェルは瞬く。
ぱたぱたと枢機卿に駆け寄って来たのは一人の青年。先ほど、マクテルに花束を渡した人物だと一目でわかった。
「では、君。ここにいる花束を持った彼が全てを仕組んだというのかね?」
枢機卿は隣にいた青年を指さす。
青年は始終俯いていた。
マクテルは青年を見て、可哀そうだと思ったのか怯みながら、
「別にその様な事を申し訳では……」
と、青年の気持ちをなだめる様に言った。
「じゃあ、やはり」
枢機卿の言葉にマクテルは全力で否定した。
「ここで押し問答をしてもどうしようもありませんので、彼に聞いてみましょう。こちらとしては特に問題を大きくしたいと思っている訳ではなくて、だた、こちらが被った被害を補填してほしいと思っているだけなのだよ。マクテル君。私としてもボランティアではここまで大きな舞台を開催できないのでね――それで、君は先ほどの花束は誰から指示されたのだ?」
「あれは枢機卿が用意したものではないのですか?」
マクテルは青年の返事を待たずしてそう言った。
「君は私を疑っているのかね?」
枢機卿は機嫌悪くしてそう言ったが、今回の事に関しては私も枢機卿を十中八九疑っている。恐らくすべてを仕組んだのは枢機卿しかいないだろう。そう思うが……しかし、この状況ではマクテルが不利だ。いくら口で言ったとしても、はぐらかされるか否定されて終わるだろう。
決定的な証拠である青年の証言は、枢機卿が握っているのだから。
しかし、枢機卿の物言いにもマクテルは引かない。その様子にふうと息を吐いた。
「君は私が花束を用意したと信じて疑わないようだが、もし本当に私が用意したのならば、花は百合の花でなくてはならない。その意味は君にも分かるだろう?」
枢機卿は聖職者。聖職者のだいたいユリを紋章としていることが多い。枢機卿の紋章は、確かすかしゆりであったはずだ。
この世界では大抵家紋に草花の模様がしるされており、誰かに花を贈る時は自分の紋章に刻まれた花を贈ることが慣習的だ。もちろん絶対そうしなければならないと言う訳ではないが、そうした方が誰から送られたかがわかるから。
マクテルは言い返せずに苦々しく表情を歪めた。
枢機卿は自身が呼び寄せた青年に、
「さて、君は一体誰に頼まれてあそこで燃えた花束を用意したのだ?」
と、たずねる。青年は視線を彷徨わせた後にマクテルを見た。
「あの方に。秘密裏に用意するようにと申し付かりました。今回のコンサートはあの、……マクテル様の多大な尽力を賜り、私はお忙しい枢機卿に代わって、マクテル様との橋渡し役をしており、マクテル様と個人的にお話されていただく機会もありました」
青年の回答にマクテルは愕然とした様子で、言葉も出ず、ただ茫然と見つめていた。
「では、その用意した時の様子について詳しく聞こうではないか」
枢機卿は自身たっぷりな様子で青年に話を促した。
「花束はマクテル様がご用意されるので、一曲目が終わった時に舞台に持ってきて欲しいと指示を……」
「私はそんな事を指示した覚えはない」
マクテルの強い言い方青年は一瞬ひるんだが、すぐに表情を引き締めると、ポケットから一枚の用紙を取り出した。
「こちらが受け取った指示書です。マクテル様の家紋入りのレターだったので、私は何の疑いもなく」
隣に座るレイチェルが、
「おかしいわ。きっとマクテルをはめようとしているのよ」
ぎりぎりと歯を食いしばり、今にも飛び出していきそうなのをこらえている。
私としてもレイチェルとマクテルの肩を持ちたいのは山々だが、ここで出て行っても事態を改善させるだけの手立てがない。物理的にも出ることが出来ないため、成り行きを見守るしかない。
青年が出した書類は遠目で、よく見えなかったがちらりと赤い色でマクテルの家の紋章があしらわれているのが見えたので間違いないのだろうと思った。
それにマクテルの家に描かれているのは薔薇の花である。
マクテルは青年の持つ、書類を一瞥したが、
「覚えがない」
冷静にそう答えていた。
「ですが、この紋章はお宅の家のものですし、紋章入りの用紙は各家でしか取り扱うことの出来ない特別な書面だと伺っています。ですから、いくらマクテル様ご本人に覚えがないと仰られても……」
「しかし……」
枢機卿はさらにたたみかける。
「マクテル様ではないとするなら、ご両親、もしくは使用人と言うことは考えられませんか?」
この言葉にさすがに、絶句した。つまり、マクテルの両親、イーデン伯爵家が仕組んだのではないかと暗に言っているのだ。
馬鹿馬鹿しい。
イーデン伯爵家は家格はそれほど高くないものの、国内屈指の商家でその名前は海外諸国にも鳴り響いている。
そんな彼らにとって枢機卿など取るに足らない。なぜ、わざわざこんな事をするのだろうかと言う疑問。
はっと気が付く。
恐らく、イーデン伯爵家の財産を目当てに、マクテルではなくとも家の者でも誰かを落としいれて、保証金のせしめ取りたいのだろう。
ある意味、脅迫に近い。
枢機卿の金回りの良さは、この屋敷を見て不思議に思っていた。聖職者の傍ら、裏でこんなことを行っていたとは、開いた口が塞がらない。
枢機卿の隣で黙りこくっている青年は俯き、体を震わせている。
マクテルは青年をちらりと視線を向けた。
彼の性格上、その青年に罪を押し付ける様なことはしない。それも込みで、全て計算しつくされた計画なのだろう。
思わず、歯ぎしりをする。
隣のレイチェルもわなわなと身体を震わせている。
「ここで見ているだけなんて」
思わずそうこぼした。
私がここまで思っているのだから、レイチェルはそれ以上に歯がゆい気持ちを味わっているだろう。
どうにかならないだろうか、と考えながらもまずこのボックス席から出ることが先決で。でも、鍵はマクテルが持っているし……と思った所でパトリシアははっとする。
「ちょっと待て」
観客席から静謐な声が響く。
まだ観客席に残っていた人がいたのかと思いながらも自分たちもそうだから人の事は言えないと思って苦笑い。一体誰だろうと思ってそちらを見ると、二人の男が歩いて、舞台に向かっている。
見覚えがあると思ったら、先ほど、舞台が始まる直前に滑り込んで観客席に入り込んで来た二人だと気が付いた。
「枢機卿。この件に関しては厳粛にこちらで捜査させてもらおうと思うのだがいかがかな?」
枢機卿はぎろりと近づいて来る二人の男を睨みつけているが、その声が聞こえてきて私は驚いた。
「オルティス様?」
「え? オルティス様? まさか……」
レイチェルが私とオルティスを交互にみて、あんぐりと口を開けている。
舞台に登壇した際に、仮面を外したのでもう間違いなかった。
もう一人の男は見覚えが無い。
彼の部下? 従者? だろうか。
「君たちは一体なんだね? どう言った権限があって、こんなことを」
枢機卿は権力を笠に来た、横柄は態度でオルティスを睨みつける。
オルティスは無言で羽織っていた黒いマントを退ける。
中からは黒い騎士服。
胸に金糸で紋章があしらわれているのがちらりと見えたが、こちらの席を背にして立っているので良く見えない。




