『事件の始まり』
『事件の始まり』
雪が降っていた。外灯に照らされた雪は規則正しく、空から一定のリズムを刻むように降り注いでいた。
家の中では石油ストーブが部屋の中を暖めていた。窓は結露し、曇っていた。
石油ストーブの暖かさで、家の中は十分な温もりがあったはずだが、井津尊が、押入れの中で一人、膝を抱え、縮こまるようにしていた。
「……」
居間の方から女性の悲鳴が聞こえて、
「……」
尊が耳を塞ぎ、震える。
居間では井津香央里が額の辺りから血を流していて、
「許して……お願い……」
問答無用に包丁を振り下ろす男の背中。
血が辺りに飛び散る。
井津博が返り血を浴びていて、手には血の付いた包丁が握られている。
「……」
押入れの中では尊が息を殺していて、
「……」
尊の肘か何かが押入れの中の物に触れ、音が立つ。
「!」
井津が音のした部屋の方に目をやる。
「……」
井津が刃物をギュッと握り締め、音のした部屋の方へ一歩、足を踏み出す。
その時、玄関のドアを外から叩く音がして、
「香央里さん……香央里さん、どうかした?」と女性の声がした。女性の声と共に男性など、複数の人の声が聞こえてきて、
「……」
井津がチラッと尊が居る部屋の方を見る。
尚もドンドンと玄関のドアを叩く音がして、玄関の表に居た一人から、
「警察。110番して」
井津が慌てて庭に面したガラス戸を開け、逃げていく。
押入れの中では尊が、
「……」
尊が尚も必死で息を殺していた。
井津が薄っすらと雪が降り積もり始めた道を靴も履かずに後ろを何度も振り返りつつ走っていくのであった。




