10、
授業が終わった頃。
レイチェルがパトリシアの元に駆けてくる。
「ねえ、私達親友でしょう?」
いきなり両手を握られ、顔を上げる。急にそんな事を言われるので少々驚いたが、もちろんと大きく頷く。
ここ最近ずっと、アリス・ブレークの犯人捜しに追われており、こんな友人とのやり取りに心の糸がゆるむ。
「ちょっとだけ私の話を聞いてほしいの」
「ええ、もちろん」
そう言いながらも、また厄介事に巻き込まれる様な気がしていたが、友人の頼みである。
「じゃあ、ソサエティークラブにでも行きましょう」
「あの」
そう言って近づいてきたのは、人のよさそうな一人の男性。この学園の生徒だ。同い年で、見たことはある。
たしか、伯爵家の子息だったかと。
レイチェルはきょとんとして、手を離すと、廊下の向こう側に離れた。
目の前の子息の男性はレイチェルに軽く会釈をしてみせる。
「王太子殿下と不仲だと伺いました。宜しければ僕と……」
はちみつ色の髪に真直ぐなまなざし。
前世の自分なら倒れる程の可愛らしい容姿の目の前の人物に翻弄されていただろう。
だけど、素直に思ったのは。『期待にこたえられない』
公爵令嬢の私が、なぜそんなことを思ったのか自分でも自分がわからなかった。
ラリー殿下との関係は義務である。それ以上でもそれ以下でもない。
でも、ここで私がはいと答えて、目の前の彼の手を取ったら?
「……ごめんなさい。そう言ったことは家を通してもらわないと」
私はそう言ってやり過ごすと、レイチェルのいる方に戻った。
子息の青年はすこし、顔を暗くしてみせたが何事もなかったかのように歩き出す。
「ねえ、アポロン様に告白されていなかった?」
レイチェルがひじで私をこづく。
「え?」
レイチェルの言葉に素知らぬふりで返す。
「アポロン様は伯爵家だけれど、最近領地の経営もかなり上手く行っているようで、人気があるのよね。まだ婚約者様もいないようだし」
そういえば、彼の領地はブラック家の隣だったと思い出す。
「家の圧力で私に声をかけて来たのでしょう」
「そうだとしても、にこりと笑顔くらい作ったらいいのに」
レイチェルの言葉を他所に、手を引くとクラブまで足早に向かう。
ソサエティークラブの一室を借りて、パトリシアとレイチェルは、新しく手に入ったものだとクラブの執事が紹介したお茶とケーキ楽しんでいた。
レイチェルもソサエティークラブのメンバーの一人である。
「それで、一体何があったの?」
不機嫌なレイチェルに話を促した。
「枢機卿の」
「枢機卿?」
まさかその単語が出てくるとは思わなかったので驚いて思わず聞き返えした。
「枢機卿の元でこじんまりとしたものらしいのだけど、音楽祭が開かれるの。それで……」
「マクテルが出るの?」
思わずそう口にするとレイチェルは可愛らしくほっぺを膨らませ、むっとした表情を見せる。思わず笑みがもれた。
「酷いわ」
「ごめんなさい」
高位の令嬢にはあるまじき仕草だが、幼いころから交流のあるレイチェルとパトリシアはお互いに気安い関係になっている。レイチェルだからこそできることでもある。
「それで?」
「マクテルが出演するとって噂で聞いたから、お花を持って行こうかと声をかけたの。だけど、全く酷いのよ。顔をしかめて『来るな』の一点張り。それで、私、嫌がさせにいってやろうかと思っているの」
レイチェルはそう言って美しいフォルムのケーキをフォークでひとつき。口に運んだ。
マクテルと言うのは、マクテル・イーデンのことで、レイチェルの幼馴染兼婚約者である。本人から聞いたことはないので確定ではないのだが、二人でいる時はマクテルのことを愛称で呼んでいるらしく、時折、聞きなれない単語が本人の口から飛び出すことがあるが、あえて指摘したことはない。
ケーキを咀嚼したレイチェルは話を続ける。
「でも、流石に私一人で行くのは流石に気が引けてしまって。一緒に行ってもらえませんか?」
丁寧に可愛らしく、レイチェルがお願いするものだから断れる訳が無いだろうと溜息を吐く。
ただ、腑に落ちないのは。
「マクテル様はどうしてそこまでレイチェルに来させたくなのでしょうか?」
彼が音楽祭に出演するときにレイチェルを断ったことは、パトリシアが知る限りいままでないはずだ。
