『一日は二十六時間』
『一日は二十六時間』
あの時は笑ってた
目を閉じれば思い出す
飛び切り上等の幸せを感じた
目を閉じれば思い出す
これだけでお腹一杯
いくつ歳を取っても
忘れる事はない
目を閉じれば思い出せる
色は薄れていっても
音はかすれていっても
鮮明ではなくどこか途切れ途切れだったとしても
あんなに楽しかった事
こんなに笑顔でいられた事
忘れない
ずっと憶えてる
目を閉じれば
ずっとこのままこうしてたい
それはドラマか何かの撮影中の様子だった。
多くの撮影スタッフが段取りに追われている様子だった。
それらから少し離れた場所で、美晴が携帯電話で話をしていて、
「今日中には無理かもしれない」
「そう」
電話の相手は星野であった。
「急遽、夜のシーンを挟む事になって、時間待ちしてる」
「そう」
「ごめんね」
「帰っては来れそう?」
「新幹線の最終には絶対」
「じゃあ、待ってるよ」
「……ありがと……また電話する」と美晴が携帯電話を閉じる。
撮影スタッフの一人が美晴に向かい、
「相良さん、先にカメリハをお願いします」
「あっ、はい」と美晴が撮影スタッフの群れの方に戻っていく。
東京駅の風景だった。
駅は通勤ラッシュのピークはとうに過ぎていたので、整然とした雰囲気だった。
「分かった」
「送らなくて、本当に大丈夫?」
美晴と環が改札口を出てきた。
「大丈夫」と美晴は環の方ではなく、駅の出口の方ばかりを見ていた。
「急いでるなら送るよ」
「大丈夫」
「分かった、分かった。はい、はい、行って。お疲れ様」
「お疲れ様です」と美晴が走っていく。
が、途中で止まり、振り返り、
「タクシー乗り場、どっち? こっち!?」
「そっち」と環が美晴が指した方とは別の方を指す。
「ありがと」と美晴が走っていく。
東京駅近くのタクシー乗り場には長い行列が出来ていた。
美晴もその行列の中にいた。美晴の前には五組程の先客がいた。
「(美晴が腕時計に目をやる)」
時間は十一(二十三)時を過ぎていた。
「……」
環が運転する車が通りかかり、
「……」
タクシー乗り場の行列。
環が行列の中の美晴を見つけて、路肩に車を停め、車を降りようとするが、
「……」
環は思い止まり、そのまま車を発進させる。
美晴がタクシーを降りて、アパートの階段を上がっていく。
アパートの二階の一室の玄関の扉が開いて、
「お帰り」と星野が顔を出す。
「ただいま」
「寒かったでしょ……早く入って」
「うん」
星野が鍋の蓋を開けて、
「ヨーグルトが隠し味なんだ。これで三回目かな……温め直すの」
鍋の中にはビーフシチューが煮込まれていた。
「ごめんね。電車も少し遅れたの」
星野が部屋の方に来て、
「見て」と壁の時計を指差す。
壁の時計は十時十五分過ぎで。
「あれ、時計が遅れてる。もう、十二時過ぎじゃ……」と美晴が腕時計に目をやろうとする。
「見ない」
「……」
「目を瞑って」
「……」と美晴が目を瞑る。
星野が美晴がしていた腕時計を外し、
「暫く没収……目を開けていいよ」
美晴が目を開けて。
「知ってた?」と星野が聞く。
「何を?」
「時間を買えるって」
「時間を?」
「二時間だけ、時間を買った」
「……」
「その顔は疑ってるな」
「(図星で)」
「例えば、僕らみたく、二時間、時間を買ったとして……」
「……」
「時間を買った人間は、その日は他の人より、二時間長くなって、一日二十六時間になる」
「……」
「その代わり、時間を買った分だけ、明日は他の人より短い、一日二十二時間になる」
「……」
「だから、まだ二月十五日」
「……」
「美晴の誕生日」
「二月十五日……」
「間に合ってよかった」
「……よかった」
「二十二歳の誕生日、おめでとう」
「ありがと」
美晴と星野が抱き締めあう。
キッチンの鍋が蓋がコトコトを音を立てていた。
そして、部屋の外では静かに、ゆっくりと雪が降り始めていた。
それが三ヶ月前の夜の出来事であった。