『大切にしなくちゃいけないもの』
『大切にしなくちゃいけないもの』
大切なもの
大切な事
それは人それぞれである
自分の大切なものが
自分の大切な事が
人によっては
どうでもいいものだったりする
物事の価値観は
人それぞれだ
人それぞれで然るべきだ
大きな声を出して
身振り手振りを大げさにして
よってたかって
いたぶる様に
粉々になるまで踏み潰す様に
責め立てないで欲しい
分かってる
言われなくても分かってる
明日の朝が来なければ
夜がずっと続くならば
今だけはこうして
このままでいられるのに
美晴が入院していたベッドの上で眠っていた。が、本当に眠っていた訳じゃなかった。
とても、寝ていられるような心境ではなかった。
だから、目を閉じていただけだった。
傍らにいた環が、腕時計に目をやり、
「あと五分で麻酔の先生が来る」
「……」
「……」
「……環ちゃん」
「うん?」
「環ちゃんの付き合ってる人って、どんな人?」と美晴が体を起こす。
「普通のサラリーマンだよ。大学の頃の同級生」
「カッコいい?」
「どうかなあ……私はそう思ってるけど」
「環ちゃんの彼氏だもんね……結婚は?」
「貰ってくれるとは思うんだけど……どうだろうね」
「環ちゃんなら大丈夫」
「……」
「……昨日、夢を見たんだ」
「……」
「びっくりする位、クリアな夢」
「……」
「こんな夢を見るのは、生まれて初めてかもしれない」
「どんな夢?」
「……内緒」
「ずるい」
「……ずるいよね」
「……」
「今でも」
「……」
「今直ぐにでも」
「……」
「やっぱり、やーめたって言いたい」
「……」
「ごめん、やっぱり、産みたい……」
「……」
「産みますって言いたい」
「……いいよ」
「……」
「やーめたって言いたいなら、言ってもいいんじゃない」
「無理だよ」
「どうして?」
「社長に怒られる」
環が立ち上がり、
「ふざけないで」
「……」
「誰の人生なの?」
「……」
「美晴と」
「……」
「お腹の中にいる、大切なその子の人生じゃないの?」
「……」
「自分だけの人生じゃない」
「……やめる」
「……」
「昨日までは、やめる……やめるのを止める……やっぱり……」
「……」
「の、繰り返しだったけど」
「……」
「朝、起きてからは……夢から覚めた後には……」
「……」
「やめるとしか思わなくなってた」
「……一つだけ聞くね」
「……」
「後悔はない?」
「ない」
「決意は?」
「変わらない」
「……分かった」
「……」
「これから色んなおっさんたちに怒られてくる」
「……環ちゃん」
「任せて」
「お願いします」
「……いい顔してる」
「……」
「昨日までとは別人みたい」
「(美晴が笑みを浮かべて)」
美晴が出産を決意し、その七ヶ月後に女の子が生まれた。
それが心陽だった。
時を同じくして、美晴が所属していた芸能事務所は大手のヤガミプロという芸能事務所に吸収され、解体された。
美晴の映画降板による膨大な違約金の支払いや、そして、美晴の堕胎騒動による医者への口止めなどに、ヤガミプロに口利きなどを依頼してしまっていた為、経営が立ち行かなくなってしまったのであった。
環はこの騒動の責任を取って、会社を辞めた。
環は実力のあるマネージャーだったので、吸収したヤガミプロも翻意を促したが、終始、環が首を縦に振る事はなかったのであった。