「きっと何かあるはずだわ。誰か秘密の恋人を伴っていくのよ。きっと」
レイチェルの息まいた様子に、苦笑い。
確かにマクテルは、甘い容貌で女性からの目を引き誘いも多い。それに本人も軟派なタイプなので、のらりくらりしている部分があるが、思うに……マクテルはそんな人物ではない。
レイチェルは勝気な部分があり、マクテルに対して少々素直になれないところがある。
そんな部分も可愛いのだけど。
マクテルもそれをわかっているから、知っていてあえて、からかうような仕草を見せる。
だから、そんな彼が強くレイチェルを拒む理由が何かあるのだろうとも思うが、全く思いつかない。
まあ、いってみたらわかるだろう。帰ったら、ドレスの用意をしなければと頭の片隅でそう考えていた。
「レイチェルはマクテル様と正式に、婚約されたのですか?」
レイチェルちょうど紅茶のカップに口につけたところ。変な音がして、レイチェルはごほごほとせき込む。
「いえ、まだ候補よ」
そう強く言うが、本当は正式な婚約者だ。いつになったら彼女はそれを認めるのか。
この世界において女性は家庭に入るか仕事をするか。ある程度自由はあるものの、ほとんどの女性は結婚を選択する。
特に貴族籍に身をおく女性なら尚更だ。
私もそれをわかっている。
けれど、結婚はどこか遠い先での出来事で自分に降りかかってくるなにかとまでは考えが及ばない。
正直なところ、殿下の隣で微笑んでいる自分の姿なんて想像できないのだ。
――ラリー殿下はアリスさんとの将来を見据えていたのかしら。
人を愛することは尊いことだと思う。
でも今のままでは誰かに愛されて幸せになるなんて無理なんじゃないかとも考える。
だからこそ、友人を応援したいという気持ちになるのかもしれない。
初恋を拗ねらせている私の一番の友人であるレイチェルを。
ソサエティークラブを出て、ちょうど廊下を曲がった所。
マクテルが他の女子生徒と親密に話している様子を見掛けた。
「ああ、また女の子と。なんであんなのにはまるんだろう」
レイチェルはそう言ってマクテルが他の異性といる度にわかりやすくふんっと顔を反らす。
それを見て、なんだかその仕草が可愛らしくて気がつかれない様に笑う。
レイチェル本人は気が付いていない様だけれど、マクテルの事を想っているのがよくわかる。
本人に聞いた所で、彼女はきっと認めはしないのだけれど。
でもいつか気が付く時が来るかもしれない。そんな時に後悔しないように彼女を見守りたいと思うのだ。
ふと、その張本人であるマクテルの方にもう一度視線を向ける。
まだ、さっきの女子生徒とふわふわと話をしているのだろうかと思ったが、違った。
今度はオルティス様となにやら真剣に話し合っている。ドキリとした。
オルティスがこちらの視線に気が付きそうな素振りだったので、慌てて視線を反らし、何事も無かったのかの様にレイチェルと連れ立つ。
*
枢機卿の屋敷は神々しく荘厳であった。
聖職者は清貧であることが求められると思っていたのだが……目の前には神々を模した彫刻像が立ち並ぶ。
「私達だけ?」
レイチェルは周囲をきょろきょろとしながら、そう呟く。
来客の貴族はそれなりに居るのだが、さらりと顔ぶれを見ると年配の方が多く、あまり良くない噂を聞く様な面々ばかりである。
その代表格が、裏で情報屋をやっていると言われる、パンプティダンプティ。
それと、何度も結婚をしながらも妻は奇怪な死を遂げてしまう独身貴族。
ホールのあちらこちらでは、若い芸術家たちが自身の作品や音楽の腕前を披露してパトロンを探している。
煌びやかとはいえない、下心満載の衣装は見ていて楽しいものではない。
私とレイチェルぐらいの年齢の令嬢は見渡しても見つけられない。
令嬢ではなくもっと年上の、未亡人と呼ばれるタイプの女性ならいるが。
大抵の来客は二人の横を通りすぎる時に視線を送る。
まるで品定めを受けている様な気分だ。
「なんだか場所を間違えてしまったみたい」
レイチェルはパトリシアの手を握りしめ怖々としてそう言った。
確かにパトリシアも令嬢として様々な夜会や演奏家、演劇鑑賞……もちろん一通り経験しているが、この異様な空気に触れるのは初めてだった。
何が異様って、皆仮面をつけている。
仮面舞踏会のドレスコードなんて招待状には書いていないにも関わらず。
「パトリシアを誘って本当によかった。私一人なら仮面すら忘れていたかもしれない」
レイチェルはそう言うが仮面と言ってもお飾りの様なものであるため、知っている人からみれば、レイチェルとパトリシアだとすぐに見分けることが出来るだろう。
なぜ仮面を用意出来たかと言うと前世のキオクを、不意にベッドに入った時に思い出した。
実は、この枢機卿の屋敷でマクテルが演奏する場面は一瞬だけ絵としてみたことがあると。
その時の観客が皆異様な仮面をつけていたので、もしやと思って急いで用意したのだ。
隣に並ぶレイチェルだって美しい令嬢だ。
自然と視線が集まるのは仕方のない事だろう。非常に不快な視線であることは間違いないが。
目が合わない様に真直ぐ前を向いて歩いていくが、そもそもこの道で合っているのかもわからないまま。
前世の知識から、仮面が必要な事はわかったが、それ以外のことは全く分からなかった。思い出せなかった。
ブラック家の名前で事前に打診をしていたが、来てみればかわるの一点張りで詳細については何も情報を得ることは出来なかった。
――誰でも来場できる。
その説明しか受けていない。
ともかく、レイチェルの手を引いて屋敷の中に入り、他の来客者の流れに合わせてゆっくりと歩く。
大きな広間の至る所に見受けられる、豪勢な装飾品。この資金は一体どこからまかなっているのか、ふと冷静になって気になった。
レイチェルの体に力がはいり、こわばったのを繋いだ手から感じる。どうしたのかと思うとどこからかこちらに走り寄る足音が聞こええ、今度は私の方がびくりと体に力を入れた。
非常に嫌な予感。
この足音の人物いはあまり関り合いを持ちたくない。
騒ぎの中心にはなりたくない。
できれば、こちらへ向かってこない様に。
その祈りは届かずに、パトリシアとレイチェルのすぐ後ろまで来るとピタリと止まった。
「おい」
怒りを含んだ、テノールの聞き覚えのある声に振り返る。
片腕を掴まれたレイチェルは、ぽかんとした後に珍しくまずいと言った様な表情を浮かべている。その手を振りほどく素振りも見せないので、その男を見る。
仮面をしているが、髪の毛の色が特徴的なさらさらとしたピンク色。
彼だけは貴族の家名にはじることのないきっちりとした衣装に身を包んでいる。
間違いなくマクテルだと分かった。
レイチェルは真っ先に気が付いていたのだろう。
彼はこれからの演奏会に出演するはずだから、今この時間には控え室にいるはずだろうに。なぜ、こんな所に居るのだろうか。それに、普段の彼からは想像もできない程、厳しい態度を見せている。
「君。なぜここへ?」
あえて、レイチェルの名前を出さないのだろう。つまり他の来客たちに彼女の名前を聞かれたくない。そうも感じられた。
それを知ってから知らずか、レイチェルはぷっくりと頬を膨らませる。
このままじゃ、二人はまたいつもの様に言い合い(じゃれあいとも)になるのだろうか。
しかし。
ひそひそと取り囲む様な周囲の視線と話声が気になる。
「ここではなんですから。別の場所に行きません?」
私の言葉にマクテルはため息をついて鉾を治める。すっと周囲に視線を巡らせ、私がかけた言葉の意味を理解してくれたらしい。
確かにマクテルの軟派な性格は否定しないが、そう見せて、意外の周囲の事をよく観察しており、少々腹黒い所もある。
そのマクテルがこんなにも怒りの感情をむき出しにしていたのは珍しい。
マクテルはぷいっと顔を背け、掴んでいたレイチェルの腕を引っ張る。
「こちらへ」
レイチェルは私の手を握っているので、結果的に私も引きずられる形だ。
ただ、引きずられながら少しほっとした。
マクテルが現れるまで、肉食獣に囲まれた草食獣であって、やっとそこから脱却出来た。
しかし、一難去ってまた一難。
マクテルの怒りをどう鎮めたらいいか。
おそらく、言葉にしないもののひどく辛辣な視線を向けられ、責め立てられることは覚悟している。
この後どう動くべきか。
前世の記憶からはどの様なことのか、詳細まではわからない。
今のこの現実はヒロイン不在なのだから。
まずは、マクテルの話を聞いてから考えようと。少し意識を飛ばしながら、引きずられ広間を抜けた。




